閑話:兄弟水入らず その二
永禄元年 (一五五八年) 一一月 尾張国清州のとある長屋 木下 小一郎
「諏訪 勝頼、あ奴だけは絶対に許さぬ! あ奴が言う事を素直に聞いておれば、今頃儂は織田弾正忠家の重臣だったものを」
「まだ怒りが収まらぬのか兄者。いい加減気持ちを切り替えたらどうだ」
「そう簡単に切り替えられるか。あ奴は子分として目を掛けてやっていたというのに、事もあろうに親分である儂に喧嘩を売ったのだぞ! しかも儂を降格にまで追い込んだ。未来の大将軍であるこの儂をだぞ。あの顔を思い出しただけで、腸が煮えくり返りそうな思いがするわ!」
「ま、生意気な小僧ではあるな。だが信長より、今後一切高遠諏訪家には関わるなと言われたのであろう? それに、高遠諏訪家には人質もおる。勝頼に手出しすれば、人質に害が及ぶぞ。そうなると次は降格どころではないのは分かっておろうに」
今年七月に起きた浮野の戦いから四ヶ月、もう四ヶ月も経っているというのに、今も兄者は酒を飲めば荒れる。
原因は諏訪 勝頼だ。初めて兄者が会った時は、役立たずのこわっぱを三人銭で身請けしたという。勿論兄者のお役目を助けるために。その銭で新たな人足を雇った兄者は、清州での普請を期限より早く終わらせ昇進。諏訪 勝頼はとても使える男であった。
また、主君 織田 信長にゴマをするために兄者が望んだ賄賂も進んで提供する。
我等は一度没落した家出身のため、頼れる者はいない。だから上を目指すなら、頼れる物は自らの才格のみ。それ以外の方法は無かった。例え兄者がどんなに才を持っていたとしても、周りが兄者を妬む者ばかりなら、出世は中々進まぬものだ。
だが諏訪 勝頼という子分を持った兄者は、その存在を巧みに利用して、一気に織田弾正忠家でのし上がる。諏訪 勝頼の名は知られていなくとも、甲斐武田家当主 武田 晴信の名はここ尾張にも轟いており、その息子を子分にした兄者の評価は大きく変わった。
更には諏訪 勝頼自身が当主の高遠諏訪家は、数々の新しき産物を売りに出す。これにより、尾張の商家が兄者と縁を持とうとしたのは必然とも言えよう。事実兄者が大量の梅酒を尾張に持ち込んだ時には、織田 信長だけではなく商家達も目の色を変えたものだ。
本当に諏訪 勝頼は使える男であった。
だというに、何があったのか諏訪 勝頼は親分である兄者の命を断る。兵を動かさずにただじっとしておく。そんな赤子でもできる事を嫌だと言ったそうだ。本来の兄者であれば、そんな生意気な態度を取る子分には容赦なく何度も殴ったであろう。どちらが上かを分からせるために。ただあの場での兄者は、織田弾正忠家の使者として高山城を訪れたため、家名に傷を付けないために踏み止まった。
それが良くなかったのやもしれん。
結局兄者は、策にて諏訪 勝頼に身の程を分からせる選択をした。しかしこれが全て裏目に出て、高遠諏訪家は大躍進。依頼をした美濃遠山家は没落の憂き目にあう。そればかりか、絶対に勝てるからと湯水の如くつぎ込んだ経費は無駄となった。
本来であれば高遠諏訪家を滅亡寸前まで追い込み、それを兄者が救う。これによって高遠諏訪家を兄者が取り込んでおったというのに。何がどう間違ったのか。
「だからこそ忌々しい。何ゆえあ奴ばかりが良い思いをする。信長も信長だ。勝頼などぶん殴って従わせれば良いのに、それすらできん。意気地なしよ。儂が信長なら、一撃で床に這いつくばらせて足で踏みつけてやるというに」
「確かにな。人質まで取られて、これでは高遠諏訪家と織田弾正忠家の家格はどちらが上か分からぬようになったわ。全ては信長の意気地なさが原因よ」
