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四郎勝頼の天下取りは東濃より始まる  作者: カバタ山
第二章:迷惑な隣人

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和睦以上同盟未満

 織田 おりゑ、もとい遠山(とおやま) おりゑ。滅亡した苗木(なえぎ)遠山家の忘れ形見とも言って良い人物である。そんな彼女を何故俺と引き合わせたのか? 自分勝手な解釈をすれば、併呑した美濃遠山領の安定のために側室として迎えるようにと織田 信長殿が配慮したとするのが妥当である。和睦を切っ掛けに距離を詰めてくる見事な一手と言えよう。


 旧遠山七頭は、降伏した明知(あけち)遠山家を除いて当主や家臣達が軒並み城を捨てて逃げ、野に降った。現在は野盗に姿を変えて、略奪という名のゲリラ活動を散発的に繰り返している。保科 正俊(ほしな まさとし)正直(まさなお)親子や服部 正成(はっとり まさなり)斎藤 利三(さいとう としみつ)達が精力的に山狩りを行ってくれているものの、これといった成果は見られず。長期戦の構えとなっていた。


 だからこそ織田 おりゑ殿を側室に迎えれば、彼女が旗頭となり当主を除く旧苗木遠山家の家臣が彼女の元へ集うと予想される。ゲリラは支援者無しでは長く続かない。そして、今回のゲリラには着地地点がない。無理に領地や城を取り戻した所で、もう一度当家が攻め込めば良いだけだ。後ろ盾となる大国は周辺には無い。結局は元の木阿弥と言えよう。


 つまりは織田 おりゑ殿の存在は、遠山の関係者が当家に降るための言い訳に近い。意地を貫き通した所で得られる物が何も無いなら、高遠諏訪家で養ってもらう方が合理的である。しかし俺に対しては、頭は下げたくはない。こんな所であろう。


 勿論、遠山の関係者が遠山 おりゑ殿の元に駆け付けてもらうには、ゲリラ活動を行った罪は問わないとする寛大な処置が必要とはなるが。


 この利点を考えれば、織田 おりゑ殿を側室に迎えるのもやぶさかではない。ただ、気になる点がある。何故、現在の名が織田 おりゑとなっているかだ。


 理由は想像が付く。十中八九 織田 信長殿の養女となっているからであろう。これが最も面倒臭い。つまり織田 おりゑ殿を側室として迎えれば、織田弾正忠おだだんじょうのじょう家との同盟締結だけではなく織田 信長殿が俺の義理の父親となる。


 それだけは嫌だ。


 俺の中では織田 信長殿並びに織田弾正忠おだだんじょうのじょう家は倒すべき相手。敵である。甲斐武田(かいたけだ)家が天下を取るには邪魔でしかない存在だ。


 そんな相手と縁を結ぶのは、悪夢でしかない。


 更にはこれが最も厄介な問題だ。織田 おりゑ殿にとって俺は仇である。実家の苗木遠山領は当家が美味しく頂いた。そんな仇の元へ嫁ぐなどあり得ない。幾ら戦国の世の習いとは言え、この仕打ちは無神経過ぎるというものだ。


 和睦を切っ掛けとして、当家とより深く繋がりたい。当家がそこまでの存在感となったのには正直嬉しさを感じる。東濃にやって来たばかりの三年前では考えられなかった大躍進であろう。ただ、それとこれとは話が別である。


 それに元々俺は、遠山残党は独力で何とかするつもりであった。


 ゲリラは支援者無しでは長く続かない。当家が旧美濃遠山領で苛烈な統治をしたなら話は別だが、税を下げるだけではなく道の整備を中心とした公共工事を行っている。つまりは民の暮らしを向上させる施策だ。この効果が民の生活で実感されるようになれば、美濃遠山家統治の時代に戻りたいと考える民は少数派となるのは確実である。人の気持ちはいつの世も移ろいやすいものだ。


 そうなれば、残党は民からの協力が得られなくなる。逆に残党を邪魔者扱いするであろう。


 また、遠山残党の支援を織田弾正忠家が行うのもあり得ない。もし支援を行っているなら、発覚した時点で和睦は破棄となる。これは新たに敵を増やす行為と同じだと言えよう。


 美濃斎藤家や駿河今川家も遠山残党の協力者となる意味が無い。協力者の可能性があるのは甲斐武田家の重臣位ではなかろうか。とは言え俺への嫌がらせでそこまでしても、得られる物が無ければ支援を打ち切るのが目に見えている。


 結論。織田 おりゑ殿を側室に迎えるのは、俺にとって利の無い行為だ。


 いや、それ以前に側室候補として織田 おりゑ殿を紹介したと考える俺の方が自意識過剰ではないか。何か別の理由があって、今回引き合わせたと考えた方が健全である。


 さて、織田 おりゑ殿は何を目的としているのか。それが怖くもあり、興味深い所でもあった。


「ふふっ、諏訪様でもそのような顔をされるのですね。義父相手に一歩も引かない先程までは随分と凛々しかったのに、今はその影もありませんよ」


「あっ、見ていたのですか。少し恥ずかしいですね。あちらの私は仮初の姿。本来の姿は橙侍ですので」


「随分と謙虚ですね。単なる飾りなら、たった三年で高遠諏訪家はここまで大きくなれないでしょうに」


 年齢はまだ一〇歳に届いていないだろう。まだまだ幼い顔付をしている。それなのに随分と落ち着いている。大人びていると言った方が良いかもしれない。また、初対面の俺に対しても物おじせずに話しかけられる度胸は大したものだ。


