14話.十月は行楽!?狩りは身軽な服装で(後編)
~13より~
一体、屋敷の門までどれ位の距離があるというのか、あたしは水龍の角に掴まり、水飛沫の鱗の上に跨がっていた。
輝きは遥か遠く。
だが、確実にその光は大きくなってくる。
「来る、来る来る来るッ!!来るよぉーっ、龍さん早くっ、もっと早く飛んでぇー!!」
媛を出来るだけあたしに引き付けられれば、それだけトールが自力で脱出出来る確率が増える。
延いては、ヤン先生が事態を知らされ、助けに来てくれる筈だ。
『女神が屋敷の領域を改竄しています。
我らは一歩、その処理の早さに遅れを取っている状態なのですよ』
色鮮やかな山を駆け巡り、木々を足下に翔けるが、
人の気配は一切しない。
「つまり、ソレどういう事!?」
賑丸君は肩をガックリと落とした。
『…いつまで経っても、ここから逃げられない、というコトですな』
「そりゃ困るよー!!!」
秋も好きだし、女神様も嫌いじゃないけど、虜にされるのは絶対困る!
「誰か~、助けてえぇ~」
《‥そ‥こ‥叫んで、居るの‥ダ‥レ‥だい》
水龍の頭が不意に盛り上がり、妖精の様な人型を取った。
その特徴は────────
「清風さんッ!?」
水神龍、清風その人だった。
《お‥や、眷属…かと思い・きや、ユキ…ちょ‥待って‥オクれ》
乱れていた像が、きちんとチューニングされて、形を 結んだ。
穏やかな美貌がこちらを認める。
《久しぶりだね、ユキ。
しかし、秋の結界の中とはまたけったいな処に居るものだね?》
「こんにちはー、清風さん。だけど好きで居るワケじゃありません!」
あたしは必死に水龍の角にしがみつきながら、簡単に事情を説明した。
《ふーん。じゃあ、ヤンが駆け付けて来るまで時間を稼がなくちゃならないワケか》
どんどん近付いて来る光。
ぞわり、とする神気の膨みが爆風に 吹かれている様だ。
「はいッ!!しかも、今とってもピンチなんです!」
水像は少し考える風を取って、頷いた。
《よし、取引しよう。来月私の願いを聞いてくれるかい?》
神様、弱みに付け込むのかっ!
しかし、そうこうしている間にも、女神の色彩が認められる程に距離が詰まって来た。
「分ッかりましたー!!謹んで承りまぁーす!」
今は我が身が大事。
判断に数秒も掛からなかった。
満足そうに彼は微笑むと、龍の軌道を円を描く様に変えさせる。
その尻尾の先が形を象れなくなる瞬間を狙って、水龍は自ら造った輪の中に飛び込んだ。
ぱりーん!
ガラスが割れる様な硬質な音がして、空気が変わった。
『結界が破れましたッ!!行けますよ、これはっ』
《それじゃー、後は位置をヤンに知らせておくからねぇ。頑張るんだよ?》
賑丸君の声と同時に清風さんの像が消える。
門が、
門がやっと見えてきた。
あたしは角を握る手にギュッ、と力を入れる。
朱塗りの門まで後、数十m。
もう少しッ!!
