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第11章 汚れた月

<11-1 伝えたいこと>


 愚鈍なタヌキには、恐ろしい事が起ころうとしていることを知る術はありませんでした。

「ウサギさんは言ってたんだなぁ。「昼間は近づくな」って言ってたんだなぁ」


 満月の夜、白いウサギは愚鈍なタヌキに言いました。

「ボクは君の姿に化けて、おじいさんが作ってくれた畑の野菜を食べて暮らすよ。キミは今までどおりに、山の中で暮らすといい」

「でも、ボクはウサギさんのことが心配なんだなぁ」

「心配してくれるのはうれしいけど、キミ、一度ドジを踏んでいるだろう。だから、昼間は絶対に近づかないこと……いいね」

「わかったんだなぁ、約束するんだなぁ」


 ……でも、僕、どうしても気になるんだなぁ。


 愚鈍なタヌキは、白いウサギとの約束を守ろうとしましたが、白いウサギのことを考えれば考えるほど、足は自然とおじいさんの家のほうに向かっていきました。

「僕じゃないんだなぁ。足が勝手に動くんだなぁ」

 あまりにもウサギの事が気になったので、愚鈍なタヌキは、すべて自分の足のせいにして、のろのろと山を降りていくのでした。


 ……それに、言い忘れていたことがあるんだなぁ。伝えたいことがあるんだなぁ。


 愚鈍なタヌキは、自分の化け術は、正体を見破った者には効かないということを、白いウサギに伝えることを忘れていたことに気付きました。


「ウサギさんなら大丈夫だと思うけど、やっぱり早く伝えたほうがいいんだなぁ」

 そう思うと愚鈍なタヌキの足運びは少しばかり速くなりましたが、それはとても間に合いそうにありませんでした。なぜならこのときすでに、狡猾なウサギの化け術は、おばあさんによって見破られていたからです。


 カチ、カチ、カチ……カチ、カチ、カチ……

 あの古狸!こんな時にまで祟られる!なんて厄介な念珠

 ……それに、あのうすのろタヌキが、化け術にこんな盲点があるとは!


「ところでタヌキ君、この化け術の効果は、どのくらい持つのかい?」

「僕の作った首飾りは化ける為の道具で、一度化かされた人は、化かされているってことが気づかれなければ、ずっと化けた姿に見えるんだなぁ」

「あと、僕の天敵、犬やイヌワシなんかには効果がないんだなぁ」

「つまり、あのおじいさんとおばあさんを化かすことができたら、ずっと効果は続くんだね」

「そうなんだなぁ。満月のときが化かす効果が一番高く、新月のときは一番弱いんだなぁ」

「わかったぁ、じゅあ、満月が一番いいんだね。このあたりには犬やイヌワシはめったにやってこないから、その心配もない」


 ……多分あの首飾りは、また、カチカチ音をさせるんだなぁ。だからウサギさんには音が出ないようにしてもらわないといけないんだなぁ


 狡猾なウサギはタヌキの姿に化けたら、念珠も化けて見えなくなる。それで十分だと思っていました。しかし、いくら姿が見えなくなっても、念珠の効果がなくなるわけではありません。

 ……ウサギさんのことだから大丈夫だと思うけど……だってウサギさんは僕よりもずっとずっと賢いんだなぁ


 愚鈍なタヌキが思っている以上に狡猾なウサギはずっと賢いのかも知れませんが、そのときウサギは狡猾なウサギではなく凶暴な獣でした。


「……狂喜に絆されて余計なことをしてしまった……さて、どうしたものか?」


 凶暴な獣の化けの皮ははがれ、そこには一匹の白いウサギがいるだけでした。ですが、そのウサギは、白く、赤く、そして狡猾でした。


「……バレてしまったものはしかたがない、こうなれば、もっと、もっと……」


 狡猾なウサギは、そのあとに続く語彙を知りませんでした。おそらくそれは――陰鬱で残虐で背徳で執拗な狂喜に満ち溢れた行為――そしてそれらに対する恍惚、昂揚、欲情。



<11-2 真っ赤な夕焼け>


「……この位置からだと少し遠いいか?」

 よこしまな獣は、おばあさんの位置と、後ろの壁の位置、そして自分の跳躍力――たぶん今は普段よりももっと大きく飛び跳ねられるはず――をじっくりと見定めて、一歩、また一歩、おばあさんとの間合いを詰めていきました。


 「……こ、殺されるぅ~

 あの化物が飛び掛ってきたらこの籠でなんとか押しのけて……そしてどうするの?

