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四郎勝頼の天下取りは東濃より始まる  作者: カバタ山
第一章:境目の領主
22/22

切り取り次第

 年も明けた弘治三年 (一五五七年)、ついに俺の婚姻が成立する。お相手は勿論浅葱お姉さん。彼女の先走った行動を誰もが問題視しなかったためか、トントン拍子で話が進んだ結果となる。とは言え正しくは、一日でも早く厄介払いしたい伊勢(いせ)宗家と戦の準備で忙しい甲斐武田(かいたけだ)家との両家が面倒事を嫌った。そう考えるのが妥当であろう。


 それでも伊勢宗家は俺達二人の式に当主の代理人を出席させるのだから、個人への感情と家同士の繋がりは別腹と捉えるべきだ。こうした対応を見ると、改めて俺と浅葱お姉さんとの婚姻が政略結婚なのだと思い知る。求める物は互いの家にとっての利。それ以上でもそれ以下でもないと。


「本日は誠に目出度き日ですな。これで高遠諏訪家、ひいては甲斐武田家とは親戚同士。今後も良い関係を続けたいものです」


 しかも派遣された代理人が超大物なのが恐れ入る。名は坂東屋富松 氏久ばんどうやとみまつうじひさ。随分と奇妙な家名に感じるが、その辺は置いておこう。


 大事なのはこの人物の肩書だ。商家でありながら、北関東から奥州地域を中心に幕府の仕事に携わっているという。しかも従六位上に当たる和泉守(いずみのかみ)の官位を正式に拝領しているのだから、これだけでも単なる外交官ではないのが分かるというもの。近年の功績には、奥州 伊達 晴宗(だて はるむね)殿の左京大夫(さきょうのだいぶ)任官や嫡子 伊達 輝宗(だて てるむね)殿の偏諱が挙げられるのだから尚驚きである。


 世の中ではこうした人物を政商と呼ぶのであろう。好々爺のような立ち居振る舞いで俺に挨拶する姿からは想像すらできない。


「お綺麗ですぞ浅葱殿。これで念願が一つ叶いましたな」


「何よそれ。知らない。私の念願は道三父上の仇を討つ。それだけだから」


 そんな重要人物が俺と浅葱お姉さんとの式に参加した理由は明確だ。俺達への挨拶はそこそこにして、もう一人の代理人を見掛けた途端にその席へと近付き、まずは一献と酌をし始める。


 そう、代理人を派遣したのは伊勢宗家だけではない。甲斐武田家からも重鎮がこの高山城を訪れていた。


 代理人の名は武田 信繁(たけだ のぶしげ)。甲斐武田家当主の弟であり、俺の叔父でもあり、甲斐武田家の副将と目されるこれまた重要人物である。


 つまりは両家の外交官同士が初顔合わせをする場に、俺と浅葱お姉さんとの式が体良く利用された。伊勢宗家の目に映っているのは高遠諏訪家ではないというだけである。


「ま、そんな事だろうと思っていたよ。今の俺には何も無いからな」


「それよりも四郎君、今日が何の日か分かってる? なら、お姉さんに何か言わなくちゃいけないんじゃないの?」


「ははっ……確かに。今日の主役はあっちではなく、俺達だよな。浅葱お姉さん、とても綺麗だよ」


「……うん」


 だがその扱いに俺は怒りを覚えてはいない。東濃に左遷された弱小領主をいきなり重要人物扱いする方がどうかしていると考えるからだ。今はまだスタート地点に立ったばかり。ここから巻き返しを行えば良いだけである。


 何より相手が伊勢宗家なのが都合が良い。京の経済や金融に明るいその特徴は、まさに当家と相性ピッタリだ。この土岐郡を発展させ、動かせる銭の額を増やしていけば、いずれ向こうから擦り寄ってくるに違いない。


