20話.一月はホラー!?初夢は危険がいっぱい!《中編》
後編は上下に分かれます。キーとなる話なので長くなりますがご容赦下さい。
ベビィピンクのキャベツ仕様の小さな家は、海辺に変わらぬ姿でポツンと建っていた。
あたし達は近くに舞い降りると、玄関ポーチの円形のそれを見上げて。
「────────光ってる」
家は全てを拒むかの様に、蛍光グリーンの明滅する光の靄に覆われていた。
「ゆうか……私です。入りますよ?」
先生は中に眠って居るという家の主に呼び掛ける。
光は更に激しく明滅した。
拒まれている。
そう、はっきり分かる拒絶だった。
青年は、轟々となる『家』から吹き付ける風に黒髪を靡かせる。
右手を額に翳すと、目を伏せ、やがて思い切った様に緑の瞳を見開いた。
「琥珀ノ示ス処、薫風ニ身ヲ任ス大樹ノ梢。
螺旋ヨ、回レ。回廊ヨ、我ガ声二呼応セヨ」
蒼褪めたジャケットに包まれた腕が、しなやかに差し延べられる。
「──────開錠!!」
霞は渦巻き、やがて空に霧散した。
後には、嘘の様に静かなその場所に、波が規則正しく打ち寄せるばかり。
雪がその波間に消えて行った。
ドアをキィ‥と開けると、静かな室内に三匹の大猫が、思い思いの場所に陣取って、丸くなって眠って居た。
「マロ君、大輔君、さゆりちゃん……」
声を掛けると、マロ君のみ、耳をぴくぴく反応させた。
やがて、向けられたその顔は……。
《─────何の用だ、魔法医師》
いつもの彼の顔では無かった。
まるでそれはチェシャ猫の仮面の様な。
「ゆうかを起こしたいのです。門番」
え?マロ君じゃないの?
ギョロリとした瞳が、真っ直ぐ先生を見据えた。
《我が子と等しき存在に背かれる、あの女の気分は如何なものだろうな》
陰々とした声が室内に響いた。
我が子と等しき?どういう‥?
先生の顔が、憂いに沈む。
「だからこそ、私が…やらねばならないのです」
そこに居なさい、とあたしを置いて、先生は彼女の書斎兼、寝室に足を踏み入れた。
やがて、夢にうなされるかの様な絶叫が、空気を切り裂いた。
「ゆうかさんッ!?」
中に飛び込もうとしたあたしを、肉球の付いた毛むくじゃらの前足が、行く手を阻んだ。
《心配無い。直ぐに出て来る》
ほら、と指差す先に、青年に支えられたゆうかさんが、まるで船酔いをした様な覚束無い足取りで現れた。
どさり、と愛用の椅子に凭れ、腰を下ろすと、残った二匹の大猫も目を覚ました。
「…最悪な気分だ…」
「──────ゆうかさんッ!!」
あたしは駆け寄ろうとして、素早くさゆりちゃんに遮られた。
白黒のブチ模様大猫は、円らな瞳で、《いけない》といわんばかりにあたしを見つめると、そっとその場にしゃがませた。
「悪ィ、さゆり。ユキ、『あたし』に近寄るな。今、余裕が無い」
熟女はそれだけ言うのも大変そうに、視線も合わせてくれなかった。
ゆうかさんが自らを『あたし』と言うのは、
感情に支配された時。理性が効かない時だ。
現に、いつも意地悪そうだったり、優しげだったりはするが、笑みを浮かべている筈の顔を歪ませているのは、
……押さえ切れない《憎悪》だった。
「阿呆が!!伊達や酔狂で眠っている訳じゃねぇって事ぐらい、お前には分かっている筈だぞ」
くらくらする頭を必死に集中させているゆうかさんは、簡易テーブルを振り下ろす拳で叩き割った。
だらだらと、割れた木片で出来た傷から、血が滴り落ちる。
「あたしに触るなあッ!」
ヤン先生は泣きそうな顔をして、暴れる彼女を抱き締めると、押さえ付け、右手を閃かせた。
指の間に挟まった肌色のボールが砕け、見る間に傷口を塞いでいく。
その一幕は確かに親に拒まれた子供の様で。
そんな初めて見る、先生の頼りない表情だった。
