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四郎勝頼の天下取りは東濃より始まる  作者: カバタ山
第一章:境目の領主
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遠山騒動

 弘治(こうじ)二年 (一五五六年)七月、予想通りの出来事が起きる。明知遠山(あけちとおやま)家を筆頭とした遠山七党の四家が、岩村(いわむら)遠山家を継いだ遠山 景任(とおやま かげとう)殿に対して、美濃(みの)遠山家惣領の資格無しと異を唱えだした。


 その理由がまた凄まじい。遠山 景任殿の年齢を持ち出して、これでは貫禄不足で遠山七党を従えられないというものだ。


 ──完全に屁理屈である。


 まだ遠山 景任殿が能力不足であったり、人格的に相応しくないと言われれば納得はできよう。だが遠山 景任殿の年齢は、既に二〇歳を超えている。年齢一桁のお子様ではない。既に成人していてもまだ若いとなるなら、一体何歳であれば納得できるのかと問いたい程である。


 また人格面もそうだ。悪い噂すら出ていないのだから、これを口実とするのは無理がある。


 要するに、この機会に岩村遠山家を惣領の座から蹴落とせれば口実は何でも良い。それは分かるが、せめて事前に遠山 景任の評判を落とすような裏工作をして欲しかった。杜撰な事この上ない。


 何故こうなったかは分かる。美濃斎藤家が援軍を出す約束をしているからだ。その証拠に、反対派は主張が通らなければ武装蜂起して、岩村城へ攻め込むとまで書状に記しているという。初めから戦で決着を付けるつもりなのが分かる内容であった。


 元現代人の俺から見れば、たかが惣領の地位一つで戦をするのはやり過ぎだと感じる。しかしながら、これは価値観の問題と言わざるを得ない。戦国時代の武家は地位や序列に異常に拘る。損得の問題ではない。だからこそ明知遠山家の当主は、自身の今の立場を何とかしようと事を起こす。


 ならばここは一つ、その無念を晴らすためにも戦で白黒をはっきりさせようではないか。


秋山(あきやま)殿、この度は岩村城まで駆け付けてくださり感謝します。秋山殿がいれば、この戦は勝ったも同然でしょう」


「俺はあくまでも、御屋形様の命を実行しているに過ぎん。感謝はお館様にしろ。俺に感謝は無用だ」


 遠山騒動発生と同時に、俺は武田 晴信様へ援軍派遣を依頼。それを受け、伊奈(いな)郡代 秋山 虎繁(あきやま とらしげ)殿が兵五〇〇〇を率いて岩村城入りを果たした。信濃国の難所を軽々と乗り越え、一兵も損なう事無く岩村城まで辿り着いたのは、さすがの一言である。


 これに加えて俺の率いる兵が平井 頼母(ひらい たのも)の軍勢と合わせて一〇〇〇となるため、岩村遠山家は合計で六〇〇〇の援軍を確保した。


 幾ら遠山七党の四家が束になって掛かってきたとしても、この数があれば楽に追い返せる。いやそれよりも、これに岩村遠山家の兵一〇〇〇も加えれば、逆侵攻して反対派筆頭の明知遠山家を完膚なきまでに叩きのめす事もできよう。


 気になる点はこの行動によって、明知遠山家を支援する美濃斎藤家を刺激しないかとなるが、現在の美濃斎藤家には織田弾正忠おだだんじょうのじょう家という敵がいる。ここで新たに甲斐武田家と本格的に事を構える余裕は無い筈だ。仮に武力衝突があったとしても、小競り合いが精一杯と考えている。


 さこちらの準備は整った。後は好きに武装蜂起してくれ。


 とは息巻いたものの、こういう時に限って予定通り進まないのがこの世の中である。


「諏訪様、お願い致す。後は我等岩村遠山家に任せて、軍勢を領地に戻してくれないでしょうか?」


 俺達の帷幕に転がるように入ってきた遠山 景任殿が、息を切らしながら突然方針変更を伝えてきた。


「えっ、どうしてですか? これだけの兵がいれば、武装蜂起と同時に明知遠山家を滅ぼせるのですよ。美濃斎藤家の軍勢が援軍に来ようと、勝つ自信はあります。ここまでの状況でありながら、手を引けと言う理由をお聞かせください」


