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四郎勝頼の天下取りは東濃より始まる  作者: カバタ山
第一章:境目の領主
20/22

新たな名

「弱い! 弱過ぎるぞ!! 何だそのザマは! さっきまでの大言壮語はどうした?! 少しは根性を見せろっ!!」


 突如降って沸いた高山城主を賭けた勝負ではあったが、結末はとても残念なものだった。


 幾ら奝雲祖栄(てううんそえい)が愛すべき馬鹿だとしても、いきなりその要望に応える筈がない。まずは実力を見せてみろと保科 正直(ほしな まさなお)に相手をさせ……あっさりと負けた。奝雲祖栄が。保科 正直が木刀で袈裟斬り一閃。覆りようのない一本である。


 これは何かの間違いか。秋山 紀伊(あきやま きい)の連れてきた人材がこれ程弱い筈がない。もしかしたら相性が良くなかったのではと考え、次は服部 正成(はっとり まさなり)に相手をさせる。


 結果はこれも奝雲祖栄の負け。服部 正成らしい豪快な唐竹割りが奝雲祖栄の額に入った。


 この時点で「実は物凄く弱いのでは」という疑問が首をもたげつつも、続いて純、長作、正児に相手をさせる。さすがにこの三人よりは実力が上だと信じて。


 だがそんな俺の思いも空しく、純、長作、正児は三人共危なげなく勝利する。日頃の鍛錬の成果を十全に発揮していた。


 ここで三人の活躍を褒め称えるのが俺の本来の役割なのだろうが、それよりも奝雲祖栄の不甲斐なさにブチ切れてしまい、胸ぐらを掴んで言いたい放題。期待が高かっただけに、ひどく裏切られた気分になってしまった。


「四郎様、その辺りで勘弁してやってくだされ」


「しかしな、爺」


「お気持ちは察しますが、奝雲祖栄殿はまだ原石の身。光り輝くには磨かなければならないのです。ですが本人にその自覚がない。そういった訳でこの爺が一芝居打ち申した」


「ああっ……そういう事か。要は今回の勝負、爺が仕掛けた茶番だったのだな。ったく、付き合わされるこちらの身にもなってくれよ」


「申し訳ござらぬ、四郎様。ですがその甲斐あって、ほれっ、この通り。天狗の鼻は折れたように見えまする」


 胸ぐらを掴んでいる手に冷たさを感じる。そこには大粒の涙を流している奝雲祖栄の姿があった。口をへの字に曲げて必死に堪えようとしても、涙の勢いは止まりそうにない。自分自身の不甲斐なさで胸が一杯なのだろう。


 そこでふと気になる。自らの力で唯我独尊を貫いてきたならまだ分かるが、ここまで弱ければ過去に挫折を経験している筈だ。世の中はそう甘くはない。


 だというのにこの世間を知らない傲岸不遜な態度は、単なる温室育ちが原因とは考えにくい。何か別の理由がある。そう感じずにはいられなかった。


 ここで秋山 紀伊(あきやま きい)が俺の疑問に答えるかのように、奝雲祖栄の身の上を俺に明かしてくれる。そこには思いがけない過去があった。


 奝雲祖栄は武家の生まれである。それも南肥後(ひご)国の雄 相良(さがら)家だ。


 しかしながら、妾腹である。それも嫡男と同じ年、同じ日に生まれた。


 ここで忘れてはならないのが、妾の子は基本的に家の相続はできない点である。相続できるのは特別な事情がある場合のみだ。嫡男より早く生まれようと、同じ日に生まれようとそれは関係無い。例えば織田弾正忠おだだんじょうのじょう家の現当主 織田 信長殿には兄がいる。だがその兄は、妾腹の生まれであるために家督が相続できなかった。


 それと同じく、奝雲祖栄には家督継承の権利が無い。嫡男を支える一門衆として生きるのがせいぜいだ。中には嫡男が早死にした場合の代役として飼い殺しにされる場合もあるだろう。俺のように他家に養子に入り、その家を継げるのは運の良い方だと思われる。


 ──本来であれば。


 但し、ここで個別の事情が入る。肥後相良家はお家騒動の続く家であった。その結果として現当主は有力分家から養子に入り、家督を継承している。この点から、肥後相良家当主の政権基盤の弱さが窺い知れよう。