 あぁぁぁ、おじいさん!おじいさんや!早く帰ってきておくれぇ~」


 おばあさんは、倒れた籠を前に構えました。これなら、この凶暴な獣が、前から襲い掛かってきてもなんとか身を守れそうでした。おばあさんはブルブルと震えながら両手で籠をしっかりと掴み、凶暴な獣がいつ飛び掛ってきても大丈夫なように身構えました。


 おばあさんは必死でした。

 おばあさんは必死だったのです。


 おばあさんには白いウサギが凶暴な獣に見えました。しかし、白いウサギは凶暴なだけではなく、狡猾で邪でした。おばあさんは必死でしたが、おばあさん自身は狡猾でも邪でもなかったので、白いウサギが何をしようとしているか、何を考えているのかはわかりませんでした。


 でも、おばあさんには一つだけわかっていたことがあります――それは、自分が襲われるのではなく、殺されるのだということが……


 邪な獣は足を止めました。一瞬の静寂、それは静かで寂しい様というよりは、押し殺された沈黙の時間でした。


「しゅーーー」

 ――それは世の中のありとあらゆる調和の上でのた打ち回る不協和音

 ――それは邪な獣の口元からこぼれた瘴気によって奏でられた狂気の旋律


次の刹那――――――


「あいやぁぁ」

 おばあさんは叫びました。


 邪な獣は、おばあさんの期待を裏切り、真横に飛び跳ね、そしておばあさんの耳元をものすごい速さで通り抜けました。驚いたおばあさんは首を引っ込め、頭を下げ、腰を曲げましたが、手に持っていた籠が邪魔で、思ったような体勢――頭を地面すれすれまで下げて身を守る格好にはならず、籠に抱きつくような格好になってしまいました。


 背後


「たんっ!」という音と一瞬の間のあとに


「ずだんっ!」という鈍い音


 真上


 おばあさんは目をつぶっているのに、そこには更なる闇が訪れました。


「ずだんっ!」


 籠がおばあさんの胸を押し付けうまく呼吸ができません。でも、呼吸ができないのはそれだけではないのだと、おばあさんは気がつきました。


「ずだんっ!」


 どうやら、何かが頭に当たったようです。


「ずしゃんっ!」


 どうやら、どこかで水がこぼれたようです。


「ずしゃんっ!」


 どうやらそれは、頭の上か、後ろか……

 あぁ、背筋がゾクッとして……

 身体が震えている……

 嗚呼、なぜだか目が開かない


 薄れて行く意識の中で、おばあさんははっきりと目にしました。

 薄れて行く意識の中にあるおばあさんを、おばあさんの右目が見上げていました。


 それは


 地面に落ちたおばあさんの眼球でした。

 朝だというのに真っ赤な夕焼けの中に居るようでした。


 「権汰、疑ってごめんよ……堪忍してなぁ」



<11-3 血塗られた杵>



「当たったぁ!当たったぁ!当たったぁ!グシャグシャ!グチャグチャ!ベチョベチョ!」


 それはグシャグシャでした。

 それはグチャグチャでした。

 それはベチョベチョでした。


 よこしまな獣は、今までに味わったことのない充実感の中に居ました。


「クッ、クッ、クッ、ケッ、ケッ、ケッ……」


 こみ上げてくる感情を上手に表現する方法が見つからず邪な獣は、ただただ、笑うしかありませんでした。


「なんで、なんで杵と臼があるんだよ……ケッ、ケッ、ケッ……」


 邪な獣の手には、おじいさんとおばあさんが餅をつくのに使う杵が握られていました。

 そして、その杵は……

 おばあさんでベチョベチョでした。


「あー、あー、餅はもっとネバネバなんだけどなぁ」

 おばあさんの頭はグシャグシャで、おばあさんの頭の中はグチャグチャでした。


「たぶん、これで、うまくいくかな」

邪な獣は、まず狸に変わり、そして、おばあさんに、次におじいさんにかわりました。


「なるほど、正体がバレても、こうすればいいんじゃな、なるほどなるほど」


 邪なおじいさんは、畑仕事に行ったおじいさんが帰ってくる前に、おばあさんの死体を片付けなければなりません。それは、それは、大変な作業でしたが、邪なおじいさんはそれが、楽しくて、楽しくて仕方ありませんでした。


