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13話.十月は行楽!?狩りは身軽な服装で(中編)

 


ぺちぺち、と両頬を撫でる様に叩かれている。





「…これ、娘。起きぬか、起きぬか。遊んでたも」




白粉のいい匂いがする。

練り香、かな?衣に薫き染めているのかな?




「媛様、そう焦らずとも、もうやがて目覚めましょう」

「そうそう。貝合わせのお道具も、絵巻物も双六もございますわよ」

「お待ちの間に、私共とお手合わせを」




娘達の声が次々に掛かる。

その賑やかさに、あたしは眠りから浮上した。



目に飛び込んできたのは、ぬばたまの黒髪を垂らし、綾錦の十二単を纏った世にも美しいお媛様だった。




「おお、目が開いたぞ、かえで。茶を持て、紅葉もみじ。‥いや、ゆるりと起きよ、娘」




あたしが辺りを見回して、寝台から起きようとすると、柔らかな手がそれを助けてくれた。




「どうじゃ、頭は痛まぬか?身体はどうも無いか?」



あたしは心配そう覗き込んでくる彼女に一つ、大きく頷いた。




「ありがとうございます。…で?ここは何処なんでしょう」

よくテレビの特集である、平安時代のお邸の様な造りだ。

ただ、このお媛様は、御簾の中でじっとしてくれはしないだろうが。



熱いお茶を茶道で使うお茶碗で渡してくれた紅葉さんや、後ろでにこにこと微笑っている楓さんはあたしと歳はそう変わらないだろう。

後、数名。ここではゆっくりと時間が流れているよう。




「妾の別荘の一つじゃ。美しいであろ?一番贔屓(ひいき)にしておる」




庭には蒼の竜胆や青白いアベリア、黄色い石蕗などが絶妙なバランスで咲き乱れている。

何処からか、金木犀の良い匂いまで仄かに漂ってくる。

紅葉や銀杏は所狭しと邸内まで枝を伸ばし、その鮮やかな色を誇っていた。



お付きの一人が琴を爪弾けば、横笛をまた合わせる者が有り、実に雅な雰囲気を醸し出す。




「本当に素敵ですね~」




笑顔でそう言うと、彼女は本当に嬉しそうな顔になり、いきなりあたしを抱き締めた。



ふわり、とまた和的な薫りが鼻を擽る。


 


お茶を零さない様に必死のあたしに頬摺りした媛は、いつまでも放す様子が無い。




「媛様、娘がびっくりしておりますよ。さ、お手を放されて」

「何じゃ、暁雲あけくも。無粋であるのう」




暁雲と呼ばれた乙女は落ち着いた美女で、筆頭侍女の様だった。



「そうでございますか?私はまだ互いに名乗りも上げておりませぬ故、そちらを先に済ませられては‥と、愚考致しましたが」



媛はポン、と手を叩いて、

「おお、そうじゃったの。では、妾から名乗ろう。

─────妾は四季を運ぶ一神、秋の女神玉響(たまゆら)と申す。んん、どうじゃ?驚いたか」




悪戯っぽい顔をして、媛は握ったあたしの両手に軽く力を込めた。




「女神様‥なんですか‥は、はあ。あたしは春日美雪です。ユキ、って呼ばれて────っ!?ああッ、そうだトール!!」




忘れてた。

また忘れてたよっ!何で毎回忘れちゃうかなぁ、あたし。




「済みません、媛様。あたしと一緒に誰か居ませんでした?」




勢い込んで身を乗り出すと、媛は目を白黒させていたが、やがて言葉の意味を理解したのだろう。




「あ、ああ、そ‥‥其方は一人で落ちておったぞ?のう、越後えちご桔梗ききょう




美しい、琥珀の瞳煌めく双眸が泳ぎ始め、慌てて侍女達に同意を求める。




「…ええ!!媛様。貴女一人で倒れていたのよ」

「そうそう。たった一人で」

「男の人なんて、見掛けなかったわ」

「そうそう。銀髪の美男子なんて、珍しかったけど」








  語るに落ちたー。








微妙に全員が黙り込む。

雅な音楽だけがただその場を繕う様に流れていた。




「そうですか。じゃあ、友達が心配なので探しにいきます。色々お世話になりました」




これは素直には話して貰えなさそうだなぁ、と、あたしは一か八かの賭に出た。

ペコリ、と頭を下げると、寝台を降りて中庭に放置されていた自分の靴を履く。





「待ちや、ユキ。 ‥おおっ!そ、そうじゃっ、そういえばその様な者、保護したとかしなかったとか、下働きの輩が噂しておらなんだか?」



 


