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第10章 満月

<10-1 月の出>


 月は満ちました。まだ陽は完全に暮れてはいません。白いまんまるの月が東の岡の方から顔を出しました。狡猾なウサギは愚鈍なタヌキと出会った場所で、愚鈍なタヌキはおじいさんの軒先で、満月を眺めていました。


「ああ、ついにこの日が来た」

 白いウサギ、或いは狂気のウサギは、全身の毛が逆立つような高揚感で包まれていました。


「ああ、お月様が顔を出したんだなぁ」

 愚鈍なタヌキは、或いは権汰は、自責と後悔の念に駆られ、恐れと不安でじっと身を震わせていました。


「ほー、今日はまた、えー月じゃのー」

 おじいさんはそういいながら家の中に入っていきました。やがて闇は深くなり……


「やー、キミ、準備はできているかい?」

 白いウサギ、或いは狂気のウサギは、物音一つ立てずに愚鈍なタヌキの背後に立ち、ささやく様に声をかけました。


「あー、ウサギさん、ビックリしたんだなぁ」

 そういいながら振り返った権汰の後ろには、白いウサギが、立っていました。その立ち姿は、愚鈍なタヌキのお気に入りの場所で、初めて出会った時よりも、さらに美しく、月の光に照らされて銀色に光っていました。


「ああ、ウサギさん」

 権汰は思わず見とれてしまいました。ウサギは首を斜めにかしげながら愚鈍なタヌキに近づいてきました。


「頼んでいたもの、用意はできたのかい?」

 白いウサギの美しい姿、そして頭の天辺から響くような美しく、滑らかで、まるで刃物のような言葉に一瞬権汰はゾクっとしました。


「ああ、大丈夫なんだなぁ」

 そういうと権汰は地面からおじいさんの使い古したわらじのはなおを取り出し、小石の下に隠しておいたおばあさんの裁縫の針と糸を縫いつけた木の葉を取り出しました。


「こっちがおじいさんに化けるときに足の指に挟むわらじのはなお、こっちがおばあさんに化けるときに頭の上に載せる木の葉なんだなぁ」

 愚鈍なタヌキは、右手にはなお、左手に木の葉を持って白いウサギに見せました。


 白いウサギ、或いは狡猾なウサギは、愚鈍なタヌキの顔をなめるように見回しながら、何かを確認しているようでした。

「それで、あと、キミの姿に変身する方法なんだが……」


「それはこれを使うんだなぁ」

 はなおと木の葉を白いウサギに手渡すと愚鈍なタヌキは首飾りのようなものを草むらから取り出しました。権汰の動作はあまりに鈍く、狡猾なウサギをイラつかせました。


「これを首にかけると僕の姿に化けられるんだなぁ。ボクの姿に化けられないと、おじいさんとおばあさんにも化けられないんだなぁ」

 そういって、タヌキは紐のようなものに、丸い土の塊のようなものが着いた首飾りを白いウサギにそっと手渡しました。


「その首輪にはボクの念のようなものが込められているから……この結晶が壊れない限り効果はあるけど、壊れないように気をつけて欲しいんだなぁ」


「わかった気をつけることにするよ。すごいね、タヌキ君、キミの化ける能力は相当なモンなんだね」

 白いウサギ、或いは狡猾なウサギの口元は笑っていましたが、赤い目は少しも笑っていないようでした。



<10-2 首輪>


「じゃぁ、早速試してみようか」

 そういうと、白いウサギ或いは狡猾なウサギは、愚鈍なタヌキが作った首輪を首にかけようとしました――うん?くさい……なんだ?これは?


「ねぇ、タヌキ君。この首飾りというか首輪についている、これは……一体全体なんでできているんだい?」

 白いウサギは顔をしかめながら愚鈍なタヌキに尋ねました。


「ウ、ウサギさん……それはいえないんだな。というか知らないほうがいいんだなぁ」

 白いウサギは愚鈍ではなかったので、それがすぐになんであるのかわかりました――お前は本当に?本当にわかってないのか!気付かなくて、無意識で、これほどまでの屈辱をオレ様に!


