読書篇
今回の鏡花読書は、日記に書いているものとは趣向を変えて、青空文庫で原文を見ながらという体裁で『瓜の涙』という短篇を読んでいこうと思います。全集でわずか二十四ページ、七節からなる短篇です。
『瓜の涙』は、短いながらも、泉鏡花という作家はどんな小説をどのように書いたのかを、典型的に示す傑作だと感じています。
これを機に『瓜の涙』を読んでみようか、読み直してみようかという方がいらっしゃいましたら、先に本文を読んでいただくか、あるいは別ウィンドウやスマホ等で本文を表示しながら、下記の要約文と照らし合わせて読み進めていただければと思っています(『瓜の涙』は、紙媒体では岩波「鏡花全集」巻二十、ちくま文庫「泉鏡花集成」第七巻に収録されています)。
『瓜の涙』(大正九年十月)
青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/48328_34401.html
以下、若干の語釈も含めた要約文によってストーリーを追った上で、鏡花小説をどう読んでいるのか、『瓜の涙』という小説をどう読み解いたのかを書いていくつもりです。一つの小説をひたすら読み込んでいくだけの地味な作業ですが――私にとっても、おつきあいださる方にとっても――一人で読んだときとは若干違うものが見えてくるかもしれません。
〇
瓜の涙
一
① 二十歳そこら(満年齢で十七歳から十九歳あたり)の学生帽をかぶった青年が、炎天の並木の下で煙草を吸っている。東京の学校から帰省中のようである。
場所は、「(金沢)城下から海岸の港(金石)へ通る二里余り(8kmほど)の並木の途中」とあって、おそらくは現在の地図に金石街道という名が記されている、金沢と金石を結ぶ道のことなのだろう。
金石は中世から海運の要所として栄えた港町なのだそうで、同地を表す宮の越(宮腰)という古地名は『義経記』にも記されている――と、鏡花は『義経記』の一節を引用してみせる。いわゆる義経の都落ちの途上である。
地元の伝説によれば、ここで義経は巨石に腰かけて、遅れて追ってくる正室の久我大臣の姫の到着を待った――ゆえにその石は、義経の人待石と呼ばれている。
現在の金石街道沿いにはそんな巨石はないようで、大正期以降の開発に伴って撤去されたのかもしれない。
② 松の枝がしなだれかかる巨石の周辺には清水が湧いていて、名水、並木の清水と呼ばれている。清水茶屋という出茶屋があって、まくわうり、すいか、桃、すももを清水で冷やして売るのが土地の名物になっている。
二
① 炎暑のもと、人通りは絶えているが、この松の木陰だけは涼しい。
大空には、入道雲が低くむくむくと並んで、動くとも見えず、気がつけばヌッと動いている。それを見た青年は、「有磯海から親不知の浜を、五智の如来へ詣ずると云う、泳ぐのに半身を波の上に顕して、列を造って行くとか聞く、海豚の群」を連想する。
有磯海(富山湾の古称)から新潟県糸魚川市西端の親不知子不知の浜へ、というのは、『取舵』(明27)にも描かれていた海路であって、鏡花は若いころかあるいは別の機会に、そういった伝説を耳にして、記憶に刻んでいたのだろう。
② 青年はこの年頃の若者らしく判官贔屓のようで、古跡に敬意を払って煙草に火をつけたマッチを棄てず、燃えさしの軸をもとの箱に入れて袂にしまう。
そして松を見上げると、この松にちなんだものかもしれない笑い話を思い出す。北海のタコとイカとハマグリが、開帳参りの道中の慰みに一芸を披露する。タコは松の木のてっぺんに這い上って藤の花房に、イカは枝に上って鳶の梯子乗りに自らを見立てる。するとハマグリは殻を開いて、「善光寺様、お開帳」とおどけてみせる。
三
① 青年にその笑い話を語ったのは、かつて顔見知りだった職人である。塗職人であった彼の父が大勢の職人たちと彼を連れて、金石の海で鰯獲りの遊興に出かけたときだった。
今となってはそれは、幸福だった子供時代の思い出で、現在の成長した彼、松野謹三は打って変わって苦境に立たされている。
東京の学校で学んでいた謹三は、去年の秋に実家が火災に遭ったことを聞いて帰郷した。家は全焼していて、父親は病に伏し、やがて亡くなった。顧客から預かっていた高価な品々を弁償すると借金だけが残り、彼は貧乏寺の一間を借りて、年老いた祖母と幼い弟を養うことになった。
② その日の食事にも事欠く生活のなかでも祖母は弱音を吐かず、工賃の貸しがある店を老脚で訪ねたり、孫たちの滋養のために卵を工面して与えたりもする。そんな姿に励まされた謹三は、今日も貸しのある金石港の商人を訪ねる途上にあった。
