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四郎勝頼の天下取りは東濃より始まる  作者: カバタ山
第一章:境目の領主
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一杯の雑炊

 隣接した尾張(おわり)国の織田弾正忠おだだんじょうのじょう家は、とても危険な存在と言わざるを得ない。


 三カ国を領する大国駿河今川(するがいまがわ)家と正面から殴り合う。今度は北の美濃斎藤(みのさいとう)家と事を構える。それもまだ尾張国を統一していないにも関わらずだ。


 これで財政破綻しないのが何より恐ろしい。


 そんな織田弾正忠家内の一人 木下 藤吉郎に俺は目を付けられている。これではその矛先がいつ当家に向くかは分からない。そのため有事に備えて、高遠諏訪(たかとおすわ)家単独でも守り切れる体制を整えるのが喫緊の課題となる。次は甲斐武田家の援軍を勘定に入れてはならないと俺は考えていた。


 理由はかの有名な川中島の戦いにある。昨年甲斐武田(かいたけだ)家は、宿敵越後長尾えちごながお家との二度目の争いを起こしていた。現時点では両家で結ばれた和睦が継続中であるものの、相手が相手だけにいつ破棄されるか分からないのが実情である。遠山騒動の際に援軍を派遣してもらえたのは、偶然にも第三次川中島の戦いが始まる前だったからに他ならない。


 次の争いが始まれば、甲斐武田家は東濃に構っている余裕は無くなる。また隣接する美濃遠山(みのとおやま)家は、いつまた騒動が再燃するか分からない。俺を取り巻く環境はとても流動的である。


 こうした考えから俺は、まず軍の再編成に着手した。


 中でも重要なのが、主力部隊をどうするかである。ここで御嵩(みたけ)城主の平井 頼母(ひらい たのも)を頼りにするのは、使い勝手が悪い。主力はやはり、俺の直属として即応性の高さを優先したい所だ。


 そうなると、先日降したばかりの美濃妻木(つまき)家を有効活用するに限る。ここに信頼できる者を養子としてねじ込み、美濃妻木家の一族・郎党を掌握させる。これにて最も頼りとなる部隊が完成する運びだ。勿論、俸禄を多めに支払って美濃妻木家を厚遇するのも忘れない。


 では具体的に誰を養子にするべきか? 順当な所では真田 昌輝(さなだ まさてる)だろう。まだ若いながらも、彼なら能力的に申し分ない。信頼もできる。そう思案していた所、意外な人物が名乗りを上げた。


「四郎よ。美濃妻木家の養子には、儂が行くのはどうであろうか?」


信実(のぶざね)叔父上が養子入りしてくれるのは、とても嬉しいです。ですが分かっているのですか? 美濃妻木家への養子入りの意味は……」


「うむ、分かっておる。儂が四郎の正式な家臣になるという意味であろう」


 名乗りを上げた河窪 信実(かわくぼ のぶざね)叔父上は、父 武田 晴信様の弟として御一門衆に名を連ねている。しかも俺のように重臣達に嫌われてはいない。現在高山(たかやま)城にいるのは客将としての立場であり、本国甲斐(かい)へ戻れば高い地位が約束されている。


 要するに、大企業の重役が零細企業の重役になりたいと言ってきた。あり得ない話である。


 ただ俺の見え方と河窪 信実叔父上の見え方は違っていた。幾ら御一門衆に名を連ねていてもそれは立場だけであり、自身の働き場所はそう無いのだと言う。事実河窪 信実叔父上の領地となる地は甲斐国の山間部を予定しており、率いる兵も数少ないそうだ。


 それよりも高遠諏訪家の元で主力部隊を率いたい。自身の活躍の場が欲しいと話してくれた。これが実現するなら、俸禄でも構わないとも言ってくれる。


 いつの世も、給料や立場より仕事の遣り甲斐を求める者はいるのだと痛感する。


「そこまで言うなら信実叔父上、いや信実は、今から俺の家臣だ。頼りにしているぞ。甲斐武田家にはこの件を伝えておくので、安心して欲しい。また俺の家臣の一人、竹内 与五左衛門たけうちよござえもんを信実の家臣に付けよう。二人で協力して美濃妻木家を天下一の武闘派集団に育てて欲しい」


