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◇第一章<怪談師、本領発揮> 1

 朝。目覚めた夕奈は、しばらくぼんやりと天井を見上げていた。

 夢か現か、未だに実感のわかない異世界での生活。それでも、人間は案外すぐに慣れてしまうものなのか──この部屋の香りや、窓の外に広がる城下の景色にも、少しずつ馴染みを感じ始めていた。


 ベッドを抜け出し、洗面の準備をしてくれていた侍女に小さく会釈する。


(ミラじゃない……今日は別の人なんだ)


 そのことに軽く戸惑いながらも、夕奈は食卓へと向かった。

 今朝の朝食は、野菜のポタージュに香草パン、温かいハーブティー、そして塩気のきいたチーズ入りのオムレツだった。異世界の食事にはまだ馴染めない部分もあったが、味は思いのほか優しくて、ゆっくりと噛み締めながら食べ進めていた。


 ──そんな折、朝食の支度を終えた侍女たちが廊下で交わす声が、ふと耳に入る。


「また『背伸びの貴婦人』を見たって……夜勤の兵士が一人、意識が戻らないらしいわ」

「え、また? ……本当なの? あれって、ただの噂じゃ……」


 ぞわり、と夕奈の背中に寒気が走る。


(背伸びの貴婦人……?)


 初めて聞く言葉だった。だが、その異質な響きに、怪談師としての本能が疼いた。

 思わず席を立ち、声の方へと足を運ぶ。


「ねえ」


 声をかければ、廊下の先で立ち話をしていたふたりの侍女が、夕奈に気づいてはっと身を引いた。


「その、背伸びの貴婦人の話……よければ教えてくれない?」


 突然の声掛けに、ふたりの侍女はびくりと肩を震わせ、互いに目配せをする。


(ああ、多分……私とは話してはいけないって言われてるんだろうな)


 そう思いながらも、夕奈は観察する。

 ひとり──おしゃべり好きそうな方の侍女が、話したくて仕方がない様子なのが見て取れた。


(噂話って、人の口を軽くするものね)


「大丈夫よ、ちょっと噂話をするくらいお咎めがあるわけないわ」


その言葉に安心したのか、おしゃべり好きそうな侍女が、おずおずと口を開く。


「背伸びの貴婦人は……白くて、すごく背の高い女の人の姿をしてるらしいです」

「夜な夜な、あの使われていない塔の廊下をふらふら歩いているって」

「ヴェールで顔は見えないみたいなんですけど……」


 使われていない塔……初日から気になっていた、窓から見える一つだけ黒ずんだ塔のことだろうという事はすぐに予想がついた。あの塔だけは、夜になっても明りが灯らないからだ。黒ずんでいるのも、暫く外壁の掃除がされていないからなのだろう。


「声は発さないけど、近くにいると“ギギ”って……何か軋む音がするって。まるで、首が……揺れてるみたいって言ってた人もいて……」

「見た人は……みんな、声が出なくなったり、気を失ったり……だから誰も彼も怖がって、あの塔には近づかなくなってるんです」


(……白い服の背が高い女で、奇妙な音がする……)


 その言葉に、胸の奥がひりつくような感覚が走った。

 どこかで──いや、何度も聞いたことがある気がする。けれど、それは夢ではない。記憶の奥底、語り手として積み上げてきた“引き出し”の中にあったものだ。


(あれは……)


 頭の中の、膨大なページ数の怪異辞典をめくる。

 そして、ぱちんと記憶が繋がった。


(“八尺様”──!)


 一括りに怪談といっても色々なジャンルに分かれており、その種類は多岐にわたる。


 『牡丹灯籠』や『四谷怪談』に代表される【古典怪談】。

 心霊スポットや実録体験など、身近な恐怖が描かれる【現代怪談】。

 『口裂け女』や『人面犬』など、人々の噂から生まれた【都市伝説】。

 優しい人だと思っていた人が実は恐ろしい人で…等の、お化けは一切出てこないタイプの怪談である【人怖】。

 人工地震や、政府の隠している霊的兵器…等の【陰謀論】。


 そして──【洒落怖】。

 ネット掲示板発祥の、創作めいた不気味さと妙なリアリティが同居する話たち。


 “八尺様”は、そんな洒落怖の代表格だ。


 八尺様は、白いワンピースを纏い、白い帽子を被った、二メートル超える塀の向こうからも顔が覗く、異様に背の高い女として語られる。

 田舎に現れ「ぽぽぽ……」という間延びした声とともに歩く姿を一度でも目にしてしまえば、どこまででも追ってくる。時に知人の声を真似、狙った者に付きまとい、逃れようとすればするほど深く絡みつく。

 やがて“魅入られた者”は、数日以内に忽然と姿を消す──。


 夕奈は背筋をひやりと撫でられる感覚に、思わず身体を固くした。


(まさか……この世界にも似たような怪談があるなんて……)


 語り手としての血が、騒ぐ。背筋を這うような怖気と同時に、どこかで、微かに、好奇心が灯っているのを感じた。

 ……そして、気づく。


(この城には、幽霊が溢れてる。でも誰も、そのことには触れない)

(それはきっと、霊感をもつ人間がいても、この国の宗教的に霊の存在がタブーだから)


 けれどこの『背伸びの貴婦人』だけは、今噂を聞いた通り、例外のように語られている。

 それはつまり──この噂には、元となった人物がおり、城の人々と密接な関係にあるということ。


(何か事件があった? 誰か高名な人が亡くなった? ……でも、何より──)

(……久しぶりに、怪談が私を呼んでる)


 好奇心と探究心が入り混じる。ぞくぞくとした感覚が、背筋を駆け上がる。


 ──彼女の中では、すでに“語るべき物語”の輪郭が、ゆっくりと動き出していた。

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