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ワイバーン  作者: 間口刃
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 汗を吸い込んだ洋服が肌に纏わりつく不快感で、俺は最悪の目覚めを迎えた。


 僕が、この最悪な目覚めを迎えるのは何回目だろうか。

 だけど、それさえも、今はもう数えるだけ無駄なのかもしれない。


 見る夢と言えば、人であれば無差別に殺意を振りかざし、目的もなく、ただ殺戮を繰り返す人の形をした外敵ーー神徒の夢ばかりである。


 それなのに、見る夢はいつもーーーー。


「お兄ちゃん、朝ごはんできたよ!」


 揚々とした妹の声で呼ばれた俺はテーブルに着くと、そこには三種の人間では滅多に食べることができないであろうケーキが目の前に並べられていた。


 それも、切り口からは色取り取りの果実で色彩鮮やかに彩られている。


「おい、こんなのどうしたんだよ!? 二種が食うような飯じゃないか」

「ヘソクリをこの日の為に必死に貯めてたんだよ。

 それに、今日はお兄ちゃんとーーこんなに可愛い妹との誕生日なんだから、いろいろ奮発しないとね!」

「チカ、可愛いは余計だ。それに、お前だって今日で十六だろ」


 呆れ顔で突き放す僕の素顔を見て、妹は満面の笑みをこぼす。

 けれど、その笑顔がどうしようもなく俺には辛かった。


 三種以下の人間に人権と呼べる人権はなく、厳しい制約の元によって生活を虐げられている。


 年齢も、その一つでありーー壁の中で生まれた三種以下の人間たちは生まれてきた日にちに関係なく、一年単位で年齢を統合され、十五歳になったと同時にワイバーンの適性検査を受けさせられることとなる。


 その適性検査で適応対象者になった人間は、十六歳の誕生日を迎えたと同時にデルタ因子を自らの体内に取り込みメリウスの防壁隊員ーーワイバーンになることが義務付けられている。


 デルタ因子の投与を拒否することをできるのは二種以上の人間だけであり、三種に拒否権は存在せず、義務を果たさなければならない。


 ワイバーンになれば正体不明の敵である神徒との戦闘は免れない。

 それに、適性検査を受けた何割かは帰って来ない。遺体の返却も無しにだ。


 この先、神徒との戦闘やデルタ因子の投与に失敗した場合にどうなるかとーー考えれば考えるほどに不安は肥大化し、心に纏わりつく。


 それなのに、妹は僕を励まそうと二種しか食べれないご馳走であるケーキを俺のために作ってくれたのだ。


 兄として妹を励まさなくてはならないのに、僕は何もできていない。

 ならば、せめて妹の心を少しでも軽くしてやろうと思い、僕は顔を上げるとーー既にケーキは一切れしか残ってはいなかった。


 *


 二種の大半が居住してる第二区画にある投与試験場の会場前まで、僕逹は来ていた。


 この投与試験場の中に入ってしまえば、僕逹ーー適合者はデルタ因子を自らの体に投与しなければならない。


 今すぐ、ここから抜け出せてしまえばーーどれだけ心は楽になるだろうか。

 しかし、それが出来るのは二種の人間だけであり、僕逹に拒否権がない。


 僕は会場の目の前で奈落のように深い溜息を吐くとーーーー。


「お兄ちゃん!! こんなに可愛い妹もいるんだから、一緒に頑張ろうよ。

 それに、お兄ちゃんの適合率は私より高いんだし、大丈夫だよ!」

「大丈夫って、何の根拠があって言ってるんだよ、チカ!! お前は怖くないのかよ?! よく、そんな気楽でいられるよな。

 デルタ因子なんていう訳のわからないもん投与されたらーーワイバーンとして戦わなくちゃいけないんだぞ!!」


 ーーこんなときに何を言っているんだ。


 怖いのは僕だけじゃない。妹だって、怖いはずだ。

 普通の女の子なら、ここで顔を涙で濡らして己の恐怖心をひけらかすだろう。


 それなのに、妹はーーーー。


「怖いよ。でも、ワイバーンになって私達と同じ目に遭う人が少しでも減ったら、私はそれで十分かなって」


 妹は涙一つ流さずに、笑っていた。屈託のない天使のような笑みで。


 *


 僕逹は会場の中に入る。辺りを見渡すと三種が大半を占めていて、少数であるが二種もいる。


 二種の周りには女子達が蠅のように群がり、金髪のキザ野郎は見たくない笑顔を振りまいている。

 それに比べて、四種は汚れた雑巾のような見窄らしい服を着ているせいかーー誰も近づきはせずに、腫れ物のような扱いをされている。


 三種は毎日生きていくのがやっとではあるが、その下に位置する四種がいるおかげで、大半の三種の精神は保たれている。


 二種逹が四種を見つけると、群がる女子達を掻き分け、四種の所にキザ野郎が近寄るとーーーー。


「君、ボクを見て笑ったよね?」

「いえ……。二種様に向かって、そんな失礼なことはしてないです」

「いいや、君は笑ったんだ!!

