22話.一月はホラー!?初夢は危険がいっぱい!《後編・下》
独りぼっちは怖い。
誰からも認めて貰えずに、クラスでも、何処でも。
あたしが悪いんだ、と思った。
きっと何か、苛められる原因が自分の何処かにあるんだ、って。
あたしは自己主張の強い方だし。
周りに同調しないあたしは、さぞ目障りたったのだと思う。
こちらに分かる様に、あからさまに囁かれる『陰口』。
耳に届く、クスクスと笑い合う女子の声。
いつの間に頭の中に忍び込んだ『考え』だったんだろう。
いつの間にそんなに追い詰められていたんだろう。
《死にたい》
なんて。
死んでしまえば、皆、悪いコトしたって思ってくれるのかな、って。
曲がった勇気さえあれば、ホントに死んでいたかもしれない。
でも、
その本心は気付いて欲しかっただけだ。
哀しくて哀しくて、嘲う彼らの中に、独りでいる事がどんなに辛いか。
そうして、本当の本当は。
皆、死んでしまえばいい、とすら思っていた。
何故、あたしが死ななきゃならない?
力さえあるなら、あたしを傷つける奴等は全員、この世から消し去って嘲笑ってやるのに。
と、そう─────思って、………でも。
「でも、ゆうかさんは、『今の私が好きだ』って、言ってたよ。
だから、貴女を否定なんか、しない。あたしには出来っこ無いッ!!」
届け、あたしの、声よ。
「貴女が居なきゃ、あたしの大好きなゆうかさんは居ないんだよ!」
彼女は時を止めた様にあたしを見つめた。
認めてくれた。
そう、あの時と同じ。
その瞳に映る限り、あたしが独りで無い様に、貴女も決して独りにしないよ。
「馬鹿なッ!?騙されるな、貴女の望みを叶えるのは私だけだ。私なら、現実世界の大年増で、豚の様に固太りした貴女でも……」
インキュバスは焦る余りに、言ってはいけない台詞を口走った。
ゆうかさんは汚物でも見るかの目付きで、ギロリ、と妖かしを一瞥した。
「《豚》だと…?」
どのゆうかさんでも、反応が一つだけ同じものがあった。らしい。
「いえ‥その、それは貴女の事じゃなくて、あちらの…」
彼女の迫力に押された妖物が慌てて繕おうとしたその時、曇る空に光るものが現れた。
見開いたそれは、
一対の巨大な目。
真っ直ぐに、ゆうかさんを見下ろして。
瞬間、彼女の口が開いた。
『洋一郎、あたしに力を貸せッ!!』
結界の維持に力を割いていたらしい青年は、やれやれと肩を落とした。
「───── 一度だけだぞ?」
それはあたしに向けられていて。
背後から夢主を抱き締めた青年は、彼女の額と目を、左手で覆った。
「来れ、《選択をする者》。時を越えて、我が呼び声に応えよ」
ぶわっ、と空気が揺れて、そこから向こう側が透けた、今の彼女と瓜二つのゆうかさんが現れる。
やがて、《本体》にぴたり、と重なった。
ぱちり、と再び目を開いた彼女は、そこに強い意思を湛えていた。
同時に6個の玉が落ちて、結界が破れ、インキュバスはこの時とばかりに刻印の光を強め、あたしに向かって駆け出した。
咄嗟に逃げようとしたのだが、贄として精を搾られ始めたのか、全ての力が抜けてゆく。
身体が傾いで……。
その時、
『ヤン先生ッ、その子を護って!!』
彼女の声に応じて、力強く、誰かがあたしを支えた。
「良く、持ち堪えました。後は任せなさい」
ヤン先生が両手を閃かすと、五つの玉が《五芒星》を象って展開し、美しき妖かしを勢いよく弾いた。
「ふん、やっとのお出ましか。もっと早う現れれば事は済むであろうに」
憎々しげな夏の姫君の声に、春の若君が溜息混じりに宥めた。
「仕方無いじゃない。《彼》はそういう役回りなんだから」
言葉の意味を考える暇も無く、ゆうかさんの叫びが全てを支配した。
『記憶を辿り、具現化せよ幻獣《獏》。
善き夢の守り手よ、悪しき夢を討ち滅ぼせ!!
