発想の転換
弘治二年 (一五五六年)の九月に入ると、もう一つの予想された出来事が起きる。
それは、美濃斎藤家による明智城攻めであった。明智城城主の明智 光安は、今は亡き斎藤 道三殿の外戚となる。存残する斎藤 道三派への見せしめとしては、都合の良い相手と言えるだろう。
加えてこの戦に勝てば、斎藤 高政殿の戦への強さが証明されて、家臣からの支持も受けるのだ。まさに一粒で二度美味しい。美濃斎藤家は次なる敵である織田弾正忠家に対して備えなければならない以上、長々と内輪揉めを続けていられない。
こうした背景を鑑みれば、当家に援軍要請が来るのが本来だ。一声掛ければ援軍が駆け付ける姿を内外に見せておくのは、美濃斎藤家の力を誇示するためにも重要である。何より明智城は、平井 頼母が城主の御嵩城から目と鼻の距離にある。俺の要る高山城からもそう遠くない。近隣勢力との友好関係を内外に見せるのも、同じく重要と言えるだろう。
しかしながら今回の戦いでは、派遣要請は梨の礫である。と言うよりも、遠山騒動を切っ掛けに当家と美濃斎藤家との距離が微妙になっているため、派遣要請を出せなかったのが正直な所ではなかろうか。
もしこの戦でも前回同様俺をぞんざいに扱えば、今度は甲斐武田家との関係まで悪化する。かと言って客人待遇をすれば、斎藤 高政殿の威厳が損なわれる。こちらから擦り寄ったなら話は別であろうが、今や斎藤 高政殿は美濃国の国主と言っても大袈裟ではない人物だ。当家のような弱小勢力に対してへりくだる姿は、家臣に見せられないだろう。
そう考えると当家が美濃妻木家を降して土岐郡の半分以上を手に入れても何も言われないのは、斎藤 高政殿が接触を避けているからに他ならない。裏を返せば、斎藤 高政殿の政権基盤の弱さが浮き彫りとなった結果とも言える。
順風満帆とはいかない新たな美濃斎藤家の舵取りは、いずれ何らかの形で問題が表面化するのを予感させていた。
ただそれでも、美濃斎藤家の名は今も大きいと感じる者もいるのが面白い。喉元過ぎれば熱さを忘れるのか、この度の明智城攻めでも明知遠山家当主は援軍を送ろうとしたそうだ。
実現しなかったのは、遠山 景任殿の説得による。幾ら美濃遠山家惣領の立場を守るためとは言え、勝手な行動をする分家の面倒まで見なければならないのはご苦労な事だ。俺なら失脚させる材料にするか、城を空けている間に兵を率いて領地を制圧してしまう。美濃斎藤家と険悪になろうが関係無い。そんな時のために甲斐武田家の傘下に入ったのだから有効活用をする。これ位の図太さを遠山 景任殿には持って欲しいものだ。
それはさて置き、明智城攻めを斎藤 高政殿独力で行う事によって、お声が掛からなかった一団がもう一つある。
「諏訪殿、しばらく厄介になる。此度の戦こそ手柄を立てて揖斐城復帰への足掛かりとしたかったのだが、陣借りさえできず仕舞いに終わったわ。口惜しい」
「そう仰らずに、この高山城をご自分の家のつもりでお過ごしください。何なら客将としてずっと居て頂いて構いませんよ。以前にも申し上げました通り、私にとっては揖斐様を迎え入れるのが名誉です。存分に羽を伸ばしてくださいませ」
それは勿論、長良川の戦いの際に知り合いとなった揖斐 光親様御一行だ。今後の美濃国統治に土岐の名は邪魔だと感じたのか、それとも一向宗との繋がりを嫌って一行を無視したのかは俺には分からない。分かるのは揖斐 光親様の一団は、越前国からやって来たものの、何の成果も出せずに戻るしかないという悲しい現実であった。
高山城へと立ち寄ってくれたのは、このまま越前国へと戻るのに後ろ髪を引かれる思いがあるからなのだろう。その気持ちはとても分かる。
それに加えて、越前国での立場も関係していると考えた方が良い。現在の越前朝倉家当主は、朝倉 義景様に代替わりしている。土岐 頼武派閥を保護していた朝倉 孝景様は既に死去していた。
更には、土岐 頼武様の当主復帰のために軍勢を率いて美濃国まで攻め込んだ朝倉 宗滴様も、昨年帰らぬ人となっている。つまりは後ろ盾となる人物が越前国にはもう居ないのだ。今更戻った所で身の置き場が無いのは容易に想像が付く。今回の美濃国遠征も、体の良い厄介払いであったかもしれない。
だからこそ今回の高山城訪問の実情は、保護を求めてやって来たとするのが妥当だ。とは言え、当家には美濃土岐家との接点は無い。そうした理由から、素直に保護を求められないのではないかと考える。
もしくは、未だ名門美濃土岐家の誇りが根底にある程度残っているか。誇りではご飯が食べられないと考えるのは、元現代人の俺だからなのだろう。客将として誘ったのは、揖斐 光親様の面子に配慮した形である。
勿論それだけでは終わらない。
「一つお尋ねしますが、揖斐様麾下の方々は、越前国へと戻られた後にどうするつもりだったのでしょうか? もし仕官先を探しているのであれば、試しに当家に仕官してみませんか?」
領地の広がった高遠諏訪家は現在人手不足である。そのため、この機に乗じて仕官の誘いを掛けてみた。
「まだ当家は小さいために領地をお渡しする事はできませんが、その代わりとして俸禄は弾みます。ご家族や一族・郎党を養える額はお渡ししますので、是非お考えください」
大袈裟に言った部分はあるものの、大筋に嘘は無い。これを破格の待遇と感じるか、領地も出せないしみったれと感じるかは人それぞれ。この時代の武家は土地に拘るため、現実的な損得勘定のできる人物が仕官の対象となる。
そんな中、一行にいた一人の男、明智 光秀殿が俺に質問をしてきた。
