クリス様、駅前に立つ
テルマエ・ロマエっぽい展開
「クリス様! クリス様!」
宮殿警護の巡回中だったカンパレア王国の筆頭騎士、クリスティーナは呼ばれて振り返った。慌てた表情の男が駆け寄ってきた。男は彼女に追いつくと、ぜえぜえと息を切らしながら言った。
「ああ、よかった。騎士団長殿を探したのですが見つからなかったもので……」
「父上は王と軍議中だ。一体どうしたというのだ? そんなに血相を変えて」
「いえ、ひとつ問題が発覚いたしまして、至急ご報告をと思ったのですが……」
その男――厩舎長ディアンは、額の汗を拭きながら困った表情をした。それを見て、クリスティーナは言った。
「私でよければ話を聞こう。後で父上に取り次いでおく」
ディアンは「ああよかった」とほっとした様子で、クリスティーナを騎士団の厩舎へ案内した。
宮殿の外郭にあるカンパレア王国騎士団の厩舎はがらんとしていた。それを見てクリスティーナは驚いた。
「これは? 馬がほとんどおらんようだが……?」
ディアンは汗を拭いながら答えた。
「ご覧の通りです。実は、今ここには緊急連絡用の馬が二頭いるだけでして……」
「なんと! それはどういうことか!? 騎士団の馬はどこへ行ったのだ?」
「実は、クリス様がオーガ討伐に出られている間に、西方の町で魔物たちの大規模な攻勢があったのです。それを鎮圧するために、第二騎士団が半数の馬を持ち出しまして……」
「うむ、第二騎士団の件は聞いておる。しかし、それでもまだ半数は残っておるはずだ」
「ええ、ですが、それはほとんど王都周辺の警戒に出ております。それでも馬が足りず、中には東の見張り塔まで毎日徒歩で通っている者も……」
王都から東の塔までは四里ほど離れていた。クリスティーナはそれを聞いて目を丸くした。
「なんと、東の塔まで毎日徒歩でか!? そこまで馬が足りておらぬのか……!」
「はい。それで、なんとかできないものかとご相談したかった次第でして」
「分かった。父上に伝えておこう。しかし、これは簡単に解決できる問題ではないな……」
「……これは私の腹案なのですが、いっそ民の持つ馬を徴収してはいかがかと存じます」
それを聞き、クリスティーナは考え込んだ。しかし、すぐにそれに答えた。
「……それはならんな。民の馬は生活に欠かせないものだ。それを徴収しては民の暮らしが立ち行かなくなる。王もお許しにはならんであろう……」
「は! 迂闊なことを申しました。申し訳ありませぬ」
ディアンは頭を下げた。クリスティーナはがらがらになった厩舎を見渡しながら、なおも考え続けていた。
「しかし、これをすぐになんとかすることは難しいな。何か馬の代わりのものでもおれば良いのだが……」
「……代わり、でございますか?」
「ん? 言ってみただけだ。気にするな。魔物の中には龍や獣を乗りこなすものもいると聞いておるからな。馬以外に乗れるものがないかと、ふと思っただけだ」
クリスティーナはディアンの顔を見ながら、にやりと笑った。それを見たディアンの顔がすこし赤らんだ。
「では、この件、ぜひとも騎士団長殿にお伝えください」
「うむ、しかと伝えよう。父上ならきっと良い案をお持ちのはずだ」
二人は話しながら厩舎を出ようとした。その時――
――ヒヒヒーーーーン!
突然耳元で聞こえた鳴き声に驚いたクリスティーナが振り向くと、目の前に馬の姿があった。その馬の上に乗っていた兵士は、市中見回りから帰ってきたところだった。彼が厩舎に入ろうとしたところ、突然その中から出てきたクリスティーナの姿に驚き慌て、そして思わず手綱を引いたのだ。馬はそれに驚いて高々と前足を上げた。
その馬の蹄の先がクリスティーナの頭を強く打ちつけ、そして彼女は気を失った――
――雑踏と車が走る音が聞こえていた。
気が付くと、彼女は駅前のバス停の前に立っていた。いや、もちろん彼女はそこが駅前だとも、目の前にあるものがバス停だとも認識していなかったが――
「はて? ここは? 厩舎にいたはずだが……」
クリスティーナは呆気にとられて辺りを見渡した。そこは、通勤や通学途中の人で溢れていた。
「ずいぶん人が集まっているな……祭りだろうか?」
その時、ふとクリスティーナは鼻につく異臭に気付いて咳き込んだ。
「な、なんだこの臭いは!?