「クッ、クッ、クッ、ケッ、ケッ、ケッ……」

邪な笑いをしながら、おじいさんは思い出していました。


「狸に奪われた杵で、狸の大事なものを叩き潰す」

 邪なおじいさんは時々手を止めては、思い出し笑いをしていました。


「いくらワシでも、人間をかみ殺すなんてできやしなかったんだが……」

「あるんだよなぁ、こんなところに杵が……クッ、クッ、クッ、ケッ、ケッ、ケッ……」


「あーなるのは、わかっていたんじゃ、ばあさんが、身をかがめて、そしたら、あとはこいつを頭の上に叩き落すだけ……」

 邪なおじいさん或いはカメに競争で敗れ、狸に大事な杵を奪われたウサギは、おばあさんの身体を切り刻みながら、時々手を止めては、苦々しい記憶の中のカメや、フクロウやカラス、そして狸に向かって話しかけました。


「どーれ、こんなもんでいいかのぉ」

 おばあさんはすっかり五体バラバラにされていました。飛び散った肉片や血をふき取りましたが、杵にべっとりとついた血だけは、どんなにふき取っても、きれいになりませんでした。

「まぁ、これくらいは、いいかのぉ」

 そういうと、邪なおじいさんはものとウサギの姿に戻りました。

「さて、今度はあの愚鈍なタヌキを探さないと……」



<11-4 狡猾なウサギ>


「ど、どうしよう……」


 白いウサギは邪な獣だったので、おばあさんを打ちのめすのに必死でした。必死だったので、愚鈍なタヌキが近づいたことに気がつきませんでした。愚鈍なタヌキは臆病なタヌキだったので、誰にも気付かれないように、おじいさんとおばあさんの家に近づいたのでした。


 おじいさんは畑で山ほど仕事がある。

 あれだけ荒らしてきたのだ、夕方までは戻らないだろう。

 権汰には昼間は近づくなといっている。

 あいつは愚鈍だが愚直でもある。

 約束は必ず守る。


 狡猾なウサギは、絶対の自信がありましたが、やはりウサギにはわかっていなかったのです。どれだけ愚鈍なタヌキが白いウサギのことが心配で、どれだけウサギのことが好きだということを。


「ど、どうしよう……」

 臆病なタヌキが見たものは、白いウサギが家を飛び出すところでした。

「もしかしたら、化け術が解けちゃったのかな」


 臆病なタヌキは愚鈍だったので、自分が肝心なことを伝えなかったばっかりに、白いウサギの化け術が見破られてしまったと思い込みました。そして、それはそのとおりだったのですが、愚鈍なタヌキは、家の様子よりも白いウサギのことが気になったので、白いウサギのあとを追いかけました。

「クゥー、キュー」


 白いウサギの大きな耳に狸の鳴き声が、あらぬ方向から聞こえきました。

「な、なんだと!」

 白いウサギはあまりに意表を疲れたので、思わず身を草むらに伏せました。

「ウサギさーん、待っておくれー」とそう言った、そう言ったよな!誰が?誰がってアイツに決まっている……しかし、なんで?いや、それよりも、ヤツに見られたのか?


 狡猾なウサギは、考えました。


 この状況、この状況での整合性。

 奴は見たのか?そんなはずはない!

 もし見たのなら声などかけるものか!

 ここは出方を見るか?

 とりあえず怯えたフリ……それがもっとも対応ができる。


 家から飛び出したこと、声をかけられてオレが驚いた様子……ここまではまず、見られている。が、それより以前のこと――家の中でのことは見られてない可能性がある……否、高い。


 狡猾なウサギは、愚鈍なタヌキだったらどうしただろうと考えました。


 もし、家の中でのことを見られているのであれば、あののろまが、気配を消していられるわけがない。まず、その場からあわてて逃げるか、声を上げるか、或いは自分を止めに入るか……


 いずれにしても狡猾なウサギは、愚鈍なタヌキをいくらでも言いくるめることができるという自信がありました。


「な、なんだ、タヌキ君じゃないか、脅かさないでくれよ」

 そういいながら狡猾なウサギは、愚鈍なタヌキの顔色を伺いました。狡猾なウサギの演技は、それほどのものではありませんでしたが、愚鈍なタヌキをだますには十分でした。



<11-5 愚鈍なタヌキ>


「ぼ、僕は、ウサギさんに言い忘れたことがあるんだなぁ」

 愚鈍なタヌキは申し訳なさそうな顔をしながら、白いウサギに言いました。


「ぼ、僕らの化け術には、じゃ、弱点があって、偽者だと気付かれると、化け術は解けちゃうんだなぁ……で、も、もしかして、おじいいさんか、おばあさんに気付かれちゃったのかなぁ」