「なら後は代理人の二人に任せて、俺達は恙なく式を終わらせる。それが賢いな」


「四郎君がそこまで言うなら、お姉さんも付き合ってあげる」


 甲斐武田家が伊勢宗家の金蔓や都合の良い存在とならないためにも、伊勢宗家からどの程度の利を引っ張れるかも全ては今後の俺次第。その手腕が試される。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 長かった式も無事に終わり、ここからはゆっくりできると思いきや、そうはならないのが俺らしい所である。


 何があったかというと、式の日の夜、俺は武田 信繁様より高山城の一室に呼び出された。


「四郎よ。このような目出度き日に言うのはどうかと思うが、やり過ぎだぞ。少しは自重を覚えろ」


 何故この戦前の忙しい時期に甲斐から遠く離れた東濃までやって来たのか? それは伊勢宗家との初顔合わせだけが理由ではない。もう一つには俺の問題行動を咎めるためでもあった。


 とは言え武田 信繁様は飯富 兵部(おぶ ひょうぶ)達重臣の派閥には属していない。属しているのは、父上や身分の低い家臣達が属する穏健派の派閥である。そうあるなら今回の目的は文字通りのお説教。俺を失脚させないための忠告と考えた方が良さそうだ。こういう時、世話を焼いてくれる叔父の存在はありがたく感じる。


「それで叔父上、私の行動で一体何が問題だったのでしょうか?」


「何を惚けておる。北条 幻庵(ほうじょう げんあん)殿に火縄銃の作り方を教えたであろうに。それが今、甲斐武田家中では問題となっておるのだぞ」


「あっ……そう言えば、そんな事もありましたか」


「あれは甲斐武田家の新たな力となる物だと何故分からぬ。易々と他家に作り方を教えて良い訳が無かろう」


 確かに火縄銃は、この時代の戦を大きく変える新兵器ではある。そんな画期的な兵器の製造方法を要点だけとは言え、軽々しく他家の重鎮に教えた俺の行動を問題視されるのは本来であれば当然と言えよう。 


 だが、


「叔父上、お言葉ですが、火縄銃の製造法がそれほど重要なら、何故私は東濃に左遷されたのですか? 家中の秘であるなら、私を責任者に任命して甲斐国に留めておくのが正しい措置でしょうに。火縄銃を評価していたのは、父上や叔父上他数名だったと私は知っていますよ」


「そ、それは……」


 加えてこの時代の火縄銃は素材入手の問題があり、簡単には製造できない。特にそれが関東なら尚更だ。軟鉄に真鍮といった金属素材は輸入に頼る必要がある。火薬の原料となる硝石や硫黄、弾丸となる鉛もそうだ。製作自体には高度な技術は必要無いにしろ、素材調達の手間を考えれば買った方が早いとすら思える。


 要は製造法を知った所で、完成させて実戦に配備できる訳ではない。試作品を作るのが精一杯の役に立たない内容である。


 鉄を自国生産で賄える甲斐武田家とは同列に考えて欲しくないのが正直な所であった。


「今回も飯富 兵部(おぶ ひょうぶ)辺りが私を貶めようと言い出したのではないですか? 私はこのまま東濃の地で燻るつもりはありません。ならば後ろ盾を求めて、協力者に利を提供するのは当然の行動と言えます。それが甲斐武田家で評価されなかった物であれば、尚更かと」


「で、では此度の駿河今川(するがいまがわ)家からの催促にはどのように対処すれば良いと考えておるのだ?」


「何故突然駿河今川家の名が? ああ、なるほど。私が北条 幻庵様に火縄銃の製造法を教えたのが、駿河今川家に知られた訳ですか。それで同じ同盟国の自分達にも教えろと言ってきたと。随分と強かですね」