 タヌキの化ける力を、他の者が利用するためには、タヌキにならなければなりません。愚鈍なタヌキは、いろんな方法を考えましたが、もっとも効果的で、そして確実な方法を選択しました。自らの能力を自ら排出したものに込めたのです。しかしそれは、白いウサギにとっては、享受できないものでした。


……なんで、オレ様が貴様の糞を!


 赤い目のウサギは、『狡猾なウサギであろう』と必死に自分の中の何かを押さえつけようとしました。そしてそれはどうやら成功したようでした――いい、キミはきいよ。どうしてボクをここまで高揚させていることができるんだい?すばらしいよ!


「タヌキ君、わかった。ボクはわかったから気にしないでくれたまえ」

 愚鈍なタヌキは思わず身を震え上がらせました。そして、今すぐここから逃げ出したいという気分になったことを不思議に思いました。

 自分はここから離れたくなかったはずでは?

 自分はウサギさんと一緒に居たいはずでは?

 自分はウサギさんの役に立ててうれしいはずでは?


 しかし権汰は、愚鈍だったので、それ以上のことはわからないし、それ以上のことは気付きませんでした。白いウサギが狡猾であるように、権汰は愚鈍だったのです。



<10-3 狡猾の罪、愚鈍の罪>


「あ、あとは決め事を吹き込むだけなんだなぁ」

 愚鈍なタヌキは、声を震わせながら言いました。


「決め事ってなんだい?」

「化けるときの決め事、ボクはこうすると……」

 そういって権汰は二本足で立ち、前足を鼻先の前で交差させました。すると権汰は見る見るうちにおじいさんの姿に変わりました。


「なるほど、どうやれば化けられるか、自分で決めないといけないわけだね」

 おじいさん、或いは権汰は、白いウサギに向かってうなずくと、今度は両手をパンと叩いてみせます。すると今度は見る見うるちにものとタヌキの姿に戻りました。


「キミは両手を叩くことで、もとの姿にもどるように決めているんだね」

「そうなんだなぁ、うん、それは合理的だ。ボクはそうだなぁ、化けるときは……」

 白いウサギは、前足で地面を掘るようなしぐさをしました。


「うん、これでいこう」


 すると白いウサギの姿は見る見るうちにタヌキの姿に変わっていきました。

「それで、今度はおじいさん」

 白いウサギ、或いは化けダヌキは、おじいさんのわらじのはなおを自分の足元に置くと地面を掘るようなしぐさを始めました。


「上手なんだんぁ」

 愚鈍なタヌキの目の前で、白いウサギは化けダヌキになり、そしておじいさんになりました。


「よしよし、じゃあ、縄を解いて……」

 おじいさんの姿をした禍々しいものは、愚鈍なタヌキの縄を解いて、それを自分に括り付けました。禍々しいおじいさんはヒザをポン!と両手で叩きました。すると見る見るうちに禍々しいタヌキに変わりました。


