流れ着く記憶 第一話
この奇妙なる逸話は、ある夏の日の出来事である。私はその日の早朝、旅の目的地であるベノブル島の港に到着した。これは想定通りだが、辺り一帯は観光客であふれかえっていた。浮かれた若者たちの口笛が辺りに響き渡っていた。彼らは一様に幸福そうな笑顔を浮かべ、差し当たっての食事や、これからの旅程について楽しそうに語り合っていた。私としては彼らの動向について何の興味もなく、それらはずいぶん遠い声として聴こえてきた。港の女性係員に今回の来訪の目的について尋ねられた。私は仕事でここを訪れたことを正直に伝える。係員はその仕事内容を聞くと幾分狼狽した。私は目的を果たすことができれば、すぐにでもこの地から立ち去ると明言した。仕事の前にはいつも思うことだが、自分がこれから成さねばならぬことを考えると、気分は憂鬱になった。タクシーに乗ると、ロンド氏の自宅まで行くように運転手に告げた。運転手から彼がこの島でも有数の富豪であることを教えられる。訪問の理由を尋ねられた。
「率直に言えば、彼にもその時が来たということです」
自分の仕事内容をそう告げると、運転手に非常に驚かれる。私の仕事とは、人間が決して目を背けることのできない現実でもある。仕事というものは天から与えられるものであり、私は誰に知られても恥じることなくそれに没頭できる。もう少し言わせてもらえれば、自分が選ばれたのだから仕方がないだろう。タクシーは海岸沿いの立派な道路を三十分ほどかけて走った。車が邸宅に着くと、ロンド氏は外まで出てきて出迎えてくれた。
「まさか、このようなタイミングで貴方が訪ねて来るとは……。この私にもついにその時が来たのですな」
「その通りです。色々な準備をなさっていましたか?」
私は冷静な態度でそのように切り返した。
「そうですか……。しかし、深く考えると、これは良いことなのかもしれませんな……」
彼は私の目的を悟ると、落ち着いた口調でそう述べたが、しばらくは放心状態の様子であった。過去には私の来訪を知ると、必要以上に混乱したり悪態をついたりする人間が多くいたので、ロンド氏のこの落ち着いた反応には好感を持った。彼の豪奢な邸宅の居間に案内され、そこでアイスティーをご馳走になる。私の目は天井から吊るされたラスビット社製の巨大なシャンデリアや、赤絹ばりの大きなソファーや、十人が同時に着席できる巨大なダイニングテーブルなどの家具をつぶさに観察した。ロンド氏はこれらの高価な品について必要以上にひけらかすことはしなかった。
午後になると、我々は青緑色の海に囲まれた美しい海岸を散策した。多くのカモメが空を舞っていた。彼にどのようにして多くの資産を築いたのかを尋ねると、女性ものの衣類のデザイナーとして名を馳せていた過去があることを話した。
「今は海岸に流れ着く芸術品の回収をしている」とロンド氏は話してくれた。私がその言葉を不可解に思っていると、「ほら、貴方の足元にも輝ける宝がありますよ」
そう言ってロンド氏は私の足元を指さした。そこには金色に輝く物体が流れ着いていた。拾い上げてからハンカチで表面にこびりついた砂をぬぐうと、黄金製の見事なバングルが姿を現した。彼の話によると、この辺り一帯の浅瀬は複雑な形状をしていて、十九世紀の初頭までは、豪華客船や海賊船などが、この地でたびたび座礁していたために、今になっても、それらの船から流出した値打ち品などが海岸に流れ着くのだという。彼はそれを海の記憶と名づけて、この島の北部に存在する美術館に寄付しているのだという。はじめ、私の目には彼が嘘をつくような人間には見えなかった。世の正直者を代表するような人物にさえ思えた。しかし、人間とは嘘と共に人生を歩む生物である……。私はすべての人間の自己主張を疑ってかかるように教育を受けていた。
