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染殿后の物語(その1)

      参の章(染殿后の物語)

 

 多くの人たちが、帝やわたくしのために働いてくれていたのですね。ありがたく思います。それにしても、わたくしの知らないところで様々なことが起こっていたようです。基経どののご指示もあったのでしょうが、わたくしには誰も何も話してはくれませんでした。けれどもわたくししか知りえなかったこともあります。

 帝と再びお会いいたしましたことも遠い昔となってしまった今、胸の内に秘めたままとも思っていましたが、恒寂法親王こうじゃくほっしんのうどのの文や、内侍ないしのお話しへのお返しのつもりで、この度はわたくしも知りえたことをお話しすることにいたしましょう。

 

 良房どのには子はわたくししかおりませんでしたから、わたくしをいつくしむ心は、それは格別のものでした。基経どのをご養子になさいましたあとでも、それは変わりませんでした。良房どのがわたくしを入内じゅだいさせたのはご自分のさらなるご権勢のためという者もおりましたが、もちろん藤原北家の長者としてそれもお考えだったでしょうが、それ以上に、幼いころから接しておられた、当時春宮でいらした帝のお人柄を見込まれてのことだったのです。そして帝は良房どののお見立て通りのお方でした。帝の地位をおぎになられたのちも変わることなくわたくしを愛しみ、周囲の者たちへのご配慮もきちんとなさるお優しいお方でした。

 わたくしが身籠みごもった時は本当にお喜びでした。皇子みこでも皇女ひめみこでもよいと仰せになられ、いいえ、できれば皇女が良いと仰せでした。まずは皇女を、そして次は皇子を、とお望みでした。それは三条町静子どのとの間に、すでに惟喬これたかどのがお生まれになられておられたゆえ、惟喬どのを立太子したのちに皇子が生まれることをお望みだったからです。けれども生まれたのは皇子でした。

 帝は、このことが争いの種にならねば良いがと仰せでしたが、わたくしは惟仁これひとどのが春宮とうぐうにお立ちになられるなど考えてもいませんでしたので、安心しておりました。

 けれども良房どのは違っていました。

 わたくしは帝のご意思が惟喬どのにおありだとお知りになれば、良房どのも惟仁どのの立太子はいずれお諦めになるだろうと思っていました。けれども良房どのは惟仁どのの立太子を、思いのほか強く主張なさいました。わたくしは今でも藤原北家の長者としてのお立場がそうさせたのだと思っていますが、帝は深くお悩みでした。良房どのから、いくさが始まるかもしれないというお話しをお聞きになられたからです。何日も何日も、帝はお休みになれないご様子でした。

 そんなある日、良房どのがわたくしを訪ねてこられたのです。そしてわたくしにこのようにお話しになりました。

 「女御殿、今日はお力をお借りいたしたく参上いたしました。

 春宮道康親王は今お悩みです。しかしながら、国のためを思えば、道は一つしかありませぬ。戦を避けるためには、わが藤原北家が一門を挙げて支える惟仁親王を措いて、次の春宮にお立ちいただく方はおられませぬ。女御殿からも春宮にそのように申し上げていただきたい。五条后順子ごじょうのきさいのぶこ様からもお話しをしていただいているのですが、春宮はなかなかお認めになられませぬ。春宮は戦を望んでおられるという声も、宮中では聞こえてきております。もしそのようなことになれば、私は春宮とわが一門との間に挟まれ、決断をせねばならなくなりましょう。

 戦は避けねばなりませぬ。そのためにも是非、女御殿から春宮にお話しをしていただきたい。女御殿におかれましても、惟仁親王が春宮にお立ちになられれば、春宮の御息所みやすんどころとしてさらに帝の御寵愛ごちょうあいを受けられましょう。」

 御息所ごちょうあいという言葉を聞いたとき、実は、わたくしは、心が少し騒ぎました。帝や惟仁どのとともに一緒に暮らせるだけで幸せだと思っていましたのに、心のどこかに、やはり春宮の生母という地位にあこがれる気持ちがひそんでいたのでしょう。わたくしはその気持ちを良房どのに覚られぬよう、つい強い言葉を良房どのにお返ししてしまいました。父だという甘えもあったのかもしれません。

 「わたくしはそのようなことは望んでおりませぬ。ただ惟仁親王どののおすこやかなご成長を願うばかり。惟喬親王どのが春宮にお立ちになられるのは自然なこと、理にかなったことと思っています。惟喬どのは春宮さまと同様、真っすぐでご聡明そうめいな皇子でいらっしゃいます。惟仁どのはお生まれになられたばかり。どのような皇子にお育ちになられるかはこれからのことでございましょう。

 物事には順序というものがあります。もしたとえ惟仁どのが皇位をお嗣ぎになられるとしても、それは惟喬どのを飛び越えてのことではないのではありませぬか。

これは臣下である良房どのがお決めになられることではありませぬ。間もなく帝になられる春宮さまと、御仏のお心次第でございましょう。わたくしは春宮さまのお心に従う所存です。」 

