第4章 捕らえられた狸
<4-1 やさしい狸>
「ねぇ、ウサギさん、何か心配事でもあるのかなぁ?」
愚鈍なタヌキは白いウサギの様子がおかしいことに気付きました。なぜならタヌキはずっと白いウサギを見ていました。そしてずっと白いウサギのことを考えていました。
「キミはそんなこと気にしなくていいんだよ。まったく必要ないんだ」
白いウサギは不機嫌でした。タヌキの愚直なところがイヤでたまりませんでした。そしてなによりも、愚鈍なタヌキに自分のことが見透かされているような気分になるのが許せませんでした。
……お前なんか嫌いだ。
タヌキがどれだけ自分のことを心配してくれているか、白いウサギにはよくわかりました。ですが、タヌキはウサギが一番気付いて欲しいことをわかっていませんでした。それは白いウサギがタヌキに心配されることを快く思っていないということ――白いウサギはタヌキの鈍感なところが大嫌いでした。
……いや、オレが嫌ってイいようがいまいが、タヌキにとっては問題じゃないんだろうな。
そう思うと、いっそう白いウサギはタヌキのことが疎ましく思えた。
……だから……お前なんか……大嫌いだ!
「すまない、タヌキ君、本当はキミの言うとおり、ちょっと気分が優れないんだ。まだ、昼間だけど、おじいさんの畑のおいしい野菜が食べたいな。そうすればきっと元気になると思う」
……頼むから!俺のそばから離れてくれ!
「わかったよ、ウサギ君。ちょっと様子を見てくるんだなぁ」
「あー、そうだ、これを少し口に含むとすっきりするんだなぁ」
そう言って愚鈍なタヌキは1枚の葉をウサギに手渡しました。
「あまりおいしくはないけど、ちょっとした薬みたいなものなんだなぁ」
――タヌキが渡した葉は、ゲンノショウコと後に呼ばれる薬草。イシャイラズ、たちまち草などとも呼ばれている。
愚鈍なタヌキは薬草のことをよく知っていました。その多くの知識は、愚鈍なタヌキの大好きなタヌキのおばあさんの知恵でした。
「でも、僕がいない間に、似たような葉を捜して食べてはいけないんだなぁ」
――このゲンノショウコという植物の葉は、ヤマトリカブトの葉と似ており、これはよく知られている毒草。
「ありがとう、よくわかったよ、キミ、薬草には詳しいんだね」
そういいながらも、白いウサギはどこか腹立たしく思っていました。
……なんでこんなヤツに心配されなきゃならないんだ!
ウサギは自分の仮病の演技がそれほど上手なものではないと、自分でわかっていました。というよりも、むしろ嘘とわかるくらいに下手な演技をしたつもりなのに、タヌキにはまったくそれが伝わっていません。
……こんな鈍いヤツに!
かつて白兎を手玉に取ったあのタヌキは狡猾でした。だからウサギはタヌキを信用する気にはなれませんでした。でも、愚鈍なタヌキは白いウサギがほとほと気がめいってしまうほど純粋でした。
……俺をそんな目で見るなぁ!
<4-2 罠>
ウサギはただ、しばらくの間、タヌキの顔を見たくないだけでした。だから、無理なことをタヌキに言えば、少なくとも今日の夜までは、顔を見なくてすむと考えたのです。しかし、白いウサギは思慮が足りませんでした。どれだけ愚鈍なタヌキが白いウサギのことを大事に思っているか、どれだけ心配しているか、そんな風に誰かを思いやったり心配したりしたことのない白いウサギはわかるはずもありませんでした。
「ウサギさん、よくなるといいんだなぁ」
タヌキはおじいさんの畑につくまでの間、白いウサギのことばかり心配していました。タヌキが畑のそばまで来るとおじいさんは汗水たらして畑仕事をしていました。
……やっぱり昼間は無理なんだなぁ。
……でも、ウサギさん、困ってるんだなぁ。
愚鈍なタヌキは考えました。自分だけのことなら、そもそもおじいさんの畑を荒らすようなことはしません。できればおじいさんの畑のものには手をつけたくないと思っていました。タヌキは暗くなるまで待つしかないと思いましたが、おじいさんが水を汲みに畑を離れたときにこっそり畑に忍び込むことを思いつきました。
……ウサギさんみたいに早く走れればいいのになぁ。
タヌキは白いウサギが大好きでした。月夜に白く輝く姿はとても凛々しくて、この世のものとは思えないほどでした。そして白いウサギが野山を疾走する姿は、可憐でしかも力強くたくましいものでした。
……僕もやってみるんだなぁ。
時として他人への憧れは、それを真似することによって満たされます。愚鈍なタヌキは白いウサギに憧れているうちに、自分もウサギのように可憐に走り回りたいと思いました。なぜならタヌキは白いウサギが大好きだったからです。
「こらぁ!このいたずら狸め!」
愚鈍なタヌキはウサギのように畑に駆け入りましたが、おじいさんにはタヌキにしか見えませんでした。
……まずいんだなぁ
……でも、野菜を持っていかないと