私の見たところ、ロンド氏は優しく丁寧で人格を兼ね備えた人物であった。この私を特別な客として迎えてくれた。人間の生活において、もっとも重要なのは神々への祈りであると彼は説いた。すべての人間に向けて、感謝と尊敬の念を持っていれば、必ず幸せに迎えられるとも述べていた。もちろん、それらの有難い説教が、私の心の奥にまで届くことはないのだが……。
邸宅の居間や寝室にはいくつもの美しい女性の写真や絵が飾られていた。綺麗な黒髪は肩まで伸ばし、どの写真においても控えめな笑顔を浮かべていた。私はその人物について尋ねないわけにはいかなかった。ロンド氏の話によると、彼女は彼の義理の娘(妻の連れ子)であった。別れた妻が数年前に遠地で亡くなったために、ある日、彼を慕って突然訪ねて来たのだという。彼自身も自分にそのような可愛らしい娘がいるとは、実際に会ってみるまで、まったく知らなかったらしい。
数年の間、ふたりは幸せに暮らしていた。ロンド氏は資産を削ってまで、娘にたくさんのアクセサリーをプレゼントした。彼女は分別をわきまえた人であったから、それらの贈り物について手放しで喜んだわけではなかったけれど、装飾品を身に付けることで、ますます美しくなったという。その娘さんは今現在はどこで暮らしているのかと私は尋ねてみた。すると、ロンド氏の顔が途端に曇りだした。彼女は三年前に恋人を見つけ、ここを去っていったのだとロンド氏は告白した。彼は以後不機嫌になり、その後の詳しい話は避けた。ただ、今でも時折夢に見る忘れられない存在であるとは述べた。私はこのロンド氏の邸宅にしばらく留まることにした。もちろん、重要な仕事のためである。
二日目の夜、夕食後に私のリクエストしたモーツァルトのレコードを聴きながら、しばし語り合った。都会とは違いこの島の夜は実に静かである。騒音は一切なく、波の音だけが海岸から響いてきた。それは時に眠気を誘った。この静けさは永遠に続くようにも感じられた。私はこの地方の海の美しい景観を引き合いにだして、「もし、サーフィン同士のいさかいが発生して、殺人事件でも起こり、ひとりが海に沈んだとしても、その遺体は誰にも見つけられないでしょうね」などと話しかけた。すると、彼は突然憤り、「この美しい島においては、人を殺すなどという乱暴な仮定を持ち出さないで欲しい」と怒鳴りつけられる羽目になった。彼はかなり錯乱した様子であったが、すぐに平静に戻った。ロンド氏の突然の激怒は、私の心に強い印象を残した。
三日目の早朝、私はひとりで海岸を散策中に女性ものの複数のアクセサリーを発見した。どれもが傷ひとつない逸品であり、その手の店に持っていけば、相当な値段がつくものと思われる。かつて沈没した船からの流出品があると言っていた彼の言葉は、これで裏付けられた。しかし、その装飾品を彼に見せると、ひどく困惑したような様子を見せる。これは私にとって意外な反応であった。
「まさか、こんな時期に私のもとへ流れ着くとは……。まるで、貴方にそれを見て欲しいかのようですな……」
彼はそんな風に感想を述べた。その辺りから、ロンド氏の様子に変化が生まれる。不自然によそよそしくなったり、時折、「誰かに見張られているような気がする」と身の危険を訴えたりした。その夜、ふたりでチェスをしていると、彼は体調不良を訴えて、ゲームを途中で打ち切り、その姿は寝室に消えていった。しばらくすると、猛獣のような叫び声が居間まで響いてきた。これはただ事ではない。彼の寝室のドアを強くノックしてみたが内部からの反応はなかった。ドアの内側からは不可解な寝言が明け方まで断続的に響き渡っていた。彼が目に見えない何者かを意識して叫んでいることは明白であった。しかしながら、私はそれを当たり前のことのように受け止めていた。
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