 「御仏と春宮のお心次第ですか。御仏と春宮のお心次第・・・。ではやはり御仏と春宮にお認めいただくよりありませぬな。」

 良房どのはこの時に、立太子の件を修法の場に持ち込む覚悟をお決めになったのです。わたくしの言葉から思いつかれたそうです。

 この時わたくしは心の動揺を隠すことに精一杯で、良房どののお言葉の真意を掴めずにおりました。けれどもしばらくのちのことです。良房どのが急に、頻繁ひんぱんに、天台てんだい真言しんごんの僧にお会いになり始めたことを知り、わたくしは初めて良房どののお言葉の真意を理解したのです。

 自分の軽率さに身が震える思いでした。心の動揺から出た言葉とはいえ、御仏のお心次第とお話ししましたことを、この時ほど後悔したことはありません。


 良房どのは慎重に、ひとつひとつ手を打っていかれました。まず天台や真言の僧に立太子を巡る戦を回避する計画を立てさせ、同時に宮廷に事の解決をはかる。こうして良房どのは、ご自分がお考えになったとは誰にも思わせぬ策をお練りになったのです。真雅どのもときわどのも、良房どのの手駒にすぎませんでした。

 恵亮えりょうどのが惟仁これひとどのの修法僧になることは、良房どのから聞いて知っていました。しかし恵亮どのは世に評判の高い修法僧とはいえ、天台のなかで優れて身分の高い僧というわけではありませんでしたので、少し奇異な感じがいたしました。良房どのほどのお力ならば天台座主てんだおざす円澄えんちょうどのでも、あらゆる修法にけた円珍えんちんどのや円仁えんにんどのでも、思いのままと思っていましたから。

 また理由などわからぬまま、ただ漠然ばくぜんと、わたくしは惟喬これたかどのの修法僧には恵亮どののご身分に見合う真言の僧が就くものと思っていました。ところが惟喬どのの修法僧には真済しんぜいどのが就きました。その時わたくしは、真済どのと恵亮どのとではそのお力やご身分に差がありすぎる、と感じました。嫌な予感、胸騒ぎがしました。

 もちろんその時は、わたくしには、良房どのが修法の場で何をくわだてておられるのかわかりませんでした。けれども修法の争いをどのように導くかについて、良房どのにはすでにお考えがおありだったのです。それで円仁どののご忠告も、真雅どののお申し出も、お断りになったのです。

 良房どのは最初から恵亮えりょうどのをお捨てになるおつもりでした。不動明王法でも、恵亮どのが真済どのと互角以上の闘いをするとお思いではなかったのです。天台の僧である恵亮どのは必ず不動明王法を捨て、一字金輪法いちじきんりんほう、あるいは大黒天法だいこくてんほうなどに切り替えることになるとお考えでした。しかし実際には、恵亮どのは大威徳妙王法だいいとくみょうおうほうを用いました。そのことは良房どのには意外なことだったようです。行者ぎょうじゃが命を落すこともある大威徳明王法を用いたことは、恵亮どのにとっては不幸なことでしたが、良房どのにとっては幸いなことだった、ということになるのかもしれません。

 良房どのは修法の闘いが始まる前から、恵亮どのの死を考えに入れておられました。いいえ、なにを修法したとしても、恵亮どのは命を落すことになっていたのです。そして恵亮どのが亡くなる直前が、この修法争いの勝ち負けを決する大事な時、とお考えでした。それで良房どのは、恵亮どのの修法を支える脇の僧のひとりに、恵亮どのが倒れたならばすぐに報告するように、と言い含めておられたのです。そして恵亮どのは独鈷杵どっこしょをご自分の蟀谷こめかみに突き立て、護摩壇ごまだんの中に倒れ込みました。 

 真雅どのは恵亮どのの命を救おうとしていましたが、その間に良房どのに言い含められていた僧が真言院しんごんいんの混乱にまぎれて内裏を抜け出し、染殿そめどのに向かいました。良房どのは報告をお聞きになると、すぐに真如しんにょどのに使いを出しました。使いは真雅どのより先に、恵亮どのが生きているうちに、真如どののもとに届かねばならなかったのです。

 ご口上には、真済どのの修法の見事さとともに、恵亮どのが真済どののしゅに当てられて果敢無はかなくなったとありました。そして真如どのは真済どののもとへ行き、修法を終わらせたのです。直後に真雅どのからの口上も届きましたが、それは恵亮どのの死を追認するものになってしまいました。良房どのからのご口上が真如どののもとに届いたとき、恵亮どのがまだ生きていたことを知る者は、良房どののほか誰もいなかったのです。

 こうして惟仁どのが春宮とうぐうにお立ちになられたのです。

 わたくしは恵亮えりょうどのが亡くなったと聞き、修法の裏に隠された良房どのの計画をすべて覚りました。御仏という言葉を口にした自分の罪深さに、全身が震えました。恵亮どのがその時まだ生きていたことを円仁えんにんどのがご存知だったのは、わたくしがお話しをしたからです。わたくしは円仁どのに良房どのとお会いした時のことを全てお話しし、御仏の許しを乞いました。

