最低な隣人の忠犬2
最低な隣人の忠犬の続きですが、そちらを読まなくても分かると思います。
あたしの家の隣人は最低な奴だ。
勉強もスポーツもなんでも簡単にこなし、人当たりも抜群に良いけれど、あたしに言わせれば本当に最低な奴。
何が最低って、まず目が笑っていない。人ににこやかに接しているのに目が全く笑っていないのは、ある種ホラーだと思う。誰のことも好きじゃないのに誰のことも好きだと思わせる手腕は、どこかの宗教のトップの人みたいだ。
あと女癖が相当に悪い。来る者拒まずなので、手当たり次第に手を出しまくっている。奴が女に恨まれないのは、ひとえにあたしの陰の努力のたまものだと思う。
奴の名は佐伯 祐介。あたしの家の隣に住む悪魔。
そしてあたしは八谷 鈴子。そんな最低な奴の犬をしている。
あたしは滅多なことじゃ口出ししたりしないけど、祐介の来る者拒まずの姿勢はもう少し直した方が良いと思う。
そのうち後ろから刺されるんじゃなかと危惧している。思うだけで言わないけど。
だってあたしは祐介の忠犬であって、親友や恋人ではないんだから。
「忠犬はご主人様の後ろを付いて回るもの、ってね」
そんな最低なご主人様は、犬を見張りに立てて今は美人養護教諭を誑し込んで得た権利を使って保健室でいちゃこらしている。もちろん、あはんうふんな意味で。
人が来ないように見張るのがあたしの役目。人の睦言に聞き耳を立てる趣味はないので、カバンからヘッドホンを取り出して装着した。
いくら見張りを立てているからといって、声は落とした方がいい。ここはあくまで神聖な学校であってラブホじゃない。
祐介はきっと見つかっても構わないと思っているのかもしれないけれど、あたしは忠犬なのでご主人様の分が悪くなることはさせられない。
ただ待つだけはつまらないので、参考書を取り出して勉学に励む。あたしは祐介と違って出来が悪いので、貴重な空き時間に勉強しておかないと、あっという間に置いてけぼりになってしまうのだ。
「祐介いる?」
参考書を広げて勉強に励むあたしに近付いてきたのは、先日まで祐介の彼女だった同級生。シャープな顔つきの涼やかな目元が印象的な可愛い系とは違う綺麗系の猫のような子だ。
「いるけど、後にした方がいいよ。お取込み中だから」
ちらっと誰が来たのか確認しただけで、後は参考書に目線を戻す。
できればいたしている最中に乱入とかやめてもらいたい。動きがあるなら止めるつもりだったが、牙を剥いてまで威嚇する必要はないと思う。あたしは駄犬になるつもりはないのだ。
「あんたは平気なの!?」
何が、とは聞かない。何を言われているのか分からないほどバカじゃないし、カマトトぶるのも嫌だった。
「いや、もう何度目になるか分かんないしね。始めはさすがに照れたけど」
でも分かっていて的を射ていない返答をするあたしは性格が悪いのだろうか。悪いんだろう。今更矯正もきかないのでなおす気もないけれど。
「話を逸らさないで!」
怒った彼女が手を伸ばしてくる。ヘッドホンが飛んで、頬を掠めた爪が目の前を横切った。ちくりと痛みを訴えかける頬に、爪って凶器になるんだなとぼんやりと思う。
「犬だなんて言って、恋愛感情を表に出さなければ祐介の傍にいられるものね。あんたズルイのよ」
言いたいことは分かる。けど、あたしが祐介に向けるものは恋だ愛だなんて甘やかなものじゃないのだ。人を信用できずに「外面の良さ」という見えない鎧を着こんで脱ぐことができない隣人をただ守りたいだけ。そう思うこの感情に名前の付けようがないから、こういうときの説明に困る。
「犬になる覚悟もないくせに」
ふうっと溜め息をついて相手を見る。
「何よ」
少しだけ相手がたじろぐのが分かる。
今は牙を剥くときだろうか。
むやみに人と争いたくはなかった。
「あんたとあたしじゃ求めるものが違うの。あんたが求めてるのは祐介の愛情。あたしが求めているのは祐介の安息。あたしはただの犬じゃなくて祐介の忠犬なの。祐介の心が平穏になるためならあたしは何だってするし、祐介が誰と何をしようが何とも思わないのよ」
彼女は分かっていない。
祐介がこうしてあたしを見張りに付けることの意味を。
祐介はあたしの忠誠心を試している。どこまで付いてこられるのか。どこまですれば離れるのか。離れたら、もう二度と祐介は誰かを信用することはできないだろう。
あたしという忠犬が証明となる。
何をしても離れないやつもいるのだと。
「これはあんたが遊びでやってる恋や愛のゲームじゃないの。あたしは自分の人生を賭けてあいつの傍に付き従うって決めてるの。その覚悟もないくせに、人を犬だとバカにしてんじゃないわよ」
出した声は、自分でも怒りを抑えた犬の唸り声のように聞こえた。本物の犬だったら「少しでも動いたらその喉元に噛み付いてやる」そんな威嚇の声だった。
あたしの威嚇に相手は肩をビクッとさせて引き下がる。
「祐介は止めておいた方がいい。いつまでも執着したって良いことなんて一つもないから。これは同級生としての忠告。歴代の彼女達の中ではあんたのこと気に入ってるんだ。だから醜い嫉妬心を晒してあたしを幻滅させないで」
綺麗な彼女。
好戦的なその性格も、しなやかな野生の猫のようで好きだった。祐介に惚れているところはマイナスポイントだけど。
彼女が去って数分後、新しいお相手の女の子を置いて祐介が出てきた。何事もなかったかのように平然とした顔をして、服装の乱れもない。
「おまたせ」
あたしがそれに顔を赤らめたのも最初の数回の事。今では慣れ切ってしまって、今回はちょっと長かったなという感想を抱くのみ。
「鈴子。お前、頬が」
祐介の指が頬に触れる。触れたことでまたちくりと痛みが走った。
「あぁ、これ? ちょっと発情した猫に引っ掻かれちゃって。平気。大したことないから」
カバンに参考書をしまうあたしの頬に祐介の顔が近付く。
ペロリと生暖かい感触が通り過ぎた。一度だけでなく、二度、三度と。
「うわ、汚いっ。バイキンが入ったらどうするんだよ。人の口って結構汚いんだよ!?」
ゴシゴシと拭き取るあたしの額を祐介が小突く。
「俺を汚いと言うのはお前くらいだよ」
祐介があたしのカバンを持って先へ歩いていく。こういうときの帰りは祐介があたしの荷物を持って帰るのが常だった。
「傷口を舐めるって、あんたは犬か」
「犬はお前だろ。一生俺に付き従う、俺だけの犬なんだろ?」
部屋の中で聞いていたのだろう。
祐介が確認を取るように聞いてきた。答えは分かり切ったものなのに。
「そうだよ。あたしは祐介の犬。一生ね」
あっちに行けと言われても、バカみたいに尻尾を振って付いていく。
あたしは犬。
最低な隣人の忠犬。
この二人はあまり話が長くならない・・・。