焦げ臭いような、どこかで何か妙なものを燃やしているような臭いがたちこめておる! 祭りの催し物で煙を焚いておるのか?」
クリスティーナはその煙――排気ガスで涙目になりながら、手で鼻と口を覆った。そして、改めて辺りを見渡した。よく見ると、人々はみな一様に黒っぽい服――ビジネススーツや学生服など――を身につけていた。まるで見たことの無い形状の服を見て、彼女は首を傾げた。
「なんと不思議な格好か。あの服、ローブでも鎧でもない……。
カンパレアでもあのような格好をする者は見たことが無いな……。あれがこの祭りの装束であろうか?」
ふと見ると、自身もそれに似た服を着ていることに気付いた。紺色のブレザーに、やや短めのチェックのスカート。ブレザーの胸元には白い糸で校章の刺繍がほどこしてあり、それはカンパレア王国騎士団の紋章を髣髴とさせた。――はて、このような服が騎士団にあったろうか? と彼女は首を傾げた。
もう一度辺りをよく見渡すと、周りに立ち並ぶ建物は一見石造りの様であるが、これまで見たことのない建築様式だった。中には巨大な一枚硝子がいくつもはめ込まれたものもあり、それは彼女をひどく驚かせた。また、それら建物には不思議な文字で書かれた看板が掲げられたものもあった。そういった異国情緒溢れる町を行き交う人々は、カンパレアの人間より小柄であるように感じた。
「どうやら高度な文化を形成しているようだな。
高い文明を持つ小柄な種族……。もしや、ホビット族というものたちだろうか?
しかし、何故私はホビットの祭りの中に立っておるのだ……?」
もしや、いつの間にかカンパレアとは違う場所移動してしまったのだろうか、と彼女は思った。
――その時、突然目の前に壁が現れた。クリスティーナは驚いて、思わず飛びのいた。
「プシュー」という音と共に、その壁に穴が開いた。
彼女は唖然としてその様子を見守った。穴の中には空間が広がっており、いくつか椅子があるように見えた。クリスティーナが呆気にとられていると、背後から男の声がした。
「ちょっと、お嬢ちゃん。乗らないの?」
その声に驚いて、彼女は振り返った。サラリーマン風の壮齢の男性が立っていた。ぽかんと口を開けたまま立ち尽くすクリスティーナを見て、男は「乗らないのかな?」と確認し、そのまま彼女の横をすり抜けて穴の中へ入っていった。その後に続いて、人々がぞろぞろと列をなしてその穴の中へ入っていった。
暫しの間を置いて、またも「プシュー」という音がし、その穴が閉じられ、壁がゆっくりと動き出した。
見ると、壁と思っていたそれは大きな箱状の乗り物だった。その車体には『市内巡回バス』と書かれていたが、彼女には当然それを読むことはできなかった。箱状の乗り物にも驚いたクリスティーナだったが、それよりも先ほどの男の話していた言語の方に対する驚きが強かった。
「今の男が話していたのは異言語だった……! やはりここはカンパレアではない!」
今まで聞いたことも無い謎の言語――日本語で話しかけられたことに、彼女はうろたえていた。
「一体いつの間にこのような場所に来てしまったのだ?
