愛を選ぶ女~真実の愛が男女のものだと誰が決めたの?~
いつもお読みいただきありがとうございます!
本日デビュー4周年!記念に短編アップしました。バレンタインにぶつける内容ではないですがよろしくです!
ただ、好きな人に好かれたかった。もっと言えば、愛されたかった。
いや、違う。
それだけでは足りない、満たされない。
私が好きで愛しているのと同じくらい、相手からも愛情と親愛を返してほしかった。
でも、婚約者は返してはくれなかった。
いくら私が血のにじむような努力をしても頑張って話しかけても、彼のために時間を捻出しても、婚約者である王太子は私よりもマナーも教養も劣る可愛いだけの男爵令嬢に学園で出会ってのめり込んでいった。
あの男爵令嬢は確かに可愛いのだろう。
でも、マナーもなっていないし、口を開けばドレスか装飾品の話しかしないし、異性との距離も無駄に近い。私の受けてきた教育にことごとく相反する存在。
何故、どうして?
どうして、少し可愛いだけの身分も教養もないそんな女に、私が負けなければいけないの?
こんなことを考えてしまう私は、卑しいのだろうか。
彼女がどこか私よりも優れているのだから仕方がないと、彼に向けるこの恋心を諦めなければいけないのか。
「エルヴィラ・ニールセン。君には、もう……うんざりした」
幼い頃は私に向かって笑って細められていたはずの彼の紫の目には、もう親愛の情さえ見つけられなかった。
現在は昼食時だから、食堂は学園の生徒たちでにぎわっている。
しかし、彼らが私の座るテーブルに近づいてきて口を開くと、これほどの人数がいるというのに周囲は静まり返った。
誰かのくしゃみも食器の音すら聞こえない。
近づいてきたのは、婚約者である王太子と少し可愛いだけの何も持たない令嬢。そして選りすぐられたはずの側近たち。揃いもそろって、彼女の方がいいらしい。
これほどの態度を取られては、私が城の教育係から施された教育は一体何だったのかと問い合わせたいくらいだ。
「私の予定など気にせず自分のことばかり話し、手紙も返事をしていないにもかかわらず次々と送りつけてくる」
音はしないのに、周囲の反応は空気の動きで何となく分かる。
私を完全に悪者にするために、あるいは自分が悪いと絶対に言われないように、こうした衆目で私にこんなことをするのだろう。
物は言いようだ。
婚約者の交流の場である茶会で話しかけるのは、そんなにいけないことなのだろうか。
不機嫌そうな顔で反応もしてくれず、話もしてくれないのは分かっていたけれど、それでも彼が好きだから頑張った。彼が何を好きなのか知りたくて、彼の目にどうにか映りたくて。
そもそも、彼はここ最近いつも茶会に遅刻して来ていた。来るだけマシだろうという態度で。五回に一回はすっぽかされた。
手紙を送っていたのは月に一度。
返事はないが、婚約者としての礼儀だと思っていた。
彼の言い方では、私が三日おきに手紙を送っていたかのように聞こえるだろう。一カ月手紙を無視するのは無礼ではないのだろうか。
食堂にいる令嬢・令息たちの視線が私たちに注がれているのを肌で感じる。
彼が言葉を紡ぐたびに、私に注がれる視線は好意的な温度をなくしていく。
茶会で話しかけただけ、手紙は月に一度しか送っていないと反論することもできたが、私はもう疲れていた。
友人だと思っていた令嬢たちも私たちの不仲が知れ渡ると離れていき、結局私は「ニールセン公爵令嬢で王太子の婚約者」という肩書しか持っていない存在なのだと突きつけられた。
王太子からの寵愛や親愛を失えば、私に価値は微塵もないのだと。
男性からの寵愛で価値が決まる程度の存在なのだと。
テーブルに視線を落とす。
ここ最近は食欲がないので、スープにわずかに口をつけただけの大半を残してしまった食事。そしてテーブルに微かに映る自分の見慣れた顔。
食事を摂らないと、体力が失われていくのがよく分かる。
好きな人から愛を返されない状態は食欲をも奪うのだと私は初めて知った。
これから婚約者は「婚約を破棄する」と厳かに告げるつもりだ。
それ以外、こんな人目のあるところで話しかけたくもない私に話しかけてくることはないだろう。早く言いたいならこの前の定期の茶会で言えば良かったはず。
視線を落としたまま、次の言葉を静かに待った。
断頭台で刃が落ちてくるのを待つのはこんな気分だろうか。
疲れた、私はもう疲れたのだ。
しかし、その刃はいつまで経っても降ってこない。
令嬢にとっての死刑宣告を引き伸ばすのは、彼の最後の嫌がらせだろうかと視線を上げると、目の前には知らない美しい女性がいた。
ピンク色の髪に金色の目という我が国ではそうそう見かけない容姿。
白いノースリーブのワンピースの丈は長く、長いピンクの髪同様に地面についているが、片足の根元までスリットが深く入っていて胸元のカットも深い。
足と胸を隠したいのか、見せたいのか。しかし、下品ではなくむしろ神々しい。これを着こなせる人は彼女しかいないかもしれない。
彼女は私と視線が絡むとにんまり笑う。
『もうっ! やっと気づいてくれたのね! 下ばかり向いちゃって、こんなに美しい私を見てくれなくって寂しかったじゃない!』
会ったこともない相手なのに喋り方は軽くてフレンドリーだ。馴れ馴れしいともいえるが、王太子が夢中になっている令嬢の馴れ馴れしさとはまた種類が違った。
こんなに美しい私と本人が言ってしまっているが、否定できないほど美しい。眩いほど美しいのは事実である。
「あの、どなたか存じませんが、今はそれどころではなくて……」
そこまで喋って、ふと周囲の異変に気づく。
私と女性以外が動きを止めていた。
女性の後ろにいる婚約者は不自然に口を開いたまま固まっている。男爵令嬢は隠しきれない笑みを浮かべたままだ。周囲だけではない、見渡す限り全員が動いていない。
戸惑って、私は再び目の前の女性を見た。
『んふ。気づいた? あなたのために時間を止めたのよ。とってもみっともなくって、とっても可愛い子がいたから』
先ほどは驚きで奇抜な容姿とこれまた奇抜な服装に目がいっていたが、よく見ればこの女性をどこかで見たことがある。それは動いている姿ではなくて──。
