もう一人の追放者
美濃国は京との距離が近い。それは物理的にも政治的にもだ。これは亡くなった斎藤 道三殿が京の妙覚寺との関わりを深く持つだけではなく、娘の一人を幕府政所執事 伊勢 貞孝殿の息子に嫁がせている点からも分かる。
つまり浅葱お姉さんは、その縁を頼って長良川の戦いの前に京の伊勢宗家へと身を寄せていた。
ただ、京は安泰ではない。近江国へと逃れた公方様が、京奪還の機会を狙っていた。その上伊勢宗家当主 伊勢 貞孝殿は幕府政所執事でありながら公方様と袂を分かち、京の支配者 三好宗家に味方している状況だ。
そうなれば伊勢 貞孝殿が美濃斎藤家に期待する役割は、近江国に対する牽制となる。新たな当主である斎藤 高政殿とは間違っても敵対はしたくない。そのような事態となれば美濃斎藤家が公方様の陣営に付き、京奪還の戦に参戦してしまう。幾ら三好宗家が畿内の覇者とは言え、新たな敵は増やしたくはないのが道理である。
こうして浅葱お姉さんの存在は伊勢宗家の足を引っ張る存在となり、もう匿えないとなった。
勿論浅葱お姉さんが斎藤 高政殿と和睦するなら話は別だが、父を討った兄を許せないと頑なに和睦を拒否。ならば尼寺に入ってはどうかと勧めれば、それも拒否。仕方ないので何処かの家に嫁に出そうとすれば、そんな不良債権は誰も手にしたがらないし、浅葱お姉さんが見も知らぬ男の元に嫁ぐのは嫌だと駄々を捏ねる。
結果伊勢 貞孝殿は、浅葱お姉さんを完全に持て余していたそうだ。
だが捨てる神あれば拾う神がある。ここでまさかと思われる人物から救いの手が伸びた。
その名は無人斎道有。以前は武田 信虎と名乗っていた人物だ。俺の祖父でもあり、前甲斐武田家当主であり、甲斐国から追放された過去を持つ。
現在は京に居を構え、叔父 武田 信友殿のいる駿河国との二か所を行ったり来たりしているそうだ。
そんな無人斎道有様が京での政治活動の足掛かりとしてまず選んだのが、俺と浅葱お姉さんとの婚姻。ひいては京の伊勢宗家との繋がりを求めたものであった。
そう、浅葱お姉さんが伊勢 浅葱と名乗ったのは、伊勢宗家の養女として迎えられたからに他ならない。無人斎道有様が俺との婚姻話を進める中で提示した条件であった。
伊勢宗家から見てもこの条件さえ飲めば、厄介払いができる上に高遠諏訪家と縁続きとなり、美濃斎藤家への牽制となる。どちらの家にも利のある政略結婚の見本となるような形だ。
「というか、見知らぬ男の元に嫁ぐのは拒否してたでしょうに。俺も変わりませんよ」
「でも四郎君は四郎君だから。会ったのはあの時の一回だけだったけど、どうしてか嫁いでも良いと思ったのよね。それに道三父上も四郎君を気に入っていたし。織田弾正忠家の嫡男とは、また違った器量があると褒めてたわよ」
渡された無人斎道有様からの文を読んでいる最中、俺の後ろの回った浅葱お姉さんがひょっこりと首を出し、反応を窺う素振りを見せてくる。
伊勢宗家に居場所が無かったとは言え、まだ正式に婚姻が決まっていない中での突然の訪問だ。きっと俺が怒っていないか心配なのだろう。
「有名な斎藤 道三殿からそう評価されるのは嬉しいですね」
「だから討ち死にした道三父上の期待を裏切らないよう、お姉さんが協力してあげる」
多少強引には感じるものの、今回は前回と違って祖父が絡んでいる。婚姻は成立するに違いない。
それ程表沙汰になってはいないが、実は祖父 無人斎道有様と父 武田 晴信様はとうの昔に和解をしている。追放された当初こそ駿河今川家当主に甲斐復帰への働き掛けを積極的に行っていたと聞いてはいる。だが出家を機に、復帰をきっぱり諦めたという話だ。無理に甲斐復帰をした所で、今度は自身が駿河今川家の傀儡にされてしまうだけだと気付いたのだろう。
だからこそ無人斎道有様は、京での政治活動を選んだ。生家である甲斐武田家の発展のために。
これは甲斐武田家が中央との関係を重視しているからである。例えば現当主 武田 晴信様の「晴」の字、嫡男 武田 義信様の「義」の字が公方様からの偏諱であるのは有名な話だ。特に「義」の字は滅多に偏諱されないため、大変名誉である。
それだけではない。当主 武田 晴信様の正室の実家は、公家の頂点である摂関家に次ぐ清華家の三条家である。これにより公家の方々が甲斐府中に下向され、多くの文化や学問が齎された。戦国時代の東国は何もかもが遅れた地であるだけに、中央から下向される公家の方が持ち込む様々が貴重であるのは言うまでもない。
だがそれは長くは続かなかった。
一つは天文二〇年(一五五一年)に起きた大寧寺の変。この変により三条家当主 三条 公頼様は死亡し、跡を継いだ養子の三条 実教様は天文二三年(一五五四年)に一六歳の若さで死亡する。京の三条家は断絶した。
また公方 足利 義輝様及び幕府の方々は、天文二二年(一五五三年)の八月から京を離れて、お隣である近江国の朽木で生活をしている。
要するに現状の甲斐武田家には、三好宗家の支配する京との接点が無い。こうなれば降って沸いた伊勢宗家との婚姻話に飛び付くのも道理だ。しかも伊勢宗家は幕府政所執事の顔だけではなく、京の土倉 (高利貸し)を統括する金融庁の顔まで持ち合わせている。いや金融庁と言うよりは、サラ金の親玉と言った方が正しい表現か。それでも貨幣の流通が限定的な東国に於いて、中央の金融業者との伝手を得るのは大きな力になるのは間違いない。
