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婚約破棄された完璧令嬢、最底辺からやり直したら“嘘を暴く力”で全部ひっくり返しました。――今は戦場帰りの男と対等に並んでいます  作者: 慈架太子


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第5話:冤罪 ――「証明されましたわね、“私が不要だと”」

陽光の届かぬ法廷

王城・審問室。

そこは、王国の法と秩序を守るための聖域であるはずだった。しかし、エルディア・ヴァレンティナ・レッドグレイブの目に映るその空間は、冷徹な石壁に囲まれた、単なる「結論の追認場」に過ぎなかった。


天井近くの狭い窓から差し込む冬の陽光は、埃の舞う室内を斜めに切り裂いているが、その光に暖かさはない。部屋の中央に立つエルディアは、拘束具こそ嵌められていないものの、四方を重厚な石壁と敵意に満ちた視線に囲まれ、物理的な鎖以上の不自由を感じていた。


「これより、エルディア・ヴァレンティナ・レッドグレイブに対する緊急特別審問を開始する」


前方に居並ぶのは、貴族評議会の長老たち。彼らは一様に、彫像のような無表情を装っている。そして、その審議官席の末端に、アルベルト・フォン・グランシルが座っていた。


かつての婚約者。

昨夜、大広間で彼女を「悪」と断じた男。

彼は椅子の背にもたれかかり、まるで興味深い演劇の幕が上がるのを待つ観客のような、薄い笑みを浮かべていた。


(……形式すら整える気がありませんのね)


エルディアは、自身の内側で冷徹に状況を分析していた。

昨夜の婚約破棄から、わずか数時間での開廷。証拠の精査も、弁護人の選定も許されない。これはもはや審問ではない。あらかじめ書かれた台本を読み上げるだけの、残酷な確認作業だ。


「まず確認する。貴殿は、戦術局の運用資金の一部を、正規の手続きを経ずに独断で流用した疑いがある」


一人の評議員が、分厚い書類を卓に投げ出した。

それは昨日、アルベルトが掲げたものと同じ、歪な数字の羅列だ。


「否定いたしますわ」


エルディアの声は、静まり返った室内によく通った。

「流用ではなく、再配分です。当該資金は、補給路の寸断が予想された北方国境守備隊へ、食料および冬用装備の先行支給として回しました。記録の不整合は、その緊急輸送経路の秘匿によるものです」


「つまり、公金を私的な判断で動かしたと認めるのだな?」


「“私的”ではなく“職務上の裁量”ですわ。現場の飢えを放置し、手続きを待つ間に兵が死ぬことを良しとするのが、貴公らの言う“正義”なのですか?」


淡々と、しかし容赦なく。

エルディアは論理の矢を放つ。


「だが」と、別の評議員が冷たく言い放つ。「その再配分に関する正式な承認記録は、どこにも存在しない。王立規則によれば、全ての予算移動は事前承認を必須としている」


「緊急時の裁量権限は、レッドグレイブ家に認められている特権はず。規定第七条――『前線の危機に際し、戦術統括官はその判断で物資を動かせる』とありますわ」


エルディアの碧眼が、評議員を射抜く。

「確認なさっては?」


一瞬の沈黙。しかし、評議員たちは狼狽えなかった。


「――その規定は、すでに改訂されている」


「……何ですって?」


「先月付でな。緊急時の裁量権も、現在は評議会の事後承認ではなく、事前許可制に移行している。貴殿の行為は、現行法における明確な規定違反だ」


「通達を受けておりませんわ」


「公示はされている。必要な場所に、な」


曖昧な返答。だが、その場にいる全員が理解していた。

エルディアにだけその情報が届かないよう、意図的に遮断されていたのだということを。


(……なるほど。規則そのものを、私を絡め取る網に変えたのですわね)


後付けの法。悪意に満ちた手続き。

エルディアは、自分がどれほど完璧に「正しさ」を追求しようとも、その土俵ごとひっくり返されれば無力であることを、初めて痛感していた。


集積された悪意

「続ける。次だ。貴殿の横暴な権限行使に関する証言を聴取する」


評議員の呼びかけに応じ、一人の男が前に出た。

かつて、軍の備品を横流ししていたところを、エルディアによって完膚なきまでに糾弾され、職を追われた貴族だ。


「私は見た! レッドグレイブ令嬢が、帳簿の数字を書き換え、秘密裏に資金を別の口座へ移しているところを!」


男は顔を真っ赤にし、震える指でエルディアを指差した。

「彼女は自分に逆らう者を次々と不当に処罰し、その地位を私物化していたのだ! この書類こそが、その不正の動かぬ証拠だ!」


差し出されたのは、あまりに稚拙な偽造書類だった。

筆跡も、印章の角度も、本物とは微妙に異なっている。


(……雑ですわね。一瞥すれば偽物だと分かりますのに)