「まさか、女神様ですか?」
『そうよぉ。私くらい美しい存在は神しかいないでしょ。まぁ、あなたも可愛いけど、やつれてるわね』
「あ……ありがとうございます」
『そうよ、愛と美の神である私エロイーズが褒めてあげているのだから、もっと感謝しなさい。あと、ちゃんとお肌のケアしなさいよ』
愛と美の女神なんて名乗っているが、そうだっただろうか。私たちは女神エロイーズだと思っている。
エロイーズはわが国では人気があり、絵画に描かれていたり、神殿に像が置かれたりしている。
彼女をもとにしたおとぎ話もある。
神によっては聖典が作られているが、女神エロイーズは文字の多い聖典を好まなかったため、彼女の美しさがよく描かれた絵本が多い。
おとぎ話の中でも奔放で楽しいこと優先の性格に書かれていたが、この言動を見るに本当のようだ。
『ねぇねぇ、気になるんだけど。そんなにこの男に愛されたいのぉ?』
口を開けたまま静止している婚約者の顎を、女神はちょんちょんと触る。触っても婚約者は動き出さない。
「愛されたかったのですが、もう無理です。きっと婚約はなくなりますから」
『えー、そうなの? んまぁ、この男、まぁまぁカッコいいけどどこにでもいるレベルだし。私はもっと黒髪でたくましい男が好きだわ』
女神がおっしゃるならそうなのだろう。エロイーズ以外の神の外見も絵画などでは非常に整っているので、神から見たら王太子といえど、人間ならその程度のレベルなのだ。
自分のこれまでの彼への執着がとても馬鹿らしく思えてきた。
もちろん、王太子の外見は非常に整っている方だ。
「女神様のおっしゃる通りです。私は愚かでした。彼のことが好きで仕方がなくて、彼に私と同じくらい愛してほしかったのです。でも、彼が愛してくれることはありませんでした。そしてこれからもないでしょう。その事実に私は疲れ果てたのです」
『あなたって素直でいいわぁ。いいわねぇ、そういうの好きよ。素直な子は大好き。あの子に魅了を与えてみたんだけど、最初の頃は可愛かったのに今は偉そうになっちゃって面白くなくなってたところだったの~。退屈って美容の敵じゃない? やっぱり美しさを保つには刺激がないとね』
あの子?
私に意味が通じていないと分かったらしく、女神は男爵令嬢を指さした。
「あの子よ。そこで、まるで自分が一番愛されてるみたいに勝ち誇った顔をしてるでしょ」
「まさか、彼女があれだけ好かれるのは女神様のお力だったのですか?」
『そうよ。じゃなきゃ、こんな普通の子がチヤホヤされるわけないじゃない。それなのに私への感謝を忘れちゃって偉そうになっちゃってぇ……って、なんで泣いてるの? あ、分かったわ。涙でデトックス? 最新の美容なのね? 目からしょっぱい水出して美容なんて斬新だわ!』
女神にぐいっと頬を拭われて気づいた。
いつの間にか私は泣いていた。というか、肌のケアだとか美容への指摘が多い。やはり、愛と美の神様なのだろうか。
「いえ、あの……女神様のお力で良かったと思っていました。私が何か悪いんだとばかり思っていたのですが、女神様のお力に人間が敵うわけがありませんから」
ほんの少しでも女神が介入していたのなら、彼の態度は私のせいじゃなかった。
私が壊滅的にダメで不細工だから、婚約者は離れていったのかと思っていた。
でも、今はほんの少しでも自分が悪くなかったのだと思えた。
『あなたって本当にみっともなくって可愛いわねぇ。なんでそんなに自己肯定感低いのかしら。家庭環境? お金あっても関係ないのねぇ』
「見苦しいものを……申し訳ございません」
女神は美容だとかいっていたのに、私の頬を遠慮なくぐいぐい拭うとにんまり笑う。
『そうだ、次はあなたの番にしてみようかしら! そうしましょう、そうしましょう。あなたが何を愛だと思うのか、皆に見てもらえたらあなたって人間はどうなるのかしら。楽しみ~』
「あの……女神様?」
『ねぇねぇ、愛を体験してみたくない? 私に任せてくれれば、あなたの求めてやまない愛を体験させてあげるわよ。あの子に与えたみたいな力をあげるわ』
愛、愛か。
知りたかった、どうにか与えられたかった。
でも、もういいやと思った矢先にそう聞かれるなんて。
王太子に婚約解消か破棄だとこんな大勢の前で言われたら、王族の言葉はもう取り消せない。そして、王太子の心をつなぎとめられなかったと家族からは無能扱いされる。修道院行きか、あるいは仕事だけ熟す側室にさせられるか。
なぜ、学園時代の火遊びも受け流せなかったのか。国王が愛人を持つこともあるのだからそれが少しばかり早まっただけだろう、なんて言われるはずだ。そうやってこれまでも言われてきたのだから。
『ちょっと! 無視? この美しい私を無視するなんていい度胸じゃないの。カエルかヘビにするわよ』
「あ……大変申し訳ありません! 愛を諦めていたら女神様が現れてそう聞いてくださるなんて、と感慨深く思ったもので」
『あら、諦めてから手に入るものはたくさんあるわよ。ただ、諦めているから手に入ったことに気づかないだけ』
せっかく諦めたのに、もう期待なんてしたくない。
でも、女神の力なら本当に体験できるのだろう。
「女神様のお力で私も誰かに愛してもらえますか?」
『んもう、私にそれを聞くなんて愚問じゃない? 私にかかればそんなこと朝飯前ってやつよ。あんな子でも愛してもらえるんだから、あなた見てたでしょう?』
女神の声は酷く甘く響く。
こういうのは良くない。誰かの力に縋ってそれで愛してもらえるなんてきっと虚しいことだ。それに、相手は女神。楽しいこと優先で奔放で、人間の枠には決して嵌まらない。彼女に縋っても、いつ何が起きるか分からない。
でも、一度くらいただ愛される体験してみたかったのだ。
目の前にマナーも教養もなくただ愛される存在を見てしまったら、猶更。
それに婚約破棄でも解消でも私の立場はさらに悪くなるだけ。
私のこれまでの努力は全部無駄だったんだ、女神の力の前では。それなら、縋るのもいいかもしれない。どうせ、私がやることは全部無駄なんだから。