「ゆうか、ゆうか。落ち着いて下さい。お願いします」
ぶつぶつと負の感情を呟くゆうかさんに、大輔君がフワフワの手を乗せた。
二足歩行の白猫は、虚ろな視線を向けられて、
「ニャン?」と首を傾げた。
「───────暖かいミントティーを持って来い」
その様子は笑みさえ浮かべてはいないものの、かなり平素の彼女に近くなっていた。
マロ君の白い手で素早く差し出されたティーカップを受け取り、嚥下した。
「何事だ?」
熟女の問いに先生は要点を簡潔に纏めた話で答える。
「冬将軍に繋ぎを取って戴けますか?」
初めて琥珀に包まれた黒い瞳がこちらを見つめた。
認めてくれた。
「勿論だ」
手招きされたあたしは、ゆうかさんの傍に行く。
手を取ると、彼女の手は、ブルブルと小刻みに震え、汗で濡れていた。
この状態が如何に彼女に辛いかを物語っている。
「気にするな、ユキ。
あんたの決断を誰にも邪魔はさせまいよ」
それでも熟女は微笑って、先生が用意した、小さな雪だるまに手を添えた。
「─────冬将軍、箏雪。書の紡ぎ手として呼び掛ける。聞こえるか?」
数秒の間をおいて、応えがあった。
『その強制力は穏やかでは無いな。焦眉之急、といった処か?』
雪だるまはきりり、と眉を上げて不快を示す。
「ああ。姫君の行方が知りたい‥。
【潰精の主】が関わっているらしい、と言ったら答えてくれるか」
『………。二人で封印したのでは無かったのか?』
ぐらり、と再びゆうかさんの身体が傾いだ。
右手だけは根性で添えて居る。
「冬将軍、時間が無い。無礼は承知でお尋ねします。貴方の夏の眷属は何処におわしますか」
しっかりと彼女を支えたヤン先生が会話に割って入った。
『夢だ』
「……夢?」
どういった仕組みか、木の棒である筈の腕を組み、雪だるまは考えを巡らせている。
『その名を聞いて思い当たった。
確かに人嫌いの緋煉は役目を厭うておるが、投げ出しまではせぬ。
だが、封印した妖物が戒めの鎖を解いたとなれば分かる。
ならば、再封印の為に行くも手立てを講じるも、向かう先は《夢》でしかあるまい』
「【獏】ですか!」
『然り』
ついにゆうかさんの手が、雪だるまから離れる。
通信はそれきり途絶えた。
「ゆうかさん!!」
気を失い掛けた彼女は、あたしの声に“はっ”と意識を取り戻す。
カウチにそっと寝かされた熟女は憔悴していて、声を出すのも億劫そうだ。
「────ヤン、この月に私を起こした覚悟は出来ているな?」
「はい」
ゆうかさんは天井を仰ぎ見た。
小さく溜息を吐いて。
「なら、私の《夢》を辿れ」
先生は息を飲んだ。
「覚悟は出来ている、と言った筈だぞ?お前は」
熟女はゆっくりと瞼を閉じ始める。
「私は、曾てこの世界で、夏の姫君と共に冒険をした。
その手助けをしたのが、夢を食べる幻獣、【獏】だ。
ならば、緋煉は、必ずその記憶が在る私の夢に接触を試みる。彼の妖物も、な。
二つの存在は互いに曖昧な境界を経て、片方は具現化する為に。
そうして、もう片方は再封印の為に」
熟女が頼りなく伸ばした手を、あたしは壊れ物を扱う様に握った。
「…ユキ、私を信じてくれるか?」
「え…?」
呟く様な小さな、問い掛ける声。
「夢を渡るのはヤンだけでは駄目だ。
確実に元凶を仕留める為には、ユキも行かなくてはならない。
念の為に【後継者】を名乗れ。
そうすれば、皆、納得するだろう。
ただ、その際、私の全てを垣間見る事になる。
夢では何も偽れないから」
握られた掌に痛い程、力が籠められた。
「人の心は美しくない。
醜く、捩れて、奇妙なものだ。
様々な過去と経験と矜持が今日の私を作り上げている。
──────私は、《今の私》が好きだ」