それが手に届くその瞬間、突然龍の身体が霧散した。
彼は最後の力を振り絞って、地上まで水のステップを創り出し、あたしはそれを次々に跳んで地面に着地した。
同時に、爆風の様な神気に吹かれ、腕でそれを必死に遮る。
それは不意に止んだ。
「───────何故、そうまで妾を拒む」
光り輝く大鹿から降り立った玉響媛は、不機嫌でも目も眩む程美しかった。
「其方をこれほどまでに望む妾を」
あたしはその唇噛む悔しげで哀しい姿に、心を打たれた。
「何で‥そんなに…」
「其方は似ておるのじゃ。曾て、妾の元に迷い込んで来たおなごに。
その者も楽しく、生き生きとしていて妾は一目で好きになった。
たった半日、居っただけのその存在は、今もこの胸に焼き付いて一向に離れぬ」
あたしの呟きに律義に答えた媛は、あたしを通して
過ぎ去った“彼女”の時を見つめていた。
「秋が好きじゃと言ってくれた。
妾を綺麗と褒めてくれた。なのに、傍には居られないと言う。其方は同じじゃ、ユキ。
心に闇を抱いている処まで、彼の者に瓜二つで」
女神の溜息で木の葉が舞った。
「のう、ユキ」
黒髪が白い面を妖しく象る。
誘う様に伸ばされた腕。
「─────頭痛がずっと、するのではないか?」
ずきり、と途端に痛み出す‥覚えのある痛み。
ガンガンと段々強く、酷くなっていく。
「幻覚がその琥珀を襲い、身体が絶えず震えはしないか?」
白い霧の様なカーテンが、ひらひらと目の前を掠める。
男の影。
横たわった誰か。
垂れ下がる幾数もの管。
閃光。衝撃。
そして、胸の痛み。
あたしはどんどん耐え切れなくなって、とうとう草地に膝を付いた。
「‥妾の手を取れ。慈悲を受けるのじゃ、ユキ」
誘惑というより、愛情を感じた。
顔を上げると、玉響媛は、心から心配そうに覗き込んでいた。
「耐え切れまい。だからこそ、ここに来たのであろ?
それなのに、どうしてそんな辛い想いを敢えて抱えてゆかねばならぬのか」
ちりん、ちりん、と警告の音がする。
放っておいて賑丸。
痛いの。
辛いの。
苦しいのよ。
耐えられない程に。
「来よ。妾を選べ、ユキ。《彼》は気紛れで、其方を救うとは限らぬぞ?」
その言葉が、安楽を求めて手を伸ばし掛けたあたしの正気を戻した。
『助けに来ました!!』
『済みません、《彼》はとても気紛れで─────』
「‥っ‥ヤン、せんせ‥い」
震える腕を胸に戻し、あたしは腰に手を伸ばした。
『姫様、最後の札です!』
賑丸君が励ます様に叫ぶ。
「……ごめんね、媛様。やっぱり、一緒には行けないや……」
【三枚目】を二本の指に挟み、あたしは額に翳した。
「───────炎となれ!!」
声と同時に燃え上がる1羽の不死鳥が、痛みに耐えるこの身体に重なった。
鳥はあたしに、あたしは鳥になり、辺りを焦がす勢いで舞い上がる。
目指すは後、僅かの距離にある紅の鳥居。
炎の翼を翻し、命を燃やす勢いで一縷の望みを賭けて、強く羽撃く。
女神はそれを暫し、見つめた。
「……おのれ、そこまでにこの身を拒絶するか。
永遠の安寧を与えてやろうと、ここまで人の子に心を砕く妾を」
その揃えた指先がすい、と動くと不死鳥を捉えた。
「砕!」
雷がきらめき、炎に燃え上がる翼を打ち砕く。
ほぼ同時に何かが燃え、弾ける音がして、打ち上げ花火の様な一筋の光が空に昇った。
怒りに燃える玉響媛が、煤けたあたしの足を無造作に掴む。
「もう、拒む事すら出来まい」
余りの衝撃に目が開かない。
霞む視界に女神の後ろ姿が映った。
ズルズルと、引き摺られて行くあたしの身体。
高らかに響き渡る、女神の哄笑。
目眩がして、意識が途切れそうになる。
「ユキ、これより先、其方は妾のものじゃ。永遠に、な」
ふわり、と柔らかな匂いに包まれ、満足げな声にもう駄目か、と観念し掛けた。
ドォオオオオォンッ!!!
