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四郎勝頼の天下取りは東濃より始まる  作者: カバタ山
第一章:境目の領主
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九州派遣の成果

 甲斐武田(かいたけだ)家は、天文二二年 (一五五三年)に平戸(ひらど)王直(おうちょく)から三〇〇丁もの火縄銃を買い付けた。ただ残念ながら、取引はその一回で終了する。高価だという理由で。


 俺はこの顛末を知り、愕然とした。


 こんな馬鹿げた話があるだろうか。倭寇の実力者である王直との伝手を手放すなど考えられない失態である。山本 菅助(やまもと かんすけ)の配下は、平戸で一体何をしていたのか? そう問い質したくなった程だ。


 王直と取引をして得られる物は火縄銃だけではない。数々の明製品が手に入るのだ。奴隷も含めて。


 幾ら明の商品が伊勢商人経由で甲斐国に届くとは言っても、それは一部である。生糸や鹿革、陶磁器、砂糖辺りが精一杯だ。本当の意味で甲斐国の発展に有益となる商品はまず手に入らない。この事実を山本 菅助や父上は理解していなかった。


 俺の傅役である秋山 紀伊(あきやま きい)を二年前から九州に派遣していたのは、失った王直との伝手を取り戻すためであった。明には俺が手に入れたい物が数多くある。それを手に入れるには、単発の取引では難しい。現地に人を派遣して、粘り強く交渉する交渉する必要があると考えたからだ。


 またこの時期の王直は、イエスズ会の宣教師とよく行動を共にしている。つまり王直との伝手があれば、キリスト教との接触も可能となるという訳だ。そうした理由から秋山 紀伊の家人を数名共に付けさせ、イエスズ会入りをするよう命じておいた。


 その成果がようやく花開く。この時を俺がどんなに待ち望んだ事か。


 元々の予定では甲斐国の改革に使うつもりだったが、それも今は昔。今後は高遠諏訪家の発展に役立たせてもらうとしよう。


「それにしてもさすがは爺だ。この目録の中身全てが手柄だな。九州まで赴いてもらった意味があったよ」


「駆け付けるのが遅くなり申した。この爺が甲斐にいない間に、四郎様がまさかこのような仕打ちを受けるとは。文を読んだ時は、胸が締め付けられる思いがしたものです」


秋山 万可斎(あきやま まんかさい)が裏切ったからな。母を亡くし、爺はいない。その上側近にも裏切られてしまえば、どうにもならないさ」


「息子の光継(みつつぐ)がいながら何とも不甲斐ない結果です」


「そう言うな。光継は良くやってくれている。俺の信頼する家臣の一人だぞ」


 今更ながら、もし俺が秋山 紀伊を九州 平戸へ派遣していなければ、高山城への左遷は無かったと考える。


 秋山の名は甲斐国では重い。その証拠に先代当主 武田 信虎様の頃には一度敵対したものの、後に許されて甲斐武田家の重臣として取り立てられた経緯さえある。つまりは甲斐国では一目置かれる存在。それが甲斐秋山家である。


 そもそも傅役は誰もが就ける役目ではない。名誉職的な扱いはあるものの、武家の当主が自身の息子の後ろ盾となるよう命じるのだ。そのためには能力や性格のみではなく、家中に睨みが利く高い家格が必要とされる。そういった意味で、先代当主重臣の家という肩書は大きい。


 この事から秋山 紀伊を傅役としたのは、庶子という立場の悪さから甲斐武田家中で蔑まれる俺を守ろうとした、父上の配慮であるのが痛い程分かる。


「それにしてもこの爺が目を掛けてやったというのに、四郎様を裏切った万可斎だけは許せませぬな。あの男にはいつか天罰を下しますぞ。ご安堵くだされ。ただ今は、爺が持ち帰った成果を領内の発展にご活用されるのが優先されまする」


「分かっている。力を持たなければ、逆に返り討ちにされてしまうからな」


「その通りです。でしたら甲斐秋山領内で四郎様が起こした奇跡を、再びこの地でも起こしましょうぞ。なあに、この爺がいるのです。大船に乗ったつもりでいてくだされ」


「それは頼もしいな」


 そんな秋山 紀伊は傅役に就任した当初こそ俺の奇行に眉をひそめていたものの、今では最大の理解者となってくれている。甲斐国時代に様々な実験が行えたのも、秋山 紀伊の全面的な協力があればこそである。


 だからこそ九州での長期滞在も、他の者には任せられないとして自ら進んで買ってくれた。


 その成果がこの目録となる。受け取った目録には、俺が依頼した品の多くが書かれていた。


 中でも一際目を引くのが、スイートソルガムであろう。スイートの名を冠する通り、茎から糖蜜が取れる。シロップの原料となる作物だ。


 スイートソルガムはサトウキビより抽出効率は落ち、粉末化させるには相当な手間が掛かるものの、荒れた土地でも育ち、東北でも育つ。生育は四ヶ月から五ヶ月。現代日本ではサトウキビやテンサイにコスト面で劣るため、見かけなくなっている。


