解釈篇 2
▶かつて大岡昇平氏は、幸田露伴と泉鏡花を比較し「露伴の男性的に対して、鏡花は女性的であり、前者が尊崇され、後者は愛好されるという違いがある」(「解説」文藝春秋社版『現代日本文学館』3、昭和四十三年)と述べたことがあった。まことに鏡花は昔から「愛好される」作家だった。愛好者はみずからを〈鏡花党〉あるいは〈鏡花宗の信者〉と称し、その心酔を公言してはばからなかった。◀(吉田昌志『泉鏡花 "美と永遠"の探求者』)
……とある通り、鏡花はまさに読者から「愛好される」という接し方がふさわしい作家なのだが、その「愛好」にはかなりの束縛が含まれてはいないだろうか。平生から愛好していなければ作品の意味がよくわかず、味読には鏡花的作品にだけ通じる特殊な教養や読み解き方が求められる。だからこそ「愛好」の姿勢が強要される、ということでもある。
『瓜の涙』にみられる、その「愛好」の主たる証左である、鏡花の自伝的要素について。
主人公の松野謹三には、明治二十五年、数え二十歳の頃に生家を消失して帰郷、二年後の明治二十七年に父親を亡くして経済的に追い詰められた鏡花自身が、あきらかに重ねられている。
これと同じ状況は、当時の苦境をリアルタイムで作品に取り入れた『鐘声夜半録』以来、遺作の『縷紅新草』にまで繰り返されるモティーフゆえに、鏡花愛好家にとっては過去に読んだ作品の記憶が積み重なる設定でもある。
興味ぶかいのは、「三」の記述では主人公は去年の秋に帰省したとあって、桃の木の下の娘に逢ったのは今年の春であり、そのときのことを夏の盛りである今の時点から回想しているのだが、「六」で数ヵ月ぶりに娘と再会したときには「二つばかり年は長けたが」と、二年ほどの年月が経過したように書かれていることで、これはあきらかに矛盾している。
普通に考えれば、最初の帰省から二年後に父を失った作家自身の実体験の時間が、作中の時間の流れと取り違えられたゆえのミスなのだろう。
しかし、本当に単純なミスなのかと疑わせるのが鏡花らしいところであって、「鏡花宗の信者」としては、これは現実と虚構を混交させる手法であり、果ては仙界と現世との時間の流れの違いについてまで思い至らせるための、わざと見逃された誤謬ではないかと思えてならない。
……いや、そんなことを書いているうちに、これほど単純なミスを鏡花が犯すはずはなく、故意に仕組まれた愛読者への目配せなのだとしか思えなくなってきた。
夢幻能の様式について。
これは能についての知識が浅くても、鏡花小説をいくつか読むうちに、ああ、あの段取りで語られる話だと自然に身についてくる。
『瓜の涙』はとりわけ典型的に夢幻能様式に従った作品のようだから、馴れた読者には前半に登場する桃の木の下の娘(前シテ)が、後半では姿を変えて再登場(後シテ)するのだろうと察しがつく。本来ならばシテが語るべき物語は、ワキにあたる松野謹三による回想に置き換えられている。
ここで効果的なのは、「何か用か」という怒鳴り声が山懐から聞こえたという「四」の末尾である。前場の末尾にあたるのだろう場所に強烈なアクセントが加えられて、物語の推進力とする工夫になっている。
現実的に捉えれば娘の父親か、あるいは私有地の持ち主の声なのだろうが、あえて「山懐から」聞こえた声だとぼかすことで、謹三が見つけた桃源郷が神話的な格を帯びることになる。
寺山修司が昭和五十五年にラジオドラマ向けに脚色した『瓜の涙』では、この「何か用か」という声があからさまに誇張されて、まるで異界の鬼神の禁忌に触れたかのような大音声で繰り返されていた。
さて残されたのは、神話や伝承の物語パターンについてなのだが、『瓜の涙』には作品の短さに対しては過剰なほどに、多くの別物語が前半部分に埋めこまれ、あるいはほのめかされている。
・義経の都落ちにまつわる伝承
・海豚の群の神仏参詣
・花の海市(蜃気楼)の口碑
・雲井の桜の伝承
・桃源郷の伝承
・本願寺の屋根にかかる紫の雲
・タコとイカとハマグリの笑い話