─────緋煉!』
「おうよ、待ち兼ねたぞ、ゆうか!!」
ぽん、と現れた可愛いゾウさんみたいな獏は、キラキラした物を長い鼻から撒き散らし、インキュバスの動きを止めた。
そう、彼女は《選択する者》。
一月を迎える前の『旅人』であるゆうかさん。
洋一郎さんは、時を越えて本体の身の内に《記憶》を取り込んだのだ。
呼び声に応えた姫君に手を添えて、薫桜は春の力を注ぎ込んでゆく。
「『13の呪いを開封する。時の一巡は12に過ぎず、13に蘇る術を持つ怪異は世界には不要である。─────よって、存在は幾度も戒められるものなり』」
ガゴォッ!!ガガガガガガガ、ガゴォッ!!ガゴォッ!!
唱和する二人の声に合わせて、次々に地表が割れ、そこから鈍色の巨大な鎖が幾本も突出して、妖物の四肢を搦め取った。
「『滅封!!』」
全ての物が、人が揺れ、インキュバスは鎖に縛され、地に飲み込まれてゆく。
《おのれ、今少しであったというのに……またシテモ……》
全てを呪う様なその声に、あたしは身震いし、彼の者の真の性質を識った。
「あ、数字が消えて行くよ!先生」
喜びも束の間、あたしとゆうかさんの足下が、激しく地響きして割れた。
空間が歪み、神々の存在すら弾き飛ばす。
《ひひ……道連れを一人、戴コウ……》
白い指が地中に消える刹那、妖かしの最後の力が揮われる。
「『ヤン先生、助けてッ!!』」
あたしとゆうかさんは、同時に先生に助けを求めた。
救えるのは、たった一人。
先生の瞳に絶望が走る。
どちらも選べない。どちらも。
ぎゅっ、と思い切る様に目を瞑った先生は、ばっ、と勢い、顔を上げた。
「ユキィイイイイイィ───────ッ!!」
悲痛な叫びと共に、青年は揺れる地を駆け抜ける。
ゴゴゴゴ‥ガキィ!!‥ゴゴゴゴゴ、ガゴォッ、ガガガガガゴォッ!!‥‥
あたしの足下が消える瞬間、伸ばされる手が間に合わない、その、数秒に。
何かが激しく体当たりして、あたしの身体を先生の腕の中に押し込んだ。
そうして、代わりに暗い、冥い、穴の中に落ちて行くのは。
「ゆうかさあぁああああああんっ!!」
「ユキっ!!危ない!」
何処か哀しげに、何故か満足そうに、薄く微笑って。
「いやだああああッ、先生、せんせいィ!!助けてぇ、ゆ、たす、あああああッ!?」
「もう駄目です、もう─────間に、合わない」
落ちてゆく、闇よりも尚、濃い暗闇に。
静かに。
涙の雫が透明な珠になる。
白いドレスがはためいて、消えてゆく。
あの人が消えてゆく。
一人で。
ガキィイイイィイン!!ガゴッ、ガガッ!!