「すごいね、キミは。さぁ、これでもう安心だ。キミは自由になれるんだ」

 禍々しいタヌキは愚鈍なタヌキに「早くこの場を去れ」という意味でそういったのですが、愚鈍なタヌキに通じるわけはありません。

 あっ、しまった!オレ様としたことが――「キミ、早く逃げなよ。後はボクがうまくやるから」


 権汰或いは狸は直感的に「その場から離れるのはイヤだ」と感じていたのですが、やはり愚鈍なタヌキはそのことに気がつきませんでした。

「わかったんだなぁ。じゃぁ、ウサギさん、僕、山に帰るんだなぁ」


 そういい残して愚鈍なタヌキは自分の住んでいた山へと帰って生きました。その後姿を、禍々しいタヌキが生暖かい視線で見つめていました。

「あー、キミは今までよく生き残れたね。世の中には危険な罠に満ち溢れているというのに……世の中には、キミの考えも及ばないような恐ろしいことがあるんだよ」


 満月の月明かりは、狂おしいほどに光り輝き、狂気のウサギを高揚させました。

 満月の月明かりは、焦がれる思いを映し出すように、愚鈍なタヌキを照らしていました。

「でもね、お月様、ウサギさんは本当に美しいんだよ」



<10-4 変貌>


 次の日の朝、おじいさんは畑に出ると、目を疑いたくなるような光景が広がっていました。

「な、なんだね、こ、こりゃぁ」

 おじいさんはしばらく立ち尽くし、そして力なくその場に座り込んでしまいました。

「こりゃぁ、いったい、誰のしわざかのぉ」


 おじいさんの目にしたもの――それは滅茶苦茶に荒らされた畑の姿でした。よく見ると畑には獣の足跡がたくさんあります。


「こ、これは……まさか」

 おじいさんは畑から急いで家に戻りました。軒先に繋がれた権汰を見ましたが、これといって変わった様子はありません


「ちゃんと、繋がれておるよなぁ」

 おじいさんが権汰の首に結ばれた縄を確認しようとしたその瞬間、権汰はおじいさんが差し出した右手の親指と人差し指の間に噛み付きました。

「うわわぁ、いたいっ!いたいっ!権汰ぁ何するかぁ!」


 おじいさんが権汰をつないでいた縄をつかむと縄はスルスルっと権汰の首からすり抜けました。


「こ、こりゃぁ?さては、おめーのしわざかぁ!」

 おじいさんはすばやく権汰を結び付けていた縄をつかみもう一度権汰の首に巻きつけました。と、そこへ騒ぎを聞いたおばあさんが家から出てきました。


「あらまぁ、大変なこと!」

 おばあさんは家に入ると、土間においてあった、つっかえ棒を持ち出すと、急いでおじいさんのところへ戻りました。

「こらぁ、離さねぇか!」

 おばあさんは思いっきり権汰の身体を叩きました。


 すると権汰は、今度はおばあさんめがけて身を構えました。

「この野郎!」

 おじいさんは血だらけの手で権汰に飛び掛り、首に縄をかけました。

「おとなしくせんかい!」


くー!くー!


 権汰は激しく抵抗しましたが、しっかりと縄が首に巻きつき、どうすることもできません。


「この恩知らずが!」

 おじいさんはおばあさんの持っていたつっかえ棒を奪い取ると、権汰に殴りかかろうとしました。

「お、おじいさん、やめてくださいな!」

「ばあさんや、あのイタズラ狸め!畑を、畑を……ゴホッ!ゴホッ!ゴホッ!」

「おじいさん、ともかく、傷の手当てを、血が……」


 おじいさんはおばあさんに引き止められ、権汰を縛り付けたまま、一度家に戻りました。

「まったく、あのイタズラ狸、恩を仇で返しおって!」

「権汰が、あの権汰がこんなことをするなんて」

「あー、全くじゃぁ、ばあさん、それより困ったことになったぞ」

「そんなにひどいのですか?」

「あー、ありゃ、食い荒らしたなんてもんじゃねぇ」

「まぁ、それじゃ食べるものが」

「あー、こうなりゃ、しかたねぇ、権汰をしめて、皮を剥いで売りにださにゃならねぇ」

「まぁ、でも、そんなこと」

「肉は狸汁にすればえー、荒らされた野菜は、そうでもしねーと食えねーさぁ」

「しかたないですかねぇ」

「ああ、しかたねぇ」



<10-5 縄を解く>



 傷の手当てを済ますと、おじいさんは荒らされた畑の様子を見に出かけました。おばあさんは権汰の様子が気になりましたが、あまり情をかけると辛くなるので、家の中に閉じこもっていました。


 しばらくすると、外からおじいさんの声――「ばあさん、ばあさんやー」


 しかしおじいさんは扉を開けて入ろうとはしません。不思議に思ったおばあさんは玄関を出て周りを見渡しました。するとどうでしょう。権汰が縛り付けられていた軒先に、おじいさんが縛り付けられているではないですか。


「あら、まぁまぁ、こりゃぁあ、どーしたことかね」

 おばあさんは驚いて、おじいさんのところに近づきました。


「ばあさん、してやられてワイ、あの狸、ワシを化かしおった」

 おばあさんは慌てておじいさんを縛り付けている縄を解きました。


「まぁまぁ、いったい何があったんです!」

 おばあさんはおじいさんを抱えるようにして家の中に入りました。


「大丈夫ですか?怪我はないですか?」

 おばあさんは心配そうにおじいさんの身体をさすりました。


「縛り付けられたところ痛くないですか?」

 そう言っておじいさんの手足を見ているうちに、おばあさんははっと気がつきました。


……さっき権汰に噛まれた手の傷がない。これはいったいどうしたことだろう?