このなかで特に注目したいのは、「二」で挙げられた、五智の如来を参詣するために列をなして泳ぐのだという海豚参詣の伝承である。
本文中では入道雲を描写する比喩として埋めこまれているから、さらりと読んだだけでは見落とされがちな部分だろう。「五」においても海豚参詣のイメージは、入道雲を描写することで間接的に繰り返されている。さらに「六」では、海豚たちの幻像が、直後に姿を現す遊女たちの列と重ねられるのだから、目立たないように書かれてはいるものの、いったん気づいてしまえば、見棄ててはならないものに感じられる。
じつはこの海豚参詣というのは、柳田國男が民俗学の研究テーマとして提案した事項でもある。以下、柳田が『海上の道』に掲載した該当箇所の全文を引用すると……。
▶二 海豚参詣のこと
これは三十年近くも前から、心に掛けている問題だが、旅行を止めてしまって、急に新らしい材料が集まってこなくなり、しかも関心はまだなかなか消え薄れない。この大きな動物の奇異なる群行動が、海に生を営む人々に注意せられ、また深い印象を与えたことは自然だが、その感激なり理解なりの、口碑や技芸の中に伝わったものに、偶然とは思われない東西の一致がある。それを日本の側において、できるだけ私は拾い集めようとしていたのである。或いは他の色々の魚群などにもあるかもしれぬが、毎年時を定めて廻遊してくるのを、海に臨んだ著名なる霊地に、参拝するものとする解説は、かなり弘く分布している。これも寄物の幾つかの信仰のように、海の彼方との心の行通いが、もとは常識であった名残ではないかどうか。出来るならば地図の上にその分布を痕づけ、かつその言伝えの種々相を分類してみたい。新たに捜しまわるということはできぬだろうが、現在偶然に聴いて知っておられることを、なるべく数多く合わせて見ることが私の願いである。◀(柳田國男『海上の道』(昭和25-36))
青空文庫
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上の「海豚参詣のこと」が文章にまとめられたのは昭和の半ばだが、『瓜の涙』が書かれたのは、柳田が官界を去って本格的なフィールドワークに取り組みはじめた、ちょうど「三十年近くも前」の時期にあたる。この頃には鏡花と柳田の交流は希薄になっていたとはいえ、鏡花は何かしらの手段によって柳田が採取した伝承を知ったのかもしれない。あるいは以前から知っていたそれを柳田の考えに触発されて作品に取り入れたのかもしれない。
作中では海豚たちは「五智の如来へ詣ずる」とはぐらかされているのだが、柳田のことばに差し替えれば「海に臨んだ著名なる霊地」、つまりニライカナイのような場所を目指しているのであり、そこはあの世へと通じる浄土でもある。海豚たちの姿に重ねられて、列をなして進んだ末に海上へと向かう遊女たちが目指す地にもまた、諦念と死が重ねられるようだ。若い二人には、どうにもならないこの世を捨てた、来世での再会を目した心中が暗示されているのだろうか。
このように私は『瓜の涙』という小説を、恋に落ちた男女の絶望をより濃いものとして受けとめながらも、列をなして霊地に向かう海豚という、どことなく明朗でユーモラスなイメージを重ねた、暗澹としてはいるが、他方では青春の朗らかさに照らされた作品として読んだ。
そうした、作品の基調と相反する牧歌的な明るさを感じさせるのは、作家としての晩年期にさしかかろうとする鏡花のノスタルジーゆえかもしれない。けれども、ノスタルジーに浸るにあたっても、鏡花は感傷に溺れることなく、ひたすら内に込める語り口によって、作品を弛緩させることがない。感傷的な作品であると同時に、金属に刻みこまれた工芸品的な硬質さを維持するかのような、そんなストイックな美意識こそが、後期の鏡花が行き着いた洗練の極なのだと感じている。
(了)
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……『瓜の涙』には、じつはもう一つの読み方を考えていました。そちらもいずれ、追加して書くことになるかもしれません。