馬に蹴られたところまではぼんやりと覚えているのだが……!」
クリスティーナは立ったまま考え込んだ。その間にも、何度か彼女の目の前に大きな箱が現れ、そして多くの人々を乗せて彼らを運び去った。
その時、彼女は目の前を黒い影が横切るのを見た。右から左へ、それは瞬く間に目の前を横切ったので彼女は思わず目を見開いた。慌ててその影の背中を目で追うと、それは何かにまたがった人のようであった。それは街中を歩く人々の数倍の速度で走り、その背中はどんどん遠ざかっていった。
「なんだ、あれは……? 」
銀色に輝く物体にまたがり、風のように駆け抜けていくその背中を、クリスティーナは瞬きをするのも忘れてじっと見ていた。ふと気付くと、他にもその物体に乗っている者がちらほらと見られた。それはひとつひとつ色が異なり、黒色で鈍く輝いている物もあれば、鮮やかな赤で塗られている物もあった。しかし、どの色の物体でも一様にその形状は同じであり、細い棒を三、四本組み合わせたような体に二つの黒っぽい車輪が付いていた。彼女はその物体に興味を持った。
ふと右を見やると、道沿いにずらっと並べられた物体が目に入った。最初、それは祭りの装飾の類だと思っていた彼女だったが、少し近づいてよく見ると整然と並べられたそれは、あの物体――自転車であった。
「これか、さっきから皆が乗っている物は……。これは一体何だ?」
彼女は吸い寄せられるようにそのうちの一台に歩み寄った。車体を構成する棒に手で触れてみるとひんやりと冷たく、それが金属であると分かった。車輪はまるでトカゲの皮のような不思議な素材でできており、指でぐっと押すとそれは力強く跳ね返された。彼女はその自転車の傍らにしゃがみこんだ。周りでは学校や会社に向かう人々が次々と各自の自転車にまたがって走り去り、彼女は彼らがそれを操作する様を観察しながら目の前に置かれている自転車をしげしげと眺めた。
「なるほど、ここに座るのだな……。そしてその体重を支える棒が真下に伸び、それに連結する棒がそれぞれ前後の車輪へと繋がる。ふむ、この構造は興味深い。このくるくる回るところに足を乗せて、その力を金属製の鎖で後輪に繋げる仕組みか……。」
しゃがんだまま自転車のペダルを手でからからと回しながら、彼女は自転車の仕組みを分析した。そして興味深そうに一人うなずいた。
「しかし、こんな車輪が二つしかない乗り物がどうして倒れずに走れるのだろうか?
そういう魔法が掛けられているとも思えぬ。一度乗って試してみたいところだな……」
そう思い立ち、その自転車にまたがろうとしたとき、背後から声がした。
「あ……! その自転車、俺の……」
クリスティーナがその声に気付いて振り向くと、そこには黒い服を着た少年が立っていた。少年の顔はまだあどけなく、年のころは十二、三に見えた。黒い服に金色のボタンがいくつか光っていた。
中学校に入りたてのその少年は、自分の自転車にまたがろうとしている彼女を目の当たりにして戸惑っていた。クリスティーナはその様子を見て、この自転車がその少年の持ち物なのだと気付いた。
「すまない。つい興味をそそられたのだ。許してくれ……」
クリスティーナは頭を下げ、その自転車を少年に返した。少年はその言葉を聞いて非常に驚いた様子で、おずおずと歩み寄って上目づかいで彼女を見た。そして、「せ、センキューベリーマッチ……」と呟くと、あたふたと慌てた様子で自転車に乗り、その場から勢いよく走り出した。
その背中を見ながら、クリスティーナは唇に人差し指を当てて考えた。
「ふむ、この乗り物は一人一人に割り当てられておるのだな。ならば、勝手に乗り回すわけにもいかんか……。」
――その時、少年が走り去った先から、がしゃん! と大きな音がした。
見やると、そこには先ほどの少年と自転車が倒れていた。その周りを、少年より一回り体の大きな五人の少年たちが取り囲んでいた。倒れた自転車の車輪がからからと乾いた音をたてて回る中、少年たちの一人が怒声を上げた。
「おら、てめえ、どこ見て走ってんだよ! どこ中だお前?」
どうやら自転車の少年は、その少年たちの一団とぶつかってしまったようだった。その少年の一団は全員黒い服のボタンを外しており、その内側から赤や青といった鮮やかな色のシャツが見えていた。自転車と衝突した少年が、その接触したと思われる腕を軽くさすりながら言った。
「いてーじゃねーかよ、オイ。何ぶつかってくれちゃってんのお前?」
その脇にいた少年も続けざまに口を開いた。
「ケンジがぶつかっちまっただろうが。骨とか折れてたらどうすんだコラ!」
「ご、ごめんなさぃ……」
蚊の鳴くような声で自転車の少年が詫びの言葉を口にした。その目には涙が浮かんでいた。
「は!? 聞こえねえよ、あぁああん!?」
そう言って、少年の一人が倒れた自転車を激しく蹴飛ばした。
「こいつ、気にいらねえよ。やっちまおうぜ!」と叫ぶ声がした。
クリスティーナはその様子を遠目に見つめていた。そのうち、少年たちは自転車の少年を羽交い絞めにし、全員交互にその顔や腹を殴るなどの暴行を始めた。
「どうやら揉め事のようだな。しかし、五人がかりで一人を……なんと卑怯な……!」
騎士道精神に反する彼らの行為を見咎め、彼女はつかつかと彼らの元へと歩み寄った。
「RAEMYOH! AK-IZAKSHUIAK-OKOHT-UKOMAK-IRIOHT!?