 そんな作物の種が手に入った。


 砂糖は戦国時代では貴重品である。価格も高い。例え粉末になる前のシロップの状態で売りに出すとしても、砂糖の代替品が手軽に手に入るならどうなるか? 江戸時代の薩摩(さつま)藩や高松(たかまつ)藩が、砂糖の収益によって財政が潤っていたのは有名な話だ。この例と同じく、当家の収益が大きく伸びるのは確実だと言える。


 この他にもトウモロコシやみかんの苗木、タマネギ、カボチャ等も目録にあった。入手を期待していたサツマイモが手に入らなかったのは残念ではあるが、それでもこれ等の作物の栽培によって食料事情が大きく改善されるのが期待される。


 特にトウモロコシは高山地域でも育つ作物だけに、土岐郡以外の東濃や甲斐国でも栽培させたいものだ。美濃遠山家はお近づきになりたいとは思わないが、高山城の南東に位置する美濃小里(おり)家とは誼を通じたい。美濃小里家が領有する瑞浪(みずなみ)地区の南部は山間部だけに、穀物の栽培にはさぞや苦労しているだろう。手土産として持っていくなら、トウモロコシはうってつけになると思われる。


「おっ、マジか。爺、これもお手柄だ。当家の勝ちが確定したな」


「勝ちが確定? どの項目ですかな?」


「目録の二枚目に書いてある陶工だ。登り窯を作れる職人まで連れてきたとは思わなかった」


「本人が博打でかなりの借財をしましてな。それを立て替える約束で身請けしたのです」


「やはり多めに水晶を持たせて正解だったな」


 甲斐国はとても貧しい。これは変えようがない現実だ。しかしその反面、鉱物資源が豊富なのが特徴でもある。有名な所では甲州金が挙げられよう。


 もう一つ有名なのが水晶だ。透明度の高い無色水晶が産出される。水晶の価値は透明度が高ければ上がるだけに、甲斐国の水晶は世界に通用する逸品だと言えよう。それを秋山 紀伊が王直のいる九州は平戸へと持っていく。さぞや現地では歓迎されたに違いない。


 二年間にも渡る長期滞在が可能となったのも、全ては水晶のお陰であった。


 そんな価値のある水晶を俺が手にできたのは、父である武田 晴信様の計らいとなる。俺が提案したバイオトイレを深く気に入り、破格の褒美として幾つも頂いた。武田 晴信様が館に専用の水洗トイレを持つのは現代にも残る有名な話だ。無類のトイレ好きと言っても過言ではない。それだけに館にある厠の臭さが我慢できなかったのであろう。


 しかしながら、たかが厠一つで破格の褒美を貰う俺に重臣達は良い顔をしない。バイオトイレを手柄とは認めなかった。厠は厠。それ以上でもそれ以下でもないし、匂いの有る無しで厠の価値は変わりはしないという考えである。


 それはさて置き秋山 紀伊は水晶を原資にして、明国の陶工の招聘に成功した。これにより、今まで妻木庄(つまきのしょう)庄では小さな規模でしか行われていなかった焼き物の製作が事業化できる。これも俺が喉から手が出る程欲していた物の一つであった。


 明国は焼き物においての先進国である。日ノ本の焼き物はそれに遠く及ばない。中でも登り窯を使った焼成は熱効率も良く、大量生産を可能とする。この登り窯の導入が土岐郡の陶器産業を発展させるには絶対に必要だと考えていただけに、今回の成果は何より嬉しい。もし爺が年頃の女性であったなら、この場でプロポーズしていたと思われる。


 他にも目録には、豚のつがいや羊のつがい、それ等家畜の飼育できる者が記載されていた。家畜はそれだけでは事業化はできない。餌となる穀物が潤沢にあってこそだ。その点今回の爺の仕事は、穀物の種をしっかりと入手した上での家畜の入手とする丁寧さであった。


 返す返すも、これでサツマイモが入手できていればと思わなくもない。だがこの時代はまだ明国にサツマイモは伝来していないのだから、無理な注文だったと割り切るのが賢明だ。いずれ違うルートで入手できると信じたい。


