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四郎勝頼の天下取りは東濃より始まる  作者: カバタ山
第一章:境目の領主
12/22

三つ巴

 長良川(ながらがわ)の戦いも終わり、これで美濃(みの)国にも平穏が訪れる……となれば良いのだが、そうもいかないのがこの戦国時代である。


 いやそもそも、この戦い自体は単なる親子喧嘩ではない。美濃斎藤(さいとう)家における血に塗れた派閥争いだ。たった一度の戦いのみで全てに片が付くなら、斎藤 道三(さいとう どうざん)殿は美濃国中から嫌われていた形となる。


 何が言いたいかというと、まだ残っているのだ。斎藤 道三派閥の残党が。それもよりにもよって東濃に。斎藤 道三殿の正室である小見(おみ)の方の実家 美濃明智(あけち)家が代表格となる。この時点で、最低でももう一度戦いが起こるのが確定した。


 戦国時代は思った以上に当主の権限は強くない。実家の甲斐武田(かいたけだ)家が良い例であろう。現当主の父 武田 晴信様は家臣達の支持を得られたからこそ当主の座に就けた。逆を言えば祖父 武田 信虎様は、家臣に見放されたからこそ追放の憂き目に合った。


 つまり現在の斎藤 高政(さいとう たかまさ)殿は、当時の武田 晴信様と同じ状況になっている。当主になったからと言っても、強い政権基盤を持つ訳ではない。人の心は移ろい易く、簡単に掌を返す。そのため、政権基盤の強化が必要であった。


 具体的には何を行うか? それが戦である。特に現在の美濃国は織田弾正忠おだだんじょうのじょう家の脅威に晒されているだけに、戦に強い当主だと家臣達に見せるのはとても都合が良い。斎藤 道三派閥の残党狩りは、その格好の材料と言えるだろう。


 逆にここであっさりと負けるようでは、今一度の当主交代劇が起きる危険性すらある。あの武田 晴信様ですら、北信濃(しなの)の雄 村上 義清(むらかみ よしきよ)殿との敗戦によって傘下の豪族の大領離脱を招いた。それだけに次の戦は重要なものとなろう。まずはお手並み拝見と言った所か。


 次の戦では、援軍の要請を受けても兵を出す気は無い。


 これには理由がある。先の戦での扱いの悪さに懲りたのもあるが、それだけではない。現在の東濃には騒動の種が撒かれていた。


 それは美濃国恵那(えな)郡に領地を持つ岩村遠山(いわむらとおやま)家当主 遠山 景前(とおやま かげさき)殿の死去である。俺が高山(たかやま)城城主として赴任してきた時点で既に病に臥せっており、長良川の戦いが始まる一月前の三月に帰らぬ人となった。


 何故遠山 景前殿の死去が騒動の樽となるのか? これは岩村遠山家の立ち位置にあると言った方良いだろう。岩村遠山家は現状、遠山七頭とも呼ばれる美濃遠山一族を束ねる惣領の座に就いている。それも庶流の出でありながら。元々の惣領である明知(あけち)遠山家から、その座を奪い取って。


 当然ながらこの下克上は、遠山 景前殿の手腕による。


 そんな人物が死去した。この事態に他の遠山六頭は大人しくしていられるだろうか? いや、遠山七党の一つ苗木(なえぎ)遠山家だけはこれまで通りの態度を続けるだろう。何せ現当主は、遠山 景前殿の息子なのだから。


 だが残る五頭は違う。特に惣領の座を奪われた明知遠山家の当主は、ついにこの機がやって来たと色めき立っているに違いない。何故なら明知遠山家の後ろ盾は美濃斎藤家当主の斎藤 高政殿だからだ。長良川の戦いでは明知遠山家当主が兵を率いて参戦していた事実から見ても、両家に繋がりがあるのは明らかである。


 これで当家のように斎藤 高政殿から雑な扱いを受けていれば、話は違っていた。けれども明知遠山家は、長良川の戦いは最前線で戦う。その上で斎藤 高政殿より直接褒美を貰っている。要するに主従に近い関係性だ。


 ならば美濃遠山家惣領が明知遠山家の元へと戻るのは、美濃斎藤家にとっても利がある。支援が入ったとしても、おかしくはないだろう。


 また、美濃遠山家 遠山七党にはもう一つ警戒しなければならない勢力がある。それは飯羽間(いいばま)遠山家であった。この分家は何とお隣尾張(おわり)国の織田弾正忠おだだんじょうのじょうと友好関係を築いている。いや、正しくは子分と言った方が良いだろうか。飯羽間遠山家は、織田弾正忠家の手配によって室町幕府奉公衆の三淵(みつぶち)家から養子を迎え入れただけではなく、その養子は織田弾正忠家の銭で普段は京での生活を送っている。飼われていると言って差し支えない。