(訳:止めろ! 大の男が大勢で一人を囲んで、恥ずかしくはないのか!?)」
背後から突然聞こえたカンパレア語――といっても彼らはそれが何語かすら分からなかったが――に驚き、少年たちは振り返った。そこには、一人の女子高生が憤慨した様子で立っていた。少年たちは奇妙なものを見るような目つきで彼女を見て、そして顔を見合わせ口々に言った。
「は? 何だよこの女」
「つか、英語? 外人か?」
「でも、どうみても日本人っぽくね?」
「いや、ハーフとか、帰国子女とかいうやつかもしれねーぞ」
「コラ外人女! 関係ねーだろ、すっこんでろよ!」
少年たちの一人が彼女を睨みながら歩み寄った。一方で、他の四人は依然として自転車の少年を痛め続けていた。それを見て、クリスティーナはさらに叫んだ。
「AKEAMIANY! AD-EIKUM-UAROAS-INAJOA-HOBIT!
(訳:やめないか! 同じホビット族同士で争うことなど無益だ!)」
「……何言ってるか分かんねえよ」
そう呟いて、少年はクリスティーナの胸ぐらを掴んだ。彼女は即座にそれを振りほどき、そしてすかさずその顔面に右の拳を叩き込んだ。不意に鼻先を殴られた少年は、思わずよろめいた。それを見た他の少年たちは、彼女を取り押さえようと掴みかかった。
「AN-IBEUR!(無礼な!)」
と叫び、彼女は少年たちを次々と投げ飛ばした。そして、凛として立ち、名乗った。
「私を誰だと思っている!? 私はカンパレア王国の筆頭騎士、クリスティーナであるぞ!」
当然、これはカンパレア語で語られているので、少年たちは彼女が何を喋っているのか皆目見当もつかなかった。しかし、その雰囲気から彼女の激しい怒りの感情だけは伝わった。
「な、なんだよこの女。ふざけやがって!」
「調子乗ってんじゃねえ!」
口々に怒りの言葉を叫び、少年たちがさらに飛び掛ってきた。しかし、クリスティーナはそれを華麗にかわし、少年たちが飛び掛るたびにその拳でカウンターを見舞った。それでも彼らは次々と襲い掛かってきたが、誰も彼女の身体に触れることもできずに翻弄され続けた。
だが、やはり多勢に無勢。たった一人で五人を相手にし、クリスティーナは息も切れ切れになっていた。
「おかしい、大して動いてもいないのに息が切れるとは……。
身体のキレもいつもより良くない。先ほどからこの男たちの急所を何度か突いておるが、あまり効いておらぬようだ……」
その時、ふと彼女は道の脇に金属の棒が突き出ていることに気付いた。その白い棒の先端には、なにやら板状のものが付いており、その長さと太さは、彼女がよく模擬戦で用いる鉄杖を連想させた。
「ふむ、あれを使ってみるか……」
そしてクリスティーナはその棒に歩み寄り、それをぐっと握った。意外にもその棒はかなり強く地面に固定されていたが、彼女は歯を食いしばってそれを一気に引き抜いた。その様子を、少年たちは唖然として見ていた。そして、その引き抜いた棒を、彼女は鉄杖を扱うときの要領でくるくると振り回した。
「少し軽いな……しかし、やはり思ったとおり使い勝手が良い」
彼女はその棒を両手に持ち、構えをとった。そして叫んだ。
「AHS-IOKTAEAKT。MOD-UREGO!!