「あー、何、もう大丈夫じゃよ」

 そう言ったおじいさんの声は、禍々しく、そして決しておばあさんの知っているおじいさんの声色ではありませんでした。


「あ、あんた、おじいさんじゃないね。一体誰なんだい?」

 おばあさんがそういった瞬間、おじいさん姿は見る見るうちに権汰の姿に変わりました。


「権汰なのかい?なんでこんなことを……お前本当にあの権汰なのかい?」

 おばあさんには信じられませんでした。自分たちが可愛がっていた狸が、権汰が、こんなことをするはずがないと思ったのです。おじいさんは白いウサギが山の神様の使いだと言っていましたが、おばあさんは権汰が、魚や木の実や薬草を届けてくれていたと信じていました。


 権汰の姿をした禍々しいもの。恐ろしい瘴気を発し、目は充血し、毛は逆立ち、口元からキバをむき出しにし、唾液が滴り落ちる――その唾液はものすごい熱を帯びているかのように湯気が沸き立ち、地面を溶かしてしまいそうでした。


「あんた何かに憑かれたのかい?」

 おばあさんは後ずさりをしましたが、足が思うように動かないので、そこに倒れこんでしまいました。権汰の姿をした禍々しいものは、一歩、一歩、おばあさんの方に近づいていきます。


 おばあさんは恐怖の中で、なんとかそこから逃げ出そうと必死で考えました。


 大声を出そう――でも、出してもおじいさんの畑までは声は届きません。

 走って逃げよう――でも、おばあさんは足が悪いので走れません。


 今にも飛び掛ってきそうな狂気の狸。おばあさんの身のこなしでは飛び掛られたら身をかわすことはできないでしょう。何か手につかむことができたら、それで一度はやり過ごせるかもしれません。


 何か、何か手にもてるもの……


 おばあさんは狂気の狸を軽快しながらも、土間においてあるものを思い浮かべました。

……杵ならもう少し下がったところに!


おばあさんは決心しました。

……これしかねぇ


<10-6 黒い穴>



 クッ、クッ、クッ、クッ、ケッ、ケッ、ケッ、ケェエィ


 さぁ、どうする、どうするね

 声を出しても届かない

 逃げ出すこともできない

 よけることもできない

 あとは、あれしかないよねぇ


 狂気の狸であるところの狡猾なウサギは、その狡猾さゆえに、全てを見通していました。あとは、どうなるかではなく、どうしたいかというだけで、結果は見えています。


 クッ、クッ、クッ、クッ、ケッ、ケッ、ケッ、ケェエィ

 

 あと少し、あと少しで手が届くかねぇ

 でも、そんなにうまくいくかねぇ

 そんない早くできるかねぇ

 強くできるかねぇ


 おばあさんの額には、今までに掻いたことのないような、身を凍らせるような冷たい汗が流れていました。


 このままじゃ、このままじゃ、殺されるぅぅう

 どうか、お助けを、どうか御慈悲を、どうか、どうか……


 おばあさんは少しずつ土間の壁際においてある杵と臼の所に向かって後ずさりをしていきました。


 気付かれないようにしないと

 でも、そんなにうまくできるかねぇ

 そんなに素早く動けるかねぇ

 思いっきりできるかねぇ


 おばあさんは必死でした。

 とても、とても必死でした。

 それは、それは必死でした。

 必死になれば必死になるほど、それは必ず死ぬとわかりました。


 もうだめかねぇ

 もう終わりかねぇ

 権汰に殺されるのかねぇ


 狡猾なウサギであるところの権汰のようなものは、確信していました。


 もうだめなんだなぁ

 もう終わりなんだなぁ

 権汰に殺されるんだなぁ


 権汰のようなものであるところの狡猾なウサギは、狂気が狂喜に変わる狭間で満月を眺めていました。


 月が満ちていくよ

 ああ、なんて美しい

 ああ、なんて狂おしい

 僕の中で何かが満たされていく

 ああ、なんて心地良い

 ああ、なんて狂おしい


 クゥー!キュー!