 この厚遇ぶりから考えれば、織田弾正忠家が飯羽間遠山家を美濃遠山家の惣領に据えようと画策する可能性は十分にあり得る。


 纏めると美濃遠山家 遠山七党は、岩村遠山家と苗木遠山家が甲斐武田家を後ろ盾とし、明知遠山家が美濃遠山家を後ろ盾とし、飯羽間遠山家は織田弾正忠家を後ろ盾としている。残りの三家は強い方に味方する日和見だ。こうした状況で、何も起きないとするのは無理がある。


 例え甲斐武田家と美濃斎藤家が友好関係にあっても事が事だけに、岩村遠山家と明知遠山家が手と手を取り合うのは不可能だ。むしろ遠山七党内での内部抗争が起きれば、逆に甲斐武田家と美濃斎藤家の関係にヒビが入るだろう。子分同士の仲違いによって親分同士の抗争に発展するのは、いつの世も変わらない。


 余談ではあるが織田弾正忠家は、先代当主 織田 信秀(おだ のぶひで)殿の時代に苗木遠山家へ自身の娘を正室として送り込んでいる。しかしその影響力は皆無だ。これは二人の間に生まれた娘 (おりゑの方 後の龍勝院(りゅうしょういん))を織田弾正忠家が引き取って養育している点から見れば明らかである。


 当時の苗木遠山家当主 遠山 武景(とおやま たけかげ)は既に死亡しており、跡継ぎは産まれていない。更には織田 信秀の娘も産後の肥立ちが悪く死亡した。だから産まれた娘を突き返して織田弾正忠家との関係を清算した。そんな意味が込められている。


 こうした複雑怪奇な背景を持つのが、当家の東隣 恵那郡に勢力を持つ美濃遠山家であった。今はまだ騒動は浮き彫りになっていないと言えど、表面化するのは時間の問題であろう。


 そうなってしまえば、最悪の場合当家は孤立する。しかしながら現在の当家に騒動を治める力は無い。ならどうするか? 今回ばかりは恥を忍んで実家である甲斐武田家の力を借り、助けてもらう。それ以外の方法を思い付かなかった。


 飯富 兵部(おぶ ひょうぶ)達重臣の俺を蔑む姿が頭を過り、書状を書く手が何度も止まる。その都度ここで意地を張っても意味は無いと自分に言い聞かせ、次の文字を書いていく。いつか絶対に見返してやると口にしながら。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「武田殿は阿呆か。両家にとって意義のある縁組だというのに、断ってきおったわ。呆れて物が言えん。それはそうと四郎殿は日々こうした白米を食しておるのか? このような食事であれば、軟弱に育ってしまうぞ」


「あっ、いえ、米糠を必要としますので、残った白米を食べているだけですよ」


「そう言えば土作りに米糠を使うのであったな。四郎殿から教わった土作りによって、領内が豊作となるのを楽しみにしておるぞ」


 五月中頃、俺の義父になると名乗り出てくれた北条 幻庵(ほうじょう げんあん)様がここ高山城を訪ねてきた。見るからに不機嫌そうな顔をして。


 北条 幻庵様が不機嫌な理由は他でもない。以前から進めていた、俺と北条 幻庵様の娘との婚姻が流れてしまったからである。それも父 武田 晴信様直筆の書状で丁寧に断りを入れてくる良く分からない対応で、肝心の中身も詫びが結構な割合を占めていたそうだ。


 まさかこうなるとは。


 当然ながら俺には何も知らされていない。今日初めてその事実を知った。念のため急いで甲斐国へ使いを出したものの、北条 幻庵様が嘘を言う理由は無い。この決定は覆らないだろう。開いた口が塞がらないとはまさにこの事だ。


 相模北条家の面目を潰してまで何をしたいのかが俺には分からなかった。


 その後は気分を変えようと食事に誘うも、北条 幻庵様の口から出るのは甲斐武田家への愚痴ばかり。気持ちは分からいでもないが、俺自身も被害者の一人だというのを忘れないで欲しいと願う今日この頃である。