いろいろと頭で考えつつも、とうとう私は頷いてしまった。
家に帰っても、学園に通い続けても、結局は針の筵なのだから。
これ以上惨めになりたくなかった。
『じゃあ、あの子の魅了を取り上げてっと。あなたにあげるわ。じゃあ、今から楽しんでね~』
女神は楽し気に言うと、くるっと優雅にターンして忽然と消えてしまった。
「エルヴィラ」
女神が去って時間の流れが戻った。
婚約者に話しかけられて、体が震える。
刺のない声で話しかけられたのは久しぶりだ。しかも、名前で。
「どうしてこんなところで一人で食べている。体調が悪いからと遠慮しているのか? 一緒に向こうで食べよう」
「え?」
「え?」
一気に変わった婚約者の態度に私が驚きの声を上げると、男爵令嬢も同じように唖然としている。私は表情を出さないが、彼女は令嬢として信じられないくらいに口を開けている。リンゴが丸ごと入るのではないか。
「あの、彼女は……」
私に冷たい視線をくれていた側近たちが、私の食事ののったトレイを王太子のテーブルに運んでいる。
「何のことだ? あぁ、君はなぜそんなところにいる」
婚約者にエスコートされてゆっくり立ち上がって、ふらつきかける。
すぐに婚約者の手が腰にしっかり回った。
「あ……」
また男爵令嬢に声をかけるのだろうか。そんなところではなく、こちらへと促して一緒に食事をするのだろうか。
男爵令嬢もその空気を察したのか、口を閉じてすぐに笑みを浮かべる。
「ねぇ、アレク。今日はどうしたの? まさか新しい趣向?」
アレクとは婚約者の愛称だ。
男爵令嬢が自然にした愛称呼びに体が強張る。
あぁ、そんな風に彼を呼ぶなんて。
「おい、この無礼な生徒をどこかへ連れていけ」
笑みを浮かべて近づいてきた男爵令嬢を婚約者は冷たく切り捨てた。
側近たちがすぐさま男爵令嬢を拘束してどこかへ連れていく。
「ちょっと! どうして! なんで急に! 嘘でしょ!」
私は目の前で起きた拒絶が信じられず、呆然と背中を見送る。
あぁ、これが……女神の力か。急に婚約者がよそよそしくなった日を思い出す。
こんなに急に切り捨てられたわけではなかったが、どんどんよそよそしくなる態度に自分が何かしてしまったのではと思い悩んだ。バカみたいだ。
「エルヴィラ、まだ具合が悪いのか」
ここ最近ではありえないほどの柔らかい声が聞こえて、急に浮遊感に襲われた。
「あ、殿下、こんなことは」
「医務室に連れていく。どうしてこんなに軽くなっている」
婚約者に突然横抱きにされ、周囲の生徒から「きゃあ」という黄色い声が上がる。
男爵令嬢と学園で会ってから、私の体調など彼は気遣ったことがなかったはずだ。
軽いのはあなたのせいよ、という言葉を喉の奥に押し込んだ。
周囲の反応と王太子や側近の様子も見るに、どうやらこの状況をおかしいと感じているのは男爵令嬢と私だけのようだ。
王太子が男爵令嬢といた期間は丸ごと、なかったことにされている。
それに、彼に抱き上げられたのは初めてで──。ムードを壊すのはもったいないと考えて私は彼の胸に顔をうずめて黙った。だって、これは夢見ていた状況だから。
医務室で少し休み、一人で帰ろうとしたら婚約者がわざわざやってきて馬車で送ってくれる。今日だけだろうと思ったら、以降は毎日のように一緒に学園に行き帰るようになった。ランチももちろん一緒だ。
両親も兄も、そんな様子を見て褒めてくれる。
婚約者が男爵令嬢と一緒にいると報告したら、私に「出来損ない」と言いたげな視線を向けていたのに。
甘い夢でも見ている気分だった。婚約者が優しくしてくれるたびに泣きそうになったし、女神に感謝した。
婚約者と家族の態度で受けた傷が癒えるわけじゃないのに、私は少しずつこの甘い夢に浸っていった。
気にかけてもらえる、褒めてもらえる、愛してもらえるのは嬉しい。
でも、これは女神の力。
一方で、男爵令嬢は以前の私のように孤立していた。
婚約者と一緒に学園を歩いていると、彼女が庭のベンチにポツンといるのが見える。
それを見て、優越感を抱くのかと思った。
これが正常な世界なんだと叫びたくなるだろうと。あなたが愛されたのは女神のおかげ。女神の力がなければ、やはり教養もマナーもない少し可愛いだけの男爵令嬢は愛されないのだと証明された形だ。
でも、私は彼女に対して優越感は抱けなかった。
彼女の気持ちが痛いほどよく分かるから。
少し前まであの立場に私はいた。誰も助けてくれないあの場所に。
その時の自分を見て優越感など抱きたくなかった。
一カ月経ったある日、婚約者に「一人にしてほしい」と断って、男爵令嬢に近づいた。
復活した取り巻きの令嬢たちもいない。
「うわ、公爵令嬢様がアタシに何か用?」
私の足音を聞き取った彼女は、ちらっとこちらを見るとわざとらしく笑った。
貴族令嬢らしくない嘲るような笑みだったが、笑みで本当の感情を隠すという点においては私たちの微笑みと意味は同じだった。
遠くから彼女を眺めても、こんな風に近づいても、やはり感じるのは優越感ではなかった。はっきりあるのは、蓋をしたはずの心の痛み。
一カ月ぬるま湯のような甘い夢に浸かって、見ないようにしてきた痛みだ。それがじくじく痛む。
「あなたも、以前の記憶があるんでしょう? 女神様から力をもらっていた時の話よ。あなたは……アレクシスや側近たちに囲まれていた」
アレクシスというのが婚約者で王太子の名前だ。愛称がアレク。
私は彼のことを愛称で呼ぶことはもうない。甘い夢でも私は敢えて呼んでいなかった。
呼んでしまえば、甘い夢に全身どっぷり浸れただろうに。呼ぼうとすると心のとても冷えた部分が邪魔をするのだ。
「あぁ、あの女神ね。急に出てきてさぁ、愛を体験させてやるっていうから乗っかったのに、今じゃこのざまよ。何が愛を体験よ。で、今回はあんたの番ってこと?」
「そうね。女神様が飽きるまでは私の番でしょうね」
「へぇ、あんた、浮かれまくってバカやったアタシと違ってムカつくほど冷静じゃん。あのチャラい女神を信じたアタシがバカだったよ」
彼女の喋り方は、私には怖いほど粗野だ。
あんた、なんて今まで面と向かって言われたことがない。