 それとも、まさかーーこの二種であるボクが言ったことは嘘だって言うのかな?」

「いえ、そんなことは……」


 沈黙を続ける四種の少女に対し、二種はーーーー。


「ならさ、ボロ雑巾らしく、ボクの靴の汚れを取ってくれないかな?」


 二種は怯える四種の少女を蹴り飛ばし、背中を靴でねじり込むように何度も何度も足で押さえつけ、少女は痛みに耐え続けた。


「あぁーあ、靴が余計に汚れちゃったな。今度は手で拭いてもらおうかな!!」


 少女の悲鳴が、コンクリートの壁に反響しーー会場に響き渡る。


 大半の三種は顔を伏せ、黙り込む中ーー二種の奴らは、少女の恐怖で震える様が随分と嬉々なようで、汚らしい口からヘドロのように汚い息を吐きながら、ゲラゲラと笑い続けている。


 無実の少女に対し、一方的な暴力を振りかざす行為が許されるはずはない。

 だか、僕逹は罰が怖いがために何もできず、その光景を無視し続けなければならない。


 このプラントでは階級が就ける職業や待遇など、全てにおいて最も尊重される部分で、この壁の中の全てと言っても過言じゃない。


 どの種に就けるかは親の階級によって定められ、何種か決められてしまう。

 一部例外を除き、避難も上の階級の人間が優先される。


 ーーそのせいで、僕の両親はーーーー。


 周りに不穏な空気が流れる中、ある事態が発生した。


「てめぇ、いい加減にしろよな……」

「ボっボクの顔を殴っただと!? 親父にも」

「うっせー!! 刺し違えてでもーー俺は、お前を許さねぇ」


 四種の一人が、二種を殴ったのだ。


 この壁の中で、上位種に刃向かうとーー通常より重い罪が課せられる。

 ましてや、四種が二種に殴りかかると言うが、どれだけ重罪になるかーーあの男は理解できているのだろうか。


 どうやら、あの二人は知り合いらしく少女は当惑の表情を隠せないでいる。


「すみません!! 二種様。私が何でもしますから。

 どうか、リョウちゃんだけは許して上げてください!!!!」


 二種の顔が緩む。


「なら、脱げよ。この場でさ」

「それは……」

「そ・れ・と・も、ボクの言うことが聞けないって言うのかなー?」


 二種の憎たらしい笑みが、俺の不快感を増加させる。

 リョウと呼ばれた男が再度、二種に対して殴りかかろうとしたが、ある人物の登場によりーーそれは阻害される。


「静まれ!!」


 誰かの怒号により、視点は一点に集中した。


「一種がこうして出向いてやったというのに、騒がしいではないか」


 この壁の中で実質、最高権力者と言っても過言ではない存在である一種が会場に現れたのだ。


 二種も、この事態を把握できなかったようでーー呆気に取られていた。

 状況を察したのか。辺りが一瞬にして静まり、一種がマイクを手にした。


「ここに集まってくれた諸君、ご苦労であった。私は、一種のエドワード・カルテットである。

 今から諸君らが、どういうことをされるのかをーーこれから端的に説明する」


 会場の端から瑠璃色に輝く液体が入った注射器が台車のようなものに大量に並べられ、運ばれてきた。

 そして、僕達の手元に一本づつ渡された。


 注射器に入った液体は宝石のような輝きを放っているが、同時に言いようのない恐怖を感じた。


「今運ばれてきたのが、デルタ因子である。これを自らの体内に投与し、ワイバーンになることがーー諸君らに課せられた義務だと思え。

 神徒による被害は今なお続いている。よって、一人でも多くの隊員が必要となる。

 ワイバーンになることは、この壁の中で一人でも多くの人命を救えるという名誉なことだ。

 それにワイバーンになれば、特種ーー特別二種に昇格となり、二種と同等の権利を解放する」


 さっきまでの静寂が嘘かのように歓喜の声が入り混じり、その場で泣き崩れる者までいた。


 ここにいる大半の市民は階級により、服装の自由や娯楽などーー様々な分野を制限され、教育の点でも格差は歴然としている。


 一部分が発達しすぎたのに合う服が無かったり、やりたいことや学びたい分野でも制限を掛けられ、一部の食材を生涯に渡って購入することができなかったりと、自由というものが何一つとしてなかった。