「まあ、意気地なしの当主だからこそ儂が織田弾正忠家でのし上がれるというものよ。しかも周りは阿呆ばかりとくる」
「そうさのう。此度の末森の一件を見ても、そう思うな。向こうから裏切ると言ってきておるというのに、兵を挙げ戦を起こそうとする。そんな事をせずとも、我等がやったように城に侵入して当主を殺せば良いだけであろうに」
「岩倉との戦で大きく銭を失ったからな。末森には銭を掛けずに対処するしかないというのが分からぬ連中ばかりであったわ。もし儂が暗殺の志願しなければどうなっていたか。恰好の好機を逃しておったろうに」
「言えてるな」
織田 信長の弟である織田 信勝の死は世間では側近との差し違えとなっているが、実際には違う。我等が二人を殺し、そう見せかける細工を行ったに過ぎぬ。
末森織田家は末期の状態であった。当主が一部の側近のみを重用し、他は冷遇する。そんな状態でも織田弾正忠家に対してまたも反旗を翻そうとしていたのだ。
これでは勝てる筈がない。無論、謀反の全ての責任を織田 信勝と側近が取るのなら話は別だが、現実はそうならない。冷遇された家臣達が真っ先に矢面に立たされ、犬死をする未来が待っている。だから末森織田家を裏切った。
織田 信勝も織田 信勝だ。謀反を起こすなら、人質を取って家臣の裏切り防止が必要だというのに何もしない。
そんなボンクラな織田 信勝だからこそ、殺すのも簡単であった。
冷遇された家臣達の手引きで城へと潜入。警備の少ない刻を狙って織田 信勝の居室を襲撃する。勿論不意討ちだ。やる事はこれだけで良い。役目自体は楽なものであった。
兄者は織田 信勝に命乞いをさせられなかったり、手足を切り刻んで泣き叫ばせたりができなかったのを不満げにしていた。だが、これは仕方がなかろう。その後の偽装工作を考えれば殺しを楽しむ余裕は無いからだ。一突きに胸を刺して落命させ、先に殺しておいた側近の死体を横に転がし、両者の手に刀を握らす。やる事自体はそう難しくはないが、死体は生きている人よりも重くて動かすのに難儀する。これが面倒な点であった。
とは言え、
「そんな楽なお役目でまた兄者の昇進が決まったのだから、良かったではないか」
相変わらず信長はチョロイわ。
「ただのう、今のままでは限界を感じるのも確かではあるな」
「どうした兄者。兄者が目指すのはお家の再興であろうに。織田弾正忠家で重臣となり、家を興せば元の家格を超える。そうなれば、誰もが兄者を認めざるを得ない。これが目的ではなかったのか?」
「いや、それでは駄目だ。儂はもうお家の再興だけでは満足ができん」
「……もしや、諏訪 勝頼か?」
「そうだ。絶対にあ奴を超えてみせる。儂以上の才を持つ者などこの世に誰もいないというのに、このままでは儂はあ奴に屈したままだ。それだけは我慢ならぬ」
「では、具体的にはどうするのだ?」
「簡単な事だ。儂も戦働きに出る。そこで武勲を挙げる。さすれば城主、いや一国の主も見えてくるというものよ。儂が国主ともなれば、高遠諏訪家など軽く踏み潰してくれん」
「それは分かるが、今の我等に満足な戦働きができる筈もなかろう。儂も兄者も兵を率いた事など無い上、家臣がいないのだからな」
「案ずるな小一郎。儂は今、美濃遠山の残党を何人か囲っておる。そ奴等を家臣とすれば良いだけだ」
「い、いつの間に……」
「何年掛かっても諏訪 勝頼に復讐したいらしくてな、儂を頼ってきよったわ」