 恵亮どのには本当に申し訳のないことをしました。わたくしが良房どのにあのようなことをお話ししなければ、恵亮どのが命を落すことはなかったのです。

 良房どのはその数日後、惟仁どのの立太子が正式に決まったことを報告するため、再びわたくしを訪ねてこられました。わたくしは良房どのを責めました。けれども良房どのは、御仏がお決めになられたこと、と動じる様子はありませんでした。

 恵亮どのの命と引き換えに春宮とうぐう御息所みやすんどころの地位を得たとの思いに、わたくしは悲しく、そして恥ずかしくてなりませんでした。その後わたくしが表に出ることを避けるようになったのは、そんな事情があったからです。

 この日以来、わたくしの心のどこかに隙間すきまができたように思います。のちに真済しんぜいどのにりつかれることになったのも、このときにできた心の隙につけ入られたためのように思われます。

 恵亮どのが生きているという噂があることは知りませんでした。もちろん良房どののもとに駆けつけた僧が行方知れずになっていたことも。けれどもわたくしが円仁どのにお会いしたとき、円仁どのはこのようにお話しになりました。

 「女御様、あまりお気になさいませぬよう。もし恵亮があの場で命を落したとしても、それはあの者の寿命というもの。大日如来様のお決めになられたことでございます。決して女御様のお言葉が原因ではありませぬ。

 今日より以降、恵亮の死について何事もお口になさってはなりませぬ。それは神聖な内裏にけがれをもたらすことにもなりましょう。お忘れなさいませ。」

 わたくしは円仁どのが、わたくしの胸の内を軽くするためにこのようにお話しされたと思っていました。けれども恒寂法親王こうじゃくほっしんのうどのや内侍ないしのお話しと合わせますと、そこにも何か良房どのの思惑おもわくが働いていたのかもしれません。


 惟仁どのが春宮にお立ちになられたあとも、内侍が思うとおり、良房どのはご安心をされたわけではありませんでした。帝が、惟仁どのが成人するまで惟喬どのに皇位を嗣がせたい、と良房どのにお申し出になられたように、宮中にはまだ惟喬どのを春宮にと思う人々が、ときわどのご兄弟を初め多くおいででした。良房どのはそうした人々の思惑を根元から断ち切ろうとなさいました。そうです。惟喬どののお命を奪うことをお決めになったのです。天安元年夏、帝のお見舞いにお出かけになられた帰り道、惟喬どのが侍たちに襲われたのは、良房どののご指示によるものです。

 わたくしは惟喬どのが襲われたことは知りませんでした。それを知りましたのは数日あとのことでした。三条町静子どのがひそかにわたくしを訪ねてこられたのです。静子どのの相談相手というのはわたくしでした。静子どのはこのようにお話しになりました。

 「明子あきらけいこさま、どうぞ惟喬どのをお救いくださいませ。わたくしは帝が惟喬どのを春宮にお立てになられるおつもりであることを耳にいたしまして、愚かにも、これで紀氏にかつての栄華えいがが再び巡ってくると考えました。業平どのがわたくしのもとを訪ねておいでになり、惟喬どののご出家を勧めてくださいました時にそれをお断りいたしましたのも、そのような思いがあったゆえにございます。

 けれども先日、惟喬どのが何者かに襲われました。家人が数名命を落し、惟喬どのは業平どのに救われましたが、その日以来、寝所に伏せったまま高熱にうなされておられます。

 わたくしはその出来事が良房さまのご命令によるものなのか、確かなことは存じません。けれども宮中において、そのような噂がささやかれているのでございます。もしも間違いであればお許しください。今はもう、わたくしは、明子さまにおすがりする以外ないのでございます。

 惟喬どのが襲われまして以来、わたくしは惟喬どのを春宮にと考えることすら恐ろしくなりました。わたくしにとりまして、惟喬どののお命と引き換えにしてよいものなど、この世にはございません。惟喬どのにも、帝に、春宮の地位など望んではおりませぬとはっきり奏上そうじょうなさるよう申し上げるつもりでございます。

 明子さま、どうぞ良房さまに、惟喬どののお命を奪うことなどお考えにならないよう、お願いをしていただきとう存じます。」

 「静子どの、あなたのお気持ちはよくわかります。お辛いことでしょう。良房どのにはわたくしから必ずお伝えいたします。

 静子どのもご存じのとおり、帝は惟喬どのを春宮にお立てになられるおつもりでした。帝は真っ直ぐなお方でいらっしゃいます。たとえ修法の争いに敗れても、そのお心の奥はおそらく今でもお変わりになられてはおられませぬ。惟喬どのが春宮にお立ちになられることが最も正しいあり方だと、帝はお考えだと思います。わたくしもそのように考えます。もし惟仁どのが皇位をお嗣ぎになられるとしても、本来ならば、惟喬どのの次となるべきであろうと思います。