「その期待に必ず応えてみせます。お任せあれ」


 こうして河窪 信実改め妻木 信実が誕生する。受け入れる美濃妻木家の方も、どこの馬の骨とも分からない人物では嫌がるだろう。しかしながら、由緒ある甲斐武田家当主の弟が新たな当主になるならば納得もできる。まさに三方良しとなる結果となった。


 唯一心配な点は、妻木 信実叔父上の年齢が一六と若いため、美濃妻木家中で舐められないかである。だが当家には、大御所とも言える室住 虎光(むろずみ とらみつ)様がいる。この方を後見としておけば何とかなるであろう。


 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 主力部隊を率いる人物が決まれば、次に行うのは募兵となる。領地が広がったのだから、ここは思い切って二〇〇〇の常備兵を揃えたい所だ。


 とは言え無意味に数だけ増やしても、管理もできなければ訓練もままならない。そのため、期間を空けて少しずつ数を揃える形とした。


 本日は一回目の募兵となる。今回は初めてというのもあり、二〇〇名を目処とした募集に留めておいた。


 こういった場で、何事も無く事が運ぶのはまずあり得ない。何かしらの問題が発生するものだ。だからこそ、それを糧にして今後に生かすのも今回の目的である。


 また兵を募集するに当たって、何の手立ても無くただ呼び掛けるだけでは人は集まらない。そうした考えから、今回は兵の登録をする者には無料の炊き出しを行った。


 中には飯だけ食って兵にならない者もいるだろう。その辺りは想定済みとして、何割かが残ってくれればしめたものである。


 タダ飯食いたさに、いかつい顔付をした男達が列をなして集まる。たったこれだけの事で一苦労するのがこの時代の実情だ。何のトラブルもなく順番待ちのできる現代日本人の特性は、恐ろしいと言わざるを得ない。


 当然ながら兵の登録を終えても、それで終わりとはならないものだ。炊き出しを行っている場では醜い争いが勃発。人は一杯の雑炊のために命を懸けられる。ましてやそれが食い詰めた者なら尚更であろう。


「ったく、これで今日何度目だよ。兵になればこれから一日二食食えるというのに、それまで我慢できないかねぇ」


「四郎様、飢えている者にとっては明日の飯よりも、今この場での飯の方が大事なのです」


「それは分かるが、たった一杯の雑炊のために喧嘩をしていたら、この場での飯さえ食えなくなるんだがな」


 安倍 宗貞(あべ むねさだ)率いる警備兵五〇とそんな愚痴をこぼしながら現場に駆け付けると、そこでは凄惨な光景が広がっていた。


 雑炊の入った寸胴は全て倒れ、中身が地面へと広がっている。雑炊を守る警備兵達、兵の登録を終えた男達のほぼ全員が気絶して倒れており、死屍累々の状態となっていた。


 何故ほぼ全員となるか? それは、


「いい加減倒れろ!」


「そっちこそ、負けを認めろ!」


 互いに胸ぐらを掴み合いながら、顔面を殴り合う二人が残っていたからである。顔をパンパンに晴らした二人は、最早意地だけで立っていると言うしかない。


正直(まさなお) 正成(まさなり)、二人共そこまで! 互いに離れろ!」


「四郎様!」


「一体何があった?」


「こ奴が!」


「いやこ奴が!」


「二人共仲が良いな。いいから取り敢えず離れろ。言う事を聞かないなら、後ろの警備兵達が気絶するまで殴り続けるからな」


 要するに犬猿の仲である保科 正直(ほしな まさなお)服部 正成(はっとり まさなり)の二人が、周辺を巻き込んで喧嘩を始めたのだろう。喧嘩自体を止めようとは思わないが、せめてする場所を考えて欲しかった。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「というか、正成がどうしてこの場にいるんだよ」