但し、流れてくるのは悪銭・ビタ銭ばかりになると思われるが。
東国で永楽通宝が主な貨幣となっているのは、単純に中央で悪銭扱いされたためである。質の良い宋銭は自分達のみで使う。それがこの時代の中央の考え方だ。本来の永楽通宝は質の良い貨幣なのだが、実情は鉄等の混ぜ物が混入されいる質の悪い銭が大量に出回っている。これがいらない子扱いされている理由となる。悪貨は良貨を駆逐できなかった。
それはさて置き、ここで甲斐武田家と伊勢宗家との間での直接的な婚姻に発展しなかったのは理由があると考えた方が良い。ほぼ間違いなく駿河今川家当主 今川 義元様の目を誤魔化すための措置であろう。
無人斎道有様は甲斐国を追放され、駿河今川家に身を寄せた。それだけではなく、叔父の武田 信友殿は現在駿河今川家の重鎮となっている。
そのため恩がある駿河今川家の存在を無視して、甲斐武田家に直接的な利益供与を行えば今川 義元様は黙っていない。駿河国にいる武田 信友殿は、実質的には人質であるのを忘れてはならないという意味だ。
ここから考えれば、俺が当主である高遠諏訪家はとても都合良い存在なのが分かるというもの。甲斐武田家では窓際族扱いとなっているのが何よりの強みだ。
それを利用して、可愛い孫のためにという言い訳の元に中央との伝手を作る。なるほど。良く考えたものだ。これならば、幕府からは裏切って三好宗家側に付いたと判断されないだけではなく、今川 義元様にも睨まれないと踏んだのであろう。後は無人斎道有様が疑われないよう、当家が駿河武田家との交流を持てば良いだけである。
取り敢えず今度お近づきの印として梅酒でも贈るとしよう。
「事情は分かりました。最初は何事かと思いましたが、これなら後日父上から正式な書状が届くでしょう。今日からはこの高山城を自分の家だと思って、ゆっくりしてくださいね」
「四郎君ならそう言ってくれると思っていたわ。これからも宜しく」
何はともあれ、ついに俺の婚姻が決まる。望んだ形とは全くの逆方向になってしまったものの、これはこれで面白い。
ただ一つ問題がある。
「それにしても尾張国の織田 信長殿と相婿の関係になるとはねぇ。騒動に発展しなければ良いんだが……」
「何言ってるの、四郎君。お姉さんが来たからには、もう何も心配する事は無いわよ。お姉さんが四郎君を美濃の国主にしてあげるからね」
「それは頼もしい」
さてこの婚姻、吉となるか凶となるか。
「えっ、ちょっと待った。俺を美濃国主に? それは美濃斎藤家と敵対するという意味じゃないか」
「そうよ。幾ら道三父上が嫌われ者だったとしても、殺す必要はなかったわ。私は兄上を許さない。だから四郎君も協力してね」
どうやらそれは、今後の俺次第となりそうだ。
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「ほ、本当にその条件で良いのですか?」
「俺としてはこれでも足りないと考えている。ただ、活躍すればもっと上に引き上げるからな。是非期待に応えて欲しい」
押し掛け女房 浅葱お姉さんの騒動には余談があった。何と京から美濃国高山城までの道中で護衛に引き連れていた一人に、あの斎藤 利三が居たと発覚する。偶然とは言え、本能寺の変の作戦立案をした事で有名な参謀がこんな所に紛れているとは思わなかった。
それが分かれば逃す俺ではない。
すぐに呼び出し当家への仕官を誘う。可能なら俺の側近として採用をしたかったが、実績も何も無い浪人をいきなり抜擢すれば他の家臣達の不興を買う。そのため、まずは足軽頭から始めてもらう形とした。
ただ、これを破格の条件だと勘違いするのだから、世の中はよく分からない。
聞けばこれまでは幕府に仕えていたものの、三好宗家との争いに敗れて公方様は近江国へと逃亡。残された者達は公方様に付いて行こうにも近江国で生活できる保障も無く、だからと言って何処かの武家に仕官する伝手も無く、その日暮らしを続けていたのだとか。
そんな時、ひょんな事から護衛の仕事を請け負ったのが今回の顛末となる。浅葱お姉さんの無謀な行動が引き起こした奇跡の出会いと言えよう。
「何にせよ、今日からは生活の一切合切は当家に任せておけ……って、何泣いてるんだ?」
「申し訳……ござらぬ。ですが、行き場を無くした某を快く迎えてくれるだけでなく、出世の道まで示してくれるとは。この斎藤 利三、必ずや四郎様のお役に立ちましょうぞ」
「程々にな」
思えば斎藤 利三も数奇な運命の持ち主である。家を斎藤 道三殿に乗っ取られ、美濃国から追放。兄を頼り京へと行き何とか幕府奉公衆に名を連ねるも、その幕府が三好宗家との争いに負け落ちぶれる。そうかと思えば、今度は乗っ取られた斎藤 道三殿の娘に拾われて新たな仕官先を得る。これを平穏な人生と呼ぶのは無理があるというもの。
こうして、また新たな追放者が当家の家臣となった。
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補足
斎藤 利三 ─ 以前は春日局の父親としか認識されていなかった人物。近年は再評価され、明智 光秀の懐刀という扱いとなった。奉公衆の石谷 頼辰は実の兄。京では三好 長慶家臣の松山 新介に仕えていたとも言われている。本能寺の変後の山崎の合戦で敗戦後、同僚に裏切られて捕縛。市中引き回しの上、六条河原で処刑された。




