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美奈、草原に立つ

 『2年6組 来須(くるす) 美奈(みな)


 名前だけ書き込んだ数学のテスト用紙。その前で美奈は唸っていた。

 ――『問1 異なる3つの実数a、b、cがある。abc=27であり、a、b、cの順で等比数列であるとき、a、c、bの順で等差数列であれば――』


 頭の中で問題を読み上げた美奈は、昨晩、テスト勉強もせずに寝てしまったことを後悔した。

 ――ヤバイ、まるで意味が分からない……。等比数列ってなんだったっけ……?

 頭の中がくらくらし、美奈はひとまず問1を諦めて問2に目を移した。


 ――『問2 xy平面において、点Pn(n=1,2,3…)は放物線y=x^2上にあり、直線Pn・Pn+1の傾きが――』


 まるで呪文。美奈はさらに問3、問4と問題を読み進めていったが、そのピンク色のシャープペンシルを持った手は凍りついたように動かなかった。

 ――どうしよう……何もわからない……

 美奈は数学が大の苦手であった。故に、今日のテストもどうせ高得点は無理だろう、とはな(・・)から諦めてかかっており、昨晩は教科書を開くことなく床に就いた。しかし、それでもまだ50点は取れるだろうという自信はあった。前回の中間テストでも勉強せずに挑んだが、なんとか60点は取れていたからだ。だが、今回の期末テストの数学の問題は、そんな美奈の予想を遥かに上回る内容であった。

 ふと周りを見ると、美奈以外のクラスメートは机にしがみつくようにひたすら解答を書き込み続けていた。シャープペンの先がテスト用紙の上を走る音がやけに大きく聞こえた。

 ――とにかく、分かるところだけでも書いておこう。

 そう思い、美奈は再度問1から読み始めた。実数、a、b、c……等差数列……等比数列……。まるで異言語の呪文のように、美奈の頭の中を数学用語がぐるぐると回った。解法を授業で習ったような気がしたが、どうしても思い出せなかった。いつしか、美奈はその視界がぼんやりと霞んでいくように感じた。

 はっ、と我に帰り、美奈は目頭を押さえた。美奈は眠りかけていた。

 ――危ない危ない。なんとか答案を埋めないと……えー、積が27だから…………

 しかし、考えれば考えるほど、その思考がぼやけてきた。またもその視界に霞がかかり、美奈はシャープペンシルを手に持ったまま、うつらうつらと船を漕ぎ始めた――


 ――「……しください。……目をお覚ましくだ……」


 耳元で呼ぶ声がした。美奈ははっ、と目を開けた。


 ――青空。


 目を開けた美奈の瞳に飛び込んできたもの。それは青空だった。

 ――あれ? テストは? ……青空?

 美奈は夢心地のまま、その青空を見つめていた。白い雲がゆっくりと右から左へ流れていた。


 「目をお覚ましください!」


 耳元ではっきりと呼ぶ声が聞こえ、美奈は我に帰った。

 思わず飛び起きた。すると、目の前には果てしなく広がる緑――草原が広がっていた。美奈はその中で眠っていたのだ。

 ――え? テストは!? 等比数列は!?

 そんなものはもうどこにも無かった。辺り一面に草原が広がっており、遠くには黒い森や赤い山々が見えた。風が彼女の身体にゆっくりとそよいだ。

 彼女はふと身体に感じる風に違和感を感じ、その視線を自分の身体に下ろした。そこには、彼女のへそ(・・)があった。何かの例えではなく、まさにへそ(・・)そのものである。彼女は自分のへそが視界に入ったことに戸惑い、あたふたと自身の身体をまさぐった。首にはなにやらじゃらじゃらとした装飾品。肩には甲冑。胸にも金属製の甲冑――とはいえ、その胸元はなぜか大きく開いており、まるで甲冑とは呼べないような代物だった。そして、腹部には何も装着しておらず、腰にはまた甲冑を纏っていた。だが、腰の甲冑もまた足の付け根までしか無いような小ささで、そこから膝上まではまた何も纏っておらず、膝から下には金属製のブーツを装着していた。まるで、ゲームの中の、やたら肌の露出の多い女戦士のような格好――というか、そのものだった。


 ――えっ!? ちょっと、制服は? 何であたし、こんな格好してるの?