(さあ、かかってこい。下郎ども!!)」
少年たちはその様子を見て顔を見合わせた。
「ちょ、やべえって、この女!」
「に、逃げようぜ……相手にしてらんねーよ、こんなの……」
彼らはそう口々に言い、怯えた様子で逃走した。その背中を見て、クリスティーナはふふん、と笑みを浮かべてカンパレア語で言った。
「ふん、恐れをなしたか。男のくせに情けない!」
その時、不意に彼女の視界がぼやけた――目の前が暗くなった――――
――「クリス様! クリス様!」
暗闇の中から呼ぶ声に、はっと気付いてクリスティーナは目を開けた。
厩舎長ディアンと、兵士の顔があった。ずきずきと痛む頭を押さえ、クリスティーナは起き上がった。
「ああ、気付かれましたか、クリス様! 馬に蹴られたときはどうなることかと!」
心配そうにディアンが呼びかけた。
「誠に申し訳ございません! 私が迂闊でした!」
兵士が深々と頭を下げた。クリスティーナは頭を押さえながらも兵士に片手を上げて答えた。
「……よい。誰にでも失敗はあるものだ……。それより、すぐに紙とペンを持ってまいれ」
兵士はきょとんとした顔で答えた。
「……は?」
「早く持ってまいれ! 忘れぬうちに書き留めねばならないことがある!」
「は、はい!」
鬼気迫る様子のクリスティーナに気圧され、兵士は慌てて紙とペンを取りに走った。不安げな表情で見守るディアンに、クリスティーナは笑顔で言った。
「喜べ、厩舎長。この問題、解決できるぞ!!」――
――雑踏と車が走る音の中。
「……美奈?」
女子高生、来須美奈は呼ぶ声に気付いて振り返った。そこには同じ学校に通う友人の姿があった。彼女はまだ眠気でぼんやりしながら挨拶をした。
「あ、おはよー、沙希ちゃん」
その友人――沙希は驚いた表情で美奈の手に持っているものを指差した。
「そ、それ、何?」
「……え?」
見ると、美奈はいつの間にかその右手に白い金属の棒を握っていることに気付いた。
その長い棒の先端には、『止まれ』と書かれた赤い三角形の標識があった。
「……えっ! 何これ!?」
美奈は、何故か手にしていた標識を見てうろたえた。唖然とする友人と、その右手に持っている標識を何度も見比べ、また、周りを行き交う人々からの奇異に満ちた目に気付いた。
美奈はあたふたとその標識を元あったと思われる場所――道路の脇にぽっかりと空いた穴に差し込んだ。そして、一刻も早くこの場所から逃げ出そうと、冷や汗をかきながら友人の手を取って走り出した。
――――――
「いやはや、クリス様の発想には驚かされましたな!」
カンパレア王国の兵士訓練場の脇で、ヘモドロスはクリスティーナを褒め称えた。
訓練場の広場では、兵士たちが傷だらけになりながら、木製の乗り物を乗りこなすための訓練を行っていた。クリスティーナがホビットの町で見たものを書き出し、それを参考に技師に作らせたその乗り物は、木製の車体に木の車輪を二つ取り付け、その後輪は鋼鉄の鎖でペダルと連結されていた――いわば木製の自転車とでも言うべきものであった。それを乗りこなすにはある程度の訓練期間を要したが、新たに馬を調達する手間に比べれば、なんということもない時間だった。
「しかし、このような機械仕掛けの木馬など、どうやって思いつかれたのですかな?」
ヘモドロスの問いに、クリスティーナは鼻をぽりぽりと掻きながら答えた。
「それが、自分でもよく分からんのだ。ホビットの知恵、とでも言っておこう……」
「ほほぅ、ホビット族でありますか。しかし、それをこの馬不足解決の策として提案するとは、やはり素晴らしい発想でございます。このヘモドロス、感服いたしましたぞ。――おお! また一人乗りこなすことに成功した兵士が!」
ヘモドロスが指差す先では、苦闘の果てに自転車を乗りこなせるようになった兵士が歓喜の叫びを上げていた。
「しかし、クリス様、一体いつの間にホビット族の知恵に精通を?」
「……それは、まあ、馬に蹴られたときだな」
「……は?」
呆気にとられるヘモドロスをよそに、クリスティーナは考えていた。
――あのような不思議な体験、話しても誰も信じてはくれまい。恐らくは知恵の女神ミネルウァのお導きだったのだろうな……
そして、彼女は目を閉じて静かに微笑んだ。その横でヘモドロスは「……馬?」と呟いて首を傾げた。
前回までとは逆パターンで書いてみました。
カンパレア語はかなりテキトーです。