エルディアは嘲笑を禁じ得なかった。しかし。


「確認した」


評議員の一人が、中身を精査するふりをして頷く。

「信憑性は極めて高い。レッドグレイブ家の私印も確認できる」


「どこを見て仰っていますの? 形式が整っているだけで、中身は矛盾だらけですわ。その日付、私は王城での軍事会議に出席しておりましたが」


「形式が整っていることが重要なのだ。公的な印が押されている以上、それは真実であると見なされる」


「……」


エルディアは言葉を失った。

論理が、死んでいる。

事実は形骸化し、単なる「手続き上の正しさ」という衣を纏った嘘が、真実として祭り上げられていく。


「他には?」


エルディアの問いに答えるように、次々と証人が現れた。

かつて彼女に無能と切り捨てられた者。

正論で追い詰められ、社交界での地位を失った者。

彼らの共通点はただ一つ。エルディア・ヴァレンティナ・レッドグレイブを、心底から憎んでいること。


彼らの証言は、どれも主観的で、感情的で、根拠の薄いものばかりだった。

しかし、審問室という閉ざされた空間では、それらの悪意の集積が、揺るぎない「民意」となって彼女を押し潰していく。


(……よくも、ここまで。これほど多くの人間に、私は恨まれていたのですわね)


感心すら、した。

彼女が「より良き王国」のために行ってきた全ての是正が、今や彼女を縛り上げる縄となっている。


孤高の断罪

「以上だ」


評議会の長老が、重々しく告げる。

「何か反論はあるか。貴殿の誇る“論理”で、説明できることがあれば聞こう」


エルディアは、一歩前へ踏み出した。

彼女の姿勢は、最後まで崩れなかった。背筋は伸び、視線は高く、誇り高い公爵令嬢そのもの。


「すべて、事実無根ですわ。証拠は偽造、証言は偏見。規則は後付けで捻じ曲げられたもの。この審問自体、法の名を借りた私刑に他なりません。成立すらしていない、滑稽な茶番ですわ」


一つひとつ、はっきりと指摘する。

正確に。冷徹に。

それは、沈みゆく船の上で、船体の損傷箇所を冷静に指摘する航海士のような響き。


「言い切りまして? この場に、私の言葉に耳を貸す者は一人もいないようですけれど」


沈黙。

誰も動かない。誰も彼女と目を合わせようとしない。

アルベルトだけが、楽しげに彼女の破綻を見つめている。


その瞬間。

エルディアは、ようやく真実を「心」で理解した。

彼らは、最初から彼女の言葉を聞く気などないのだ。

どんなに正しい論理を積み上げようと、どれほど完璧な証拠を示そうと、相手が「聞かない」と決めている以上、それは存在しないのと同じだ。


「……評決に移る」


長老の声に、迷いはなかった。


「エルディア・ヴァレンティナ・レッドグレイブ。貴殿を、汚職、権限濫用、および反逆の容疑により――有罪とする」


判決の槌が叩かれる。

鈍い音が、エルディアの耳の奥で鳴り響いた。


「……そう」


エルディアは、わずかに息を吐いた。

激しい憤りも、涙も出なかった。

ただ、冷え切った虚無感が、身体の芯から広がっていく。


「証明されましたわね」


「何がだ」


「私が――不要だということが」


彼女は視線を上げた。

審議官席、アルベルト、そして入り口に控える近衛兵たち。

その誰一人として、彼女を助けようとする者はいない。

彼女が守り、発展させてきたこの国は、今、一致団結して彼女を吐き出そうとしている。


「判決は以上だ。当主権限の剥奪、資産の凍結、並びに――」


言葉が続く。

だが、エルディアは、もう聞いていなかった。

もはや、その言葉に意味はない。


「――結構ですわ」


彼女は冷たく遮った。

評議員たちが眉をひそめる中、彼女は優雅に背を向けた。


「最後まで聞く必要はありません。結果は変わりませんもの。無能な者たちが、有能な者を排除して悦に浸る……その結末だけは、理解できましたわ」


彼女は歩き出した。

審問室の扉へ向かって。

「待て、まだ拘束の手続きが――」という声を無視し、彼女は出口へと進む。


近衛兵たちが一瞬、彼女を止めようとしたが、そのあまりに凛とした気圧され、思わず道を空けた。

誰も、彼女に触れることができない。

それは畏怖ではなく、もはや「異物」を見るような忌避。


扉が開く。

重い音を立てて閉まる。


廊下には、誰もいなかった。

静まり返った王城の通路。

つい昨日まで、彼女が王国の未来を背負って歩いていた場所。


カツン、と足音が響く。

一歩。

足を進める。


その足が、わずかに震えた。

膝が崩れそうになる。

だが、彼女は歯を食いしばり、壁に手をつくこともなく歩き続けた。


「私は、間違っていない」


震える唇で、小さく呟く。

「……ええ。私は、正しかったはずですわ」


その声は、自分に言い聞かせるにはあまりに弱く、冷たい廊下の空気に吸い込まれて消えた。

完璧な少女の、完璧だった世界。

それが今、音もなく崩壊し、彼女はたった一人の「悪」として、夜の帳へと投げ出されようとしていた。


その先に待つのが、さらなる絶望か、あるいは――。

彼女はまだ、王城の出口で待つ「あの男」の存在を知らなかった。








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