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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

呪文師樒

ただ眠っていただけなのに誰も信じてくれない


「私じゃありません!」


取り調べ室にスカーレットの声が響いた。彼女の前に座っている刑事、グスタフは眼鏡を外し、眉間を右手の親指と人差し指で摘んだ。


「信じてください! 私じゃないんです!」

「では、誰が加害者だと?」

取り出したハンカチで眼鏡を拭きながら、グスタフは焦点の合わない目でスカーレットを見た。


グスタフは公爵家の四男で、主犯が分かりにくい事件でも難なく紐解く凄腕の刑事。貴族相手でも容赦なく、賄賂にも靡かない。清廉潔白な刑事として一部の者には煙たがられていた。スカーレットは伯爵夫人とはいえ、元は子爵家の令嬢。一見簡単なはずの事件をグスタフに押し付けたのは上司の一人だろう。


「知りません! 起きたら夫が死んでいたんです!」

眼鏡をかけ直したグスタフはスカーレットを見た。

「では、誰がご主人を?」

「だから、分からないって言ってるじゃありませんか!」

このやり取りを何度繰り返したことか。だから自分にこの話が回って来たのかとグスタフはため息をついた。


スカーレットはグズグズとまた泣き始めた。仕方なくグスタフはハンカチをスカーレットに渡そうとした。しかしスカーレットは嫌そうにそのハンカチを睨んだ。グスタフは肩をすくめてハンカチをポケットにしまった。


「そうなると、状況証拠から判断するしかありませんね」

「状況証拠?」

やっと聞く耳を持ったか、とグスタフは心の中で舌打ちをした。


グスタフの手元にある報告書には、数日前ハンリエット伯爵家で見つかった男性の遺体について書かれていた。駆け付けた医師がその場で絶命を確認。体には無数の刺し傷があり、胸に小型のナイフが突き刺さったままだった。ベッドは血の海。同時に、血塗れのまま被害者の隣でスヤスヤと眠るスカーレットも発見された。結婚式を挙げた翌朝の出来事だった。


スカーレットの手にはナイフで切ったような傷がいくつかあり、心中をしようとして諦めたのではないかとも思われた。その割には傷が浅く、かと言って寝室に第三者が侵入した形跡もない。現場の状況から血塗れであろう加害者が、ベッド付近から移動した形跡も無く、全てはスカーレットが加害者であることを示唆していた。


不自然な点は三つ。

デキャンタ、

スカーレットの記憶、

溺れた被害者。


ベッドサイドのテーブルにデキャンタが三つ。侍女がスカーレットの指示で用意したものだと、複数の使用人から証言が取れている。中身は三つとも水。一晩にこれだけの量の水をどうするというのか。これは新婚夫婦の寝所なため、何か二人にしか分からない用途があるのだろうと、あえて詮索する者はいなかった。


ただ、その指示を出したと皆が言うスカーレット本人はそれを覚えていなかった。発見時、デキャンタの中身は空で、ベッド以外に濡れた場所はなく、水が溢れたと思われるベッドは湿ってはいるが、血塗れでハッキリとは分からない。勿論浴室等に捨てたかもしれないが、記憶がないため詳細は不明。


取り調べに入る前、グスタフは安置所のご遺体に会いに行った。口元に泡が付いているのを見て、彼は溺れたのだ、と思った。以前同じような泡が付着したご遺体を見たことがある。医師によると、肺に水が入った状態で必死に呼吸をしたからなのだそうだ。


もっと分かりやすいことに、彼を動かした時に口から水が溢れ出たと報告書にあった。つまり、無数の刺し傷は致命傷ではなく、溺れたのが原因。弱らせておいて無理やり水を飲ませたのだろうとの見立てだった。


被害者は、ラインエル・ハンリエット伯爵二十九歳。前妻を事故で亡くし、喪が開けるのを待ってスカーレットと結婚した男性だった。スカーレットは前妻の親友で、事故死した親友の夫を慰めているうちにいつの間にか、というよくある話の新婚夫婦。


問題はスカーレットが「やっていない」と主張を続けていることだった。

「被害者であるラインエル氏と一緒にベッド上にいたスカーレットさん、あなたが加害者であるとしか考えられないんですよ。あれだけの状況で、返り血を浴びた加害者が血痕を残さずに門外まで移動するのは無理だ。目撃情報は勿論の事、第三者が侵入した形跡も、逃げた形跡もありませんでした。前日は結婚式だったそうで、警備が普段よりも手厚かったようですね。つまり『目』がたくさんあったということでもあります。全ての形跡がベッドの上に一緒にいた、あなたこそが加害者だと示しているんです」

「そんな!」

「ご本人に記憶がない場合は、無意識のうちに犯行に及んだのだと考えるしかありません。その場合もあなたが行為者ですから、この国の法律ではあなたが裁かれることになります」


「……」

「ご主人のこと、恨んでいたんじゃないですか? 彼と結婚したからこんな目に、彼と結婚しなければ私は、などと」

グスタフが畳み掛けた。

「ライがルーシアを事故に見せかけて始末したんじゃないか、と言われて、悪女のように扱われていました。お茶会でも夜会でも嫌味を言われたり、蔑ろにされたりして……私……」


