再興の狼煙
「花酵母」と聞いて、すぐにピンと来る者は相当な酒好きである。酒好きでもない俺がこの存在を知る事ができたのは、全くの偶然と言って良いだろう。
発見自体は思ったよりも早い。一九九八年には既に花弁から酵母の分離に成功したそうだ。それから長年研究を続け、二〇一五年には奈良県大神神社内のササユリに付着していた酵母が、旧醸造協会が提供する酵母とほぼ同等だと発見される。そこからササユリの「花酵母」を採用した清酒が造られるようになった。
当然ながらこれで終わりはしない。更なる研究を続け、現代では二〇種類以上もの「花酵母」が実用化されている。その中には清酒用のみならず、焼酎用やビール用、ワイン用にパン用もあると聞く。こうした広がりのみならず、「花酵母」を使用した個性的な日本酒も数多く商品化されるようになった。
日本酒業界は、長年日本醸造〇会によって培養された「きょうかい酵母」が席巻していただけに、この独自性を前面に押し出す変化の波は革命的である。
改めておさらいをしておこう。「花酵母」とは植物の花の蜜から分離された酵母であり、花の種類・場所等々によって数多く存在する。同じ花でも場所が違えば、酵母もまた変わってくるのが面白い。
そんな「花酵母」を使用して日本酒造りを行えば、偶然に頼らずとも確実に良い日本酒が完成する。これが何よりの強みだと言って良い。
全般的な特徴としては、吟醸系の華やかな香りにやわらかな口当たりをしている。それでいて口の中に広がった味わいがすっと引いていき、後味も軽やかだ。吟醸酒と言えば日本酒でも高級品となるだけに、その凄さが分かるというもの。
しかもここまでの特徴がありながらも、伝統的な酒造りよりも安く仕上がる。伝統的な手法は意外と失敗作となる場合が多いのが特徴だ。結果として、製造コストが高止まりしてしまう悩みがある。
だが、「花酵母」を使用した酒造りでは失敗がほぼ無い。これが製造コストの軽減となり、価格に反映させられる。
それでいて酵母の分離・培養自体はそう難しくはない。また培養する施設も、無菌室のような厳重なものは必要無い。現代では主婦が趣味のパン作りで、「花酵母」を使用した天然酵母パンを作っている程だ。この実例を知れば、分離・培養は難易度の低い作業だと分かるだろう。
例えば清酒酵母の培養に必要なのは麹汁とアルコール、それと磁器製の瓶といった所か。培養自体は砂糖水を使う方が簡単である。しかしながらこの戦国時代は砂糖が貴重品のため、おいそれと使用する訳にはいかない。麹汁を選んだのは次点としてであった。
また、磁器製の瓶は試験管の代用品となる。これを煮沸・殺菌して使用する。
分離・培養の具体的な方法は、アルコールで割った麹汁の中へ蜜の付着した花弁を投入するだけだ。後はこの液を保管しておくだけで、酵母が繁殖して数日で培養液となる。温度にはある程度気を遣う必要はあるものの、厳重でなくとも良い点がありがたい。
ここで気を付けなければならないのが、麹汁のアルコール濃度である。大体五パーセントから一〇パーセントで良い。一〇パーセントを超えるまで濃度を高めれば、逆に酵母の働きが阻害されてしまう。そうなれば酵母自体が死滅して、培養は失敗となる。
こうした点を踏まえて、現在はササユリの花酵母の培養を精力的に行っている。花は大和国から入手した。
何故ササユリなのか? それも大和国まで使いを出して入手しなくとも、領内の花で何とかするべきではないかと家臣達から疑問を呈されたが、これに付いては明確な狙いがある。
それは畿内製清酒への対抗。領内の花酵母で別の清酒を作るのでは付加価値が弱過ぎる。やるからには徹底的に。地方の力を見せつける。
後は原料に日本酒製造用の酒米が使用できれば完璧なのだが、これに付いては妥協するより他ないと考えている。何よりこの時代の日本酒造りには酒米は使用されていないのだ。ならば原料面での条件は、畿内と地方でそう変わらない。品質の面で当家製の日本酒が大きく落ちる事はないだろう。
とは言え、それが畿内で認められるかとなるとまた別の話だ。完成した日本酒が水のように澄んだ清酒であろうと、誰もが認める味になろうと関係ない。何事に於いても新規参入者が評価を受けるには時が必要だ。それまでは畿内製の濁り酒より下に見られるのは確実である。
だからこそ俺は、人の褌で相撲を取ろうと考えている。名よりも実。売れればそれで良いという発想で名付けを行った。
具体的には、
「まだ第一号の仕込みを終えたばかりですので気が早いと思いますが、名を『土岐諸白』にしようと考えています」
「何と……」
要は便乗商法である。大和国の僧坊酒にあやかった形だ。この時代の諸白仕込みの酒は朝廷や幕府も認める品質であるだけに、諸白の名を聞けばどのような物か想像できるだろうと考えた名付けとなる。もし商標登録の制度がこの時代にあれば、訴えられるのは確実なギリギリの所を攻めたと言って良い。その上で価格は、大和国の僧房酒よりも低く設定して対抗する予定だ。
だからこそ販売先は簡単に見つかる。具体的には畿内から外れた近江国や紀伊国のような周辺国、それも一向門徒に売り込みを行う。これ等の国では大和国の僧坊酒は滅多に手に入らないだけに、諸白仕込みの清酒は需要が大きいと睨んでいる。
しかしながらこの案を聞いて、明智 光秀殿は呆れるよりも何やら考え込む姿を見せる。