体を強張らせていると、男爵令嬢ははぁっと息を吐いてベンチに座り直す。
「ごめんごめん、八つ当たりしてるわけじゃなくてさ、アタシはもともとこんな喋り方なの。田舎丸出しで悪かったね。男爵家に引き取られるまでは牧場で育ったからさ。こうなったらもう取り繕うのもバカらしいし。殿下ぁとか媚びるのも疲れるし」
「あ、いえ……少し驚いただけです」
王太子アレクシスの前ではかなり猫を被っていたのだろう。もっと媚を売るような甘ったるい話し方だった。今はつっけんどんで鋭いが、この彼女の方が自然体だ。
「はぁーあ。やってらんない。女神に何にも言われずに放り出されちゃったよ。男爵家に引き取られた直後の夕食みたいな気分になっちゃった。まぁ、あんた、良かったじゃん。バカにしてたアタシが言うことじゃないけど、アタシのこと羨ましそうに見てたよね。王太子様のこと好きなんでしょ。今の状況は願った通りじゃん。なんでアタシにちょっかい出しにきてんの。心配しなくてももう近づかないよ、そこまでバカじゃない」
「えぇ、あなたが羨ましかったわ。ずっと、ずぅっと」
そう答えながら、私も彼女の隣に一人分あけて腰かけた。
彼女は意外そうに目を見張り、また少し笑う。
「ふぅん。だから、アタシのこといじめたわけ?」
「それは私じゃないわ。本当に、神に誓って。だって、そんなことをする女って絶対に嫌われるでしょう。なら、あなたを標的にするより彼に縋りつく方がいいわ」
男爵令嬢の教科書が破られたり、私物がなくなったりしていたことは知っていた。
「あんた、面白いね。まぁ、教科書をあんな風に破るなんてあんたの細腕でできるはずないしね。あんたを隠れ蓑にした誰かかぁ。はぁ、人生やっと楽勝になったと思ったのに、今じゃまた鼻つまみ者だよ」
「どうして、私たち以外に記憶はないのかしら」
「さぁ、女神の悪戯ってやつじゃない? あったらあの王太子様はさすがにもっと評判落ちてるでしょ。そんなこと喋りにここに来たわけ? それともお優しい公爵令嬢様はアタシに同情してくれたわけ? あんたのことバカにしてたアタシに? 何かしてくれるの? 同情するなら金をくれって感じなんだけど」
男爵令嬢は確かに少しあどけない可愛らしい顔立ちをしていた。
冷たく見える私とは大違いだ。
彼女の生い立ちは調べてきた。
男爵とメイドとの子供で、メイドは身ごもって男爵夫人に追い出されて、実家の牧場で彼女を生んで亡くなった。
彼女は牧場で働きながら生きていたが、ある日突然男爵が迎えに来る。容姿の優れた彼女をどこか格上の貴族と結婚させるつもりだったのだが、男爵は夫人を説得することはしていなかった。
引き取られて男爵家で待っていたのは、夫人による虐待まがいの足りない教育。それで学園に入れられたら、こうなるだろう。さらには女神の力であの逆ハーレム状態だ。調子に乗ってしまったのも仕方がない。
「同情、かもしれない」
「あんたさ、お人よしかバカって言われない?」
「あなたと私は同じだと思ったから話しかけたの」
彼女を調べて強く感じたのは、誰にも愛されていないということだった。なんで、この少女がこんな目に遭うんだろうと同情した。
それは私自身にも当てはまった。皮肉にも女神の力を与えられた彼女がいたからこそ分かったことだ。
金銭の苦労もなくたくさんの使用人に傅かれ、最高の教育を受けてきた。彼女のような口調で私は絶対に喋らない。
でも、常に感じていた。私は愛されていないと。
両親が見ているのは世間体だけ。
婚約者と王家が必要としているのは、ニールセン公爵家との縁だけ。別に私じゃなくていい。私でなければいけない必要性はどこにもない。じゃあ、私って何? 王太子が彼女に傾倒して、周囲から人がいなくなると余計にそれを感じた。
そんな中で彼女とは分かり合えるかもしれないと思った。今、私は婚約者から愛されているように見えるだろう。でも、虚しくて仕方がないのだ。この渇きを彼女なら分かってくれると。
「あんたとアタシが一緒? バカ言わないでよ。違うに決まってんじゃん」
「だって、あなたは誰かに愛されたいだけでしょう?」
「そんなん、誰でも当たり前。何にも努力しないで誰かに愛されるって最高じゃん。あの王太子様たちは金持ちで権力もあったしさ。いいよね、何もしてないのにプレゼントもらえて、ちやほやしてもらえるの」
「でも、女神様の力でそれを叶えるのは違うわ」
「どうでもいいじゃん、女神の力だろうとなかろうと。愛されたんだからいいんだよ。一瞬だけでも満たされた、アタシにはそれがラッキーだし重要。高位貴族様は難しいこと考えんの?」
女神の力でアレクシスから愛される状況は、最初は嬉しかった。
でも徐々に心に蓋ができなくなってきたのだ。
痛い、違う、虚しい。
だって、彼は女神の力によって操られているようなもの。彼がこの男爵令嬢に傾倒していた時を私はよく覚えている。
この記憶がなければ、私は自分を永遠に誤魔化していられたのに。
彼女はこの渇きを分かってくれはしないのか。
「だって、憎いんですもの。憎くて憎くて、どうにかなりそうなんですもの」
素直で明け透けな男爵令嬢を前に、私の本心が漏れた。
あぁ、これは正しくない。本心なんて漏らしてはいけない。そう教育されたのに。
でも、まぁ、もうどうでもいいか。どうせあの教育も女神の力の前では無意味。
「はい? アタシが?」
「いいえ、アレクシスが。憎くてたまらないの」
「あー、まぁ気持ちは分かるけどさ。ってか、アタシを憎むもんじゃない? あんたが近づいてきてアタシ殺されるのかと思ったけど」
「あなたのことはずっと羨ましかっただけ。私が受けた厳しい教育を何一つ熟すことなくちやほやされて愛されるあなたが」
「うわぁ、言うね。アタシも一応子供なりに苦労はしたんだけど。ま、確かにあんたから見りゃ何にもできない下品な女かもしれないけどさ。でも、なかなかすぐにはできないんだよ。必要性なくなったら口調だってすぐ戻っちまうしさ」
「分かっているわ。あなたの苦労は調べたから」
「さらっと言わないでくれる? 高位貴族様ってほんと怖い。アタシの情報丸裸じゃん。ほんと同情するなら金をくれ、だよ」