「そ、そそそそうですわね、何だか聞いた覚えがありますわ!」



楓さんの同意に、あたしはくるり、と振り返る。



「では、そこに誰か案内して貰えませんか?

桔梗さんが仰った『銀髪の美男子』さんの処です」




きっぱりと言い放つあたしに、媛様の後ろに控えていた暁雲さんが軽やかに手を叩く。



すると、幾人もの侍女さん達が次々に料理を運び込んで来た。



「では、使いの者に彼の君が目覚めたか、否やか確かめさせて参りましょう。

その間、ユキさんはお食事をされては如何?」



玉響媛はその提案に喜んで乗ってきた。

渡殿まで降りるとあたしの手を優しく掴む。



「のう、ユキ。妾の司る季節は短く、人の触れ合いは短い。

天のことわりを司る御方の定めし道理故、従うてはおるが‥夏の姫君は気性が荒く、冬将軍に至っては人嫌いじゃ。

何故に、妾や春の少年神といった人好きな者達が、この様に其方等に接する時が少ないのか、正直納得いってはおらぬのよ」


 


女神は輝く黒い瞳で、まるで恋人を見上げるかの如く、こちらをうっとりと見上げてくる。

人を虜にする、その神々しい気と惜しげもない愛情。




「其方は秋が好きであろ?」




あたしはその眼差しの艶やかさに声も出せずに、ただ頷いた。




「ならば、妾の事も好いてくれるな?」




華やかな美貌が、接吻さえ出来る距離まで近付いた。






何処かで、一度…見た‥?






でも、もう頭の中が玉響媛の事で一杯で、霧が掛かった様にぼんやりとしてくる。


あたしはいつの間にか靴を脱ぎ、彼女の胸に優しく抱き締められていた。




「さぁさ、ユキ。其方の為に贅を尽くした膳を用意させた。たんと、食すが良いぞ。─────何もかも、忘れて」









ちりんちりん、ちりんちりん。






 ちりんちりん、ちりん



 ちりん。







     りん!!







鈴の音にあたしの頭が徐々にはっきりしだした。





『姫様姫様、小さな姫様』




腰の辺りから少年の可愛い声がする。




『お声を出してはいけませぬ。何ぞ食してもいけませぬ。

女神の慮囚になりなくば、さあ、我の申す通りにねだって下さいませ』



 


あたしは媛の豊かな胸に甘える様に身を擦り寄せ、

その前にちょっとトイレに行きたい、と囁いた。





カタン、と木で出来た鍵を落とすと、あたしは声のした方に視線を向けた。

すると、小さな少年がヤン先生のくれたお札の表紙から、こちらを見ているではないか。




『おお、姫様。火急の折りにてご挨拶も出来ず。我は賑丸にぎまる、こちらの札の案内役でございまする』



「お札の!」

『しっ、お声が大きゅうございますよ』



墨色の衣を纏った彼が、指を口に宛てる。




「ユキさん、ご用はお済み?媛様がお待ちですよ~」

「あ、ごめんなさい。もうちょっとー」



紅葉さんの声にあたしは慌てた。

そう、彼女は“付き添い”という名の見張りなのだ。



「‥賑丸君、あたし、トールを探さないといけないんだ。どうしたらいいんだろ」



『女神は稀に見る男嫌いなんですよ。姫様をお友達に会わせよう筈もございません。

何しろあの時、貴女様が一口でも料理に口を付けようものなら、御身は秋の領属となり、我はお助けしようもなかったのでございます』


 


あたしは栗きんとんだけでも‥、とか意地汚く思っていたのだが、食べなくて良かったと胸を撫で下ろした。





『さて、お尋ねの件でございますが、早速“札”がお役に立てるかと』






     え?