「諏訪様、一つお聞きします。何ゆえこの新しき酒の名を『高遠諸白』や『武田諸白』としなかったのでしょうか? 自信を持って世に出す酒であれば、そう名付けるのが本来です。もしや……」
「いえ、名付けはそこまで考えた訳ではありませんよ。土岐郡で作られる清酒ですので、『土岐諸白』にしたまでです。何か変でしたでしょうか?」
「これは失礼しました。ですが我等土岐に縁ある者達にとっては、『土岐諸白』の名はまさに天啓です。この清酒の完成によって、土岐の名はいつまでも人々の記憶に残るでしょう。手柄を立ててお家再興をする。それだけを考えていた我等の了見の狭さを恥じ入るばかりです」
「大袈裟ですよ。それよりもお家再興を目指しているのでしたら、当家にて足掛かりを作ってはどうでしょうか? 客将待遇で迎えますので、いつでも土岐 頼芸様を高山城に呼んでください」
この時代の人達は感情が昂ると大袈裟な表現をしがちなため、発言内容を本気で捉えてはならない。今回の場合は当家で作り始めた新たな清酒に、土岐の名が冠されたのが嬉しかった。この程度の認識でいるのが丁度良い塩梅である。
それよりも、その後に言った主家再興の方が重要だ。
なるほど。考えてみれば、一行は美濃斎藤家に取り入るのを拒否した人物ばかりである。目的が美濃土岐家の再興となるのは、自然な流れというもの。これに俺は全く気付かなかった。
しかしながら俺の提案が良くなかったのか、明智 光秀殿は難色を示す。
「諏訪様の配慮にはとても感謝しております。ですが我等は、土岐 頼芸様だけはお家再興の旗頭にはしたくはないのです。我儘を言うようですが、ご理解くだされ」
「それには何か理由があるのでしょうか? ……いや、ありました。土岐 頼芸様は何度も争った因縁ある人物。だからこそ、お家再興の旗頭には相応しくない。そんな所ですね」
「……我等にも意地がありますゆえ」
「では、土岐 頼芸様の子息を旗頭とするのはどうでしょうか? 土岐 頼武派閥に土岐の血を引く者が残っていない以上、この辺りが落とし所になると思われます」
「確かに諏訪様の申される通りですな。この辺で妥協するのが現実的かと」
この一言で揖斐 光親様一行の当家への長期逗留が決定する。それも、目的を美濃土岐家再興へと変化させて。
とは言えほぼ滅亡状態からの再興だけに、そう簡単に事は運ばないだろう。まずは土岐の血を引く旗頭の保護をする所から。焦らずゆっくりと進めて欲しい所だ。
また、この一件で高遠諏訪家が美濃斎藤家に敵視される可能性も十分にあり得る。だがそうなった場合は、甲斐武田の看板を持ち出して牽制するだけなので大きな問題は無い。
それはそれとして、
「諏訪様、此度の御配慮、誠に感謝しておりまする。それで……仕官の話なのですが、実は私を始め一〇名程が高遠諏訪家にてやり直そうかと考えている次第です。精一杯励みますので、何卒我等の仕官を受け入れてくだされ」
戦によって手柄を立てる場合と違い、今のままでは三二人の一行は規模が大き過ぎる。再興には時が掛かる以上、ある程度の人員を整理する必要があった。
そこで当家への仕官となる。目論見通りの展開となった。
「ここで一つお願いがあります。此度の仕官、美濃土岐家に席を残したまま、高遠諏訪家で働く形でも良いでしょうか?」
この時代は江戸時代と違い、仕官する者は一つの家や一人の主君に拘らない。複数の主君に仕えるのが当たり前であった。有名な所では、下克上の体現者とも言われている木沢 長政がこの両属を上手く利用してのし上がっている。初めは総州畠山家から、続いて細川 晴元様に仕える形で。かと思えば今度は公方 足利 義晴様にも接近しようとしていた程だ。
また、史実の明智 光秀殿は、足利 義昭様の家臣をしながら織田 信長殿に仕えている。この事実を知っていれば、高遠諏訪家のみに仕えろとは口が裂けても言えない。それよりもそういうものだと割り切って、こき使うのが正しい使い方だと言える。
その上で責任を与えて雁字搦めにすれば、自然と当家に比重を置かざるを得ない。美濃土岐家での席は有名無実となるだろう。
当家の家臣には若い者が多いため、領地経営の面でずっと不安があった。それだけに今回の仕官によって、政務・民との折衷・裁判等々の負担が大幅に軽減されるのが期待できる。経験豊富な人材を俺はずっと求めていた。
何より、これまで手が回らなくて始められなかった新たな事業が行える。俺にとってはこれが嬉しい。
それだけではない。彼等の経験は戦でも大いに役に立つ。幾ら斎藤 道三殿相手に負け続きだったとしても、長年戦い、生き残ったのだ。これは何ものにも代え難い大きな武器となろう。強敵相手の戦はそうそう体験できるものではない。
こうして俺と明智 光秀殿、いや光秀との思惑が合致する。片や自分達の尊厳を失わずに新たな生活の糧にありつき、片や便利な社畜が手に入ったとほくそ笑む形で。
自然と右手を取り合う二人。握手の風習はまだ日ノ本に入ってきていないにも関わらず、俺が何の気なしに差し出した右手を光秀ががっちり握ってくれた。この瞬間二人の間には、勘違いという名の深い主従関係が結ばれる。
「光秀、客人待遇は今日で終わりだ。明日からは山のような仕事が待っているからな。覚悟しておけよ」
「はっ。この明智 光秀、美濃土岐家再興のため、高遠諏訪家の更なる発展のため、粉骨砕身致しまする」
うん、良い返事だ。面構えにもやる気に溢れた活発さを感じさせる。
その言葉通り、明日からは放置して積み重なった書状の処理を任せるとしよう。