 凶暴な獣は、外から見ていてもわかるくらいに昂揚していました。土間全体が、凶暴な獣が発する瘴気によって空気が淀み、時を刻む理すら近づけないような禍々しい闇、黒い穴のようでした。おばあさんはあまりの恐ろしさに、今まで出なかった声が何かの音となって喉を通り口のあたりからこぼれだしました。


 ひぃぃぃ、ひぃぃぃ、ひぃぃぃ


 しかし、音とゆう音は、黒い穴に吸い込まれてしまうかのように闇に溶け込み、空気を伝わることができないようでした。


 あと少し、この左手の後ろ辺りにあるはずじゃ


 おばあさんは死を覚悟しながらも、最後の最後まで、光に向けて手を伸ばそうとしました――が、しかし、おばあさんが手にしたものは、杵ではありませんでした。



<10-7 凶暴な獣>


 ……ハズレタァ、ハズレタァ、ハズレタァァァァァ


 凶暴な獣は、ついに月が満ちたと思いました。おばあさんが手にしたのは、杵の横にある籠であり、その中には、おじいさんの畑で取れた野菜が入れてありました。


 ……さぁ、終わりにしようか


 おばあさんの目には、獣が笑ったように見えました。


 ……あぁ、神様!


 おばあさんは、手にしたものが思ったものと違ったとしても、次の行動を変えられるような余裕、或いは余地はありませんでした――なぜなら、おばあさんは必死だったからです。


 おばあさんは、何か奇声を発しながら、手にしたものを思いっきり獣に向けて振り下ろそうとしましたが、それはできませんでした。変わりに野菜の入った籠が倒れ、中から、芋やらにんじんやらが獣の方に転がりました。


 それは狡猾なウサギにとって、思いも寄らない事でした。とっさに俊敏なウサギは、転がってきた芋をよけて一歩後ろに飛び退きました。


 なんだよ、おい、せっかく月が満ちかけたのに、雲が出てきて邪魔しやがった!


 おばあさんは、倒れた籠を抱え込み、身を守りました。


 クッ、クッ、クッ、クッ、まぁいい


 狡猾なウサギは、ゆっくりとおばあさんの方へ詰め寄りました。ちょうど目の前に、にんじんが転がっていたので、それを口にくわえ、思いっきり噛み千切りました。


 クッ、クッ、クッ、クッ、こんな風に、あんたも食いちぎられるんだよ


 ひぃぃぃ!

 おばあさんは悲鳴をあげました。

 

 あんな風に食いちぎられてしまうのかねぇ


と、そのときでした。


 カチカチッ、カチカチッ、カチカチッ……


 凶暴な獣の首の辺りから、石と石がぶつかるような音がしました。


 くっ……こんなときに!忌々しき念珠よ、忌々しき狸よ!


 おばあさんはその音を聞いてはっと気がつきました。

「あんた、権汰じゃないね、あんたもしや、おじいさんの言っていた……」


 正体を言い当てられた狡猾なウサギの化け術は、あっけなく解けてしまいました。


 あのタヌキの姿でばばぁを噛み殺してこその満月だったのに、これでは、オレ様の月は満ちぬ!


 どんなにウサギが凶暴になったところで、人一人を噛み殺すことはできません。


 なんという禍々しい白

 なんという禍々しい赤


 おばあさんはあまりの白さ、あまりの赤さに目を奪われてしまい、相手がウサギであることに考えが及びませんでした。兎は兎――どんなに禍々しくても、どんなに凶暴でも、ただの白いウサギであり、ただの目の赤いウサギでした。しかし、一度恐怖で満たされた心の中には、そんな事を考える余裕などありはしませんでした。




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