 それにこの整った顔立ちと清楚な雰囲気。間違いなく将来は美人となり、世の男共を魅了する。現代ならモデルとして活躍しているのではないか。そう思わせる程である。


「それで織田殿、今回私とおりゑ殿を引き合わせた目的を教えてもらえますでしょうか?」


「それに付いては、私の口から話しても良いでしょうか?」


「大丈夫です。続けてください」


「ありがとうございます。実は私がこの高山城を訪問したのは、自分自身の意思なのです」


「それはまた、どうして?」


「私は苗木遠山家の女です。だというのに生まれて直ぐに信長叔父上に引き取られて、尾張国でこれまで育ってきました。両親は既にこの世にいません」


「続きをお願いします」


「それでも、苗木遠山家の滅亡の報せにはとても驚いたのです」


「なるほど。それで仇の顔を見に来た訳ですか」


「そうですね。確かに諏訪様は私の仇です。ですが私が苗木遠山家滅亡の報せを聞いた時に、胸のすく思いがしたのもまた事実なのです。これまで私を捨てた実家に復讐したいとは思った事はありませんでしたが、どうやら心の奥底では恨みを感じていたようですね。私が本日ここに来たのは、その恨みを晴らしてくれた諏訪様にお礼を言うためでもあります。私の無念を晴らして頂き、とても感謝しています」


 今は戦国の世だ。現代とは違って、親の顔さえ知らずに育った子供は星の数ほどいる。だからと言って、その境遇に当の本人が納得していたかと言えばそうではない。そんな当たり前の話である。


 まだ親が死亡しただけなら、悲しいのは悲しいが、ある程度の折り合いも付けられよう。しかしながら親が死亡したのを良い事に、その子供を捨ててしまう。これに理不尽を感じない子供がどれだけいようか。負の感情が芽生えた所で、誰も攻められない。


 そうすると俺の存在は、織田 おりゑ殿にとっては復讐の代理人のようなものかもしれないな。いや待て。礼を言うためだけに、何故美濃高山(みのたかやま)城を訪れる必要がある。文だけで事足りる筈だ。


「そうか。"も"か。まだ他にも理由があるような言い方ですね」


「否定はしません。先程もお話ししました通り、私は苗木遠山家の女です。ですので、滅亡した実家をそのままにしておけないのは分かるかと思われます」


「ああっ、そういう話ですか。お家再興は余所でやってください」


「そんな……酷い。実家に捨てられ、引き取られた先でも利用価値が無くなったと居ない者として扱われている私を、諏訪様は哀れだとは思わないのですか? 今の私にはもう、苗木遠山家の再興しか残っていないのです。実家を滅亡させた諏訪様には、それに協力する責任があります」


「協力する責任ですか。具体的には?」


「私との子を成し、その子を新たな苗木遠山家の当主にしてください」


「遠慮します。ただ苗木遠山家再興の案自体は、旧美濃遠山領の統治を考えると良いかも知れません。分かりました。苗木遠山家は、明知(あけち)遠山家の一族から適任者を選んで再興しておきましょう。これで目的は達成ですね」


 現在の高遠諏訪領は野に下った遠山六頭の残党に悩まされてはいるが、唯一降伏した明知遠山家だけは当家に協力的である。


 最初こそしぶしぶ降伏をしたものの、気が付けば他の遠山六頭は滅亡。棚ぼたで明知遠山家は美濃遠山家の惣領に復帰した。ただ惣領とは言っても、明知遠山家イコール美濃遠山家なのだから、形だけのものである。


 しかしながら当の明知遠山家関係者は、長年の悲願であった惣領の座が自分達の元に転がり込んできたのをとても喜んでおり、当主に前相模北条(さがみほうじょう)家家臣 遠山 康光(とおやま やすみつ)を養子として迎え入れる程の従順さを見せた。ここまで協力的なら、分家を作り規模を拡大しても、高遠諏訪家の足枷にはならないだろうと考えていた所である。


「私との子は成したくはないのですか?」


「それはそうでしょう。織田弾正忠家との和睦は一時的なもの。これが答えです」


「信長叔父上も同じ考えですか?」


「い、いや、そんな事は無い。儂は高遠諏訪家と末永く良い仲でありたいと考えている。ただどうにも高遠殿達は、当家家臣の木下 藤吉郎がまた高遠諏訪家に何かすると考えているようでな……。儂としては、大人しくするようきつく言い含めておくつもりだ」