ゆうかさんは、あたしの為に、自分の隠された全てを見せてくれるつもりなんだ。
いつも余裕綽々なこの女性が、こんなに切羽詰まって…。
「あたしは、ゆうかさんが好きだよ。
夢の中でどんな貴女を見ても、信じない。
あたしは《今のゆうかさん》を信じるよ」
微かに口許が笑みを形作る。
彼女の手から、力が抜けていった。
「門番に、辿り着け。
ユキ、私の旅は…二月に始まり、一年を巡った…。
一月には、『決断』が待って、いた。」
あんたは──────」
かくり、と首が落ちそうになった熟女の姿を、ヤン先生がきちんと整えた。
「大丈夫。再び、眠ってだけです」
猫さん達はその間に新たにシーツを取り替えたり、
ラベンダーの香りがするお茶を用意したりしていた。
「ありがとう、大輔。
さ、この安眠茶を飲んで、ゆうかの夢を辿りますよ」
カウチの側に先生は二つのクッションを置き、彼女の手を握った。
「あの女性は次に目覚めれば、おそらく二度と、この月を眠って過ごす事は出来ない。
一度きりのチャンスです。
絶対に無駄には出来ません」
あたしの手をゆうかさんの手に重ねながら、先生は沈痛な面持ちでそう言った。
「先生、ゆうかさんはそんなに辛い『決断』をしたの?」
眠って過ごさなければ、耐えられない程に。
先生は顔を伏せて、俯いたまま答えない。
《救えたのか、魔法医師!》
秋の女神の叫びが、耳に蘇った。
《───────あの、“ゆうか”を!!》
二人の思いを遮ったのは、柔らかな肉球の感触。
見ると、重ねた掌の一番上に、さゆりちゃんのフカフカした白い前足が乗っていた。
「さゆりちゃん?」
「貴女も行く、と言うのですか?」
その目は揺るぎ無く、肯定の感情を伝えてきた。
「…分りました。では、貴女の鼻を当てにしますよ。宜しいですね」
ふんふん、と顔を寄せ、パタパタと尻尾を叩く。
それが、彼女の『うん』だった。
★
竹林はさわさわと心地良い風を渡らせていた。
全てが薄緑色に染まって、幻想的な雰囲気を醸し出す中に、彼女はじっと佇んでいた。
「迷子なの?」
そう問い掛けると、小さな彼女は嬉しそうに笑ったのだ。
「魔法医師、来てくれたのか!」
「猫というモノに一度は触ってみたいものじゃと願うておったが、まさか騎乗出来る生き物であったとは思わなんだ」
のしのしと、歩くブチの猫に跨がったのは4・5歳程の幼女であった。
「うーん、普通の猫さんはもっと、サイズ的に違うんだけどねー」
おませな口を利きながら、あたしの手を放さない。
「其方もそうじゃ。
会いたいと望んでいた者と全く同じ外見の、しかも女子と、こうして歩みを共に出来ようとは!」
くすくすと彼女が笑い続ける原因はあたし、だ。
そう、あたし達はこの世界で逸れたヤン先生を探していたのだ。
そこで出会った和服の幼女は、何処か厄除けで知られる市松人形の様であった。
「はあ…どうして、こんな羽目に…」
そう、何故か、ここに居るあたしの外見は《ヤン先生》そのものなのだ。
「共に在りたい、と願う者同士の共鳴では無かろうかの。
まあ、差し支えはあるまいて。
門番には妾が案内の折に執り成してやろう」
《門番》さんはヤン先生が嫌いなんだそうで。
さゆりちゃんは、ふんふん、とあたしの匂いを嗅いで、おでこを擦り付けてきた。
『アンタはアンタよ』と、言われている様で嬉しい。
「行く、は良いが、アレが其方の助けになるかのう?」
「《アレ》?」
ちらり、と苦り切った顔でこちらを見た彼女は、はああ、と溜息を吐く。
「紅姫ちゃん、門番さんって、そんなに困った人なの?」
紅の姫じゃ、と名乗った幼女はチッチッチ、と指を振る。
「違う。確かに門番は困った男じゃが、妾の言うのは門番の《守る者》を指す」
