兵は詭道なり
「さあ、何処からでも掛かってきなさい。四郎君には指一本触れさせないんだから」
「浅葱お姉さん、もう終わるよ」
「任せて。敵将の首は、お姉さんの弓で……えっ、もう終わり?」
「そ、戦はこちらの圧勝。いや、こちらの圧倒的優勢が正しいのか。決着にはもう少し時間が掛かるだろうしな。ただ、ここから戦況がひっくり返るのはまず無いと思う」
「もしかして四郎君が付いてくる必要が無いって言ったのは……」
「ご名答。単純に浅葱お姉さんの出番も無く、戦が終わるから」
「そんな、お姉さんは一体何のために男装までして戦支度をしたの」
「だから最初に言ったのに」
あれから二か月後、全てはほぼ予想通りに推移した。当家と美濃小里家との謀に気付きもしなかった延友 信光殿は、相も変わらず家臣を|美濃小里領へと派遣したまでは良かったが、そのまま帰らぬ人となる。要は返り討ちにされた。
この事件を知った延友 信光殿が家臣の死に涙を流したかどうか俺は知らない。
知っているのは、これを大義名分として美濃小里領に兵を率いて侵攻し、全面戦争にまで発展した事。その軍勢を見た小里 光忠殿は、野戦を一つもせずに即座に城に籠った事。そして、城を取り囲んだ延友 信光殿が率いる軍勢を当家の兵達が取り囲んで逆包囲した事であった。
勝ったと思った瞬間にどん底に突き落とされる。その落差の激しさによって延友 信光殿は今、単なる負け戦以上の絶望感に打ちひしがれているに違いない。
その証拠に笛吹けど踊らず。敵陣営は最早お通夜状態。それ所か戦闘開始前から逃亡兵さえ出ている始末だ。これでは士気も上がりようがないというもの。
だが延友 信光殿は、この状況を素直に受け入れずに最後の足掻きを見せてくる。
何があったかと言えば、開戦前に使者を寄越してきた。内容は勿論降伏……ではなく、「自分達には非は無い。仕掛けてきたのは美濃小里家側からだ」とした厚顔な弁明である。
これだけでも十分腹の立つ言い分だが、それで終わりではない。使者は早口でまくし立てるように卑劣漢の小里 光忠を共に打ち倒さんと誘ってきたのだ。要は共同で小里城攻めをしようとの提案である。しかも報酬は美濃小里家領の全てというのだから、大盤振る舞いと言えよう。
この期に及んでも、俺と小里 光忠殿が手を結んでいると気付かない馬鹿野郎なのか。もしくは手を結んでいるのを承知の上で、裏切りのお誘いをしてきたのかは分からない。どちらにせよ自分勝手な言い分である。
そんな使者に対する俺の返答は、当然ながら否であった。正しくはこれ以上相手をするのが面倒になり、追い返したとなる。
まだ使者が自分達の非を認め、素直に頭を下げていたなら、俺もこのような対応はしなかったろう。落とし所を模索し、政治的決着を選んだ筈だ。
しかしながら現実は悲しい。使者は余計な自尊心が邪魔をして、大元は自分達が原因だとは決して認めなかった。だからこそ話は拗れ、最悪の結末を迎える。現代も戦国時代も人はそう変わらない。そんな感想を抱く顛末であった。
当家の兵達が一斉に鬨の声を上げ、派手に法螺貝を鳴らし、何度も大地を力強く踏みしめる。戦の準備は整ったとばかりに、獲物に対して舌なめずりする。延友兵に囲まれた小里城から狼煙が上がる。俺が軍配を振り下ろして突撃を指示した瞬間、舞い上がった土埃によって瓦解した。敵陣が。
つまりは戦の始まりが戦の終わりになったという訳である。結果として浅葱お姉さんの従軍は、物見遊山となった。この日のために新調した装備一式の出番は次回以降となる。