スカーレットは肩を震わせて俯き、涙をポロポロと溢した。

「ラインエル氏はあなたを守ってはくれなかった」

「……はい、その通りです。でも、本当にやったという記憶はないんです。確かに手が傷だらけで、もしかしたらという気持ちはあります……怖いです。本当に私がやったんでしょうか?」

縋るような眼差しでスカーレットはグスタフを見た。


「あとは裁判所の判断に委ねるしかありません」

グスタフは真っ直ぐにスカーレットを見た。スカーレットは絶望したような顔でグスタフを見た。その顔を感情の無い表情で見据えたままグスタフは言った。

「善意と悪意は、同じ性質を持つんです」

「はい?」

「どちらも何らかの形で必ず返ってくるんですよ。……馬車の外側から、鍵がかけられていたようですね」

目を見開いたスカーレットは、両手で自分を抱きしめて震え始めた。


「本日の取り調べは以上です。余計なお世話かもしれませんが、あなたにとっての真実を話して、減刑を訴えるのが最善だと思います。では、これで」

グスタフはスカーレットを置いて取調室を出た。何かを考えている様子の彼女にはグスタフの言葉は届かなかったかもしれない。


助手が用意してくれていたコーヒーをありがたく受け取り、自分用の事務部屋に戻った。貴族家出身の刑事に与えられた個室でソファにどっかりと腰を下ろし、コーヒーを一口飲んで長い溜息を吐いた。


「ご満足いただけましたか? ルーシア様?」

グスタフが視線を送った先には気の強そうな美人が窓際に立っていた。

『ええ。充分だわ』

「では、もうおかえりください」

『冷たいわね! 話し相手にくらいなりなさいよ!』


「いくら従姉だからとは言え、亡くなってからも俺を振り回すのは勘弁してください」

『だから! あいつらが悪いんだって言ってるでしょう? だって馬車の事故に見せかけたのよ? 事故なんかじゃないの! 馬車が川に落ちて、だんだんだんだん沈んでいって、少しずつ車内に水が入ってきた時の恐怖があなたに分かる? どんなに押しても動かない扉、剥がれた爪、水を吸ったドレスの重さ。私が水の中でどんなにもがき苦しんだか! 許せるわけがないでしょう!」


グスタフは右手を額に当ててゆっくりと左右に撫でた。

「まさか、新婦の体に入り込んで新郎を襲うなんて……」

『ラインエルはこちら側の人になったからもう私のものよ。やっと返してもらえたわ。あの女、私が彼に贈ったナイフを持っていたの。私と彼の誕生石が付いた特別な品なのよ? 婚約の記念だったのに……あの女が奪ったの……』

「だからって」

『なによ。あの女はこれで裁かれるでしょう? 苦しめばいいのよ。人の思いを踏み躙って誰かの命を奪って得た幸せなんて泡沫なんだから!』


「よく分かってるじゃないですか」

『どういう意味よ』

「知り合いに呪文師がいましてね」

『呪文師?』

「世界の決まり事にも大前提にも詳しいんですよ」

『何が言いたいの?』


(しきみ)殿が言うには、復讐は割に合わない。同じ種族の命を奪うのは禁忌だと」

『私は死んでいるんだから関係ないわ。この世の者ではないんだもの』

ルーシアはグスタフを見下すように笑った。


「あなたは、なぜ俺にはあなたが見えて、その上会話ができるのか、考えたことはありますか?」

『知らないわよ。私たちが従弟で、血の繋がりがあるからとか?』


その時、鈴の音が聞こえた。


シャーン。


シャーン。


シャーン。


「ああ、ほら、お迎えですよ。異形が来るのか、人が来るのか、どちらでしょうね」

鈴の音が鳴り続ける中、床から屈強そうな異形の者が少しずつ迫り上がってきた。ツノが左右に二本。獅子の様な顔には威嚇するかのように牙が光っている。目尻が上がっていて、鋭い眼光がルーシアを睨みつけた。


ルーシアは自分よりも遥かに大きなそれを、怯えた顔で見上げた。

『なん、で?』

「あなたも殺人者になったからですよ。何もしなければそのまま生まれ変われたかもしれなかったのに、残念です。あなたがスカーレットの体を乗っ取って行った訳ですから、行為者はルーシア、そう認定されたということです。この世界は、力を持つ者のやらかしには厳しいですからね」


異形の者は無表情なまま、体の割に大きな左手を広げるとルーシアの胴体を掴んだ。片手で人形を掴むかのように、凄い速さで。『グッ』という音がしてルーシアが苦しそうに顔を歪め、振り解こうともがいた。


『離して! やめてー!!!』


グスタフにはルーシアの悲鳴が聞こえたが、部屋の外にいる人々には届かない。

「世界の底で無限の時間を過ごしながら己を省みるんだそうですよ。ご健闘をお祈りします」

冷めた目でルーシアを見たグスタフは口元だけで微笑んで、両手で「パンッ」と打ち鳴らした。


それと同時に異形の者もルーシアも、彼女の叫び声も消えた。


「ふぅ。やっと静かになった。今夜こそはゆっくり眠りたい。樒殿への報告……は明日でいいか。急ぐ話じゃないしな。はぁあ。明日は我が身、かぁ。精進精進」

伸びをしながら独りごちたグスタフはコーヒーのおかわりを貰おうと部屋を出ていった。


後日、スカーレットは二つの殺人に関与したとして再逮捕された。









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