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第5章 それぞれの思い

<5-1 失敗>


「ちぃっ!」

 白いウサギは、思わず舌打ちしました。

「なんてうかつな!」

 それは、捕まった愚鈍なタヌキに対してではなく、こうなることを予想できなかった自分――いつもであれば回避できる障害であるはずなのに、冷静な判断ができなかった昼間の自分に対するものでした。


 何よりも白いウサギを不愉快にさせたのは、自分がいつの間にか愚鈍なタヌキの身を案じていたことでした。


 まったく……なんで俺があいつのことなんか!

 なんて不愉快なヤツだ!こんな不愉快なことがあってたまるか!


 白いウサギはしばらく考えました。

「……どうやら、いますぐ殺されたりはしないようだな」

 おじいさんとおばあさんはどうやらタヌキをすぐには殺さず、しばらく縄につなぎ止めて置く様子でした。

「……とりあえず、夜まで待つしかなさそうだな」

 白いウサギは、暗くなるまで遠くから様子を見ることにしました。


「さて、どうしたものか?」

 白いウサギは、暗くなるまでの間、いろいろと考えてみました。


 このまま、タヌキがおとなしくしていれば、人のよさそうな老夫婦だ。もしかしたらタヌキは許されるかもしれない。逃がしてはしてもらえないかもしれないが、タヌキを縄につないで置いて、飢え死にしないくらいの餌を与えてくれるかもしれない。


 殺されて食べられてしまうとしても、ボクにはなにもできないし、その場合は、この里を出るしかないなぁ……多少目覚めは悪いが、それはそれでいい。だが問題は……このままニンゲンに飼いならされるか、あるいは許されて逃がされるかした場合だ。


 白いウサギはこうして冷静に事態を分析し、考えをめぐらせることが好きでした。『よく考えもせずに行動することは、ぜったいにしない』とあの日以来、心に誓ったのですから。それに、元来ウサギは機敏で用心深く、思慮深いのです。


……もし許されたとして、結局タヌキはジレンマに陥る。多分二度と畑は荒らさないと、そう決めながらも、『ウサギさんのために何かしてあげたいんだなぁ』とか言って、きっとまた無茶なことをしでかすに決まっている。


 なぜならあいつは……ヤツは愚かで、鈍くて……そして誠実……


 白いウサギは思い出していました。里を追い出され、行くところ行くところで厄介者扱いされながら、不意に立ち寄ったこの場所は、ウサギが好んで食べるようなものは、まるでないような痩せ細った土地でした。そこで出会った愚鈍なタヌキは、自分を月の使者と勘違いして、世話を焼く……疎ましいと思いながらも、今日まで過ごしてきた時間は決して悪いものでもなかったかもしれない……ここに来てあの愚鈍なタヌキに出会わなければ、今頃どうなっていたのか?


「かといって、俺があのタヌキに何の恩義を感じる必要がある。あいつはただ、自分で勝手に俺を『月の使い』だと勘違いしただけだ……悪いのはあいつなんだ……今回もあいつは勝手に……」


「そうだな……あいつを説得して別の場所で一緒に暮らすのも悪くないか……」

 白いウサギは、いつの間にかタヌキの存在がウサギにとって無視できないものになっていること認めざるを得なくなっていました。


「いずれにしても、助かればの話だが……」



<5-2 覚悟>


 愚鈍なタヌキは、後悔していました。

……ボクには無理だったんだなぁ


 白いウサギに憧れ、自分もあんな風に野を駆けてみたい、『できるかもしれない』と思った自分はなんて愚かで鈍いんだろう。そして自分が捕まってしまったばっかりに、ウサギさんは人間の作った野菜を食べられない。このままでは月に帰れなくなってしまう。すべては自分がいけないんだ。


「僕は、やっぱり、いないほうが、いいんだなぁ」

 タヌキは、とてもとてもさみしい気持ちになりました。そして、カチカチ山を離れた昔の仲間のことを思い出していました。

「みんな元気でいるかなぁ」


 タヌキは思いました。

「そうだ、僕は、おじいさんとおばあさんに迷惑をかけたのだから、このまま、あの二人に食べてもらえばいいんだな。ウサギさんは僕と違って機敏で用心深いから、きっと一人でも大丈夫なんだなぁ」