「それにしても、どうして交渉を何としてでも長引かそうとしなかったかねぇ。そうすれば岩村遠山家の援軍とで当家を挟み撃ちにできたものを。……すぐに使者を追い返した俺が言うべきではないか」
「四郎様、小里城の城門が開き、小里 光忠様が打って出た模様です」
「これまでの鬱憤晴らしだろうな。小里殿も容赦がない」
俺が愚痴をこぼしている間にも戦は最終局面を迎える。ついに当家の軍勢と小里 光忠殿の軍勢による挟み撃ちが開始された。
こうなれば、延友 信光殿に軍勢を維持する術は残っていない。次の行動は逃亡の一手となる。降伏や自害は考えられない。それをするなら先の交渉で、使者から打診されていた筈だ。
「頃合いだな。秋山 光継、鶴ヶ城接収の部隊を編成してくれ。分かっていると思うが、明智 光秀は部隊に組み込むなよ。戦の高揚感から城まで燃やしそうで怖い。指揮は馬場 信春殿に任せる」
「はっ。かしこまりました」
俺の隣では浅葱お姉さんが、ひたすら「そんな、私の初陣が、私の手柄が……」と呟いているが、それを無視して鶴ヶ城接収の別部隊を編成するよう指示を出す。
これは鶴ヶ城へ逃げ込もうとする敵の将兵を追いかけ、そのドサクサに掠め取るとても合理的な策だ。勿論城兵が門を閉じて逃亡兵を見捨てる可能性も考えられるが、それをすれば今度は締め出された逃亡兵が殺されないために当家の味方となって城攻めに加わる。どちらの結果になっても落城は免れない。
鶴ヶ城は対岩村遠山家を想定した場合、とても重要な拠点となるだけに確保は必須であった。
「……四郎君は行かないの?」
「総大将がこの場を離れる訳にはいかないからな。だから浅葱お姉さんも俺の護衛としてここに残る。もしくは高山城に戻ってのんびりするか」
「つまらなーい」
「そ、戦はつまらないものさ。派手な活躍はほんの一部。臭いし、汚いし、飯も不味い。そんなつまらないの繰り返しが戦の本質」
俺の言葉で浅葱お姉さんは頬を膨らせ目で不満を訴える。どうやら城攻めに参加したくて仕方がないのだろう。だが俺もここから動く訳にはいかない。幾ら勝ちが決まったとは言え、戦は最後の最後まで何があるか分からないからだ。
それだけではない。今回の戦には、実はまだ延長戦が残っている。それが行えるかどうか。この点を見極めるのも、今の俺の重要な役割であった。
「四郎様、申し上げます。此度の戦、我等の勝利です。総大将の逃亡によって敵兵達が次々と降伏を申し出ております」
「ようやくか。降伏を申し出る者は全て受け入れろ。逃げ出した敵兵は追わなくて良い。鶴ヶ城接収の部隊に全てを任せておけ。それで、当家の損害はどうだ?」
「はっ。こちらの損害は軽微です。死者は数える程しか出ておりませぬ」
「分かった。これなら、まだ力が余ってそうだな。よし、決めた。皆にはもうひと働きしてもらおう。残った全軍に命を出せ! 休憩の後に我等は南へ進軍! 目標は恵那の明知城! ドサクサついでだ。この機会に明知遠山家の本拠地も奪うぞ!」
「はっ。早速全軍に通達いたします」
「それと、小里殿にも明知城攻めに参戦してもらうよう伝えておいてくれ。当家の兵だけでは心許ないからな」
「かしこまりました」
明知城の攻略。これが延長戦の意味となる。
元々はここまでするつもりはなかったのだが、欲が出てしまった。それ位今回の戦は一方的な展開である。加えて敵兵の降伏まであるのだから、ここで有効活用しなければ勿体ない。
そしてもう一つは……
「えっ、四郎君、戦は終わったんじゃないの?」
「終わったのは間違いじゃない。新しく戦をするだけさ。今決めた」