「あなたは今苦しんでる。でも、アレクシスはあなたに構っていたことも忘れて私に接してくるの。彼は何の誹りも受けず、何の苦労もせずにね」
私は苦しんだ。男爵令嬢も今苦しんでいる。それなのに、女神の力に振り回されただけの彼は何も苦しんでいない。羨ましくて妬ましい。何も覚えておらず、力の影響下にある状態を。
「あぁ、なるほどね。じゃあ、公爵令嬢様は王太子様をぎゃふんと言わせたいわけだ?」
「ぎゃふんじゃなくて、側にいると殺したくなるの。こんな醜い私は良くないわ。どうしてアレクシスだけ安全圏にいるの、どうしてこの人だけ傷つかないで済むのって。その気持ちが止まらないの」
「いやいや、それはさ、愛してるから憎いってことじゃん? ほら、アタシなんか王太子様じゃなくても、金持ちでちやほやしてくれるなら誰でもいいからさ。多分、そこの差だって」
「そう……」
そうか、彼女はアレクシスでなくてもいいからこの渇きを感じないのか。
愛されて虚しいなんて私は知らなかったのに。
それに、私が愛したのと同じ分は彼は返してくれない。同じだけ傷ついてもくれない。
「あなたは、また前のようなちやほやされた状態に戻れると言われたら戻る?」
「そりゃあ、戻るよ。当たり前じゃん。あんな状態最高だよ」
「例えば相手がアレクシスだったとして、これまでのことを全部水に流せるの?」
「あのさぁ、あの状態はアタシにとって最高なわけ。戻れるなら何としても戻るよ。過去とかどうでもいいじゃん」
「ふふ、私はね、そんな風に思えないの。今の状態が虚しくて仕方がないの。憎くて虚して痛い。だからね、もうやめにするのよ。もうお終いにする」
ベンチから立ち上がる。
「ちょ、あんた、早まるのはやめなよ」
男爵令嬢は何を思ったのか、私の右手を掴んできた。
彼女の手は温かかった。
「死ぬのはよくないって。あんた、公爵令嬢様なんだし、綺麗なんだし、大丈夫だって」
「ふふ、死ぬわけじゃないわ。でも、あなたとしては私がいなくなった方が都合がいいんじゃない? だってこの状態が終わるかもしれないもの」
「いやいや、今日死ななくてもさ、翌日死なれてたらなんか寝覚め悪いじゃん。アタシなんてこの学園にいるのが間違いみたいな存在なんだし。でも、あんたって公爵令嬢様なんだし婚約者なんだし……なんかまぁいろいろあるんじゃないの? 生きてれば一つくらいまたいいことあるって」
バツが悪そうな男爵令嬢の顔は面白い。
私は久しぶりに令嬢の微笑みではない笑みを浮かべた。
「女神様、お聞きでしょうか。もう、十分です。お返しします」
「ちょっと、あんた。何やってんの。空中に話しかけるなんて狂ったと思われるよ」
「女神エロイーズ様!」
「やめなって! あんた、このままでいいじゃん! 王太子殺したって女神の力で……何とかなるかもしれないって!」
『偉大で美しい私を呼びつけるなんて、いい度胸してるわね』
「ひぃ、出た!」
『なによ、私を幽霊みたいに』
いつの間にか目の前に退屈そうな女神エロイーズが立っていた。
「女神様」
私は彼女に礼をとる。
「どうか、私の願いをお聞き届けいただけますでしょうか」
女神はじろじろと私と男爵令嬢を見つめ、ふんと鼻を鳴らす。
『ふぅん、あなたって生意気ね。ちょっと可愛いからって調子に乗ってるんじゃないの? 私が与えたものを、あなたのタイミングでもう要らないですって?』
「要らないのではありません。私は……これでは愛が分からないのです。確かに理想が叶いました。婚約者のあの人が私を見てくれる。側にいてくれる。それこそが幸せなのだと夢見た世界を体験できました。あれは私が理想とした愛そのものでした」
『ふぅん。いいじゃない。じゃあ、何が気に食わないわけ?』
「私がいけないのです。その理想の幸せな夢のような世界で私は愛を感じることができないのです。あれは愛ではなかったのです。私の知っているものは愛ではありませんでした。それを知ってしまったのです」
『で、そこの感謝しない女に力を今度は与えろって?』
「はい、どうか彼女に返してください。彼女は女神様の力で愛を感じるそうですから。私などよりずっと優秀で、女神様の御心にかなうものでしょう。今度は感謝を忘れないはずです」
「いや、めっちゃ無茶ぶり……」
同意を求めるように男爵令嬢を見たが、彼女はおかしな顔をして私の手を握っているだけだった。
『そこまで言うならいいけどぉ。でも、あなたのことは気に食わないわ。この私の力をもういいですなんて言う人間は初めてよ』
「申し訳ございません。私には過ぎたものでした」
『明日、覚えていなさい』
女神は不機嫌そうに消えた。
「うわぁ、何だったの……あれ」
「女神様よ」
「それは分かるけど……あんた、覚えてなさいって……女神怒らせてどうすんの」
「さぁ、神のことは人間には分からないものよ」
私は満足して男爵令嬢の手を外して去ろうとして、立ち止まる。
「ねぇ、明日かららしいから頑張ってね」
「あの女神、気まぐれだから何もしないかもしれないじゃん」
「そう、かもしれないわね。ねぇ、アレクシスに求婚されたらあなたはそれを受ける?」
「は? 球根? チューリップ? あ、求婚ね。条件によるわよ。贅沢させてくれて何もしなくていいってなら考える。アタシ、お勉強とか無理だから」
「ねぇ、もし求婚されたら一度断った方がいいわよ」
「何それ、あんたの負け惜しみ? 王太子様を傷つけたいってこと?」
確かにそう聞こえるかもしれない。あのアレクシスは断られたら傷つくかもしれない。別に彼を傷つけたくて言っているわけではない。
「一度健気に断って。身分の差がとか言ってね。そして二度目に頷くのよ」
「なんで、そんなめんどくさいことすんの?」
「女神の力を与えられた時でも、あなたに嫌がらせする人はいたんでしょう? だったら、あの力は万人に等しく効くわけじゃない。学園外でも有効かは分からない。私の場合は家でもあの力は有効だったけれどね。そういう効かない人を納得させるために、一度断って。二度も必死に王太子があなたに求婚したんだって流れを作るの」
