婚約破棄の時間ですわ。殿下
シャンデリアの煌めきが、網膜を焼くように眩しい。
ああ、またここだ。
「アリシア・ローウェル! 貴様との婚約を破棄する!」
王子のよく通る声が、大広間の空気を切り裂く。周囲の貴族たちが、まるで訓練された兵士のように一斉に息を呑む。
完璧なタイミング。完璧な間の取り方。いつもの完璧な断罪劇の幕開けだ。
私は、自分のドレスの裾を少しだけ踏んで、わざと小さな音を立てた。
一瞬。ほんの一瞬だけ、王子の視線が私の足元に落ち、そして眉間に微かな皺が寄る。
彼が嫌うイレギュラー。
(ふふ、今のは少し焦ったかしら?)
◇
この世界はループしている。
ループの始まりは、婚約破棄の場面。そして、数日後、私が処刑されると同時に、婚約破棄の場面に戻される。
最初の十数回、私は必死だった。
けれど、どんなに善良に振る舞おうと、逆に悪女を演じきろうと、最後には必ず処刑台の冷たい刃が首筋を通り抜ける。
このループは抜けられない。絶望に染まり切った時、私はある事に気づいた。
”彼のセリフが毎回微妙に違う”
そこから、数回のループを費やし、彼をじっくりと観察した。そして、私は確信した。
“彼も一緒にループしている”と。
その事実に気付いた瞬間、絶望は極上の娯楽へと変わった。
完璧主義で繊細な王子の「演技」を、特等席で鑑賞する。
そして時折、小さなアドリブを混ぜて、彼の完璧な仮面が歪むのを観察する。
これほど愉快なことはない。
ある時は、彼が罪状を読み上げている最中、ふいっと顔を近づけて、彼の乱れた後れ毛を優しく整えて差し上げた。
「殿下、せっかくの晴れ舞台ですのに」
そう囁いた瞬間の、彼の引き攣った顔。
正義を振りかざすはずの男が、まるで毒蛇に触れられたかのように飛び退く様は傑作だった。
またある時は、処刑台に登る直前、彼にだけ聞こえる声で、「さっきの台詞、少し噛んでいらしたわよ」と助言して差し上げた。
彼は驚愕に目を見開き、私が死ぬ直前までガタガタと震え続けていた。
回を重ねるごとに、私の嫌がらせは洗練されていった。
断罪の最中に退屈そうに欠伸をしてみせたり、彼が愛を誓うカレンの耳元で「彼は私の首の落ちる音を、毎晩夢に見ているのよ」とデマを吹き込んだり。
彼が一番見たくないもの―「死を目前にして、微塵も恐怖を感じていない私」を、これでもかと見せつけ、彼の「正義」という名の自己満足を徹底的に汚してやった。
ループを繰り返す事に、王子は私と目を合わせることを恐れるようになった。
彼にとって、私はもう婚約者でも罪人でもない。
殺しても、殺しても、涼しい顔でシャンデリアの下に現れる、不可解な怪異へと成り果てたのだ。
そして―。
何百回目のループかは覚えていない。
「………………」
大広間の真ん中で、王子は「アリシア・ローウェル!」と叫ぼうとした形のまま固まっている。
その瞳は完全に白濁し、焦点はどこにも合っていない。
彼は「婚約破棄」という物語の一行目すら、もう読み上げることができなくなっていた。
周囲の貴族たちは騒然としている。
私は、自分のドレスの裾を少しだけ踏んで、わざと小さな音を立てた。
反応はない。
壊れてしまった彼はもう、私を殺すことができない。
私は、扇の陰で、最高に愉快な気分で笑った。
「―それで? 殿下。続きはございませんの?」
特等席の観劇は、これからが本番だった。