 静子どの、けれども今、無念ではありましょうが、世の流れは惟喬どのに向いてはおりませぬ。静子どのが今お話しになられたとおりにすることが、惟喬どののためにも良いとわたくしも思います。

 良房どのにすぐにお会いして、お話しをいたしましょう。」

 立太子の修法争いに惟喬どのがお勝ちになっておられれば、春宮の御息所みやすんどころの地位には静子どのがお就きになられたはずです。また静子どのはご実家、紀氏の期待を一身に背負っておられました。紀氏は今でこそ宮中での力は衰えていますが、かつては絶大な勢力をお持ちだっただけに、静子どのへの期待は並々ならぬものがあったと聞いています。良房どののはかりごとによって、静子どのとわたくしの立場が入れ替わってしまったのです。

 さらにわたくしには、父良房どのの謀によって春宮の生母になったという恥ずかしさもありましたので、何とか静子どののお力になりたいと思ったのです。また惟喬どののお命をお守りすることが、御仏のお許しを得られる唯一の道とも考えました。


 わたくしは帝に宿下がりのお願いをして染殿に戻り、良房どのにお会いしました。突然のことでしたので良房どのは驚かれましたが、わたくしはそのようなことにかまわず、すぐに良房どのに真偽を確かめました。

 「良房どの、宮中に奇妙な噂が流れております。良房どのが惟喬どののお命を奪おうとなさっておられるという噂でございます。これは真でございましょうか。先日、惟喬どのが侍たちに襲われたそうにございます。これは良房どののご指示によるものなのでしょうか。

 十日ほど前、三条町静子どのがわたくしを訪ねてこられました。ひどく憔悴しょうすいしておいでで、哀れでなりませぬ。静子どのは、惟喬どののお命と引き換えられるものなどこの世にはない、と申されました。

 今は惟仁どのが春宮の地位にお就きになられておられます。良房どののお望みの通りになったではありませぬか。何ゆえ惟喬どののお命まで奪おうとなさるのでしょう。」

 わたくしは良房どのにお話しをしている間、悲しくてなりませんでした。たとえ良房どのが帝のお心に添わぬことをしようとしているとしても、良房どのはわたくしの父です。父と、夫である帝の間にはさまれていることが、これほど辛いものとは。しかし良房どのはわたくしを真っ直ぐにご覧になり、このようにお答えになりました。

 「そのような指示は私は存じませぬ。誰かが私が望んでいると思い込み、勝手にそのような仕儀に及んだのでございましょう。ただ、私は皇位をお嗣ぎになられるのは惟仁親王しかおいでにならぬと考えております。今はいにしえ御代みよではありませぬ。帝にまつりごとつかさどる力はありませぬ。言葉が過ぎるかもしれませぬが、所詮冠しょせんかんむりでございましょう。どなたが帝になられようと、私にはかかわりのないことです。

 私が望むのはこの世から戦が無くなることただ一つ。とすれば、北家に関わりの深い惟仁親王が皇位をお嗣ぎになられることが、最善でありましょう。惟仁親王ならば、わが藤原北家は一門を挙げて全力で支えます。」

 「それは、惟仁どの以外ならば藤原は帝にそむく、ということなのですか。」

 「たとえ私でも抑えられない事態が起こり得る、ということです。」

 「良房どの、帝はいつの世でも国を、民を、支えておられます。国のために祈り、民のために祈っておられます。政を掌ってはおられませぬが、もっとずっと大切な、心というものを掌っておられます。その帝を軽んじることは、国を軽んじることでもありましょう。政を掌っておられる良房どのが、そのことにお気づきでないはずがありませぬ。

 わたくしも藤原北家のひとり。藤原が大切であることに変わりはありませぬ。しかしながら、わたくしは藤原のひとりであるより、国のため、民のために祈っておられる帝の御心に寄り添っていとうございます。」

 「戦が無くなればよいのです。戦さえなくなれば、それだけで民は幸せに暮らして行けましょう。安心して子を産み、育て、子等に看取みとられて死んでゆく。あるかないかわからぬ西方浄土などは死んだ先のこと、民にとってはどうでもよいことなのです。生きているこの世で幸せであること、これが民の願いなのです。

 帝は国のため、民のために神仏に祈っておられます。それは存じています。またそのことが、帝が神仏に与えられた唯一の責務であることも存じております。しかしそれで民が幸せになったためしはありませぬ。戦をなくすこと、これ以上に民の心や暮らしを豊かにするものはありませぬ。

 惟喬親王にはこれはできませぬ。わが藤原北家が支える惟仁親王以外に、戦をなくすことはできぬと考えます。」

 「民の心を中心に置かぬ政など、いかほどの意味がありましょうか。失った家や田畑は取り戻せます。しかし一度失った心はもう戻りませぬ。」

 「戦で失った家族も戻りませぬ。」

 わたくしはこれ以上の問答は無益と考え、ただ惟喬どののお命を奪おうとなさることだけはおやめくださいとお願いをしました。良房どのは、そのようなことは考えたこともありませぬ、とお答えになりました。