 つまり奝雲祖栄は、お家騒動の元になるからと本人の気持ちを無視して無理に出家させられた。この肥大した自尊心を見るに、幼少期に魔の手は伸びており、色々と吹き込まれていたのだろう。神輿は軽い方が担ぎ易い。馬鹿な方が都合良いと言いたげだ。とは言え、そんな大人の事情に振り回される当人には迷惑でしかない。それを不憫に思った秋山 紀伊が、この高山城まで連れてきたのが今回の顛末であった。


 勿論、秋山 紀伊は慈善事業で奝雲祖栄を引き取った訳ではない。この強気な性格とがっしりとした体つきに可能性を見出したようだ。それでいて年齢も一三歳と若い。後は技術や戦での経験が身に付けば、良い現場指揮官になると思われる。


 だからこそ、奝雲祖栄自身に何が足りないかを自覚させる茶番が必要だった。それを俺に悟らせずに実行したのだから、とんだ策士である。


 秋山 紀伊の掌の上で踊らされるのは癪に障るが、これも何かの縁なのだろう。俺と同じく家から追放された身だと知り、さよならはしたくないと素直に思った。なら、どうするか? その答えは一つ。とことん最後まで付き合うだけだ。


「奝雲祖栄、それでお前はどうしたい?」


「グスッ……強く、誰よりも強く……なりたい」


「それは無理だな」


「四郎様!!」


「悪いが最強は甲斐武田家の専売特許なんでね、お前に名乗らす訳にはいかない。ただ、近付く方法はある。それが当家への仕官だ。鍛錬は厳しいが確実に強くなれるぞ。どうする?」


 全ては温室育ちなのが原因としか言いようがない。恵まれた体格に頼りきりで、ただ闇雲に木刀を振り回す。当たらないのは当然だ。それを誰にも指摘されないまま、これまで生きてきたのだろう。


 人には挫折が必要だと言うつもりはないが、過ちに気付くには何かの切っ掛けが必要である。それが今回の一件になれば嬉しい。


 ここからは何が正しいかを学ぶのみ。奝雲祖栄の場合は体の使い方を覚え、力任せとならないようにするだけで格段に強くなる。ただ、染みついたクセを矯正するには時が必要であろう。


「やる……いや、仕官させてくだされ。俺様はこのままで終わりたくない。この通りだ」


「へぇ、変われば変わるものだな。俺に頭を下げられるのか。分かった。今回はその潔さに免じて、当家への仕官を認めるとするか」


「本当か!」


「ああ、今日から当家で面倒を見る……と、その前に、僧のままで仕官するのも変な話だ。還俗しろ。そのついでに元服も済ませろ。良い名を考えておけよ」


「それなら決めてある。相良 頼貞(さがら よりさだ)だ。奝雲祖栄の名は今日限り捨てる。そして俺様は今日から武士として生まれ変わる」


「良い覚悟だ。今後を楽しみにしているぞ」


 こうしてまた、当家に愛すべき馬鹿が一人増えた。類は友を呼ぶとも言う。当主である俺自身がこれなのだから、集まるのは一癖も二癖もある者ばかりになるのは当然なのだろう。


 だが、俺はそれで良いと思っている。過去は過去。人は何度でもやり直しができる。当家が半端者の集まりだとしても、最後に笑えば良いだけだ。


「そうだ頼貞、一つ言い忘れていた。強くなるには武芸だけでは駄目だぞ。しっかりと勉学にも励めよ」


「そ、それは勘弁して欲しい。何とかならないか」


 前言撤回。相良 頼貞の覚悟は中途半端だった。これは駄目かも知れないな。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 もうすぐ 弘治(こうじ)二年 (一五五六年) も終わろうとしていた。


 今年は長良川(ながらがわ)の戦いあり、遠山(とおやま)騒動ありと随分と騒がしかった記憶しかない。本来であれば城主としての足場固めを行わなければならない時期なのに、疎かとなってしまった。


 その結果が納税拒否である。


 笑うに笑えない状態であるものの、本国甲斐(かい)から俺の統治能力を疑う声が出ていないのが幸いと言うべきか。いや、越後(えちご)国の長尾 景虎(ながお かげとら)との戦いが迫っているため、それ所ではないのが実状だろう。


