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四郎勝頼の天下取りは東濃より始まる  作者: カバタ山
第二章:迷惑な隣人

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信憲事件

 甲斐武田(かいたけだ)家と越後長尾(えちごながお)家との争いが佳境に入ろうとしている弘治(こうじ)三年 (一五五七年) 七月に、その事件は起きる。


「四郎様、一大事でございます! 何とあの板垣 信憲(いたがき のぶのり)殿が武田 晴信様の勘気に触れ、寺に押し込められたそうです!」


 寺への押し込め。つまりは失脚である。甲斐武田家重臣 板垣 信憲殿は、第三次川中島の戦いの最中に地位・権限等々全てを引き剥がされ、ただの人に成り下がった。残ったのは私有財産位であろうか。


 確かに一大事である。


「それは本当か、爺! もし本当なら、裏切りが発覚したのか? もしくは謀反の証拠が見つかったのか?」


「そのどちらでもございませぬ。罪状は主に職務怠慢でした。七箇条の詰問状が板垣 信憲殿に突き付けられたそうです」


「えっ……職務怠慢で失脚? まさかな。確かにこれは、一大事中の一大事か」


 それだけに留まらない。爺こと秋山 紀伊(あきやま きい)の言葉で俺は、今回の失脚が異常なものだと気付く。板垣 信憲殿が致命的な過ちを犯したのならともかく、職務怠慢でこれは無い。罪の内容と罰が釣り合っていないというのが俺の率直な感想であった。


 板垣 信憲殿と言えば、あの板垣 信方(いたがき のぶかた)様の嫡男である。その板垣 信方様は天文一七年 (一五四八年)に討ち死にしてはいるものの、生前は父 武田 晴信様の傅役であり、その優秀さから家臣団の筆頭と目され、尚且つ甲斐武田家前当主の追放劇にも積極的に加担して父 武田 晴信様の家督相続を後押しした掛け替えのない人物だ。


 何が言いたいかというと、父 武田 晴信様は故 板垣 信方様に大恩がある。それを考えれば、息子の板垣 信憲殿をいきなり寺に押し込めるような無茶な行為はしてはならない筈。そんな事をすれば、板垣 信方様のこれまでを否定する形となるからだ。親と子は別という考えは当然ながら分かる。だが優遇をしないのと、過剰な罰を与えるのとでは意味が全く異なるのだ。ここを間違ってはいけない。 


 加えてこの過剰な罰によって、家臣達から代替わりすれば失脚するのだと疑われてしまえば父の求心力が低下する。そうなれば最悪の場合は、当主追放劇再びとなる可能性すら考えられた。


「はっ、此度の仕置きによって重臣達に動揺が広がり、謀反の種とならないか。これを一番心配しておりまする」


「明日は我が身という訳だな。ただ……父上の事だから、そこら辺の根回しは万全だと思いたいんだがな」


 ここで父上が板垣 信憲殿を人物的に嫌っていた可能性を考える。俺自身は接点が無かったために性格は分からないが、定番となるのは父親の功績を自慢するだけの七光りだったから嫌ったというものだ。そうだとすると確かに嫌な人物ではある。ただそういう場合は、適当な理由を付けて名誉職を与え、窓際族に追いやれば良い。


 やはり失脚まではやり過ぎというのが正直な所だ。


「そうなると考えられるのは、踏み絵か……」


「四郎様、その踏み絵というのは?」


「悪い、爺。分かり難かったか。つまりだな、父上のやり方に反対する急進派を炙り出すために敢えて過激な仕置きをした、という意味となる」


「なるほど。その上で挙兵前に急進派とやらを一網打尽にするのですな。先の東濃の一件で不満を募らせている重臣達だからこそ、挑発するには良い機会と捉えたのやもしれませぬな。怖い事を考えるお方だ」


「一つ気になるのは、どうして今回の決定を重臣達が認めたかだな。明日は我が身となるのだから、前例は作らせたくない筈なんだが……」


 戦国大名や国主は思った以上にできない事の方が多いのが実態だ。今回の仕置きは本来なら重臣達に反対され、廃案となる。


「ふむ。何か特別な事情があったと考えるのが妥当ですな」


「特別な事情ねぇ……ああっ、そうか。今は大事な戦いの直前だったな。ならここで重臣達が反対すれば、板垣 信憲殿の代わりに働けと激戦地に放り込まれた訳か。それを嫌がって仕置き案を通したのだな。重臣達は随分と固い絆で結ばれているものだ」