 ところがその数日後、良房どのは検非違使けびいしの別当を染殿にお呼びになり、惟喬どのをひそかにほうむるようにと、改めて指示をお出しになったのです。

 わたくしは御所に戻るご挨拶をしようと、北対きたのたいにおられた良房どののもとに向かっていました。そして部屋に入ろうとしたとき、良房どののお声が聞こえてしまったのです。わたくしは素知らぬ顔をして中に入りました。そして検非違使の別当を下がらせました。

 向き合ったまま、互いに何も言わぬときが過ぎました。やがて良房どのはあらぬ方をご覧になりながらつぶやきました。

 「国のためだ。そして何より藤原のためなのだ。」

 わたくしはひとりの母としても、静子どののお心の痛みが肌身に感じられていました。

 わたくしは良房どのにこのようにお話ししました。

 「わたくしも母でございます。静子どののお辛さがわが事のように感じられます。良房どの、もしも良房どのが惟喬どののお命を奪うおつもりならば、わたくしは春宮をお連れして出家いたします。春宮が皇位をお嗣ぎになられることもこれでなくなりましょう。

 惟喬どのは世にまれなご聡明な皇子。またご幼少のころから、この世ならぬものをお目にされておられるご様子。お命を奪われたなら必ず怨霊おんりょうとなり、良房どのや、春宮の地位を奪われた惟仁どのにきっとたたられましょう。父やわが子がそのようなことになる姿を、わたくしは見たくはありませぬ。出家しておふたりをお守りしとう存じます。」

 出家という言葉を聞き、さすがに良房どのも狼狽ろうばいなさいました。

 「それはならぬ。それでは私の計画がすべて無駄になる。春宮が出家するなど前例がない。帝もそのようなことをお許しになられるはずがない。」

 「前例などつくればよいことです。

 帝は今でも、惟喬これたかどのが皇位をお嗣ぎになられることをお望みです。春宮のご出家に反対をなさるとは思えませぬ。黙ってお見過ごしくださることでしょう。

 本日これから御所に戻り、その支度にとりかかることにいたしましょう。」

 「待て、待て。判った。惟喬親王の命は助けよう。すぐにあちらに控えさせている検非違使けびいし別当べっとうに命令の撤回を伝える。今すぐにだ。それで良いな。

 だがこのままでは宮中に不穏な動きが絶えぬ。それは断たねばならぬ。惟喬親王には都を遠く離れていただく。佐渡か、あるいは隠岐おきあたり。それは認めよ。それすら認めぬと申すならば、即座に人を遣わし、無理にでも春宮をこの染殿にお預かりする。女御殿はお一人でご出家なさるがよい。帝のお怒りをこうむるであろうが、そのようなことは春宮の出家に比べれば些細ささいなことだ。理由などどのようにでもつけられる。」

 こうして惟喬どののお命だけはお守りできました。けれどもこれでは惟喬どのが謀反むほんの罪に問われることになります。また流された先でどのような事態が起こるやも知れません。静子どのとのお約束を果たせたとはいえないと思いました。それでわたくしは良房どのに、さらにこのようにお話ししました。

 「良房どのもご存じのとおり、わたくしは当初から、惟仁これひとどのが春宮にお立ちになられることなど望んではおりませんでした。わたくしは帝や惟仁どのと穏やかな、幸せな暮らしができればよいと思っておりました。帝もそのようにお望みでした。それでもあの修法の場で示された結果に従い、惟仁どのが春宮にお立ちになられることを受け入れました。

 しかしながら、あの修法、あの修法の場で何が起こっていたのか。惟仁どのの修法僧に恵亮えりょうどのが選ばれ、真雅しんがどのが脇にまわったこと。惟喬どのには真済しんぜいどのが就いたこと。恵亮どのの死の経緯。真雅どのの口上の前に、良房どののご口上が真如しんにょどのに届いていたこと。そのようなことすべてが不思議でなりませぬ。」

 わたくしは、良房どののご口上が真雅どのの口上より先に真如どののもとに届いていたことをわたくしが気付いていたと、良房どのにお話ししてよいものか迷いました。けれども良房どののお心の中にひとつのくさびを打ち込むことが、惟喬どのをお守りするためにどうしても必要なことと思われました。わたくしが知っているならば誰かほかにも知っている者がいるのではないか、というお疑いです。事実、わたくし以外でも業平なりひらどのと円仁えんにんどのはこのことを知っていました。いいえもうひとり、内侍ないしも業平どのから聞いて知っていたのでしたね。けれどもこの三人からほかへれる懸念けねんはありません。特に業平どのと円仁どのは、漏れることを恐れておいででした。