「そう言えば聞きましたぞ、四郎様。土岐郡の座の連中と激しくやり合ったそうですな。しかも新座を作り、潰すつもりだとか」


「所々間違っている気もするが、結果的にはそうなっているかもな。それでな、爺……」


「お任せくだされ四郎様。この爺が新座の長を受け持ちましょう」


「まだ何も言ってないんだが。いや、爺が新座の長に名乗り出てくれるのはとてもありがたい。しかしな、九州での役目はどうする? 欲しい物はまだ幾つか残っているぞ」


「王直殿との伝手を得るという意味ではもう十分かと。後はこの爺でなくとも何とかなる筈です」


「確かにその通りだな。なら九州には、後任を派遣するか」


「それで宜しいかと」


 こうして懸案だった新座の運営を任せる者が決まる。この新座はある意味当家の中枢となる大事な組織だけに、秋山 紀伊はこれ以上ない適任者であろう。


 当の本人もやる気に満ちているのが何より嬉しい。しかもやるからにはより本格的にと、甲斐から人を呼び、新座の運営だけではなく妻木庄(つまきのしょう)で始める新たな生産も手伝わさせると言い出す始末。これはさすがに大風呂敷を広げている。


「いや爺、気持ちは分かるが急ぎ過ぎだ。それに父上がそう簡単に、人の派遣に首を縦に振るとは思えないぞ」


「何を仰いますやら。甲斐では部屋住みの二男、三男は生活に窮しておるのですぞ。民も武家も。それ故、冬には何百人と死者が出るのです。土岐郡への派遣は、要は口減らしのようなもの。御屋形様も死者を出すよりは良いと考えるに違いありませぬ」


「どの道冬には労働力が失われる訳か……。相変わらず甲斐は過酷だな。そうなると、是が非でもこの土岐郡で事業を成功させなければならない訳か」


「そしてその利益の一部を甲斐武田家へ献上すれば、御屋形様なら今以上に四郎様をお認めになるでしょう」


 なるほど。言いたい意味が分かった。これまでの俺は自領の発展しか考えていなかったが、それでは足りない。甲斐武田家に利益を還元してこそ俺の立場は守られると気付かされた。それは、何も考えずに自領の発展ばかり追い求めていれば、危険視されて今一度の粛清の対象となるという意味にもなる。


 これは少し考えなければならない。


 今の生産力では還元は無理にしても、何らかの形で甲斐武田家に利益を与えるのはどうか? 分かり易いのは甲斐国産物の輸入である。


「とりあえずは梅とぶどう辺りか。父上にはこの二つの生産を奨励するよう文を出しておこう」


「四郎様、それにはどういった意味がおありで?」


「いや何、酒を造る上での原材料を甲斐に頼ろうと思ってな。梅は梅酒の増産に。ぶどうは新商品に使おうと考えている。当然銭は払うぞ」


「それは良き一手かと。高遠諏訪家が甲斐武田家にとって有用な家だと分かれば、飯富(おぶ)殿達もこれ以上四郎様を追い詰めるような謀はできなくなるでしょうからな。四郎様、ご立派になられましたな」 


「おいっ……」


「気付かされたのは爺の一言だぞ。俺はそれを今できる範囲に修正しただけだ」


「それでもです。爺は嬉しく思います」


「おいったら!!」


「えっ、何だ。何だ」


「二人共、さっきから黙って聞いてりゃ、俺様を完全に無視しやがって! ガキとの話よりも、俺様の方が大事なのが分からないのか!」


「これは失礼した。存在には気付いていたんだが、ずっと爺の従者だと思っていたよ。俺の名は高遠 勝頼。この高山城の城主をしている。改めて本日の用向きを聞かせて欲しい」


「けっ、こんなガキが城主だと。お前に務まる筈がないだろう。俺様の名は奝雲祖栄(てううんそえい)。いずれ日ノ本中に名を轟かす男だ。その手始めにこの城を頂くとする。俺様と勝負しろ! 勝った方がこの城の城主だ!!」


 いきなり何を言い出すかと思えば、まさかの城主の座を賭けた勝負とは常識外れも良い所だ。こういった手合いとは関わらないに限る。


 ただ……この場に於いて、秋山 紀伊は何も言わない。俺と目が合った瞬間に頷くだけであった。


 これの意味する所は……きっと目の前の僧も九州派遣の成果の一つなのだろう。そう考えると、この威勢の良さが逆に面白く感じた。


 なら、答えは一つ。その実力の程を見せてもらうとしよう。



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補足


秋山 紀伊 ─ 武田 勝頼の傅役と思しき人物。甲斐国内では秋山家の家格はかなり高い。また、天目山の戦いの前に武田 勝頼を裏切った秋山 万可斎の元々は別の名であった事から推察すれば、秋山 紀伊が武田 勝頼と深く関わっていたのは明らかである。息子の秋山 光継が父の名を継承したのも、状況証拠の一つとして考えられる。

よく名の上がる安倍 宗貞は低い身分の家出身のため、傅役には適していない。

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