ハジマリ
「きゃぁぁぁっ、泥棒よ!」
その女性の声は商人の行き交う街として発展した王都「ガンディベル」の市場に響き渡り、全ての民衆が声のする方向へと振り向いた。
そこには大声をあげる果物屋の女性と、零れ落ちそうなほど大量の果物を抱えて走る中年男の姿があった。どうやら、声の主は果物屋の女性のようだ。
中年男は「どけどけぇっ」と声を荒げながら、人口密度の高い市場を通り抜けようとするが、こんな状況にも動じず、呑気に欠伸をしながら歩いてる青年にぶつかってしまう。
「ったく、気をつけろ!!」
そう言葉を吐き捨て、中年男は落下したリンゴを素早く拾いあげ、慌てて逃げだそうとしたが、突然と飛び出してきた青年の足に突っかかり、「うわぁっ」という声と共に倒れ込んでしまった。
その際に顔面を地面に強打したのか、中年男は出血した鼻血を拭い、青年への反撃の為に起き上がろうとした。その時、青年はしゃがみ込み、中年男の背中に指を立てるという意味不明な行動をとった。
その指は決して強力なものでもなく、中年男にとっては軽く振り払えるほどの細く骨ばった指だった。なので、中年男はすぐさま振り払おうとしたが、その前に強い重力のような力で地面に押しつぶされる。
中年男の体の骨が今にも砕けてしまうほどの激痛が全身に広がるのをお構いなしに、青年はフードの下でニヤリと笑みを浮かべる。
「…あのさぁ、俺、女を傷つけるのはよくないと思うんだよね。うん、カッコ悪い」
青年は笑いを堪えたような声で言葉を紡ぎ、中年男が再び落としたリンゴを手に取ると、「3秒ルール3秒ルール」と言いながら噛りついた。
「そう思うよね?」
その問いかけに対し、中年男は呻き声だけで返答することができない状況でいると、青年は立てていた指を背中から頭部へと移し、その指を淡い水色へと染めていく。
その時、不意に吹いた突風で青年がフードから顔を出すと同時に、静まり返った市場にある声が響き渡たった。
「アベル!!」
どうやら、その名は青年のものだったらしく、アベルという青年は声のする方向へと振り向く。すると、そこには民衆を掻き分け、こちらに向かってくるスーツ姿の青年が目に入った。
「あ、レナードじゃん」
「「あ」じゃねぇよ!。一体どこに行って …って、お前何してんの!?」
レナードと呼ばれる少年は数秒で状況を把握すると、青ざめた顔でアベルに問いかける。だが、レナードの問いかけに対し、アベルは「やっほー」と軽く流すのみ。
「やっほーじゃねぇよ!。人様に迷惑かけんなって、いつもあれほど言ってるだろうが!!」
そう言い、レナードは自分より体格の良いアベルの首根っこを掴み、中年男とアベルを簡単に引き離す。
「…ま、この状況じゃ言い訳にしか聞こえないと思うけど、生憎迷惑はかけてないつもりだよ。だって、人助けしただけだし」
「人助けって…嘘にもほどがあるだろ」
その時、後方の方から果物屋の女性と王都の自警団「ジャティス」の人々がこちらに向かってきていた。レナードはそれを確認すると「ほら見ろ、お前のせいで」と言いいながら、アベルの頬を抓る。
「だから、俺のせいじゃないってば。ジャティスの連中が捕まえに来たのは、俺じゃなくてこいつだよ。こいつは果物泥棒なんだから」
「はぁ?。お前、何言ってんの?」というレナードの言葉を遮るように、中年男はボロボロの体で慌てて逃げ出した。それと同時に、ジャティスの男性が「捕まえてくれっ、そいつは果物泥棒だ!」と大声を張り上げる。
「ほら、言ったでしょ?」
そう言って、アベルはこんな状況にも関わらず、レナードを嘲笑いながらリンゴをペロリと食べ終わった。それに対し、レナードは「チッ」と舌打ちをしてから中年男を追いかけた。
レナードは加速をつけると空中を華麗に跳び、自分の両足で中年男の首を固定すると、その状態でバク転行い、中年男を顔面から地面に叩きつけた。