 良房どのはこれをお聞きになるとしばらくの間、じっとわたくしの顔を見つめておいででした。そしてやがてお顔にみを浮かべ、このようにお話しになりました。

 「女御殿もたいしたお方だ、この父をおどすとはな。だが私は修法の場で何もしてはおらぬ。恵亮が倒れた時、私に忠義を尽くしておった僧がそのことを報告に来て、私はそれ以上の無駄な闘いを避けるために真如に使いを出した。それが偶々(たまたま)真雅の使いより早かったというにすぎぬ。それだけのことだ。恵亮には可哀そうなことだったと、今でも思っている。

 だが女御殿のお気持ちはよくわかった。惟喬親王のことはもう安心するがよい。三条町殿にもそのように伝えよ。」

 こうして惟喬どののお命は救われました。


 帝が良房どの咒殺のご決意をされたとき、良房どのがわたくしの父であることもあって、もちろんわたくしには隠しておられました。わたくしには惟仁どのの息災の修法であると仰せでした。わたくしは惟仁どのの母として嬉しく思いましたが、同時に帝のお体を思い、なにゆえ今なのかと不審にも思いました。

 この頃、帝のお体はずいぶんと衰弱されておられ、真言院にお出ましになられることさえもお辛そうでした。それでも帝はお倒れになられるまで、朝夕必ずお出ましになられたのです。

 この修法が良房どの咒殺の修法であることをわたくしが知りましたのは、御所にて陰陽頭刀伎直川人おんみょうのかみときのあたえかわひとの姿を見かけた時のことです。陰陽頭が参内さんだいするのは、帝より天道や暦についてのご下問があった場合に限られますが、この時にはそういったことはありませんでした。帝は陰陽頭に、嵯峨離宮さがりきゅうにて、と仰せになられておられました。

 ご体調がすぐれないにもかかわらず、無理をおしての真言院へのお出まし。そして陰陽師として咒術に長けた川人のお召しと嵯峨離宮というお言葉。わたくしはそれで帝のお考えを覚りました。

 惟仁どのもどちらかといえばひ弱なご体質。けれどもこれほど念の入った修法が必要とは思えません。とすればこの修法は良房どの調伏ちょうぶくのため。夫である帝と父である良房どのとのご関係がここまでもつれてしまっているとは、わたくしには思いもよらぬことでした。良房どのが惟喬どののお命を保証なさった時点で、おふたりのご関係は元のように修復されるものと考えていたのです。

 陰陽頭参内の翌日、わたくしが恐れていました通り、帝は嵯峨離宮への行幸ぎょうこうを仰せになられました。その伴の中には数人の弟子を率いた陰陽頭も入っており、もちろんわたくしも同行させていただきました。帝は御所にて待つよう仰せになられましたが、わたくしは、帝のお体が心配ですのでわたくしがともに行くことが許されないのであれば、帝も嵯峨への行幸をお控えなさいますよう、とお願いをいたしました。それで同行を許されたのです。

 嵯峨離宮に到着いたしますと、すぐに祭壇がしつらえられました。嵯峨上皇の御霊みたまをおまつりするとのことでしたが、その祭壇の中には木でつくられた小振りの人形ひとかたが、人目につかぬよう納められていました。それは陰陽道に伝わる咒物じゅぶつ撫物まじものだったのです。人形には隅々にまで咒文・咒詞が書き込まれ、額には良房どののお名前が黒々と書かれていました。そしてさらにそのお名前の中心に、五寸はあろうかと思われるほどの長さの釘が打ち込まれていたのです。わたくしはそのおどろおどろしさに、全身の震えが止まりませんでした。この人形ひとかたに良房どのの魂魄こんぱくを呼び込み、そして咒殺しようとしていることは明らかでした。帝の良房どのへの憎しみがこれほどお強いものであろうとは、思いもよらぬことでした。

 陰陽頭はその日からずっと、帝がお亡くなりになられるまで、嵯峨離宮の祭壇の間に籠もり続けていたそうです。円仁どのが、咒が奇妙にすれ違うとお話しになっていたのは、陰陽頭刀伎直川人おんみょうのかみときのあたえかわひとが陰陽の修法を行っていたためだったのです。

 そしてもう内侍ないしも気づいたことでしょう。真言院の奥での修法は、実は目眩めくらましだったのです。帝はこの修法が良房どのに漏れた場合のことをお考えになられ、嵯峨離宮に眼が向かぬよう真言院での形ばかりの修法をお始めになられたのです。秋篠寺あきしのでらから水を運び込んでいたのも、人々の眼を真言院に向けさせるためのものでした。

 帝が真言院にお籠もりになられたのも目眩めくらましのひとつ。帝は修法などなさってはおられませんでした。また、おできにもなられませんでした。帝として、代々の帝や仏菩薩さまにお祈りをなさっておられただけなのです。もちろん真言院での惟仁どのへの息災の修法だけは、本物でした。秋篠寺の水は、この修法にお使いでした。

 帝がお亡くなりになられた時、川人は円仁どのの修法により、息も絶え絶えの状態だったそうです。もう少し時間が長ければおそらく、川人の命も絶えていたことでしょう。 

 わたくしは帝に、咒詛じゅそをお止めくださいと申し上げることもできず、また一方良房どのに帝の咒詛をお知らせすることもできず、その日以来、来る日も来る日も何も考えずただぼんやりと過ごしていました。心をむなしくする以外、このようなことに耐えられなかったのです。