あたしが首を傾げると、意外そうな表情で視線を合わせる。
「──────本体を探しておったのでは無かったのか?」
「ゆうかさんの《本体》?」
ここで出会う人間は、少なからず熟女の欠片を内包している。
そう、紅姫は教えてくれた。
彼女は自分がゆうかさんの人格の一部だと、ちゃんと承知しているのだ。
「そうじゃ、最初、妾は其方がその様な姿をしておるのは、アレの協力を得たいが為だと思うたぞ。まあ、悪いとまでは言わんが…ああ、人は悪いか」
あたしは眠るゆうかさんを思い出す。
「ゆうかさん、現実でも良くトールを蹴り飛ばしているケド?」
「それでも、女子には優しかろ?」
即答が返ってくる。
それにはあたしも直ぐに頷いた。
「本体は気紛れで、女子にも意地が悪いぞ。
何しろ、とにかく自分が大好きで、一番な女じゃ。
其方がそれを侵害しない限りは、そう『違い』は無かろう」
紅姫はさゆりちゃんの上で、コテンと寝そべった。
「面倒が嫌いで、着飾るのと持て囃されるのが何よりの御馳走。
興味の無い事には指一本、動かさぬ。
情には脆いが、自尊心が高く、直ぐに拗ねる。
他人格でも妾を含め、力のある者は居るぞ?
束ねて事にあたるが上策と思うがのー」
「ゆうかさんは、そんな人じゃ無いよッ!!」
びっくりして、顔を上げた幼女にあたしは俯いた。
こんな小さな女の子に当たってしまった…。
繋いだ掌にぐっ、と力が入った。
それは熟女の仕草に似ていて。
「其方は優しいのう。
言うたであろ?妾も《ゆうか》じゃ。
この様な形をしておるとはいえ、其方の知る大年増の一部分に過ぎぬ。気に病む事はあるまいて。
─────が、そちらの世界で忠告を受けた筈じゃ」
「何の枷も課しておらぬ裸の心と云うものは、美しいものでは決して無い、と。
好いてくれるのは有り難いが、まずは、気持ちを新たにせよ。
────そら、あれが砦。門番と本体の住居じゃ」
それは、長閑な草原の果てに現れた。
木で出来た砦。
囲いの先は鉛筆の様に尖っていた。
小高い丘の上に在り、櫓の上でくるくると回っていた風見鶏が、ぴたり、とこちらに方向を合わせた。
『──────紅姫、何を連れて来た?』
幼女はさゆりちゃんの上から、風見鶏に答える。
「門番、いや、洋一郎。相変わらず質が悪いな。全ての事情は知っておろうが」
門番さんは男の人…?
あんまり、あのゆうかさんのイメージじゃないなぁ。
短気で、男勝りで、さっぱりとしていて。
強くて、前向きで、女の子には優しい。
『協力すると言った覚えは無い。
俺は《核》を守る者。
何故、そこのおかしな姿をした娘を始め、他者の為に進んで危険を冒さねばならん』
冷水を浴びせるが如く、冷たい声があたしを物思いから引き摺り出した。
「これも、彼女の望みだからじゃ。
─────ですがここにこうして居るのがその証。やがて来る、おかしな輩に引っ掻き回されたくなくば、早よう開けよ」
ばんッ!と、勢いよく励ます様にあたしの背中を叩くと、幼女は開かれた砦の中にのしのしと、さゆりちゃんの歩を進めた。
そうだった。気を引き締めなくっちゃ。
慌てて姫の後を追うと、やがて大量の丸太で出来た枠に填め込まれた、大きな宝石が現れた。
傍に長身の青年が一人立って居て。
いや、違う。………これは…。
「ユキ、あれが《本体》じゃ」
宝石に見えた丸い物は、透明感のある液体で満たされていて。
その中に、しなやかな肢体を持つ、娘が一人、眠っている。
「…ゆうかさん?」
呼び掛けに応える様に、《彼女》はゆっくり目覚めた。
大きく伸びをすると、青年に手を取られて、宝石の中から、飛沫一つ上げずに姿を現した。
「─────貴方はだぁれ?」
~後編に続く〜