「なんかお貴族様の政治って感じだね。二度も求婚するもんかな?」
「そこは一度目の断り方次第。好きだけど身分差が~って言えばいいのよ。だって、いつ気が変わるか分からないじゃない」
彼女の表情を見るに、私の言っている意味は分かっていなさそうだった。
「女神様もだけど、彼の気が変わるかもということね。結婚したらあれしろこれしろって言われる可能性があるのよ。そこで大変になるのは、間違いなくあなた。アレクシスは多少苦労するだろうけど、あなたの苦労ほどではない。だって、彼の生きてきた世界は変わらないし、大して何も犠牲にしない。平民になるわけじゃない。でも、あなたはたくさんのものを犠牲にする。大口開けて笑えないかもしれないし、裸足で走れないかもしれない。乗馬だってはしたないって言われる。贅沢とそれらの犠牲が釣り合うならいいかもしれないけどね。だから保険をかけるの。あなたは魅力的な求婚にすぐに頷いたチョロい女じゃないの。王太子に乞われて乞われて結婚する女になるの。そうしたら、彼にも少しは責任を負わせられる」
「それって……あんたがなりたかったものじゃない?」
「そうよ、でもなれない。はっきり分かるの、私にはなれない。なっても多分虚しくてたまらないの」
今度こそ私は男爵令嬢を振り返らずに立ち去った。
ずっと虚しかった心が今はなぜだかすっきりしていた。
***
なんなの、これ。
次の日、アタシは目の前で以前のようにちやほやしてくる王太子を見てうんざりした。
あの公爵令嬢様の言っていた通りだった。
次の日からまた以前のような状態に戻った。
急に王太子がちやほやしてきて、側近たちも咎めるわけじゃない。たまに令嬢たちに意地悪されるが、基本周囲はアタシに優しい。
多分、女神の力とは魅了だ。
魅了が効きづらい人間もいるようだが、大半はアタシに好意を向けてきてとても優しくなる。
一度こうなって、なくなって孤独になって、また戻った。
「ルルは王妃になりたいかい?」
王太子がそんなことを聞いてくる。まるで昨日の会話を聞いていたかのようだ。
「えー、でもアレクには婚約者様がいるじゃない? それにアタシは男爵令嬢でしかないから無理よ」
アタシの口からは自然と媚びた声が出て、一緒に反吐まで出そうになる。
愛されたい、そんなの当たり前だ。
何もしなくても愛されたい。
でも、そんなことはあり得ないからアタシは媚びた。媚びれば周りの男性は好意的になるから。だから、この態度はアタシの体に染みついてしまっている。
しかめっ面だったり、笑顔でなかったりしたら「愛想なくて感じわりぃな」って言われてきたから男性の前ではへらへら笑うようにした。バカっぽく見えるようにもした。そうすると、男性は好意的になるから。従兄には「お前バカか」って言われたけど。
「ルルがいてくれるなら婚約なんて解消する」
「えー、いいの? だって、ニールセン公爵家でしょぉ? 絶対無理だよ」
なんてバカらしい会話。以前の記憶があればムカつくわけだ。
「おい、あいつを呼んできてくれ」
王太子は側近に命じて、公爵令嬢様を連れてこさせるようだ。
あの公爵令嬢様はこの人のことが本気で好きなのに、可哀想。
なんで女神の力を拒絶したんだろ。
アタシはあの人が羨ましかった。綺麗で、品があって、お金もあって、カッコいいお金持ちの権力者の婚約者までいる。
その人がたった一つ手に入れられなかったのが、王太子の心だ。
まぁ、女神の力だったんだけど。でも、彼女は女神の力で手に入れても違うと突っぱねた。あのままでいれば良かったのに。まぁ、アタシのこと見てたなら、女神の気まぐれで取り上げられる力ってのは分かってたはずだから拒絶したのかも。
でも、アタシみたいな男爵令嬢にはそれでいい。
いつ取り上げられるか分からなくても縋りたい。一瞬だけでも満たされたい。
なんか、ギャンブルか浮気の言い訳みたい。
「何、学園に来ていない? しかも休学届が出ている?」
あれ、あの人、学園に来ていないのか。
面白い。以前アタシがちやほやされていた時はどんどんやつれていったのに、学園を休んだことはなかったから。あれは王太子を少しでも見たかったからか、あるいはアタシに負けて休んだと言わせないためか。
もしかして、王太子を見捨てて留学でもするのだろうか。
それもいいと思う。
だって、こんな奴の愛を求めるなんて時間の無駄でしょ。
アタシはお金があって贅沢できればいい。王太子なら権力もあるからより融通利きそうだし。あの人も意地張らずに女神の力を手放さなきゃよかったのに。
椅子を引いてもらえて、美味しいランチもおごってもらえて、アタシは満足。
ふと、王太子の側近が持っている本に目がいった。あの忌々しい……あ、間違えた。あのステキな女神が描かれた本だ。
「それ、なぁに?」
「これは今日帰ったら年の離れた妹に読んであげるんですよ」
そういえば、この側近はかなり年の離れた妹がいるって言ってたような気がする。
「ちょっと見せて」
「どうぞ」
男爵家に引き取られて兄になった人物は、この男のように絵本を読んでくれるなんてあり得なかった。アタシのことやらしい目で見てきたしね。まぁ、あの頃のアタシは絵本さえ自力で読めなかったしね。
あんな男爵家にアタシは引き取られたくなんかなかったのに。
牧場で、従兄とケンカしてた頃が一番楽しかった。牧場の仕事手伝うのはしんどかったけど、従兄はアタシがどんな喋り方をしても気にしなかったし、面白くなくても無理に笑う必要はなかった。
牧場にいた頃は、綺麗なドレスもアクセサリーも何もいらなかった。ちょっと綺麗なガラス玉のついたネックレスを祭りで買ってもらって狂喜していた。
なんでアタシ、今ここでこんなことしてんだろ。
男爵が迎えに来てから全部狂った。忘れてたけど、あの頃は幸せだった。
学園に放り込まれてさ、泣いてたら女神が現れて提案にのっかって、ちやほやされたら勘違いしちゃったじゃん。
アタシって可愛いんだって。小さい頃から可愛いとは言われてたけど、王太子様までちやほやしてくれたら、ちゃんと愛されていい存在なんだって勘違いしちゃうじゃん。