「……」


 ここからは事情聴取の時間となる。本来は喧嘩の原因を探る所から始めるのが筋だと思うが、今回ばかりは服部 正成が兵士募集の場にいる事自体に違和感を覚えたため、そこから始める形とした。


「四郎様、こ奴は此度、兵士登録にやって来たのです。それで登録を終えた後、飯を食おうと某の担当する炊き出しの列に並びました」


「そうなのか、正成?」


「……ああ」


「それで某が『四郎様に紹介するから、しばらく待て』と言った所、突然胸ぐらを掴んで『そんな事より早く飯を出せ』と言い出したのです」


「で、そこから周囲を巻き込んだ喧嘩になったのか?」


「面目次第もございません」


「飯一杯なら先に出しても良かったとは思うが、正直の対応に間違いはないんじゃないのか? 正成、何が気に入らなかったんだ?」


「俺はやはり、松平様の下でてっぺんを目指したいからな。それで諏訪殿とは会いたくなかった」


「それは残念だ。……いや待て。なら今日はどうして兵の登録にやって来たんだ?」


「……路銀が尽きた。だから、飯が食いたくてここに来た」


 ようやく分かった。服部 正成は兵士になろうと思ってここに来た訳ではない。ましてや当家に仕官するためにここに来た訳ではない。単純にタダ飯を食いにここにやって来たという訳だ。


 つまりは兵士の登録は済ましたが、働く気は無かった。もしくは働いても短期で辞めるつもりだったのだろう。だからこそ仕官を誘った俺に会いたくはなかったとなる。


 タダ飯の魅力の前には、今日この場に来ないという選択ができなかったのだろう。一体何日食べてなかったのか。


「分かった。正成の気持ちは尊重してやりたいが、今回ばかりは諦めろよ」


「一体どういう意味だ?」


「いや何、責任を取って当家に仕官しろという意味だ」


「さっき俺は、主君を松平様に決めていると言ったつもりだが」


「俺にここまで迷惑を掛けたのにか?」


「……」


「正成の我儘で、飯を食い損なった者が多く出ているんだぞ」


「……」


「けれども俺は寛大だからな。正成が仕官すれば、その罪を許そう。それで仕官したなら、今後の生活は当家で面倒見てやる。悪い話じゃないだろう? もし断るなら、俺は正成を処罰しなければならない」


「いや、しかし、俺は……」


「後はそうだな。正成にはてっぺんを取ってもらいたいからな。支度金代わりに朱槍を贈ろう。これでもまだ当家に仕官するのを嫌がるか?」


「分かった。降参する。今日から俺は高遠諏訪家の家臣となるから、これ以上は勘弁してくれ」


「そう言ってくれると思っていたよ」


 朱槍はこの時代、特別な意味を持つ。言わばチャンピオンベルトのような物だ。それを所持しているだけで、周囲から一目置かれる存在となる。この時代の武家は地位や名誉への拘りが強いため、俺の提案が最後の一押しとなった。


 こうして服部 正成が当家の家臣に加わる。騙し討ちに近い形であるものの、板に乗ってしまえばこちらのものだ。以後は安祥(あんじょう)松平家ではなく当家で活躍してもらうとしよう。


 ただこの厚遇ぶりが、一つの余波を齎す。


「……正直、何だその眼は?」


「何ゆえ某を差し置いて、こ奴に朱槍を贈るのですか? 新参を優遇し過ぎです」


「悪かった。なら正直には柄を朱色に染めた片鎌の槍を贈ろう。戦場ではその槍に恥じない活躍を見せろよ」


「はっ。精一杯励みまする」


 本当、武家は面倒臭いと思いつつも、保科 正直は服部 正成を意識しているだけに、差を付けられたくない気持ちは分かる。今日からは同じ高遠諏訪家の家臣。願わくばいがみ合うよりも競い合う仲になって欲しいものだ。


 いずれ当家の両翼を任せられる存在となる。その日が来るのが楽しみでならない。

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