 狡猾なウサギはとても悲しそうな顔をしました。

「おじいさんとおばあさんはボクを捕まえてタヌキ汁にして食べようとしたんだよ」


「え?そんなはずはないんだなぁ、おじいさんとおばあさんは、とてもボクを可愛がってくれたんだなぁ」

「それが、事情が変わったんだ。おじいさんの畑が、夕べひどく荒らされたみたいでね……まさか、キミじゃないよねぇ」

「そんな、とんでもないんだなぁ、ぼ、僕はそんなこと、しないんだなぁ」

「そうだよね、一体誰がやったのかは、わからないけどそれをボクのせい――というかタヌキ君の仕業だと勘違いして、それで……」


「あぁ、それは、大変なんだなぁ、ぼ、僕はどうしたらいいんだろう?」

「それなんだよ、タヌキ君。ボク、実はとんでもないことになってしまったんだよ」

「えっ、一体何どうしたんだい?ウサギさん?」


「おばあさんが、ボクをタヌキ汁にしようとしたので、それで必死で抵抗したんだ。そしたら……」

「えー、ウサギさん怪我でもしたのかい?」

 愚鈍なタヌキは心配そうに白いウサギを眺めて、どこかに怪我がないか確かめようとしました。


「ちがうんだよ、タヌキ君、ボクはねぇ、ボクは、おばあさんと争ううちにおばあさんを……」

 白いウサギは目を真っ赤にして涙を浮かべました。

「殺してしまったんだよ」


「あぁ、ウサギさん、なんてことを!」

 愚鈍なタヌキは大きな声で鳴きました。


「だから、恐ろしくなって……」

 白いウサギは身体を小刻みに震わせながら、淡々と語り始めました。

「おばあさんの身体をどこかに隠そうと思って、だけど、おばあさんの身体はボクにはとても運べないので、バラバラにして、埋めてしまおうと思ったんだ。だけど、ボク1人の力ではどうにもならなくなって、それで、恐ろしくなって逃げてきたんだ。」


 愚鈍なタヌキはあまりの恐ろしい出来事に、悲しい気持ちはどこかに消え去り、恐ろしさと、そして自責の念に駆られました。

「ぼ、僕がいけないんだなぁ。化け術をこんなことに使ってしまった僕がいけないんだなぁ」


「タヌキ君、キミは少しも悪くないよ。悪いのはボクさ。だけどボクにはどうしたらいいかわからないんだよ」


 なんて愚かな!

 なんて愚直な!

 なんでキミはそうやって、ボクの言うことをすべて信じるんだい?


 狡猾なウサギは、タヌキをだましているという罪の意識は全くありませんでしたが、あまりにも簡単に自分の言うことを信じて、騙されてしまうタヌキのことが、腹立たしくて、腹立たしくて仕方がありませんでした。


「でも、もしかしたらウサギさんがおじいさんとおばあさんに食べられてしまうかも知れなかったんだなぁ」


 愚鈍なタヌキは、決して未来を予想できないほど愚かではありませんでした。

「もし、そんなことになったら、僕はやっぱり生きていけないんだなぁ」


「ともかく、何とかしないと、もうすぐおじいさんが帰ってきてしまう。もし、おばあさんが死んでいることがわかったら、おじいさんだって、きっと悲しさのあまりに死んでしまうかもしれない」

 この言葉は決定的でした。


「そんなことは、絶対にダメなんだなぁ」

 愚鈍なタヌキは、意を決して、おじいさんとおばあさんの家に行くことにしました。



<11-6 弔う>


「まずは、おばあさんの身体を運び出さないといけないんだなぁ」

 愚鈍なタヌキは、バラバラになったおばあさんの身体を、家の近くの草むらに隠そうと思いましたが、おばあさんをそんなところに野ざらしにすることはどうしても忍びなく思えました。


「あぁ、どうしよう。おばあさん、ごめんなさい。僕はどうしたらいいんだろう」

 愚鈍なタヌキは、どうしていいかわからなくなってしまいました。


「そういえば、聞いたことがある。人間は大切な人を亡くしたときには、その人の死肉を食べるというのがあったなぁ」

 狡猾なウサギは、いよいよ狡猾でした。


「そうなのかい?ウサギさん、それなら、おじいさんはきっとおばあさんを食べるに違いないね」

 愚鈍なタヌキは、いよいよ愚鈍でした。


「人間はどうやってご飯を食べるんだい?」

 狡猾なウサギは、ますます狡猾でした。


「畑で取れた野菜や山で取れたものを鍋に入れて煮込んで食べていたよ。僕はその残りを食べさせてもらっていたんだ」

 愚鈍なタヌキは、ますます愚鈍でした。


「じゃぁ、きっとその中におばあさんを入れればいいじゃないかなぁ。キミやってみてよ」

 狡猾なウサギは、恐ろしく狡猾でした。


「わかったよ、ウサギさん、全部は入らないから、そうだなぁ、おばあさんは足が悪かったから、足よりは手だろうね。あとは入らないから、ウサギさん、残りはどうしようか?」

