第12話:毒と絆
鋼鉄のドーム内に、耳を劈く金属音が反響し続けていた。壁面に深くめり込み、崩れ落ちた朔夜の視界は、もはや正常な像を結んでいない。白濁した霧が視界の八割を覆い、その向こうで動く愛する者たちの姿は、陽炎のように歪んでいた。
口の中は、酷い有り様だった。 20年前のあの日から彼を苛んできた「砂の味」は、今や喉の奥まで侵食し、呼吸をするたびに肺が渇いた砂利で埋め尽くされるような激痛が走る。
(……これが、紅時雨の代償か。あるいは、家族を救えない俺への罰か……)
「親父ッ! 立て……!立つばいッ!!」 桜猟の悲鳴が聞こえる。視線を向ければ、そこにはボロボロになりながらも、母・ろみなに立ち向かう息子と娘の姿があった。桜猟の持つ『劫炎丸』は、ろみなの振るう大鎌『月蝕』の一撃を食らい、刀身が激しく火花を散らしている。蹴鞠の自慢の足も、ろみなの冷徹な迎撃によって鮮血に染まっていた。
「ターゲット:桜猟、望月蹴鞠。……排除プロセスを継続。障害値、低下」
ろみなの口から漏れるのは、かつて家族を包み込んだ慈愛の声ではない。浅葱と歪によって書き換えられた、殺戮のためのプログラム・コード。彼女が踏み込むたびに、その精密な動きに呼応して、先程戦ったアンドロイドたちの残骸が共鳴するように電子音を発する。それはまるで、ろみなという個体が「兵器の群れの女王」に成り果てたことを示しているようだった。
「……やめろ。……やめるんだ、ろみな」
朔夜は、折れそうな右腕で『紅時雨』を杖にし、震える膝を押し上げた。立ち上がるその一動だけで、全身の毛細血管が弾けるような苦痛が走る。だが、その痛みこそが、死にかけた彼の意識を繋ぎ止めていた。
(思い出せ……。俺たちが、何を失おうとしているのかを)
脳裏に、かつての光景が蘇る。それは岐阜の自宅で、あの襲撃が来るまで当たり前のように過ごしていた日々の断片。ろみなが打った刀の仕上がりを、四人で囲んだ食卓で語り合った夜。 桜猟が初めて苺飴を美味しいと言って笑った時の、ろみなの誇らしげな横顔。 蹴鞠が新しい足技を覚えたと騒ぎ、朔夜がそれを無愛想に、けれど内心では喜んで見ていた昼下がり。
隠れ家である「紅蓮庵」での20年間の記憶よりも、ただ「家族と共に過ごした記憶」が、今の朔夜の心に猛毒のような熱を注ぎ込む。その温かさを知っているからこそ、目の前で家族を壊そうとしている「モノ」を許すわけにはいかなかった。
「……今のあいつは、毒だ」
朔夜の呟きは、砂に混じって低く、重く響いた。 浅葱は、ろみなの「武」だけを抜き出し、彼女の「心」を殺した。ならば、その殻だけを動かしているシステムごと、この手で一度終わらせるしかない。それが、夫として、そして彼女と共に刀の道を歩んだ者としての、最後の「もてなし」だ。
「桜猟、蹴鞠……下がってろ。……これ以上、母ちゃんの『誇り』が汚されるのを見てるんじゃねえ」
朔夜の周囲に、真っ赤な闘気が噴き上がった。 妖刀『紅時雨』が、主の命を喰らい、見たこともないほどの深紅に染まる。口の中の砂が、鉄の味を帯びてドロリと溢れ出した。砂が血に溶け、毒が覚醒の鍵となる。
「ろみな。……俺が、今、お前を止めてやる。……例えこの魂が、砂となって消え去ろうとも」
朔夜の最後の一歩。 その瞬間、世界から音が消えた。 ろみなが大鎌を振り上げ、神速の斬撃を放つ。朔夜は避けない。避ければ、その背後にいる子供たちが死ぬ。彼はあえてその身を刃の嵐へと投じ、紅時雨を正眼に構えた。
「――御門流、奥義」
赤い霧がドームを満たし、監視カメラのレンズを物理的に粉砕していく。 ろみなのシステムが異常を検知し、赤い瞳が激しく明滅した。彼女の無機質な表情が、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、苦痛に歪んだように見えた。
「あああああぁぁぁ!!」
朔夜の咆哮と共に、紅時雨がろみなの『月蝕』と真っ向から衝突した。火花ではない。それは、魂と魂が削り合って生じる、純粋な光の奔流だった。崩壊していく要塞。降り注ぐ火の粉。その中心で、朔夜の刃は、ろみなの胸元にある「制御中枢」へと迷いなく突き進んでいった。