転んでもただでは起きない。兄者が織田弾正忠家で異例の出世を遂げられたのは、こうした所にも理由がある。我等兄弟には頼る者がいない。せめて儂なり兄者なりが嫁を迎えていたなら、その親類縁者を家臣にする事もできたであろう。だが、我等兄弟はどちらもまだ独り身だ。そのため、戦働きはまだ先の話だと考えていたのだが、このような方法があったとは恐れ入る。
しかも都合が良い事に、遠山の残党なら幾らでも使い潰せる。嫁の親類縁者を家臣とするなら、雑な扱いはできぬからな。
……これで次の岩倉との争いでは、我等兄弟が手柄首を挙げるのは決まったようなものである。
「ただそれでは、諏訪 勝頼に復讐するのは何時になるか分からん。だからの、今は嫌がらせで我慢しようかと考えておる」
「兄者、そんな事をすれば、人質が殺されるぞ。今度は信長から切腹を言い渡されるのではないか?」
「案ずるな。儂が直接手出しする訳ではない。手出しするのは保内商人よ。最近あ奴等と知己になってな……東濃で商いを行うように仕向けるつもりだ」
「それに何の意味があるのだ?」
「保内商人が東濃の市を独占して、地元の商家を追い出す。さすれば東濃の商家は、商いで食っていけぬ」
「なるほど。東濃の商家を壊滅させた上で、保内商人は東濃を去るのか。新座を運営している高遠諏訪家からすれば、東濃で商いをする者がいなくなるのは致命的であろうて」
その上で諏訪 勝頼への手出しもしっかりと画策するのが兄者の執念深い所だ。兄者は単なる戦馬鹿ではない。搦め手も当然のように使いこなせる。
しかも、幕府や比叡山延暦寺、近江六角家と繋がりを持つ保内商人を顎で使えるのが兄者の恐ろしい所である。恐れを知らぬというか何というか。
とは言えこの策なら、あのチョロイ信長は兄者の仕業と気付くまい。勿論、諏訪 勝頼も。例え策が失敗に終わろうとも、兄者には何の痛手も無い所が尚良いと言えよう。
諏訪 勝頼、お主は敵に回してはならない男を敵にした。そのツケは何年掛かってでも、絶対に払ってもらう。
「諏訪 勝頼よ、儂はお主から絶対に全てを頂く! 儂はな、裸一貫からここまで成り上がったのだ。だというのにお主は、恵まれた環境でぬくぬくと育っただけ。儂はな、そういう者が粋がっているのに我慢がならぬのだ! いずれ身の程を教えてやるから、首を洗って待っておけよ!!」
兄者が立ち上がり、もう何度目かになろう呪いの祝詞を美濃高山城へ向かって叫ぶ。
そうだ、我等兄弟はこのままでは終われない。もっと高みを目指し、やがて到達する。その時、その時こそ諏訪 勝頼に目にものを見せてくれん。
「兄者、儂もやるぞ。次の戦働きでは兄者と共に手柄首を挙げてやる!」
「それでこそ小一郎だ! 儂と共にてっぺんまで駆け上がるぞ!!」
「応よ!」
今日を機に我等兄弟の悲願は、諏訪 勝頼の殺害へと変わった。
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ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
今話で二章が終わりです。
次章からは畿内との絡みが増えてくる予定となっています。
章タイトルは「武田 信玄の誕生」です。
是非次章もお付き合いください。
補足
木下 小一郎 ─ 後の豊臣 秀長。補足が必要とは思えない超有名人。性格的には秀吉を少し丸くしただけだったと言われている。兄と同じく友達にはなりたくないタイプ。なお、豊臣 秀長は秀吉の異父弟として知られているが、最新の研究成果では実の弟と改められている。木材の転売を行って暴利を貪ったり(後に秀吉にこっぴどく叱られた)、奈良貸しと呼ばれる強引な高利貸しを行った事で有名な人物。