 ましてや、四種は自分の所得の五割近くを一種や二種に納税しなくてはならず、今でも餓死者が出ている。

 二種達に難癖を付けられ、周りからは汚物を見るような目で見られる生活から解放されるのだ。


 泣き崩れる者がいても仕方がないのだと、僕は理解した。


 妹も目を爛々と輝かせていた。大半を占める三種以下の服装は男女兼用の一種類のみであり、同じ服装を着まわしている。

 二種が華やかな服装を着まわしているのを羨ましそうに眺めていた妹の姿を思い出すと、胸に熱く込み上げるものがあった。


「これなら、またお兄ちゃんに作ってあげれるね」


 妹の笑みに心を癒されながらも、僕はある疑問点を解消できずにいた。


 *


 周りが騒がしくなっている光景を、一種は蛆虫が湧いているのを見るような目で睨んだのち、再び説明をし始めた。


「知っている者もいるかも知れないが、何割かの確率でデルタ因子の投与が失敗する場合がある。

 その場合は、特別な処置を施す。

 どちらにせよ、投与を拒めるのは二種以上の階級のみだ。それ以下の市民階級の諸君らには悪いが、ワイバーンとなることを期待している。

 なお、失敗した者が出た場合はーーーー」


 一瞬何が起きたのか、理解ができなかった。


 天井が突如として崩れ落ち、何人かは悲鳴も出すこともなく、瓦礫の下敷きになりーー肉片と化した。


 そして、空から何かが滑空し、瓦礫の上に落下してきたのはーー幻想やお伽話でしか存在しないはずのドラゴンと呼ばれている翼の生えた巨大な生物らしきものだった。


「何故だ!? ワイバーンの奴らは何をしているんだ!! さっさとこいつらを」


 一種の男は逃げる間もなく、ドラゴンは胴体に被りつくと喰いちぎり、腸に貪りついていた。

 大半の人間が状況を理解できないでいる中、あの金髪の二種達だけは状況を理解しているようでーーーー。


「ボクはこんなの聞いてないぞ!!

 神徒じゃない化物まで出てきているし、それにボクはただ、失敗した人間の対処をしろって聞いてただけなのにさ!!!!」


 あんなに偉そうにしていた二種が何かに取り憑かれたかのように血相を変え、会場の出口から出ようとするとーー場面が切り替わったかのように二種の首は肉体と離れ、重力に従って、その場に落下した。


 その屍を踏みつけ、こちらに向かってくるのは黒鉄色の金属の体をし、目玉のような部分を紅く光らせ、血に濡れた武器を所持しているーー神徒だ。


 会場は悲しみや絶望、恐怖や怒りが混じり合い。


 ーーまるで、この世の破滅を描いた絵画のような光景だった。


 けれど、僕達が生き残れる可能性が一つだけあった。それは、デルタ因子を自らの体に取り込むことだ。


 現状、神徒に対抗できるのはデルタ因子を取り込んだワイバーンだけである。


 僕は自分の左腕を捲り、右手にあるデルタ因子の入った注射器を構える。

 けれども、身体は正直なのかーー冷や汗が止まらず、手足は小刻みに震えている。


 恐怖で目の前が霞みーー皮膚の中を蚯蚓が這いずり廻るような瀬ない気分で、悪寒や嗚咽が止まらなかった。


 ーーもし、失敗したら……どうなるのだろうか。


 死ぬことよりも苦しい目に合うのだろうか。

 死ぬのは、どれくらい痛いのだろうか。


 痛いのは嫌だ、死にたくないと、頭に刷り込まれるように響く心の声は狼狽している俺の体を簡単に支配し、心臓の鼓動は爆音を鳴らし続けている。


 どうすることもできない自分の弱さを嘆き、地べたにしゃがみ込んで泣き崩れている僕の手を誰かが優しく握りしめていた。


「お兄ちゃん、任せといて。私が、お兄ちゃんを守るよ」

「おい、何言ってるんだよ。チカ…………」


 優しい笑みを浮かべたチカは震える手でーー液体を自らの体に投与した。

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