その後、レナードは素早く固定してた足を解除し、見事に着地をきめる。その光景を見た民衆が驚く中、ただ一人、アベルだけが爆笑しながら拍手をしていた。
「いやぁ、お見事。相変わらず人間とは思えない運動神経だね。関節とかどうなってんの?。きも」
「お前にだけは言われたくない」
二人がそんな会話を交わしていると、ジャティスの人々はようやく中年男の身柄を拘束した。それと同時に、静まり返っていた民衆もいつも通りの活気を取り戻す。
「それにしても、あんたが直に手を下さなくても、俺に命令してくれれば良かったのに」
アベルは先ほどとは別人のような雰囲気を醸し出し、ぼそっと呟く。そんな様子に対し、レナードはネクタイを緩めながら言葉を口にした。
「…確かに俺はお前の主だ。けど、だからといって、それを強く主張するつもりはない。自分でできることは自分でする」
レナードの言葉にアベルは笑みを浮かべ、「そっか」とだけ返事を返す。
「そうだ。とにかく、もう帰るぞ」
「りょーかい」
そうして、二人は歩調も歩幅も合っていないというのに、なぜか並んで歩きだした。
「ったく、ホント、お前から目を離すとろくなことが起きないな」
「いやいや、元はといえば、あんたが迷子になるからでしょ?」
「お前がだろ!。何、人に罪を擦りつけてんだよ!」
「擦りつけてなーいよ。あんたが小さ過ぎるから見失っちゃったんだ。つまり、あんたがチビなせい」
「誰がチビだコラっ!!」
二人はいつも通りのちょっとした言い争いを繰り広げ、騒がしい市場通りを通り抜けていった。
そんな二人のアンバランスな背中を見つめ、考え込む少年が一人居た。その少年に女商人が「どうしたんだい?」と声をかける。
「いえ、やはり王都にはあんなすごい方がいらっしゃるんだなと。僕は田舎から出てきたばかりなので、どうも動揺を隠せなくて」
少年が胸に手を当て、笑みを溢しながらそう言うと、女商人は豪快に笑って返事を返した。
「そうかい。でも、それは違うよ。王都の人間全てがあんなんなわけじゃない、あいつらが特別なだけさ」
「あいつら…もしかして、お知り合い何ですか!?」
「いや、王都の常識さ」
「…そんなに有名な方なんですか?」
「ああ、五年前、大事件があっただろ?。きっと、田舎暮らしでもこれぐらいは知ってるはずさ」
田舎暮らしだったとは思えないほど礼儀正しい少年に、女商人の口も次第に饒舌になり、王都の秘密を小声で話しだす。
「ええ、知っております。何でも、事件の首謀者がとても強力な魔導師で、太刀打ち出来る者も誰一人居なかったとか」
「ああ、そうさ。そんな騎士団でさえ太刀打ち出来ない殺人鬼、それを最終的に仕留めたのは当時十四歳の少年だったんだ」
「そうだったんですか?。実は僕、事件の終結は把握してなくて。ですが、その少年はさぞかし称えられたでしょうね」
「もちろん、英雄とまで呼ばれていたよ。だが、その直後、英雄は大罪を犯したのさ」
「大罪ですか?。それはどんな?」
「死刑にされかけた殺人鬼を逃がしたんだよ。少年は名誉も身分も自分が持っているもの全てを捨て、王宮から逃げ出したらしい」
「そんなことが…ですが、それはあの二人と何が関係しているんですか?」
「ああ。その英雄と魔導師はあいつら二人じゃないかって、王都中じゃ有名な噂さ」
「英雄と…殺人鬼」
少年はまるで初めて言葉を知った子供のように、その単語を繰り返し口にした。
「あいつらは国家直属の何でも屋だ。もっと詳しく知りたいっていうなら、その店でも訪ねてみることだね。まぁ、あんまりおすすめはしないが」
「ん?、どうしてですか?」
女商人のひっかかる言葉に少年は首を傾げ問いかける。すると、女商人は少年を手招き、耳打ちで伝えた。
「…あんたも今後王都に住むってんなら知っておいた方がいい。これは王都での暗黙の掟「あいつらだけには関わるな」ってね」