「岩村遠山家を守るために駆け付けてくれた方々に、このような話をするのは大変心苦しいのですが、戦後処理の面で家臣達が異を唱え始めました」


「戦後処理……意味が分かりません」


「実は……家臣達は、戦後処理で明知遠山家に甲斐武田家が新たな当主を送り込むのではないかと危惧しているのです。そうなってしまえば、新生明知遠山家が甲斐武田家の力を借りて、美濃遠山家惣領の座を狙うかもしないと。それは、岩村遠山家に対する裏切り行為となると言っているのです」


「新当主、惣領……ああっ、そういう意味ですか」


 なるほど。その手があったかと、逆にこちらが感心してしまう。確かに明知遠山家を打ち倒した後は、高遠諏訪家から人を送り込むつもりであった。この点は認めよう。


 だが目的が違う。俺が考えていたのは、明知遠山家を当家に取り込むための措置だ。美濃遠山家の惣領に据えようとは一切考えていなかった。それだけにこの指摘は、盲点だったと言わざるを得ない。


 岩村遠山家単独で騒動を治められなかったのに、よく言えたものだと思いはするが。


 とは言え、ここで意地を張っても岩村遠山家との関係が拗れるだけである。そうなってしまえば、当家はこの東濃の地でたちまち孤立してしまう。そうなれば今度は、美濃斎藤家との挟撃で滅亡させられてしまう恐れがある。これだけは絶対に回避しなければならない。


 ここは一旦、相手の要求を呑むしかないだろう。隣にいる秋山 虎繁は我関せずの態度を示しているだけに、気を遣う必要も無い。


「分かりました。遠山殿がそこまで言うなら、戦は取り止めましょう。ですが遠山殿の交渉を有利に進めるため、示威行動として明知遠山領には兵を率いて進軍させて頂きます。これならば問題は無い筈」


「た、確かに……手を出せないと約束して頂けるなら、こちらとしても問題はございません」


 但し、転んでもただでは起きない。この状況を利用させてもらう。元々本命は別にあったが、その実現を確実なものとする布石に切り替えた。これなら俺も納得である。


 そうとなれば善は急げだ。急いで準備を整えて岩村城から西へと向かう。荒れた山道のため、進軍はおぼつかない。逸る気持ちを抑えながら、さもこれから明知遠山家を脅してやるといった堂々とした姿で馬に揺られていた。


 やがて南下して進めば明知城へと続く分かれ道で俺は、声高らかに兵達へと告げる。


「さあて、ちゃっちゃとやってしまおうか。目標変更。俺達はこのまま北上して、土岐(とき)郡入りをする。目的地は明知遠山家にあらず。真の敵は美濃妻木(つまき)家の城、妻木城だ。活躍した者には褒美を出す。皆の奮戦を期待しているぞ」


 何故武田 晴信様に俺が五〇〇〇もの兵の派遣を依頼したか? 全てはこのためにあったと言っても良い。要は遠山家騒動を口実に高遠諏訪家の領土拡大を目論んだ。その相手が高山城の南に位置する美濃妻木家であったというのが、今回のカラクリである。


 兵は詭道なりという言葉。所詮戦は狐と狸の化かし合いだ。なら奇襲程度は序の口と言えよう。遠山騒動を治めるために出した軍勢は、相手の注意を逸らすため。油断した所へ一気呵成に攻め込む。今から急いで兵を集めた所でもう手遅れだ。