意外と、叱ってくれたり、注意してくれたりする人の方が愛があるんだよね。
ちやほやするのってなんだか、愛玩動物扱いみたい。結局、アタシのことをバカにしてるからできるんだよね。
表紙で微笑みを浮かべた女神エロイーズにイライラしながら本を開く。
「え?」
私はページをめくって思わず固まった。
「どうした? あぁ、その話か」
「これって……」
「ルルは知らないか? 有名なおとぎ話だよ。女神の怒りを買った人間がカエルにされるんだ」
「えっと、すごく有名なの?」
「貴族は皆小さい頃に読むよ」
最初の一ページ目から、女神の怒りを買ったという綺麗な王女様がカエルにされていた。怖っ。
パラパラめくっていくと、カエルになった王女様は反省したものの、人間の姿には戻れない。婚約者にも拒絶され、湖に身投げするがカエルだから泳げてしまう。
なにこれ、コメディー? 面白いの? 笑うところ? 女神に背いたらカエルにされるっていう啓発本?
結局最後は王道展開、ずっと彼女を想ってきた護衛騎士のキスによって王女は人間に戻る。真実の愛がカギだ。
やっぱりコメディーじゃん。キスでカエルが人間に戻るわけないでしょ。それにカエルを素手で触んな。
ブツブツ心の中で思っていると、クスクス笑う声がした。
意地悪な令嬢たちが通り過ぎたのかと思ったら、隣のテーブルに女神が座ってデザートを食べている。
「なっ!」
『やだわ、コメディーなんて。それ、改変されているけど大体本当の話よ。私に逆らったらヘビかカエルにするの。絵本だとなぜかカエルが多いわね』
「え?」
「ルル? どうした?」
王太子たちには女神の姿は見えていないらしい。
声を上げると怪訝そうな目で見られてしまった。
『あの子も可愛いと思ったけど、気に食わないのよねぇ。ねぇ、あなたはあんな可愛くないこと言わないでいなさいよ? もう必要ありませんなんて』
ふふっと笑うと、女神の体はだんだん透明になっていって消えた。
手元の絵本に視線を落とす。
カエルにされた王女はあの公爵令嬢様によく似ていた。
コメディーかと思ったけど、確かにあの女神の性格ならやりかねない。まさか、あの公爵令嬢様はこれを分かってて昨日のことをやったってこと?
ほっとけばいい。
あの人のやることはあの人の勝手だし、アタシは自分が良ければいいんだから。
絵本を閉じて、側近の一人に返そうとする。
表紙の女神の微笑みがまた癪に障った。
あの公爵令嬢様だって、昨日アタシに話しかけなくて良かったはずだ。
なんで話しかけたんだろ。
同じわけないのに。あんな金持ちで、公爵家の人で、あんな綺麗な人がアタシと同じわけないじゃん。だから、少しでも奪えて嬉しかったのに。
返されたって何にも嬉しくないんだけど。あぁ、イライラする。食べる物にも着る物にも住むところにも困らなくて、ちやほやされて。これ以上何も考えることなんてないじゃん。
「ねぇ、アレク。公爵令嬢様には早く婚約について伝えてあげたほうがいいんじゃない? 今から家に行かない?」
アタシがいくらバカでも、公爵家にいきなり行って門を開けてもらえないことくらいは分かる。だから、目の前の男を利用することにした。
王太子と一緒だったため、ニールセン公爵家には簡単に通してもらえた。
これが権力。
下っ端の男爵家にはないもの。一度体験したらこの愉悦はやめられないよね。
昨日までアタシに偉そうにしてた人たちがへこへこするんだから。
ニールセン公爵とあの人の兄が出てきたが、公爵令嬢様は出てこない。
何やら体調不良らしい。公爵と兄がうろたえていてとても怪しい。
お手洗いに行く振りをして、片っ端から部屋の扉を開けていく。普通の令嬢ならこんなことしないんでしょうけどね。まぁ、アタシだってもう失うもんないから。あの男爵がどうなろうと知らないし、女神の力を与えられているみたいだし。
ようやく見つけた令嬢らしい部屋には、彼女はいなかった。
だが、テーブルの上で何かが跳ねる。
青い綺麗なカエルだ。
絵本ではブツブツのある不気味なカエルにされていたが、あの人の目のような綺麗な色のカエルがテーブルに鎮座している。
またクスクス笑う声が聞こえた。
ハッとすると、部屋のソファに女神が腰かけて紅茶を飲みながら笑っている。
小指立てて飲んでいるのは何か意味があるのだろうか。
『ね、言ったでしょ。結構綺麗なカエルじゃない?』
やっぱり、あの絵本って本当なんだ。
呆然と女神とカエルを交互に眺めていると、王太子と公爵たちが部屋に入って来た。
この際、令嬢の部屋に勝手に入るのはどうかという常識は置いておく。勝手に入ったのはアタシもだし、なんなら女神もだ。女神に人間のルールが関係あるのか知らないけど。
公爵が慌てて、朝起きたら娘がカエルになっていたという話を王太子にしている。
「あぁ、じゃあちょうどいい。ニールセン公爵令嬢との婚約は解消する」
心配も何もしない王太子は嬉々としてそう告げている。
やっぱりさ、こんな男好きになるべきじゃないよ。いくら女神の力っていっても。最低じゃん。
「ねぇ、アレク。あの絵本みたいにキスしたら戻るかも」
気づいたら、アタシは媚びた声でバカな提案をしていた。
部屋に女神がいなかったらこんなバカげた提案はしなかった。
「は? するわけないだろう。カエルだぞ?」
青いカエルはその言葉におそらく悲しそうに頭を下げる。
「えーでもぉ、まだ婚約者なんだし。アタシも寝覚め悪いから公爵令嬢様にも結婚を祝福してほしいなぁ」
いろいろ言い募ってみたが、王太子はカエルを見て嫌がるだけだった。
「じゃあ、試すだけですし。ほら、可愛い娘・妹にキスすると思って。戻る方法があるなら何でもすべきですよぉ。ほら、カエルになるなんてファンタジーは絵本しかないですから、絵本の通りにすべきじゃないですか?」
公爵と兄にも提案するが「何を言ってるんだ! 気持ち悪い!」と断られた。
青いカエルはもういいとばかりに首を振り、女神は上機嫌にクスクス笑っている。
じゃあ、護衛騎士か従者か。いろいろ振ってみたが、皆嫌そうに下がるだけだ。
何なの、これ。
一人くらいキスしたらいいでしょうが。カエルとキスして死ぬわけ?