激しい音と共に輝く大鹿が倒れた。
「それは困ります」
少ししか離れていなかった筈なのに、何故か随分と懐かしい気がする。
黒髪の少年が朱塗りの大門を潜り、その姿を現した。
「‥ヤン、先生…遅いよ‥」
彼は色とりどりの珠を閃かせ、素早くそれを指先で砕き、空中で調合する。
「済みません、ユキ。
──────痛い思いを、させてしまいました」
声に苦渋を滲ませて、鋭い眼光で女神を威圧した。
「其方、もしや‥魔法医師かッ!?」
彼の姿が一瞬にして消え、あたしは力強い腕に抱かれていた。
「如何にも」
先生はいつも通りの褪めた蒼いジャケットを纏って、大人に戻っていた。
女神の指先が再び雷を生む。
掛け声と共に、青白い稲光が先生を襲った。
青年の腕の一振りから生まれた緑の番傘が、ぱんっ、と開いて稲妻を弾き跳ばした。
それは狙い違わず、玉響媛の足下に返り、草地を燃やした。
「何故、この場所が分かった!?
……何より何故、“再び”人の子の傍におるのじゃ、魔法医師!!」
“再び”…?
番傘がくるくるとあたしの周りを回り、やがて薄い膜を持ったドームに変化した。
「その結界から出てはいけませんよ。程なく傷も癒える筈ですから」
癒しの波動がドーム内に溢れる。
絶え間無く襲っていた頭痛も少しずつ引いてゆく。
「まだやりますか、秋の女神玉響。私は出来るなら女性は傷付けたくない」
「笑わせる!!ならば何故、妾の邪魔ばかりするのじゃ。─────偽善者めが、お前が人の子に良かれとそうする事が、どの様な結末を生むか分かっておるのか?」
常人なら気絶する程の神気がビリビリと結界を震わせた。
「救えたのか、魔法医師!」
空気が弾丸となり、ヤン先生を激しく撃った。
両腕を顔の前で交差して、足は地面を抉りながら青年は堪える。
「──────あの“ゆうか”を!!」
‥ゆうかさん‥!?
『《彼》によって導かれた旅人は、貴女が初めてではありません』
浮き島群で先生が辛そうに語ってくれた“誰か”の話。
それがゆうかさんだったなんて。
先生は一瞬、息を詰め、緑の瞳に宿る強い光で女神を気圧した。
「くっ、負けぬ。妾こそがユキを救うのじゃ。
巧く繕うてはおるが、この神の身に分からぬとでも思うたか!!────半分、ユキは─────」
先生が素早く指を鳴らすと同時に、台詞の半分を轟音が掻き消した。
緑の竹が急成長し、檻となり、女神を囲い込む。
鳥籠の要領で竹は捩じれ、頭上で一本に纏まった。
玉響媛が力を揮う前に、パァン、とそれは霧散し、彼女を包む六面体の結晶となり再び形を取り戻した。
途端、彼女がどんどん脱力してゆく。
相反して頭上に大きな紅の球が生まれる。
あれは神の力なのか、高く、空に停滞している。
ヤン先生は伏した玉響媛を一顧だにせず、あたしを抱き上げた。
「…全てを隠しおおせるつもりか。《あの方》の使者を気取って」
ぴたり、と先生の足が止まった。
瞳は静かに静かに哀しみに沈んで。
「いいえ。この子は聡い。そうして、強い。
私などの手など、やがて必要としなくなる。その時が必ず来ます」
だから、永遠などいらないのです。
先生はそう言いたかったんだろう。
媛は小さく蹲った。小刻みに震える様、それは…
「ユキ?」
あたしは先生の腕の中を飛び出した。
秋の女神の元に駆け寄ると、蹲る彼女を包む様に抱き締めて。
「─────ありがとう、媛様。また、秋に来るね」
がばっ、と上げた麗しい顔。
そのびっくりした様な大きな瞳から、つぅ、と一筋の涙が流れた。
「怖くないのか、妾が。嫌いになったから行ってしまうのであろ?」
あたしは笑いながら、取り出したハンカチで女神の涙を拭いた。
「ホントはちょっと怖かったよ。痛かったしさ。