「気になる点が一つあります。何ゆえ土地を割く余裕すら無いのに、俸禄は弾めると言えるのでしょうか?」
「それには理由があります。論より証拠。当家が小さくとも俸禄を弾める理由をお見せしましょう」
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当家は領地の拡大によって織田弾正忠家と隣り合う形となった。だが、それに怯えているだけでは何もできはしない。悲願の天下取りなど以ての外だ。
ゆえに今の状況を利用する発想の転換が必要となる。
織田弾正忠家が脅威なのは、穀倉地帯である濃尾平野を抱え、金の成る木とも言える熱田・津島の両港を支配下に置き、生活必需品の塩を生産可能としている点だ。よくもまあこれだけの好条件が揃っているものだと思う。ないない尽くしの甲斐国とは雲泥の違いだ。
要するに尾張国は銭・米・塩を持っている。それでいて戦続きのために、銭は幾らでも欲しい。
ならば当家は、その需要に応えれば良いだけである。
「ここが当家での銭を生み出す施設となります」
一行を案内したのは土岐川沿岸に作られた真新しい施設。施設内からは絶えず何かを叩く音が聞こえてくる。
「諏訪様、外には水車が見えますが、ここでは一体何を行っているのでしょうか?」
「はい。この施設では水車を利用して、精米を行っております」
そう。だからこそ、当家は尾張国から米を購入し始めた。何より隣接地域が濃尾平野を抱える春日井郡なのが大きい。
これでは何のための農業改革・土作りかと言われそうだが、現状の当家には米作りよりも優先して栽培しなければならない作物がある。米の本格的な栽培は、もう少し環境が整ってから行う予定だ。
「精米……ですか? それは一体何のために行っているのでしょうか?」
「酒造りですね。良い酒を造るには、原材料が全て白米でなければならないのですよ」
俺がこの時代にやって来て驚いた事がある。何とこの時代の地方の日本酒は、原材料の一部に玄米を用いていた。畿内では、「諸白」と呼ばれる全てに白米を使用した日本酒が出回っているにも関わらずにだ。これでは酒の味が低下するだけではなく、一段低く見られるのは当然と言えよう。地方の日本酒が畿内製に太刀打ちできないのには、きちんとした理由があったのだと分かる。
だからこそ俺は、自動で精米を行う施設を高山城下に建設した。自動とは言え、機能そのものは上等な物ではない。川の流れを利用して水車を回し、その力で施設内設置されたる杵を上下させる程度だ。これにより、臼に入った玄米の糠が取り除かれていく。
「さ、酒造りですか。もしや我等を仕官に誘ったのは、この酒造りのためでしょうか?」
「いえいえ、とんでもない。酒造りを行うのは、織田弾正忠家に対するためですよ。まだ完成しておりませんが、酒を売って得た銭で兵や将を養うのを目的としております」
「なるほど。そういった意味ですが……いや、お待ちくだされ。幾ら精米した米を使用するとしても、酒造りは奥深きもの。素人が手を出して、簡単に成功するとはとても思えませぬ。仮に畿内から職人を呼び寄せたとしても、それで良い酒が造れるなら誰もがそうしておりまする」
「さすがは明智殿、良い点に気が付きましたね。ですが私には、高確率で良い酒が造れる秘策があります」
「な、何と……」
明智 光秀殿が言う通りだ。酒造りに素人が手を出して簡単に成功するなら、畿内には今頃全国津々浦々の酒が集まっているだろう。
だが実際にはそうはなっていない。品質は畿内製が一歩も二歩も先を進んでいる。これは変えようもない事実だ。
理由の第一には精米の問題が挙げられる。この時代の精米は自動化されていない。人力で行わなければならない面倒な作業である。時代を先取り一足早く自動化した当家が特殊なだけだ。
加えてこの時代には既に二段仕込みの手法が畿内では確立されている。火入れによって品質を落とさないようにもしている。ここまでの工夫があればこそ、畿内の酒、僧房酒は高い評価を受けているのだ。権威や仏の加護では酒の味は良くはならない。
改めて日本酒造りには幾つかの要点がある。
一つには酒の雑味を消す十分な精米。二つ目は清酒酵母の活動を阻害しないための段仕込み。三つめは酒の味を低下させないための火入れによる殺菌。四つ目が不純物を取り除く濾過の工程。大まかにはこの四つとなる。
日本酒造りにはこうした要点があると分かっていれば、職人の協力の元、地方でも良質の日本酒が完成するであろう。
但しそれはあくまでも良質止まりである。極上の日本酒を造るには、越えなければならない壁があった。
それは何かと言えば酵母である。デンプンを糖へと変える働きを持つ麹とはまた別の微生物だ。この酵母によって糖が酒へと変わる。且つ酵母の種類によって、日本酒の味は大きく変化する。清酒酵母と銘打っているのがその証明と言えるだろう。
ただこの時代の酒造りでは、酵母の添加は偶然に頼っている。酵母の種類は選べない。その上で極上の味となる酵母は、限られた地域でしか生息していないという厄介さだ。明智 光秀殿の危惧は、この点を指摘していると考えた方が良い。
つまりは下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるとばかりに数多くの酒蔵を作ったとしても、品質は頭打ちとなる。偶然で畿内の僧房酒を超える味は出せない。それができるなら、現代でも続く清酒酵母の商売は成立していなかったろう。
だが、ここに一つの抜け穴があった。元現代人の俺だからこそ持っている秘策。
それは、「花酵母」と呼ばれる存在となる。