 タヌキは心の中で、みんなにお別れを言いました。

「まぬけでごめんなさい、のろまでごめんなさい、生きていてごめんなさい」


 やがて日が暮れて、夜になりました。家の中からおじいさんとおばあさんが出てきました。

タヌキは覚悟を決めました。

……もうお別れなんだなぁ


きゅーん、きゅーーん



<5-3 救い>


 愚鈍なタヌキは死ぬことを覚悟していましたが、それでも『死』がどういうものかがわからないので怖くて、怖くて仕方がありませんでした。

……死ぬってどういうことなのかなぁ


 善行をせず、悪行にふける魂は、死んだあとに、今よりも魂の階位が落ち、再びこの世に生まれたときに惨めな生き方を強いられる――タヌキのおばあさんが、自分や里の子供たちを叱るときによく言っていたと愚鈍なタヌキは思い出しました。


 愚鈍なタヌキにはよくわかりませんでした。悪いことばかりしていると、生まれ変わったときにタヌキに食べられてしまうような魚や虫のような小さな動物に生まれ変わり、かつての自分と同じ存在に命を脅かされながら生きなければならない。そして生き残ることができなければ、次に生まれ変わったときに、更にその小さな生き物に食べられてしまうようなさらに小さな、小さな存在に生まれ変わる。


 そういうことを輪廻というらしいのですが、おばあさんは死んだ後のことは教えてくれましたが、『死』が痛いことなのか、苦しいことなのか、怖いことなのかは教えてくれませんでした。


……やっぱり、怖いんだな、死ぬって、きっと怖いんだなぁ


 ただ、一つだけ、愚鈍なタヌキが死についてわかっていたこと――『死は悲しい』ということでした。それは大好きなおばあさんが、自らの死によって最後にタヌキに伝えてくれた大切な教えでした。


きゅーん、きゅーーん……くー、くー、くー


 どうやら狸はひどく怯えているようでした。

「こーれ、これ、そんなに怖がらなくても、なんもせんからよ」


 おばあさんはそう言うとおじいさんとおばあさんが食べ残した魚の頭や野菜の切れ端を狸のすぐそばにそっと置きました。

「おれらも、ろくなもんさ食えねーからよ。こんなもんで、腹いっぱいにならんかもしれんが、ねーよかましだろー」

 そう言うとおじいさんはふちの割れたお椀に水を入れたものをそばにおいてくれました。


「まぁ、今日はこれでな。おめーをどーすっかまだ、わかんねーけど、飢え死にされても目覚め悪いからよー」

 そういって食べ物と水を置くとおじいさんとおばあさんは家の中に戻ってしまいました。


くー、くー、くー


 狸はまだ、鳴いています。しかし、それは怯えて鳴いているのではなく、うれしくて鳴いているようでした。でも、おじいさんと、おばあさんには、その違いがわかりませんでした。



<5-4 選択肢>


 遠くからこの様子をずっと伺っていた白いウサギは、少し安心しました。

「まぁ、今日は、何もおきそうもないか。時間があるということは、それだけ対策を立てることができる。まずは、よしとするか。」

 白いウサギは、捕まったタヌキの様子をもっと近くで見ることも考えましたが、あの狸のこと、大声で騒がれても厄介だと考え、このまま山まで戻ることにしました。


「それにしても……」

……それにしてもあのタヌキ、よくも生きていられたものだ。あんな愚鈍なタヌキがこうして独りでずっと生きこられたのも、なにか特別なわけでもあるんだろうか?


「普通ならとっくに死んでいる」

 白いウサギは、どこかタヌキを羨ましく思っていたのかもしれませんが、もし、ウサギがそんなことを考えている自分自身のことに気付いたとしたら、きっと激怒していたに違いありません。


……そういう生き方もあるということなのだろうか?

 自分には決してそんな生き方はできない――できたのかもしれないけど、白兎には今の生き方を選んだ。たとえ他の選択肢があり、それを自由に選ぶ選択権があったとしても、たぶん、愚鈍なタヌキの生き方はしなかっただろう。


 あのこと――カメとの駆け比べのことがあろうがなかろうが、自分はこの生き方を選んでいただろうし、後悔はしていない。


 それでも、白いウサギは、自分が今こうしてカチカチ山にいることに、『何か特別な意味があるのではないか?』と考え始めていました。

「……選ぶのは自分だ」

 そうつぶやいて、山の中に消えていきました。



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