何かが、白と黒の色彩が、割れ目に呑み込まれる土塊を蹴って、目の前を横切った。
「─────さゆりちゃんッ!?」
ひらり、ひらりと落ちてゆく、主人をブチの猫はしっかりと咥えた。
前足で捕まえて、柔らかな身体で包み込むと、眠る様に丸くなって。
やがて、黒と白の小さな、小さな点になった。
全ての地割れが閉じ、静寂が辺りを包んだ頃。
静かな、怒りを抑えた声がした。
「…お前は、またアイツを見捨てたんだな」
乾いた涙の跡が、引きつる様な感覚を覚える。
顔を上げると、そこに、再び宝石の中で眠るゆうかさんを守る青年が、凍て付く二つの星の様に美しい瞳で、ただ、先生を見つめていた。
「短くとも、アイツの一部と旅をして、思い出さなかったのか?」
あたしは洋一郎さんの言い種に、眉を顰めた。
紅姫と旅をしたのはあたし、なのに…。
まるで、こちらの考えが読めたかの様に、彼はあたしに応えた。
「いいや、お前だけじゃないのさ、【後継者】。夢は見る者によって、巡る月の様に形を変える。逸れたとで思ったか?いいや、居たのさ。ずっと傍に」
先生はただ黙っていた。
哀しげな貌をして、黒髪をさやさやと風に揺らして。
「存在が重なる程に、お前は強く、この子を想った。それは、ゆうかという庇護者を護り切れなかった過去の己への悔恨ゆえ」
ころころ、と彼の長い指の隙間から転がり落ちるのは、あの時流した彼女の涙の結晶。
それは、先生の靴に当たって動きを止める。
「世界の崩壊がアイツの肩に掛かっていると、お前は隠し通す事が出来なかった。
選択と言いながら、突き付けたモノは残酷な傾いた天秤。この一月の安息すら奪って、二度も女を絶望に突き落とした罪は軽くない。
お前達は壊れた本の綴り手を生涯、支え続けろ」
戻れ、と彼は冷たく言うと、ゆうかさんの眠る宝石に凭れ掛かった。
眠る様にそっと。
《二度と、ここには来るな》
夢が遠ざかる。彼の呟きと共に。
何故か、胸が痛んだ。
目覚めるのはあたしの方が先だった。
先生の手をぎゅっ、と握って。
そうして気付いた。
さゆりちゃんが、身体中、血塗れで、そうしてお腹がべっこりとへこんでいる。
まるで、何かにぶつかった跡の様に。
「──────あっ、あああッ」
するり、と誰かが起き出す気配がした。
ゆうかさん、だった。
「ゆ、ゆうかさん、さゆりちゃんが!さゆりちゃんが!!」
熟女は頷いた。
「──────ああ。分かっている」
ゆうかさんは、ブチの猫の頭を、そっと撫でた。
「逝くか?さゆり」
二匹の白大猫達も傍で“彼女”を見守っていた。
「……もう、あたしの事は気にしないでいいから」
ゆうかさんが、静かに笑みすら浮かべて、そう促した。
ヤン先生が漸くあたしの声に目を覚まして、訝しげにこちらを見た。
猫は顔を伸ばす様に上げていた。
しっかりと視線を合わせて、懸命に息をする。
丸い瞳は強く、拒否の意志を持って、主を見つめていた。
ゆうかさんは涙を堪えて、壁の鳩時計に手を伸ばした。
ぐるり、と短針を逆に回す。
傷がまるで無かったかの様に、消えてゆく。
ぐるり、ぐるり。
そうして、すっかり元の姿に戻る。
「治った、治ったね!良かった、ゆう…」
さゆりちゃんを泣きながら撫でて、振り返ったあたしは─────
ゆうかさんはあの時と同じ表情をしていた。
暗闇に一人、落ちてゆく。あの時と。
「もう、用事は無いな。今日は帰ってくれ。
…一人に、なりたいんだ」
部屋のドアを開けた彼女は、猫達に、泣きそうな顔で微笑んだ。
「──────お前達は、馬鹿だ」
後はパタンと力無く閉められたそれの前に、さゆりちゃんがちょこんと座って、カリカリ、と爪で音を立てるだけ。
居るよ?
ここに居るよ?
中に居る主人にそれを伝える様に、いつまでも。
あたし達はそれをただ黙って、じっと見ていた。
~二月に続く~