「なるほど。御屋形様の方が飯富(おぶ)殿達重臣よりも一枚も二枚も上手だった。そういう事ですな」


「まあ、父上自身もそれだけ重臣達の態度に立腹していたのだろう。やはり本気になった時は怖い。さあて今回の一件を受けて、重臣達がどう出るか。これはこれで楽しみではあるな。俺としては義信(よしのぶ)兄上を担いで謀反を起こすとかは止めて欲しいのだが……まあ、これは無いか。大義名分が無いから、義信兄上も神輿には乗らないだろう。……いや、ちょっと待て」


「四郎様、どうされました?」


「……もしかして、ここは俺が介入するべき場面じゃないのか? ……良し、決めた! 爺、突然で申し訳ないが、父上に文を出してくれ。俺が直接父上に会いに行く!」


「どうされたのですか? いきなり?」


「恩を売る良い機会だと思ってな。父上と話をしてくる」


「何かお考えがあるのですな。分かりました。後の事はこの爺にお任せくだされ」


 甲斐武田家の闇は深い。そうであるなら今回の仕置きは、後に起こるであろう事件の背景となる可能性が十分に考えられる。


 ならばここで俺が干渉をして、甲斐武田家の未来を軌道修正する。そうすればより良い方向へと進むのではないか?


 そんな思いを胸に川中島へ行くのを決意する。こうして俺の川中島の戦いは、長尾 景虎(ながお かげとら)相手ではなく、何故か父 武田 晴信様との戦いという奇妙な形となってしまった。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 ──信濃(しなの)国奥四郡。


 俗に川中島と呼ばれるこの地域は、犀川(さいかわ)千曲川(ちくまがわ)に囲まれた三角地帯であり、肥沃な土地に交通の要衝という係争地となるに相応しい重要な場所である。


 そんな場所に俺は少しの供を連れて到着する。


 現在は帷幕から離れた人気のない空き地で一人、父 武田 晴信様の到着を待っていた。


 用件を伝えず、ただ「武田 晴信様と話がしたい」と伝えただけでこうなるのだから、何もかもがお見通しなのだろう。俺程度で何処まで食い下がれるか心配になってくるな。


「お忙しい中、御足労掛けます」


「いや、良い。儂に大事な話があるのだろう。そう思ってこの場を用意した。予想は付いているがな。……そうだな。まずは四郎から話せ。全てはそれから考えよう」


 そう言って武田 晴信様はどっかと床几に腰を下ろし、射抜くような目で俺を見てくる。俺の一挙手一投足を見て、その真意を測るつもりでいるのだろう。


 相手はあの武田 信玄だ。絶対に嘘やハッタリ、詐術は通用しない。なら今の俺にできる事は、正面から切り込むのみ。小細工は命取りとなる。


「では単刀直入に。高遠諏訪家にて板垣 信憲殿とそのご家族、加えて一族や家臣団一切合切を預からせて頂けないでしょうか?」


「ほぉ……此度の仕置きに物申すという訳ではないのだな。中々面白い。四郎の回答によっては考えよう。此度の嘆願の意味を答えよ」


 ああ、やはりか。板垣 信憲殿の失脚は、深い考えがあって決断をしたのだと分かった。つまりは絶対に覆しようがない。


 それを先読みした上で、今回は次善の策となる保護で攻め込ませてもらった。


「高遠諏訪家が受け皿になりたいと考えております」


「此度の決定に不満を持つ家臣達の受け皿にか?」


「いえ、板垣の家に関わりを持つ者達の受け皿にです。此度の仕置きを見るに、板垣 信憲殿の子供に家を継がせる気は無いと私は考えました。そうなれば板垣殿のご家族その他が路頭に迷います。これでは甲斐武田家に恨みを持つ者が大量に出る形となりますので、それを阻止するのが今回の目的です」


「それでは足りぬな。正直に申せ。板垣の家を高遠諏訪の家中に組み込み、重臣達への牽制とすると」


 俺の言葉に一切の間を取らずに返してくるこの恐ろしさ。まるで俺が次にどうするか全て分かっていると言わんばかりである。


 いや、武田 晴信様自身が、甲斐の名族の家名を弟や子飼いの家臣に与えて重臣達への対抗措置としているのだから、この程度は分かって当然か。どうやら俺の考えが浅はかであったようだ。


 板垣の家名は甲斐武田家中に於いては非常に重い。他の追随を許さない程に。結果として板垣 信憲殿は、御屋形様である武田 晴信様に継ぐ不動の二位の序列を得ていた。当然ながらその序列は叔父 武田 信繁(たけだ のぶしげ)様よりも、甘利 信忠(あまり のぶただ)殿よりも上である。別格という表現が良く似合う。