あたしは首を傾げた。このお札が?






『姫様は《三枚のお札》という物語をご存じでしょうか』






少年がにっこりと微笑った。









      ★




「ユキさん、まだですか~?」

『“ごめんなさい、お腹が何だか‥もうちょっとー”』






う~ん、レディとして屈辱だわ~。

でも、トールの為だ。仕方無いか。





厠に貼ったお札の一枚があたしの代わりに返事をしている。





そう、《三枚のお札》とは。


小坊主が山に栗を拾いに行った際に鬼婆に捕まり、食べられそうになるピンチを、和尚さんから貰ったお札を使って切り抜けるお話だ。




【一枚目】の使い方は、ご覧の通り。



 

 


あたしは背中を向けて待っている、紅葉さんの後ろをそっと通り抜けた。




「賑丸君、どこを探したらいいと思う~?」

『あわわわ、姫様。お札は手に持って下さいませ。

めめめめ目が回り、まま‥』




走るあたしの腰の処で大揺れだったソレを慌てて手に握った。

絵の中の賑丸少年の目が、渦巻きになっている。




「ごめん、ごめん」




『ふう。────そうでございますねぇ~。邪魔者は直ぐにでも追い出したい筈。

しかし姫様を虜にするまで、騒がれても困る。‥と、なると』




賑丸君は、表紙である自分のバックに、すらすらと屋敷の見取り図を浮かばせた。



そうして、屋敷の門近くの一点を指差した。









ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ‥ゴゴゴゴゴ‥ドドドドドドドドォオオオオオ‥










それは近くに行けば行く程、大きな水のうねる音がする。

氷室を兼ねた大滝であった。







  「トールっ!?」







滝の裏側にある洞窟で、銀の美青年が氷壁に閉じ込められていた。



 


『御安心召されませ。

銀の君は未だ存命でございますよ。秋の女神は殺生がお嫌いでしてね。

眠りの蔦に巻かれ、仮死状態といった処ですか』




冷たい壁の表面を撫でても、どうにも出来ない。

「何とかならないの?‥何とか…あたしに出来る事‥」




「其方に出来る事は永遠に妾のものになる事じゃ」





呟きに答える形で玲瓏なる女神の声が、洞窟内を響き渡った。




「玉響‥媛様‥」




振り返ると、人懐こい美女が今や神の威厳すら滲ませ、華麗に装束の裾を捌いた。




「如何致す、ユキ。妾には其方を謀った負い目もある。

今ならその者、我が名に於いて、髪一筋すら損なわず帰すと約束しようぞ」






どうしよう?

─────あたしが断ったら、トールが。






『姫様、姫様。ご覧あれ』




賑丸君の声にあたしは後ろを振り返った。




すると、氷の中で眠るトールがぼんやりと光っている。

ピキ、と音がして壁に僅かな亀裂が走った。

 

 

 



『これは魔法の解ける気配でございますな』




【時迷走】の効力が切れてきたんだ!






「ユキ、─────返答を」






焦れた女神が一歩、こちらに踏み出す。




『姫様、“三十六計…』

「───────逃げるにしかず”ッ!!」




あたしは【二枚目】のお札を突き出した!!




小坊主はこれで川を出したけど、あたしは─────








ザザザザザザザァン、ザザザァアアアァン、




ザアアアアアァァァ。






現れたのは龍。




水で出来たその巨体をくねらせ、爛々と目を光らせて鎌首を上げるその雄姿は、あたしを奮い立たせた。

水龍はあっという間にあたしを攫い、媛の脇を流れる様に翔けて、一気に飛び出してゆく。



背後で神気が爆発的に輝き、滝壺に浮く玉響媛の衣の裾が風を孕み、靡いている。










逃避行が始まった。















    ~後編に続く~


 

 



 

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