 胸元と腰と太股(ふともも)が露出したその服装に戸惑いを感じ、美奈は思わずその胸元を手で隠した。すると、耳元からまた声がした。


 「おお、クリス様! 目を覚まされましたか!?」


 美奈が振り向くと、そこには灰色のローブをまとった老人が心配そうに美奈を見つめていた。美奈がきょとん、とした顔で老人を見ると、老人は安堵した様子で、申し訳無さそうな顔をして続けた。


 「ああ、良かった。マタンゴの胞子を受けたときはどうなるものかと……私がもう少し早く気付くべきだったのですが……」


 「え、あの、誰……ですか?」

 美奈は胸元を隠し、ゆっくり後ずさりながら、見知らぬ老人に問いかけた。すると老人はまた心配そうな表情をして答えた。

 「クリス様! 私です。お付きのヘモドロスでございます」

 「へ、ヘモド…ス……?」

 「ああ、いけない。まだ混乱しておいでの様ですな。いまレグルスめが薬草を取りに行ってますので、それまでご辛抱を……」


 ――レグルス……誰だろう? というか、ここはどこなんだろう……? 学校、じゃないよね。まるで見たことの無い場所……


 美奈は不安げに辺りを見渡した。そこにはやはり一面の平原と青空が広がっており、傍らにはヘモドロスと名乗る老人が心配そうな表情で平原の様子を見守っていた。

 「おお、レグルスめが戻ってきましたぞ!」

 老人が平原の彼方を見ながら声を上げた。美奈もそちらを見やると、その中に人影が動いたことに気付いた。

 「レグルス! クリス様がお目覚めになられたぞー!」

 老人は草原の人影に叫んだ。すると、

 「おお、クリス様! ご無事でなによりー!」と人影から声が響いた。

 

 程なくして、その男――レグルスは彼らの元に辿り着いた。

 「クリス様、薬草を取ってまいりました。早速これを……」

 レグルスはその手に持っていた土まみれの草を老人に手渡した。


 ――外人?


 彼を見た瞬間、美奈はそう心の中で呟いた。彼の目は青色で、ブロンドの髪をなびかせていた。そして彼は皮製の鎧を身につけ、その背には大きな弓と矢を背負っていた。その姿を見て、美奈は世界史の時間に教科書で見た古代ローマの石像を思い出していた。

 「さあ、これでよく効く薬を作りますので、暫しお待ちくだされ」

 老人はレグルスから受け取った草を片手に美奈に語りかけ、傍らに置かれた大きな麻袋の中からすり鉢を取り出して、その草をごりごりとすり始めた。

 レグルスが、笑顔で美奈に語りかけた。

 「クリス様、本当に心配いたしました。ずいぶん長いこと気を失っておられましたので……」


 美奈は慌ててレグルスに言った。

 「え、ちょ、ちょっと待って下さい! なんか、人違い、じゃないですか? あたし、クリス様って人じゃないです!!」

 すると、レグルスはきょとん、とした顔をし、そして笑い出した。

 「どうされたのですか、クリス様。そんな冗談を言うなんて、らしくありませんな」

 すると、老人がレグルスを諭した。

 「いや、待たれよレグルス。クリス様はまだ魔物の毒で混乱しておいでなのだ」

 レグルスはそれを聞いて、はっ、とした様子で、申し訳無さそうに美奈を見た。

 「さ、左様でございましたか。お許しくださいクリス様……」


 「いや、だから、クリス様じゃないってば! あたしは来須(くるす)! 来須 美奈っていうの!」

 それを聞き、二人は驚いた様子で顔を見合わせた。

 「これは、まずいな。ヘモドロス殿、早く薬を……!」

 「わかっておる! しかし、気丈なクリス様がここまで取り乱されるとは……!」


 ――ああ、どうしよう。なんか変なトコに来ちゃった感じだよ……。学校はどこだろ……? 今日中に家に帰れるのかな……?