「今決めたって……それよりもどうして明知城なの? 敵は岩村遠山家じゃないの?」
「きっと明知遠山家もそう考えているだろうから、楽に城を落とせる。『兵は詭道なり』ってね」
これが明知城の攻略を決めた最大の理由となる。今回の当家と岩村遠山家との争いを、互いに潰し合いすれば良いとほくそ笑んでいるに違いないと。今頃明知遠山家の連中は、高みの見物を決め込んで完全に油断しているだろうと。
今から兵を集め始めた所でもう遅い。こちらの動きの方が圧倒的に速いのだから。明知遠山家の当主が気付いた時には城の包囲は完成する。
俺も明知遠山家が甲斐武田家に従順であったなら、このような決断をしなかった。だが先の騒動や美濃斎藤家との繋がりを見る限り、ほとぼりが冷めればまた良からぬ行動を起こしかねない。先の騒動では岩村遠山家に対して人質を出す所か、当家や甲斐武田家に対して詫びを入れる使者すら派遣していないのだから警戒するのも当然と言えるだろう。
美濃遠山家にはまだ、織田弾正忠家と深い繋がりを持つ飯羽間遠山家という厄介な存在もある。それだけに、東濃の安定のために獅子身中の虫は排除するべきだという考えが以前から俺の中にあった。今回はそれを現実とする良い機会である。
「もう四郎君たら、それならそうと早く言ってよ。次こそはお姉さんが敵将の首を取ってきてあげる」
「いや、次の戦も浅葱お姉さんの出番は無いと思うけど」
「どうして?」
「多分城を囲んだら降伏するか逃亡するかのどちらかになるだろうから。意地を張って徹底抗戦を選択するなら、先の騒動の時にそうしている」
「つまらなーい」
「そ、戦はつまらないものさ。……って、さっきも同じ事を言ったな」
また、明知遠山家の領地を手にするのは今の俺にとっても重要であった。この地は北に岩村、西に土岐郡、南に三河国の足助、東に信濃国の伊那に通じる街道がある。交通の要衝と言って良い。
つまり明知城を手中に収めれば、当家は信濃国の伊那郡と隣接するのだ。街道は山道のためにかなり険しいものの、美濃遠山領を介さず甲斐武田家との物資や人のやり取りが可能となるのが何より大きい。以前から計画していた甲斐国産物の輸入がようやく実現できる。これによって間接的ではあるが、甲斐国の発展を手助けできるのではないかと考えていた。
史実よりも経済力が増した甲斐武田家ならば、第四次川中島の戦いの結末も変わるのではないか? そうなって欲しい所である。
「それよりも四郎君、次の戦では必ずお姉さんの活躍の機会も作るように」
「うーん、考えておくよ」
とは言え今回の戦の結果は、一つの問題を生む可能性がある。急激に増した高遠諏訪家の力を甲斐武田家の重臣達が警戒するというものだ。
本来であれば、東濃の安定は甲斐武田家にとって利がある。高遠諏訪家の力が増せば美濃方面への軍事的な負担は減り、信濃方面の侵攻に集中できる。越後長尾家との因縁のある甲斐武田家には歓迎すべき成果だ。
ただ、それで済まないのが人の厄介さである。ほぼ間違いなく重臣達から今回の一件に難癖をつけられるだろう。男の嫉妬ほど醜いものはない。
「対策を考えておかないとなあ……」
「ん? 何か言った?」
「いや、何でもないさ。それよりも、まずは明知城をきっちりと落とさないとな。浅葱お姉さんは俺の側から離れないように」
「分かった。四郎君はお姉さんが守ってあげるから安心して」
「それは頼もしいな」
今の俺は高山城主就任をただ受け入れるしかなかった時とは違う。浅葱お姉さんを始めとした頼れる仲間達がいるのだ。次は前回のようにはさせない。絶対に出し抜いてやる。