「まあ、理由は大体分かっておるがな。武田家中が儂と四郎殿が縁続きになるのを嫌がったのであろう」


「それに何か意味があるのでしょうか?」


「意味か……多分無い。妬みであろう。人とは時に他人の足を引っ張る事に喜ぶを見出す生き物故」


「つまり、損をすると分かった上で婚姻を断ったと」


「そうなる」


 この時代は身分や面目に拘る。だからこそ甲斐武田家中で、俺の発言力が増すのが重臣達には許せなかった。そんな所だろうか。男の嫉妬はとても醜い。


「そう言えば本日の高山城訪問の理由は何なのでしょうか? まさか私に愚痴を言うためであったり、鰯の振り掛け飯を食べるためにやって来た訳ではないと思いたいのですが……」


「何を言うか。こうして四郎殿に愚痴をこぼすのが一番の目的ぞ。それと傷ついた儂の心を四郎殿の歓待で癒してもらおうと思うてな。儂は四郎殿が作った新しき酒を所望しておる。これを飲めば少しは気も晴れよう」


「そういう白々しい嘘は止めて頂けませんか?」


「何じゃつまらぬのう。四郎殿はもう少し心に余裕を持った方が良いぞ。まあ良い。此度儂の面目を潰した詫びとして、その新しき酒……」


「もしかして梅酒でしょうか?」


「そう、それだ。その梅酒の作り方を教えてもらおうと思うてな」


「詫びの請求なら私にではなく、甲斐武田家となりますが。それにしても梅酒の作り方を教えろとは随分と大胆ですね」


「断るか?」


「いえ、お教えしますよ。こちらも融通して欲しい人がいますからね。これで貸し借り無しとしませんか?」


 前回に続いて今回もよくぞ調べたものだ。梅酒に付いては、実家の甲斐武田家にさえ報告していない。試作品を西美濃の一向門徒に小型の樽三つを売ったのみである。相当俺の動向に気を配っていなければ把握できない。


 こうした背景があるからこそ、俺は承諾をした。隠した所で無駄だという考えである。それよりも、むしろ相手からもこちらの欲しい物を引き出した方が利益となる。それに今の俺は、梅酒を大量生産できる設備を持ち合わせていない。これでは利益を独占してもたかが知れているというもの。


 物流や情報伝達が未熟なこの時代では、過剰に秘密主義になるのは無意味だというのが俺の考えである。秘密を守るのは根幹技術だけで良い。


 こうして俺は梅酒の作り方を教え、北条 幻庵様からは武蔵(むさし)高麗(こうらい)郡で養蚕を営む民を派遣する約束を取り決め、お互いが利益を得る形となった。なお、梅酒製造に必要な蒸留装置は、独力で琉球から輸入してもらう。ここまでは面倒見れない。


「それとじゃ、婚姻が流れた今となっては連絡役が必要となろう。隣にいる遠山 康光(とおやま やすみつ)を残していく。家臣として扱き使ってくれて構わぬからな。もう一人、二年前に産まれた当主 北条 氏康(ほうじょう うじやす)様の子を遊学させる。名を西堂丸(せいどうまる)と言う。四郎殿の下で学ばせてやってくれ」


「って、まだ乳飲み子じゃないですか! それに北条 氏康様のお子を……人質ですか?」


「人質ではない。遊学と言った筈ぞ。この子は寺に入るのが決まっておるでな。なら学ぶ所は、高遠諏訪(たかとおすわ)家でも問題無かろうて」


「北条様、貴方という方は……」 


 こういうのを押し掛け人質とでも言うのだろうか? 喰らいついたら絶対に離さない。俺の持つ知識をもっと引き出して、相模(さがみ)北条家の発展に役立てようとするこの貪欲さはさすがである。


 同席する遠山 康光殿が何かを背負っているのは気付いていた。ただそれが、人質の乳飲み子とは誰もが思うまい。


 いや人質の件は、俺への配慮と考えた方が良いのか。北条 幻庵様の娘を娶れなかった代わりの措置だ。俺が相模北条家当主 北条 氏康様の子供を養育しているとなれば、重臣達も余計なちょっかいは出せない。そう考えたのではなかろうか。


 しかも遊学目的という言い訳がまた見事だ。人質なら甲斐武田家が取り上げられるが、遊学目的なら勝手な真似はできない。その上で俺と相模北条家との蜜月を示せる。これは北条 幻庵様には感謝しないとな。


 捨てる神あれば拾う神ありと言うが、こうして期待を掛けられるのは意外と心地良いものだ。



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補足


遠山 康光 ─ 北条 氏康の側近。内務官僚だったと言われる。妹が北条 氏康の側室となり、上杉 景虎を産んだ。エリートコースであったが、後に失脚して越後上杉家に養子入りした上杉 景虎の元へ送られる。その後は上杉 景虎の側近となった。御館の乱で上杉 景虎が敗北し自壊した際、後を追って自害した。

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