 不安のあまり、美奈は身震いした。まあ、その露出の多い服のせいもあったのだが。

 それを見て、レグルスがそっと近づいてきた。彼はゆっくりと語りだした。


 「どうぞ、お気を確かに、クリス様。貴方様は我らがカンパレア王国騎士団の筆頭騎士という立場であらせられます。貴方様がしっかりして頂かねば、オーガ討伐の任を果たすこともままなりませぬ」


 ――え、ちょっと、この外人、何か変なこと言い出したんですけど……? あたし、クリス様じゃないって言ってるのに……


 混乱する美奈をよそに、なおもレグルスは話を続けた。"クリス様"の父親が代々王国の騎士団長を務めてきたことや、王国の各土地を襲う魔物たちのこと、そして、今回オーガと呼ばれる魔物を倒すために"クリス様"が自ら討伐の名乗りを上げたこと――さらに、レグルスは"クリス様"こそ王国最強の剣士であり、心から尊敬していると語った。レグルスの頬が少し赤らんだ。

 しかし、それは当然美奈にはまるで関係の無い話であり、彼女は途中からうわのそらで空や山を見つめていた。それに気付いたのか、レグルスは深く溜息をついた。


 そこに、老人がすり鉢を持って歩み寄った。

 「さあ、薬が出来ましたぞ。クリス様、どうぞこれをお飲み下され――」

 美奈はすり鉢を手渡された。中には、ねっとりとした、どす黒い、得体の知れないものが入っていた。


 ――え? これ、何? こんなの飲むの?


 美奈は躊躇した。それを見たレグルスが、すかさずそのすり鉢を奪い取って老人に手渡した。

 「ヘモドロス殿、これをクリス様に飲ませてくだされ! クリス様、どうぞご無礼をお許しください!」

 そう言って、レグルスは突然美奈の身体を抑えつけた。それを見るやいなや、老人がすり鉢の中身を美奈の口へと流し込んだ。美奈の口の中に、不快な生臭さと強烈な苦味が広がった――




 「に、(にが)ーーーーー!!!!」


 思わず大声を出して、美奈は椅子から立ち上がった。


 ――そこは、教室だった。


 突然大声を出して立ち上がった美奈に、クラス中の生徒の視線が集まった。

 「え、教室……?」

 美奈は思わず自分の身体をまさぐった。いつもどおりの制服姿だった。


 「どうした、来須? お腹でも痛いのか?」

 試験監督の教師が心配そうに声を掛けた。

 「い、いえ、何でもないです。すいません」

 美奈は、状況を理解して着席した。教室のあちこちからクスクス、と笑い声が漏れた。

 それをかき消す様に、「あと30分だぞー」と教師が生徒たちに声を掛けた。


 机の上には、自分の名前以外、何も書かれていない答案用紙が置かれていた。

 ――夢、だったのかな?

 美奈は頭をぽりぽり掻きながら、また問1から読み始めた。

 口の中には、まだあの妙な薬の強烈な苦味が残っているような気がした。

 その苦味のせいか、美奈の頭は非常に冴えていた。そのおかげで、美奈はなんとか"等比数列"の意味を思い出すことができた。




 ――「レグルス……、レグルス! 何をしておるか!?」


 カンパレア王国の筆頭騎士、クリスティーナは自分の身体を抑えつけていた男を叱りつけた。

 レグルスは、はっ、として、彼女を抑えつけたその手をどけた。

 「も、申し訳ございません、クリス様!」

 「……何だというのだ、全く!」

 クリスティーナは憤慨した様子で立ち上がり、身体についた土埃をぱんぱん、と叩き落とした。

 ヘモドロスが慌てて説明した。

 「いえ、クリス様、ご無事で何よりです。なにせ、先ほどまで正気を失っておいででしたもので、私どもでなんとかクリス様を抑えようと必死で……」

 「……そうか、それはすまなかったな、ヘモドロス。雑魚の魔物相手に不覚を取った私の落ち度だ」

 「なんと、恐れ多いお言葉……。時に、クリス様……」

 ヘモドロスは、クリスティーナが右手に持っていた小さな物体を指差した。

 「さきほどからその手に持っている、それは一体なんでありましょうか?」

 「……うん?」

 クリスティーナは、何故か右手に持っていたそれ(・・)を、いぶかしげに見つめた。その物体のあちこちを触って見ると、カチ、カチ、と音がして、その先端から細長い黒色の物体が出てきた。

 「見たことの無いものだな……。噂に聞く、精霊(フェアリー)たちの道具であろうか……?」

 クリスティーナは、それをヘモドロスに手渡し、麻袋に入れるように命じた。ヘモドロスはそれに従い、それを袋に入れた。その物体――ピンク色のシャープペンシルは、麻袋の中で他の道具にまみれ、ころころと転がった。



なんとなく思いついたので書いてみました。


元々短編のつもりでしたが、この設定でいろいろ膨らませてみたくなったので連載ってことにしときます。

次回は未定。不定期に連載です。


面白かったら、是非ご意見・ご感想をお寄せください。

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