けれども今、彼がこの人待石で憩うているのには、この場所になんらかの思い入れがあるからのようだ。
四
① この人待石から金沢城下を振り返ると、三月、四月の頃には、町に天の川が横たわるように紅の霞がかかるのが見える。だがその霞は、桜の名所の紅を映したものではないようだ。幻だと言う人もいれば、桃の花の色ではないかと考える人もいる。信心深いものにしか見えない本願寺の屋根の紫の雲というわけでもなく、誰にでも見えるのだから、花の蜃気楼だ、海市(蜃気楼)だと騒がれて、町から見物人が出るほどだ。
しかし謹三は、人々が見る花の影ではなく、それを見せる花そのものを知っていた。
② 今年の春の末のこと。家も父親も失って、その日の食事にも窮するようになった彼は、じっと寺に籠もってもいられず、町や辻をうろついていた。やるせない気持ちから信心をはじめて市内の神社仏閣を巡礼し、「ご飯がたべられますように」と祈っていた。
そんなある日、妙見菩薩を祀ったある寺の墓所に、京の友禅や江戸の某俳優の墓があると聞いて、そこを訪ねた(友禅とは、金沢出身で友禅染の創始者、宮崎友禅斎のこと。墓があるのは金沢市東町の龍國寺だが、稲荷神を祀る寺で妙見宮ではない。現実の一部を改編した創作なのか)。
そのときふと、生け垣から綺麗な色が覗いた。
③ 蝶に憑かれたようにその影を追って、謹三は往来に出た。
肥だめの臭気が漂い、馬の足跡が散った田園風景に、紫雲英や菜の花が咲き乱れている。なかでも一株の桃の木が静かに、そして壮絶に美しく、真紅の花を咲かせているのが目に留まる。山際から視線を崖上に向けると、一面の桜が広がっていた。それまで知らなかった絶景を散策しながら、彼は春昼の桜に心を吸われる思いである。
④ 帰宅後にその場所の夜景を夢に見た謹三は、翌日もその翌日も桃の木のある里に通った。その三日目に、十六、七の美しい娘を見た。桃の木の下にたたずむ娘のあでやかさに気後れした彼は、二日ほど行くのをはばかったが、三日後に訪れたときに、また見かけた娘と目が合った。
「どなた?」
と娘から声がかかったとたん、山懐から「何か用か」と怒鳴り声がした。とっさに「失礼」と詫びて逃げ帰ってからは、一度もそこを訪れていない。
五
① 謹三にとっては、その花の里が神秘的な霞の実体たる仙境であり、その娘こそが雲井の桜のぬしであった。けれども苦しい境遇下にあり、しかも感じやすい年頃の彼は、家で娘のことを思うことすら気まずさを感じている。そこで彼は外出の機会に娘の姿を人待石の上に思い浮かべながら、城下の花の霞を空想していたのである。
② それでも人目を気にする彼は、周囲に目を配った。人の姿といえば、清水の茶屋に女中と亭主、座敷で寝転がった客の姿が見えるばかり。
清水に揺れる松の影。蝉時雨。町外れには湖(河北潟)が水銀のような水をたたえている。むくむくと列を造る、あの入道雲。静かに湧きあがる清水。銀蠅の羽音。そこへ……。
六
① けばけばしい化粧をした、年増を交えた若い女たちが街道をやって来た。汗まみれで、一列になって歩いてくる女たちは、どうやら二人の男から追い立てられているようだ。
ここに清水があることに気づいた女たちは、年増女を先頭に茶店に駆け寄る。後ろにいた男は、ここで休息をする代わりに、港ではどこにも寄らずに船に乗ることになると言う。女たちは、暑い暑いと言い交わしながら水を使う。年増女が縁台で裸になったので、謹三は顔をそむける。
② 女たちに冷えたすいかをおごる年配の男は女衒で、身売りをした彼女らを船に乗せて、遊廓に送り届けるところらしい。
すると女たちのなかから土手に出て、松の根元に立った娘がいた。二つほど年を重ねてより女らしくなってはいるものの、謹三があの花の里で見た娘に違いなかった。
七
娘の境遇を察して謹三は身を震わせ、顔をそむけた。
と、港の方に黒煙の柱が立って、みるみるうちにこちらへと向かってくるのを見た。
思わず「火事だ」と彼は叫んだ。
迫り来る黒煙に立ち騒ぐ女たちの悲鳴が飛び交う。謹三の袖には、あの娘が引き添っている。彼の胸には血の涙のような清水が流れ落ちる。
ぱらぱらと火の粉が降ったかと思うとそれは大粒の水滴で、なかには金色の鮒が混じっていた。
「火事じゃねえ、竜巻だ」
「可恐い……」
とすがりつく娘の手を、謹三は思わず握りしめる。
――これから彼らはどうなるというのか。……(了)