「軽々しく言いおって……」


「別に教えても良いんじゃないですか? その分の十分な対価を頂けるなら」


「そういう所が重臣達に嫌われておるのだぞ。四郎よ、少しは儂の苦労も考えろ」


「叔父上にはいつも感謝しております」


「と、ともかくだ。四郎には以後儂の息子を監視役として付ける。問題行動を起こさぬためだ。後は与力に馬場殿も付ける」


「監視役は分かりますが馬場殿……もしかして馬場 信春(ばば のぶはる)殿ですか? 一体どういう理由で?」


「重臣達がな、四郎の謀反を疑っておるのだ。このままではいずれ相模北条家に寝返るのではないかとな」


「そうなった時のために馬場殿を東濃に配置して、事が起きればすぐに鎮圧すると。随分と想像力豊かな方々だ」


「四郎、発言を慎め!」


「叔父上も大変ですね」


 それまで評価しなかった火縄銃を、他家が評価したからと今度は掌を返して俺を疑う。節操が無いのだろうか? いや違うな。俺を失脚させられるなら口実は何でも良いのだろう。俺がここ東濃の地で勢力を拡大して力を増したのが、余程気に入らないと見える。


 これが精強を謳う甲斐武田家の内実なのが何とも言えない。男の嫉妬ほど醜いものはないなとついつい思ってしまう。


「それはそうと叔父上、一つ気になるのが何故与力が秋山 虎繁(あきやま とらしげ)殿ではなく、馬場 信春殿となったのでしょうか? 確か美濃方面の担当は秋山 虎繁殿だったと記憶していますが」


「同じ秋山の風下に立ちたくはないと言いおったわ」


「それはどういう……ああっ、私の傅役である秋山 紀伊(あきやま きい)には命じられたくはないという意味ですか。納得しました」


 そんな子供染みた理由で拒否するのか。これが精強を謳う以下略。


 聞けば馬場 信春殿が与力に任命されたのは、俺に対する悪感情が無いのが理由だとか。馬場 信春殿は今でこそ甲斐武田家で高い地位にあるものの、元は教来石(きょうらいし)の名を名乗っていた。つまりは叩き上げの軍人と言って良い。それだけに庶子に対する偏見が無いのだろう。


 とは言え、故郷である甲斐から離れて遠く東濃の地に飛ばされる。出世の道を断たれる。随分と酷な人事を行ったものだ。


 いや、成り上がり者が嫌われたのだろうな。重臣達にとって馬場 信春殿は、自分達の地位をいつ犯してもおかしくない危険な存在だと考えていたのだろう。どうやら今回の人事は、重臣達の保身の側面もあったと考えた方が良さそうだ。


 改めて父上の政権基盤の弱さが浮き彫りになった事例と言って良い。そんな状態で必死に舵取りをしているのだから、大したものだ。俺なら面倒臭くなってとうの昔に粛清しているだろう。


「とは言え、儂も兄上も四郎を疑ってはおらぬから安心せえ。此度の決定は四郎を支援する意味合いが強い。領地が増えて、人手が足りておらぬのであろう?」


「それは一体どういう意味でしょうか?」


「要は家臣として好きに使っても良いという意味だ」


「なるほど。分かりました。ならば二人には、北条 幻庵様との連絡役として活躍してもらいましょう」


「それを自重しろと言っておるのだ。良いか。高遠諏訪家の主家は甲斐武田家というのを努々忘れるでないぞ。相模北条家はあくまでも甲斐武田家の同盟国。高遠諏訪家の同盟国ではないからな」