「なるほど。では、木下様が高遠諏訪家に害を成せないようにすれば、和睦は続くのですね」


「おりゑが側室となれば、藤吉郎も高遠諏訪家に手を出せなくなると考えたのだがな。こうも無碍に断られてしまっては、どうしようもない」


「ご安心ください。それなら別の方法があります。私が高遠諏訪家の人質となれば良いのです。こうすれば木下様も手出しできないし、諏訪様も私を側室に迎えなくても良い。そして私は新たな苗木遠山家の行く末が見届けられる。全てが丸く収まります」


「おりゑはそれで良いのか?」


「まだ幼くはありますが、これでも私は武家の女の端くれです。覚悟はできております」


「よう言うた! それでこそ我が姪だ! これなら高遠殿も喜んで首を縦に振ろう」


「盛り上がっている所申し訳ないのですが、人質は必要ありませんよ」


「何を仰るか。和睦を認めたのは高遠殿です。ならば織田弾正忠家は、その和睦が破棄とならないよう全力を尽くすのは当然ですぞ」


 まさかの人質志願。とっさの思い付きではあっても、俺でさえ良い手だと感じてしまう。こちらの立場からすれば今回締結した和睦は、織田弾正忠家の不義によって破られると想定したものだ。だからこそ再度対立した時にはそれが大義名分となる。決して自分達から和睦を破り汚名を被りたい訳ではない。


 それは織田 信長殿も同じである。自分から提案した和睦を自らで破るようなら、織田弾正忠家は信用を無くす。


 ただ、木下 藤吉郎がそんな思いを汲むかどうかは別問題だ。あの性格から考えれば、織田 信長殿が言って聞かせた所で大人しくなる筈がない。


 そのため今回の人質志願は、木下 藤吉郎に首輪の鈴を付けるのに等しい。余計なちょっかいを出せば人質に危害が及ぶ。これでは出世に拘る木下 藤吉郎は当家に手出しできなくなるという訳だ。


「四郎様、これは分が悪いですぞ。此度は大人しく人質を受け入れなされ。断れば、高遠諏訪家の評判が地に落ちまする」


「爺もそう思うか。してやられたな」


 ただ問題がある。織田 おりゑ殿は何故そこまでして当家に近付きたいのか? 俺にはそれが分からなかった。


「ふふっ、諏訪様は本当に面白い方ですね。言わなくても分かりますよ。先程言いました通り、今の私は織田弾正忠家では居場所が無いのです。だからこそ、同じ匂いを感じる諏訪様なら、この私の気持ちが分かるのではないか。そう思ったのですよ」


「当家に来てもそれは変わらないと思いますけどね。人質なら、多分甲斐送りになると思いますし……」


「そうですか? 私はそうはならないと思いますが」


「高遠殿、これからは共に良い関係を築きましょうぞ。儂と高遠殿は相婿でもあるしな。そして、おりゑをどうか宜しくお願い致しまする。おりゑ、儂の知らぬ所で辛い思いをさせていたのだな。許してくれ」


 こうして俺と織田 信長殿との初会合は、良く分からない形で幕を閉じる。評するなら両家の関係は和睦以上同盟未満となるのだろうか。本音としてはこれ以上織田 信長殿とは関わりたくはないのだが、最後の最後で相婿の一言を入れてくる辺り、そうもいかないのが予想される。


 喰らいついたら離さない。この表現が良く似合いそうだ。


 取り敢えず父上には、人質の織田 おりゑ殿をいつ甲斐に送れば良いか伺いを立てておこう。織田 おりゑ殿を東濃から引き離せば、織田 信長殿も俺との距離を詰めてこようとしない。そんな淡い期待を抱いて。



 ──後日。


 父上からの返信を読み俺は項垂れる。内容はこうだ。遠山には関わりたくはないから、人質は俺が面倒を見ろというものである。


 ようやく分かった。何故父 武田 晴信様が俺に美濃国切り取り次第の許可を出したのか? 全ては俺に美濃遠山家をどうにかさせたかったからなのだろう。父上も以前から美濃遠山家を厄介だと考えていた。その事実が返信で判明する。


「そうすると、甲斐でのあの軍法会議は茶番だった訳か。俺はとんだピエロじゃないか!」


 今の俺は、父上に駿河今川家に渡した賄賂の請求をしたい気持ちで一杯である。 



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補足


遠山 おりゑ ─ 龍勝院の名で知られる武田 勝頼の最初の正室。通説では遠山 直廉の娘とされているが、1565年当時 勝頼 20歳、おりゑ 15

歳で婚姻した点から、遠山 直廉が苗木遠山家の当主になってから生まれた子供では年齢が合わない。また、生まれて直ぐに織田弾正忠家に引き取られた点から考えても、1552年に死亡した先代当主 遠山 武景の娘と考えた方が辻角が合う。要は邪魔な子供だから追い出された。

織田 信長からは自身の娘同様に可愛がられていたと伝わっている。1567年に武田 信勝を出産。その後に出家。1571年死去。実家からも見捨てられ、嫁いだ先でも見捨てられた薄幸の女性。

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― 新着の感想 ―
知っててあえて使わなかったのか。やはり一筋縄ではいかないですね。
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