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紅時雨と砂の味  作者: 來夢
第一章:紅蓮庵の襲撃者

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第2話:潜入の牙と、血脈の共鳴

『紅蓮庵』の静寂は、蹴り破られた扉の破片とともに粉々に砕け散った。吹き込む夜雨がカウンターを濡らし、香が丹精込めて整えた店の空気を一瞬で冷やす。


「……引く気はなか、ち言うわけやね」


望月蹴鞠は、濡れた唇に不敵な笑みを浮かべた。彼女の身のこなしは、洗練された武道というよりは、明日をも知れぬ戦場で磨き上げられた「野獣」のそれだ。彼女は武器を一切手にしない。ただその強靭な両脚だけで、目の前の二十三歳の若者を仕留めるつもりでいた。


「博多の男なら、もっと根性見せんね!」


蹴鞠の身体が、爆ぜるように動いた。カウンターの縁を軽く蹴ったかと思うと、彼女の身体は重力を無視したような速さで宙を舞う。しなやかに伸びた右脚が、桜猟の喉元へ向かって電光石火の速さで突き出された。


キィィィィィィィン!!


鋭い衝撃音が店内に響き渡る。 桜猟は、愛刀『劫炎丸・夜桜』を鞘から抜き放つことなく、その黒檀の鞘で蹴鞠の踵を受け止めていた。


「……なっ!?」


蹴鞠の瞳が、一瞬だけ驚愕に揺れる。彼女の蹴りは、NEXUSの強化合板すら粉砕する威力がある。それを片手、しかも鞘のままで受け止めるなど、常人の反射神経では不可能だ。


「……おい、ねーちゃん。店の中で暴れたら、女将さんに怒られるばい」


桜猟の筑後弁が響く。彼は鞘を滑らせ、蹴鞠の軸足を狙って一閃した。

しかし、その動きを見た瞬間、蹴鞠の脳内に強烈なフラッシュバックが起きた。


(この構え……この、首を右に傾ける癖……。まさか、あの子……?)


二十年前。炎の中で引き裂かれた、泣き虫な弟の面影。蹴鞠の動きがコンマ数秒、凍りつく。桜猟の鞘が彼女の脇腹を捉えようとした。


だが、蹴鞠は本物の「猟犬」だった。


「……甘い!!」


肉親への疑念を、戦士としての本能が力づくでねじ伏せる。彼女は空中で身体を驚異的な柔軟さで捻り、桜猟の鞘を足場にするようにして跳躍した。そのまま天井を蹴り、弾丸のような速度で桜猟の頭上から急降下する。


「がはっ……!?」


桜猟の反応を遥かに上回る速度。蹴鞠の両脚が桜猟の肩を挟み込み、そのまま凄まじい力で床へと叩きつけた。さらに間髪入れず、横たわる桜猟の胸元へ、必殺の踵落としを振り下ろす。


ドンッ、という重い音が響き、床の板がみしりと音を立てて沈む。桜猟は間一髪で刀を盾にして防いだが、その衝撃で意識が飛びかけ、身動きが取れなくなった。


蹴鞠は冷徹な瞳で桜猟を見下ろし、止めの一撃を放とうと足を高く振り上げた。その爪先には、NEXUSの暗殺術特有の、急所を確実に貫く殺気が宿っている。


「……死ね。御門の亡霊」


振り下ろされる死の脚。

その瞬間、カウンターの奥から一本の「割り箸」が、凄まじい風切り音を立てて飛来した。


カッ、という乾いた音とともに、蹴鞠の足首を割り箸が鋭く弾く。 僅かに狙いが逸れ、蹴りは桜猟の耳元の床を爆砕した。


「……そこまでだ」


五十二歳の死神、御門朔夜が、ゆっくりと腰を上げた。その手には、漆黒の鞘に収まったままの『紅時雨』。彼が立ち上がっただけで、店内の温度が数度下がったかのような錯覚に陥るほどの威圧感が放たれた。


「……親父……っ」


桜猟が苦しげに咳き込みながら、なんとか身を剥がす。


「……貴様が、御門朔夜か」


蹴鞠は着地し、警戒を最大限に引き上げながら朔夜を睨みつけた。彼女の脚は、先ほどの割り箸の一撃で痺れている。


「桜猟。お前の負けだ。……実戦経験の差だな」


朔夜の声は、冷徹な標準語のままだった。彼は白濁した視界で蹴鞠を「見て」はいない。だが、彼女の放つ波長――かつての妻・ろみなに近い、荒々しくも真っ直ぐな血の響きを正確に捉えていた。


「……香、彼女にも席を。……客を立たせたままにするのは、この店の流儀ではないだろう?」


香は震える手で、予備のグラスをカウンターに置いた。


「……はい。……かしこまりました」


蹴鞠は困惑した。目の前わの男は、自分が命を狙っているターゲットのはずだ。それなのに、なぜこれほどまでに静かで、そしてどこか懐かしい「雨」のような寂しさを纏っているのか。


店の外、雨の中でPCを見つめていた弓弦喜流華は、大きく息を吐いた。


「……危ないところだった。桜猟…あいつ、女相手だとどうしても詰めが甘くなる……」


流華はキーボードを叩き、NEXUSの追撃隊が近くにいないかを確認する。


「……だが、あの女。数値を再計算したけど、やっぱりおかしい。……朔夜さんと桜猟、この三人のバイオリズムが、一つの円を描いてるみたいだ」


流華の瞳に、情報屋としての予感と、親友としての不安が混ざり合う。


「……砂の味が終わるのか。それとも、すべてが砂に還るのか。……面白くなってきたじゃないか」


店内では、激辛料理の匂いと、雨の匂い、そして血の匂いが混ざり合っていた。 宿命の三人が、一つのテーブルを囲もうとしていた。

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