 この真の目的があったからこそ、俺は遠山 景任殿の要望をあっさりと承諾した。


 突然の予定変更に兵達はどよめくも、秋山 虎繁殿の一喝によって場は落ち着く。


「諏訪殿、此度の美濃妻木家攻めは、お館様承認の上でのものと考えてよろしいか?」


「勿論です。美濃遠山家の騒動を鎮めるだけなら、ここまでの兵の数は必要ありません。始めからこの策があったからこそ、五〇〇〇もの兵を武田 晴信様にお願いしました」


「相分かった。それなら俺は戦場で全力を出そう。ただ一つ言っておく。我等は美濃妻木家攻めを聞いていなかった。故に十分な兵糧を用意していない。その辺は何とかしてくれるのであろうな?」


「お任せください。高山(たかやま)城に予め十分な兵糧を準備しておりますので、それを活用ください」


 今回秋山 虎繁殿が木曾の難所を超えて難なく東濃入りできたのは、運ぶ兵糧を最小限としたのが大きい。ただでさえ木曽路は難所なのに、兵だけではなく潤沢な兵糧まで運ぶとなれば、大きな負担となる。途中で脱落者が多く発生していただろう。


 そのため今回の策を遂行するに当たり、兵糧はこちらで準備すると武田 晴信様には予め伝えていた。これが無ければ、兵の利用を承認されなかった可能性が高い。なお兵糧を準備する原資は、諏訪 春芳(すわ しゅんほう)殿からの借財である。例え銭を借りて戦を行っても、勝てば一気に領土は広がる。ならば、そこから得られる収益で返済は可能だと踏んだ。


 北 信濃(しなの)上野(こうずけ)国へは度々進出していた甲斐武田家が、何故美濃国へと積極的に進出しなかったか? それは道の険しさが大きく関係する。守るに易く攻めるに難い。それが東濃や木曾地域の特徴である。しかしながら、予め東濃に物資の集積所を作っていればどうなるか?


 それが今回の美濃妻木家攻めの肝とも言える。要するに後方からの兵糧輸送部隊の到着を待つ事無く、電撃的な侵攻が可能となった。加えてこちらには、甲斐武田家でも有数の城攻め巧者 室住 虎光(むろずみ とらみつ)様がいる。俺が甲斐時代に地道に揃えた戦国版手榴弾の焙烙玉もある。最早負ける要素の無い戦いであった。


 ──十分な兵糧。


 俺が発したこの言葉に、信濃国は伊那郡から派遣された兵は一気に色めき立つ。もう腹が減ったのを我慢して、無理に険しい山道を進まなくても良いのだ。むしろ山道を超えた先には御褒美が待っている。これでやる気が出ない方がおかしいというもの。


 それからの軍勢の進みは大きく速度を上げ、あっという間に高山城下まで辿り着いたのは言うまでもない。


 兵達は熱々の雑炊をたらふく食べ、今度は悠々と南下を開始する。その日の内には秋山 虎繁隊と高遠諏訪家の軍勢が、妻木城を十重二十重に取り囲むまでに至った。


 最後の一押しは降伏勧告となる。これにて妻木城はあっさりと開城。当主 妻木 広忠(つまき ひろただ)は当家の軍門に降った。領地は没収、当家から養子を迎え入れるという厳しい内容であったにも関わらず抵抗もしなかったのは、命あっての物種か。この時代の土岐郡は現代と違って陶器産業が発展していないだけに、美濃妻木家はそもそもが弱小勢力だったのかもしれない。


 ならばと、ついでとばかりに俺達はお隣の多治見(たじみ)地区にも侵攻する。予想通りここも強敵もおらず堅城も無かっため、制圧は楽なものであった。結果として当家は、瑞浪地区を除く土岐郡を領する形となる。


 こうして俺は城主から領主へと大きく飛躍した。それ自体は喜ばしい出来事だろう。ただここで一つ悩ましい問題が発生する。


 当家はあの木下 藤吉郎のいる尾張国と接する形となった。



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補足


秋山 虎繁 ─ 武田二十四将にも数えられる人物。甲斐武田家で秋山と言えば、こっちの秋山。伊那郡代として、美濃国や三河国、遠江国への対処に関わっていた。遠山騒動の際には兵を率いて苗木城入りをし、しばらくの間は美濃遠山家支援のために駐留していたとも言われる。東濃に深く関わっていた人物。

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