「それはもう分かっております」


「本当に分かっておるのか心配になってくるな。まあ良い。頃合いだ。二人共部屋に入れ」


 武田 信繁様がそう声を掛けるとすっと襖が開き、壮年の男性とまだ幼さの残る少年が入ってきた。


「四郎様お久しぶりです。この日をずっと心待ちにしておりました」


「えっ、どうして長老がここに? 一門衆筆頭の嫡男が来る場所ではないぞ。それとも何か懲罰を受けるような失態でもしたのか?」


 部屋に入ってきた少年の名は長老。武田 信繁様の嫡男であり、まだ元服していないため幼名のままである。確か今年で九歳になった筈だ。


 そんな人物が監視役としてこの高山城にやって来たのは何かの間違いであろう。年齢や立場を考えれば、およそ監視役に相応しいとは思えない。


「いえ、そうではありませぬ。私が父上にお願いして、この高山城に赴任できるようにしてもらったのです」


「本気か? 随分と物好きだな」


「四郎様と共に食べた白米の味が忘れられなかった。それでは駄目でしょうか?」


「……ちょっと待て。それをこの場で言っても良いのか? 叔父上もいるのだぞ」


「構わぬ。動機がどうあれ、将来のためにこの美濃国で見聞を広めたいと言うのだ。親としては否とは言えまいて。四郎の側にいれば、甲斐では見れない景色が多く見られよう」


「ははっ、買い被り過ぎですよ」


「ともかく私は四郎様の政をお手伝いし、毎日白米を食べるために馳せ参じた次第です」


「……ああっ、うん。分かった」


「後四郎よ、儂の元にも米を送るのだぞ。良いか。必ずだからな」


「分かりました。分かりましたから、そう凄むのは止めてください。それで、馬場殿も白米目当てですか?」


「そうではなかったのだが、良き話が聞けたと思うておる。明日からの食事が楽しみであるな」


 武田 信繁様はこの決定に加えて、後日甲斐国から武家や民の次男以下もこの土岐郡に送り出すとも教えてくれた。重臣達には口減らしとして、飢えて死ぬ者を減らすために俺に押し付けるのだと説明したという。


 勿論重臣達は快諾。これで俺が困るとして喜んだそうだ。数多く死者出れば、領地経営の才無しと断罪するつもりなのが分かる。


 火縄銃製造の件と言い、相も変わらず俺の立場は薄氷の上を歩くが如くだと痛感する。今回の件で東濃への左遷が終わりではない。重臣達は俺を更に悪い立場に追い込もうとしているのが良く分かった。


 だがその反面、俺にも味方はいる。一人ではない。そして今日また新たな味方が増えた。これまでの行動が無駄ではなかったという思いが胸に込み上げてくる。


「叔父上、見ててください。この私が甲斐武田家を天下一の家へと押し上げます。必ずです。いつの日か共に京への上洛を果たしましようぞ」


「変わらぬな、四郎は。そうだ、忘れておった。兄上から書状を預かっておったのだ」


「それは何ですか?」


「何、美濃国切り取り次第の許可だ。今更ではあるな。此度の件もそう、実は兄上は四郎の活躍に大層期待をしておるのだ。だからな……」


「だから?」


「兄上にも米を送るのだぞ」


「……はい」

 

 ただ残念ながら甲斐武田家が天下一となるには、まだまだ足りない物が多い。



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ここまでお付き合い頂きありがとうございました。

今話で一章が終わりです。

次章では第六天魔王が登場の予定です。

章タイトルは「迷惑な隣人」です。

是非次章もお付き合いください。


補足


坂東屋富松 氏久 ─ 政商。元の家業は旅行代理店。奥州の国衆達名が熊野新宮を参詣する際の通行手形の発給手続きや道中の宿泊所手配等を行っていた。その傍ら高利貸しにも手を出し、それが縁で伊勢宗家との繋がりを得たと思われる。

後に幕府の仕事も任されるようになり、奥州の国衆が入洛する際のお礼等の集金・督促を任されるようになる。更には偏諱や官位の勧誘・申請等も行っていた。有名な所では伊達 晴宗の奥州探題就任にも関わったと言われている。


武田 信繁 ─ 武田 信玄の弟であり補佐役。戦に外交に家中の統制にと多方面で活躍した名将。兄 武田 信玄の影に隠れた目立たない存在ではあるが、その功績は大きかったと言われている。第四次川中島の戦いで討ち死に。享年37歳。ここから甲斐武田家の不幸が始まる。

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