 だからこそ当家に板垣の家を組み込めば、その家格の高さが大きな武器となる訳だ。名家は没落しても使い道がある。そのため現在の俺にとっては、板垣 信憲殿はとても都合良い存在であった。


「認めます。板垣殿の失脚に乗じて当家の手駒を増やそうと考えておりました」


「潔いな。だが此度は諦めろ。板垣の家は一度潰すが、儂が新たな当主を任命して再興させるつもりだ」


 なるほど。こうした事情なら、俺は手を引くしかない。下手な欲は出さない方が吉だ。ん? ちょっと待て。今「板垣の家は一度潰す」と言わなかったか? それの意味する所はもしかして……


「お待ちください。家を一度断絶させるなら、板垣 信憲殿はどうなるのですか? その子供は?」


「おかしな事を言う。四郎は信憲と親交があった訳ではなかろう。勿論その子もだ」


「御屋形様……もしや、殺すのですか? 板垣 信憲殿を? その子供も含めて?」


「さあな。そこまでは儂も知らぬ。ただ、板垣親子がどうなろうと、儂も四郎も知った事ではないと思うが」


 俺の言葉に抑揚も無く淡々と答える武田 晴信様の姿を見て確信した。板垣 信憲殿とその子供は殺されると。その手段は多分暗殺だ。


 武田 晴信様と話してもう一つ分かった事がある。今回の仕置きは甲斐武田家中の序列を変えるのが目的だと。もっと言えば甲斐板垣家の序列を下げ、武田 信繁(たけだ のぶしげ)様の典厩(てんきゅう)家を序列二位にするために仕組んだのだろう。


 その意図は分かる。武田 晴信様が甲斐武田家の当主になった頃は甲斐板垣家という後ろ盾が必要だった。しかし勢力の拡大した今はその限りではない。甲斐板垣家が無くともやっていける。むしろ甲斐板垣家は、目の上のたん瘤となって足を引っ張る存在になったと考えているのだろう。


 だからこそ粛清する。自分にとって都合の良い人物を序列二位に抜擢する。組織の運営としては、真っ当な考えだ。何も間違ってはいない。


 しかし、しかしだ。


「父上、それだけはお止めください。後に命取りとなります。では、これならどうですか? 板垣 信憲殿には出家してもらい、高遠諏訪家で預かる。子供は他家に養子に出す。ご家族は高遠諏訪家で預かる。絶対に甲斐には足を踏み入れさせません」


「四郎よ、それに何の得があると言うのだ。安い情こそ逆に命取りとなるぞ。それにな、信憲はずっと四郎を下に見ておったし、東濃行きも賛成をした。悔しくはないか? そのような者を四郎が助ける必要はあるまい」


「それでもです。私が父上の子だというのを忘れておりませんか? 子なら父の苦しむ姿を見たくない。そんな当たり前の話を言っているのです。今回の仕置きは全て甲斐武田家のため。それは理解しております。ならどうして父上は、辛そうな顔をしているのですか? 私の顔を見て笑顔一つ見せないではないですか。感情を殺した声になっているのは、苦しみを表に出せないからではないですか? 父上、お願いです。板垣親子の命だけは見逃してください」


 きっとここが甲斐武田家滅亡の一つの分岐点だ。この苛烈な仕置きが、後に起きる義信兄上の謀反未遂の背景の一つになっているに違いない。


 だからこそ、最悪の事態だけは何としても起こさせない。これが俺のするべき行動だ。


 勿論、俺の介入によって、甲斐武田家が良い方向に動くとは限っていない。もしかしたら、より悪い方向に動く可能性すらある。


 けれどもそんな後ろ向きな考えで動かなければ、絶対に未来は変えられない。未来を変えるために俺は動く。そんな単純な考えであった。


 そしてこうした打算の無い感情は、時として人の心を動かす。


「四郎よ」


「はい」


「お主は阿呆よ。だがな、見ていて気分が良い。分かった。四郎に免じて、此度はその嘆願を聞き入れよう。但し、此度限りだぞ。次からは利で儂を説き伏せろ」


「ありがとうございます。父上」


「後、『御屋形様』だ。公私の使い分けを間違えるな」


「はっ、かしこまりました。父上」


「それが駄目だと言うておるのだ」


 こうして俺は小さな小さな勝利をもぎ取る。大筋は何ら変わっていない。変わったのは、散る筈だった命が生き残った。その程度である。


 だがそれで良い。これが今の俺の精一杯なのだから。


 小さな勝利を積み重ねれば、いつか大きな勝利になると信じて。俺はこの小さな小さな勝利を得た喜びを噛みしめていた。

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