 けれども川人の修法が始まってどれほど経った頃でしたか、良房どのが帝のもとに参上された折、わたくしは久しぶりに父良房どののお声を聞きました。いても立ってもいられず、わたくしは急いで良房どのに文をしたため、良房どのへの咒詛がおこなわれている噂があるとお知らせしました。良房どのはそれですべてを覚られたのでしょう、すぐに内裏への出仕を遠慮するむねのお申し出を帝に奏上し、染殿にお籠もりになりました。


 良房どのが典薬頭当麻鴨継てんやくのかみたいまのかもつぐを染殿にお呼びになったことは、内侍の話しを聞くまで知りませんでした。けれども帝は典薬頭が良房どのの指示に従っていたことをご存じだったと思います。今にして思えば、典薬頭が献上していた薬湯に毒が入っていたことも、ご存知だったのでしょう。

 帝はこの頃、すでに死を覚悟なさっておられました。いえ、真っ直ぐに死に向かわれておられたように思います。惟喬これたかどのに言い残したいことがあると仰せになられたのもこの頃のことでした。また真済しんぜいどのに頼みたいことがあるとも仰せでした。わたくしは真済どのに浄土へのお導きをご下命なさるものとばかり思っていました。

 以前はご自分のために薬湯を朝夕調製していた典薬頭に、時折ねぎらいのお言葉をかけておられたのですが、この頃はお顔をそむけておいででした。典薬頭も帝のお顔を仰ぐことなく、顔を伏せたまま、いつも早々に下がっていっていました。わたくしは薬湯の効き目がなかなか現れないことを典薬頭が恥じているのだと思っていたのです。それでも帝は薬湯をお止めになることはありませんでした。

 ご自害なさることはおできになれないので、ご病死に見せかけたご自害をお選びになられたのかもしれません。帝がお考えになられておられた使命をまっとうするため、典薬頭を利用されたのでしょう。それでも、典薬頭が良房どのの命によって帝に毒を盛っていたことは許し難いとお思いになり、ご復活ののち典薬頭一族へ罰をお与えになられたのです。

 わたくしは、帝が死後ご復活をされるおつもりでいらしたことは知っていました。お亡くなりになられた夜、わたくしの耳のそばで消え入るようなお声で、必ず戻ってくる、と仰せになられました。わたくしはそのお言葉を信じました。それで真済どのが帝ご復活の予言をしたときも、当然のこととして受け入れることができたのです。そしてその日を心待ちにしていました。帝をお待ちすることで、帝を失った悲しみに耐えることができたのです。

 けれども帝のご復活に先立ち、真済どのが大天狗おおてんぐとして復活しました。そして真済どのが染殿に現れた夜から、わたくしの心は体から離れ、どこか虚空こくう彷徨さまよい始めました。周囲は薄ぼんやりとした闇の中でしたが、おそらく染殿からそう遠く離れてはいなかったのでしょう。染殿にいる人々、あさましい自分自身の姿さえも、空のはるかな高みから見えていました。金剛山の聖人しょうにん、いえ、恒寂法親王こうじゃくほっしんのうどのが東北対とうほくのたいの座敷牢におもむき、大天狗と対決しているお姿も、そこからつぶさに見ていました。そして二度目の修法の闘いのさなか、真済しんぜいどのがわたくしの体から抜け出た瞬間、わたくしは真っ暗な闇の中に激しく落ちていくのを感じたのです。針で突いたほどの穴に吸い込まれ、息もできず、そのまま意識を失ってしまいました。けれども現実に引き戻される前、一度目覚めたように思います。帝のお声が耳に入ってきたのです。闇の中で、帝はどなたかにさとすように語りかけておられました。そして再びわたくしは深い眠りの中に落ちていったのです。

 目覚めたのちも、ぼんやりとした気分が続いていました。真済どのの復活も、真済どのがわたくしにりついたことも、夢の中での出来事のように思えました。

 周りの誰もわたくしには何も言わず、何もなかったかのように、わたくしはそのまま平穏な日常に戻りました。わたくし自身も誰かに真実を尋ねることが恐ろしかったのかもしれません。


 御陵ごりょうから炎が立ちあがった夜、良房どのは染殿にご滞在でした。夜空高く燃え上がる炎をご覧になって恐怖に震え、蒼ざめておいででした。譫言うわごとのように「帝が、帝が、」と仰せになり、すぐに都中の主だった寺や神社に使いを出し、帝の御霊をしずめる祈祷を始めさせました。また世に名高い陰陽師、賀茂峯雄かものみねおのもとにも人を遣わし、御陵から立ち上る炎を陰陽道の立場から探らせました。峯雄は娘を清和帝に入内させていましたので、良房どのにとって、ひそかに扱うには都合の良い行人ぎょうじんだったのです。