 愚鈍なタヌキは、恐ろしく愚鈍でした。


「それなら簡単なことさ!キミが食べればいいよ!」

「そうか!ウサギさん、ボクがおばあさんを食べるよ。大丈夫、後は任せて」

 なんと狡猾なことでしょう

 なんと愚鈍なことでしょう


 愚鈍なタヌキは次から次へとおばあさんの身体をむさぼり食べました。

「おばあさんごめんね、おばあさん、ごめんね」

 愚鈍なタヌキ、或いは権汰は、自分を大事にしてくれたおばあさんの死を心から悼み、弔いました。狡猾なウサギはその様子を見て、自分の心がどんどん満たされていくのを感じました。

……月が満ちていく……どうしようもなく汚れた月がぁ……


 ウサギの目は、禍々しく真っ赤に輝いていました。愚鈍なタヌキは白いウサギが悲しみに満たされて、目が赤くなっているのだと思いました。おばあさんの身体はあっという間に権汰によって弔われました。残った骨は、狡猾なウサギが家の裏の草むらに隠しました――見つかりやすいように。


 最後に残ったのは、おばあさんの腕と、頭でした。



<11-7 嘆き>


「おばあさんの目、悲しそう?辛そう?苦しそう?」

 愚鈍なタヌキはおばあさんが最後に見たもの、感じたものを知りたくなりました。


「大好きなおばあさん、僕はおばあさんのことが大好きだったんだなぁ。そうだ、おばあさんの目を食べたら、おばあさんが最後見たものを見る事ができるかもしれないんだなぁ」


 それは、タヌキの一族が、仲間の死の際、どのような危険な目にあって、死んだのかを、確かめる手段でした。臆病なタヌキたちは、一族の死を無駄にしないように、使者の目玉や耳や鼻を食べることで、その記憶を自らの体験とすることができたのです。


 おばあさんの目玉、きれいな目玉、僕に優しく微笑みかけてくれた。どうかおばあさんの見たもの、おばあさんの聞いたものがボクの心に届きますように……


 愚鈍なタヌキは見ました。

 愚鈍なタヌキは聞きました。

 愚鈍なタヌキは、悲しくて、恐ろしくて、そして、何かが壊れました。


「どうしたんだい、タヌキ君?」

 おばあさんの頭を平らげた、タヌキはオイオイと鳴き始めました。

「おばあさんのこと、思い出したんだね」

 狡猾なウサギは、このときばかりは愚鈍でした。


「う、ウサギさん、僕は、僕は、これでよかったのかなぁ」

 愚鈍なタヌキは、このときばかりは狡猾でした。


「さぁ、あとは、片づけをして、ボクがおばあさんに化けて、ボクらの作った「タヌキ汁」をおじいさんに食べさせてあげるよ」

 そういいながら、白いウサギは、心の中で身を震わせていました。


 あぁ、いいよ、いいよ、すごくいい!

 たまらないよ、どんどん満たされていく!


「う、ウサギさん、少し待っていて。ぼ、僕、もう少しお別れをしたいんだなぁ。だから、おばあさんに化けて、おじいさんの様子を見てきて欲しいんだなぁ。その間にお別れをして、ボクは残りの骨を片付けるよ」


「あぁ、いいとも、ちょうどボクもそうしようと思っていたところだ」

 そう言うと、白いウサギは、手を前にして化け術の構えをしました。次の瞬間、白いウサギはタヌキの姿に、そして、おばあさんの姿に変わりました。

「じゃぁ、あとは任せておくれ。権汰はすぐに、山にお帰り」


 おばあさん、或いは白いウサギは、そういい残しておじいさんの畑のほうに向かいました。


「おばあさんの指先、ボクを可愛がってくれたのに……こんなことになってしまって、こんなことになってしまって」

 出かけたフリをした白いウサギは、物陰からそっと愚鈍なタヌキを見張っていましたが、ブツブツ言いながら、おばあさんの手を食いちぎりながら、鍋の中に肉の塊を放り込んでいくタヌキの姿をみて、ますます興奮していました。


 そうだよ、いいよ、いいね、その肉をおじいさんに食わしてやる。

 きっとこれで満たされるんだ。何もかも……


 タヌキが、鍋を作り上げたところを見定めると、おばあさん、或いは狂喜のウサギは、おじいさんの畑のほうへ歩いていきました。




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