「川中島の戦いは俺も参加したいが、今は無理か。しばらくは政に専念して力を付け、第四次の戦いには援軍として駆け付けるのを目標としよう」


 史実で永禄四年(一五六一年)に起きた第四次川中島の戦いは、甲斐武田家の大きなターニングポイントとなった。この戦いでは両軍多数の死者が出たと言われている。中でも甲斐武田家の被害は大きく、父 武田 晴信様の弟である武田 信繁様を始め多くの将が命を落とす。俺はこれを何とかしたいと考えている。


 だからと言って、かの軍神 上杉 謙信と真正面からやり合うつもりはない。俺では力不足だ。あくまでも死者を減らす。一人でも多く生き残るようにする。これなら俺の力でも実現可能ではないか。それだけで第四次川中島の戦い後の甲斐武田家は、大きく力を落としはしない。上洛の可能性がぐっと引き上げられる。


「そのためにも瀬戸が欲しいが……相手はあの織田 信長か。いや、急ぎ過ぎは良くない。まずは領内での新事業を軌道に乗せる方が先決だな。それにしても今日は物凄く冷える。ううっ、火鉢だけでは風邪を引きそうだ」


 土岐郡の冬は寒い。盆地特有の気候だと知っていても、甲斐育ちの俺ですら寒さが堪えるのだから、より一層寒さが厳しいのだろう。こんな日は兎の毛皮を頭から被り、火鉢で暖を取るに限るのだが、それでもまだ足りない。

 

「取り敢えず温かい甘酒でも飲もう。おーい、誰かいるかー。いたら返事をしてくれ」


 栄養豊富で飲む点滴とも言われる甘酒。これが酒粕買取の一つの成果だ。作り方は酒粕を水に溶かして沸騰させるだけのお手軽さである。平安時代から冬に飲まれていたと言うが、季語が夏である点を考えれば、一般化したのは江戸時代に夏バテ防止に飲まれていたのが妥当であろう。


 そんな甘酒を俺は、病気予防の観点からここ最近毎日飲んでいた。


「甘酒をお持ちしました。冷めない内にどうぞ」


「ご苦労様。下がって良いぞ」


「……」


「ん? 聞こえなかったか? ここで居ても仕方ないだろう。持ち場に戻ってのんびりしておけ」


「酷い、四郎君。お姉さんを忘れたの?」


「えっ、四郎君? もしかして?」


 言うや否や体を捻り、部屋の入口を見る。そこに居たのは斎藤 道三殿を訪ねた際に会った末娘の浅葱(あさぎ)殿の姿であった。


 しかも俺が目を白黒させて驚いているのを喜ぶかのような、してやったりの表情をしているのが何とも。まあ、元気そうで良かったと思うようにしよう。


「ようやくこっちを見た。四郎君、久しぶり」


「あ、浅葱お姉さん! どうして此処に?」


「へへっ、来ちゃった」


「『来ちゃった』じゃないでしょうに」


「改めまして、京は伊勢(いせ)宗家からやって来た伊勢 浅葱です。四郎君がお姉さんに会えなくて、泣いているんじゃないかとずっと心配してたのよ。でも安心して。今日からこの浅葱お姉さんが、四郎君のお嫁さんになってあげる。もう寂しい思いはさせないから」


「凄く嬉しいよ、浅葱お姉さん。これからはずっと一緒だ。って、そうじゃないでしょ!!」


 ただ現実は俺の想像を遥かに超えていた。京の実力者 伊勢宗家に突然の正妻宣言。一体何がどうなってこうなったのか。混乱した頭では理解が追い付かず、何か言おうと思って咄嗟に出たのがノリツッコミという悲しさ。こういう時、どうしても武家の当主然とした反応ができない。前世に引きずられたものとなってしまうのが悩みの種だ。


 いや、それよりも、


「もう四郎君たら、お姉さんの事好き過ぎでしょうに」


 そう言いながら、頬を赤らめ指でのの字を書いている。


 これは、やらかしたかもしれない。



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補足


相良 頼貞 ─ 肥後相良家第17代当主 相良 晴広の子。妾腹で嫡男と同年同日に生まれた。その生まれからお家騒動の元になると判断され、1556年に出家させられる。だがそれに納得できない相良 頼貞は、20歳を過ぎた頃に勝手に寺を抜け出して還俗する。その後に肥後相良家当主と対立するようになった。

肥後相良家第18代当主 相良 義陽の戦死を知り、簒奪を試みるがあえなく失敗。日向国へと去り、その後の消息は不明となる。

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