タヌキはおじいさんの声に驚いて、逃げ出しましたが、どうしても白いウサギのために野菜を持って帰りたいと思いました。するとタヌキの逃げた方向に、野菜が落ちているのが見えました。何か縄のようなものが見えた気がしましたが、タヌキは野菜を加えようと、その縄のようなものをくぐり野菜を加えて逃げようとしました。
が、しかし……
「どこまでも欲深いタヌキだなー。こんな罠に引っかかるとはよー」
もしもタヌキが夜にウサギと一緒に来ていたら、ウサギはこんな罠のことは見破っていたに違いありません。夜まで待てば、ウサギはいつものように見張りに来てくれたかもしれません。でも、愚鈍なタヌキはやさしかったので白いウサギのために野菜を採りたかったのです。なぜならタヌキは白いウサギのことが大好きだったからです。
<4-3 ごめんなさい>
どんなにもがいても、身体に巻きついた縄は取れませんでした。
ぐー、ぐー、ぐー
狸はもがき苦しみながら泣き喚いています。
「このいたずら狸が!悪さばかしおって!」
愚鈍なタヌキはすっかり困り果てました。
……困ったんだな、これじゃ、ウサギさんに野菜をもっていけないんだなぁ。
愚直なタヌキは自分がこれからどうなるかという心配よりも、白いウサギがおじいさんの作った野菜が食べられなくなることが心配で、心配で仕方がありませんでした。
そこに騒ぎを聞きつけたおばあさんがやってきました。
「まぁ、まぁ、かわいいタヌキさん」
「かわいいものかね!ばあさんや、とうとう昼間にまで畑を荒らしにくるなんて、にくたらしい!」
おじいさんは少し興奮して息が荒くなっていました。
「まぁ、まぁ、おじいさん、この子もなんぞや、訳があって畑の野菜さ採りに来たんだべさ。最近じゃ、この山もすっかり荒れてしまって、食べるにもこまったんかのぉ」
「だども、ばあさんよ、タヌキに畑のもの食べられたらこっちが飢え死にしてしまうわさ」
「んだぁなぁ、けど、殺すのだけは勘弁してあげてやれんかのぉ、じいさんや」
「はてぇー、どーするかのー」
「どうしたもんかのー」
二人は相談して、しばらくこのままタヌキを罠につないでおくことにしました。
くー、くー、くー
きつく締め付けていた縄を苦しくないように結び直してあげると狸は少し落ち着いた様子でした。
……やっぱり、おばあさんはやさしいんだなぁ
……わるかったんだなぁ
……ごめんなさいなんだなぁ
……僕が悪いんだなぁ
……ごめんなさい、おばあさん
……ごめんなさい、ウサギさん
<4-4 駆ける白兎>
ウサギの思ったとおり、愚鈍なタヌキは夜まで戻ってきませんでした。正直、人間の野菜も少し食べ飽きて、今日は普通の草を食べたいと思っていました。
……こんなところあのタヌキに見せられないからな。
ウサギはタヌキからもらったゲンノショウコを食べたおかげか、身体がすっきりしていました。
……ちがう、タヌキがいなくなって精々しただけさ。
ウサギは久しぶりに独りの時間を満喫していました。
……たとえタヌキが途中で戻ってこようと、ボクのこの耳が必ずタヌキが近づいたことがわかる。
「なんせ、あいつはドンくさいからな」
白兎は全速力で野山を駆けながら思いました。
「どうだい、タヌキ君、キミ、こんなに早く走れないだろう?」
「ウサギさん、すごく早いんだなぁ。すごいんだなぁ」
疾走する白いウサギを必死で追いかけてくる愚鈍なタヌキ……
「ちぃい!なんで俺がヤツのことなんか!」
白兎はビックリしました。この山にきてからずっと、愚鈍なタヌキと行動をともにしてきました。タヌキの愚かさ、鈍さは白兎をイライラさせましたが、仲間に里に独り置き去りにされたタヌキと里から追放された自分が、こうして一緒にいることに、なにか特別な意味があるような、そんな思いがわきあがるようになっていました。
……なんだいなんだい!俺は、あいつが……あいつが大嫌いだ!
白兎はさらに早く、風のように山を駆け巡ります。
……だけど……なんなんだ、この違和感は!
白兎は駆けるのをやめて、自分自身に向き合いました。
……俺は……ヤツのことを心配しているのか?このモヤモヤとした感じはいったいなんなんだ!
白兎の脳裏に一瞬罠に掛かり身動きが取れなくなったタヌキの姿が映りました。
「待てよ……まさかあいつ、いやそんなはずは……だけど」
「えーい、世話の焼ける!」
ウサギは再び駆け出しました。
……くそー!俺としたことが!
ウサギは一瞬冷静さを取り戻しましたが、自分のうかつさに頭に血が上りました。
……あの馬鹿!まったく!なんて愚かなんだ!間に合え!間に合ってくれ!
ウサギはものすごい速さで野山を駆け巡り、ふもとまで降りてきました。そして目的の場所、おじいさんの畑が見えてきたとき……白兎が予想していた最悪の事態になっていることがすぐにわかりました。