アタシはやっと、公爵令嬢様の言っていたことが分かった。
憎いは分からない。だってアタシは自分が一番可愛くて、誰かを愛したことがないから。
でも、虚しいは分かった。
今、アタシはすごく虚しい。
アタシがカエルになっても、きっと誰もキスなんて試そうともしてくれない。
それが、公爵令嬢様でもそうだなんて。こんなにお金持ちで、血のつながった父母兄もいて、いっぱい傅かれてるのに。
何これ、こんな風に誰からも愛されてないって、気にもかけてもらえてないって示されなくていいじゃない。
あの人、孤立したアタシにわざわざ話しかけに来たんだよ? 話しかけに来なくて良かったのにさ。女神の力だって女神が飽きるまで持ってて良かったのにさ。
アタシがつっけんどんな庶民の話し方をしたって、怒らなかったんだよ? あの人は話をちゃんと聞いてくれた。しかも、求婚一回断った方がアタシのためとか言ってた。
確かにそう。アタシも、求婚されてほいほい頷くヒロインなんてよく考えたらバカっぽくて嫌いだ。
あんなこと、誰も言ってくれなかった。
ちやほやされる前は皆「マナーが違う」とか「喋り方が田舎者」とか「臭い」とか文句を言うだけ。文句ならサルでも言えるでしょ、お貴族様のくせにサルと同程度かよ。
「じゃあ、もういいです」
「あぁ、ルル。もう帰ろう。婚約解消の書類は送るから」
王太子を無視して、アタシはテーブルに歩み寄って青いカエルを掴んだ。
カエルは嫌がっているのか逃げようとしている。
「確かに、あんたはアタシと同じだわ」
こんなに豪華な部屋を与えられ、多くの使用人がいても、愛されていないのだから。
アタシは実家の牧場での方がまだ愛されてた。知らなかったよ、そんなこと。何でさぁ、失くしてから気づくのかな。
「でもね、違うところがちゃんとあんのよ。あんたは自分のこと嫌いだから、どんだけ愛しても返ってこないし虚しいのよ。アタシは今それに気づいたから」
手の中で青いカエルは黒い目を大きくしている。
ねぇ、まさかこれ毒のあるカエルじゃないわよね?
「だから、アタシが不器用なあんたのことを愛してあげる。だって、あんた、昨日アタシに愛をくれたじゃない。アタシはどっかの王太子様とは違うからさ、ちゃんと返すわよ」
カエルの目でこちらを見ている。
アタシは素早くカエルの口であろう場所にキスをした。
アタシのファーストキス、カエル相手なんだけど。
冷たい感触がして、王太子たちの悲鳴が聞こえる。
目を開けると、ネグリジェ姿の公爵令嬢様が床にしゃがみこんでいた。
寝巻きまで高級だ。
さて、ここは昨日ぶりの感動の再会を祝すのが先か、手と口を拭くのが先か、ネグリジェ姿を隠すのが先か。
若干悩んでいると、女神のいた方からパチパチ手を叩く音がした。
「うふふ。ねぇ、愛が体験できたでしょ? 願い通りね? 私もいいもの見られて満足だわぁ」
絵本の表紙のような、嘘くさい慈愛に満ちた笑みを浮かべて女神が言う。
「絵本の話だって皆ロマンチックに信じてるけど、本当はキスしたのは護衛騎士なんかじゃないのにね、ふふふ。やっぱり歴史は繰り返すのよ。いいわねぇ、可哀想でみっともなくて、でも可愛い」
ふふっと女神エロイーズは笑って、人差し指を見せる。
そこには小さな緑色のアマガエルがのっていた。ちょっと可愛い。
「それに、私はカエル好きだしね。何で皆嫌うのかしら。絵本もあんなカエルを書いてくれちゃって。ねぇ、真実の愛が男女のものだと誰が決めたの?」
その言葉で、アタシたちは女神に遊ばれて試されていたことに気づいた。まぁ、提案にのっかったのだから自業自得ともいえる。
しゃがんでいる公爵令嬢様の腕を取って立たせると、彼女はアタシを見て柔らかく笑った。
学園のベンチで話した時のように、嘘くさいお手本の笑みではない。
女神の提案にのっかった結果だとしても、アタシも公爵令嬢様ももう虚しさは感じていなかった。
女神が提示した中から、アタシたちは愛を拒絶し、そして選んだのだ。