 数日後、峯雄は良房どのにこのように報告しました。

 「太政大臣様、この度の炎はまさしく、陰の世界から送り込まれたものでござりますな。陰の世界とは、陽の世界である天界に対する地界、泉下せんか、すなわち冥界めいかいのことであります。

 今、冥界に恐ろしい力が生まれようとしておるようでござりますよ。間違いなく文徳帝でござりましょうな。その帝を地上に導くものが火、つまりはあの炎ですな。炎は冥界から送り込まれたあやしの者、例の大天狗でござりますが、その者の手引きによって生じたものと思われますな。

 炎は地上に生まれ、地にもぐり、すでに地上と冥界を結ぶ架け橋となっておりまするよ。消すことができるかとの仰せでござりますか。それはできませぬよ。この世は天界と冥界との結び目のような場所でござりますゆえ、どちらに異変が起きてもこの世ではそれに対処することはできませぬ。陰陽の法で難を避けることはできるかもしれませぬが、起きてしまった異変をないことにすることはできませぬな。

 もしそれができるとすればただ一つ。世に優れた行者によって天界に、より以上の異変を起こすことでありましょうよ。天界の異変によって冥界の異変を消す。これしかありませぬな。しかしそのようなことのできる行者は今、空海が生きておればともかく、どこにもおりませぬよ。この行者になどとても無理なこと。もっともあと五十年ほどもすれば、陰陽師の中にもそれができるものが現れるようですがな。とても間に合いませぬな。

 そこで太政大臣様、いかがでござりますかな。どのみち駄目なものであれば、一つ賭け事をしてみませぬかな。うまくいけば、もしかすると、帝の御復活を止められるかもしれませぬよ。復活されれば、もうどなたも帝のお力に逆らうことはできぬでしょうからな。太政大臣様のお命も危うくなりますな。いや失礼ながら、太政大臣様のお命はないも同じですな。」

 良房どのは峯雄の言葉に心をかれたようでした。

 「賭けと申すか。いかなる賭けだ。申してみよ。」

 「かつて、平城上皇へいぜいじょうこうが皇位を嵯峨帝にお譲りになられたあと、上皇が重祚ちょうそを考えておられたことは、ご存知のとおりでありますな。しかしそれは失敗に終わりましたな。嵯峨帝はいち早く兵を旧都平城に送って平城上皇の動きを制した。これで薬子くすこは自ら死を選び、仲成なかなりは殺され、上皇は嵯峨帝に恭順きょうじゅんの姿勢を取った。これで薬子の変といわれた争乱は終わった、はずでしたな。ところが実は、平城上皇はあのままおとなしく余生を送るようなお方ではなかったのですな。ひそかに一振りのつるぎこしらえた。『安殿あてつるぎ』と呼ばれております剣がそれでござりますよ。

 剣は藤原式家に連なるひとりの刀鍛冶かたなかじによって、きたえに鍛えられた。つちを振り下ろすたびに剣に咒が籠められた。もちろん嵯峨帝に対する咒ですな。そこには平城上皇の恨みばかりでなく、式家出身の薬子や仲成の恨みも籠められた。もしかすると剣は薬子の遺言によって拵えられたのかもしれませぬな。それはともかく、その咒は凄まじいもので、嵯峨帝ばかりでなく帝の血脈に連なるすべての者に、その咒は向けられておると考えられておりまするよ。この剣を持って戦えば、敵対する嵯峨帝の血を引く者は全て狂い死にをする、と言われておりますな。嵯峨帝に連なる者たちには恐ろしく危険な咒物じゅぶつでありますよ。

 ところが平城上皇の死後、剣の行方がわからなくなりましたな。上皇の御遺品のなかにはなかったそうですな。嵯峨帝は手を尽くして探したそうですが、ついに見つからなかった。式家にゆかりの者が人目につかぬよう今なお所持しているとも、上皇とともに御陵ごりょうに密かに埋葬されたとも言われておりまするが、本当のところは誰も知りませぬ。上皇の御陵を暴くわけにはいきませぬからな。

 そこで賭けですな。この安殿あての剣を探し出し、この剣で文徳帝の御陵の石塔を断ち切る。安殿の剣は石をも切り裂きますゆえな。石塔が断ち切られれば同時に火の架け橋も断たれ、帝のご復活の道も断たれまする。それで太政大臣様のお命も救われますな。

 どうです、この行者にその役目を仰せつけてみてはいかがですかな。この行者に賭けてみても損はないと思いますがな。

 文徳帝はおそらく冥界にて、剣の在りをお知りになられたでしょうな。ならば帝のご復活より前に剣を探し出さねばなりませぬよ。すでに大天狗が在り処を見つけておるかもしれませぬが、そうなれば大天狗とこの行者の命懸けの闘いとなりますな。負けはいたしませぬよ。ほんの数十年前にもたらされた密教の修法ごときに、千年もの伝統のある陰陽道が負けるはずがありませぬ。」

 良房どのは、褒美ほうびは思いのままと仰せになって、峯雄に安殿あての剣の探索をお命じになりました。


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