だから、そういう強引さはキライなんだけど、媛様の事はあたし、割と好きなんだよね」
グスン、と鼻を啜り上げた彼女の瞳はひた、とこちらを見つめた。
「妾を、好き?」
あたしは大人だか子供なんだか分からない、年齢不詳の女神様に頷いた。
「うん。媛様、最初あたしを、ゆうかさんの代わりに傍に置きたかったんだよね?」
ふふふ、と微笑ってあたしは首を傾け、そう尋ねた。
心細げな顔をして、強く握ってくる白い手を、安心させる様にポンと叩く。
「知ってるよ。理由は分からないけど、途中からは“あたし”を護ろうとしてくれたんでしょ」
あたしは彼女の目をしっかりと見て、言った。
「でも、あたしは行くよ。─────媛様に護って貰えば楽なんだろうな、って思うけど。
みんな忘れてしまいたい時なんて、これからだって
きっと、山程あるんだろうけど」
鮮やかな山の彩りを背景に、両手をいっぱいに掲げる。
「あたしは秋が好き。こんなに凄い秋を創った、媛様が好き。
あたしを好きだって言ってくれた、貴女が大好き!!」
がばっ、と思いっきり、女神の首に抱き付く。
想いの丈をありったけ、込めて。
「人だって女神だって、きっといろんな処があるから、全てを好きになる事は無理なんだね。
だけど、貴女が“貴女が知っているあたし”が好きな様に、あたしは“あたしの知っている媛様”が好き。
でも、そのあたしも媛様も、みんな過去の積み重ねの結果なんだ」
変わってる、目立つ。それだけで傷付けられた日々。
なのに、いざとなったら、無くすのが惜しくなった。
それは、それもこうして、好きだと言って貰える自分を支え、創り上げた大切なパーツの一つなのだと、そう気付いたから。
「貴女の処に行ったら、何か辛い事が起こる度、あたしは貴女の所為にする。
そんなあたしは、あたしが嫌いになってしまうから。
あたしは貴女を、秋を大好きなままのあたしで居たいから」
身体をゆっくりと離して、柔らかな手を両手で包み込む。
「だから、今は─────さよなら」
大きく手を振るあたしを、大好きな秋の女神が見送ってくれる。
朱塗りの大鳥居に手を掛けた、彼女の横にはいつの間にか、あの大鹿が復活を果たして寄り添って居た。
また、来年会おうね~、と大声で告げたけど、その瞳に何が光っているのかまでは分からなかった。
「…其方に来年の秋は無いのじゃ‥…ユキ。
─────だが、妾は信じたい。其方にまた、会えるのだと」
ましてや、戦慄く唇が紡いだ言葉など。
決して。
「ところで、先生。トールと花火になっちゃった賑丸君は?」
そう、玉響媛に雷で打たれた時、彼は燃えながらも、その勢いで門を飛び出し、見事ヤン先生への狼煙の役目を果たしてくれたのだ。
「ああ。トールは荷物番が必要なので、強制的に戻しておきました。
貴女は必ず私が無事に連れ帰るから、後二・三種何か捕まえておけ、と言い渡してね」
トール…かわいそーに。
氷漬けにされて、解凍されたらすぐ労働か。
にっこり微笑った先生は、賑丸君も元の“札の案内役”に戻ったから大丈夫だと請け合ってくれた。
「春の若君も、秋の女神も人が大好きなんです。だから、つい恵みを多く与えようとする。
それでは素晴らしいと思えないでしょう?
逆に、夏の姫君と冬将軍は人嫌い。だから、修行の為に嫌でも長く接して貰う。
天の理は良く出来ているんですよ」
どちらかが大きくても、
どちらが小さくても、あたし達は手を繋ぐ。
何も言わなくても、たとえどちらかが一人の想いに捕らわれていても。
きっと、回り込んで前に出て、手を差し伸べるのだ。
落ちた紅葉を踏み締めて、冷たくなった風を背に、あたしは秋を後にする。
あたしがこの世界に落ちて来て、もう半年が過ぎて行こうとしていた。
~11月に続く~




