◇第二章<異世界の怪異との邂逅> 3
アレストリア王国の王城──その奥にある図書室は、外観からは想像もつかないほど広く、そして静かだった。窓から差し込む朝の光が、無数の本棚の間をゆるやかに照らしている。
夕奈は、静かにその場へ足を踏み入れた。
すぐ傍にはミラと、衛兵がひとり。
(あ、そういえばこの人──)
図書室内を歩きながら、夕奈は唐突に思い出す。衛兵の顔に、見覚えがあった。
昨日、召喚された後に、自分を部屋へ案内してくれた衛兵の青年だ。あの時は状況に気を取られて気づかなかったが、改めて容貌を見て驚く。
(……顔、良すぎない!?)
ウェーブのかかった長い黒髪を後ろでまとめて流し、彫りの深い横顔に深い緑の瞳が映える。まるで少女漫画の漫画から抜け出してきたような美丈夫だった。
(いや、ルシリオ宰相もミラも綺麗だし……この世界、美男美女しかいないの? それとも……私が日本人だから、外人顔がイケメンに感じるだけ?)
(……と、そんな事を考えている場合じゃなかった。とりあえず、今日は“この世界のこと”を知るための第一歩!)
探したいのは『この世界の神話』や『アレストリアという国の宗教・建国神話』など──人々の価値観や倫理観の源となっている“物語”。今後の振る舞い方の、助けになるかもしれないからだ。
気合いを入れて、本を探そうとするが……本棚の前に立った瞬間、夕奈は眉をひそめた。
(……まさか……本の並び、タイトルの頭文字の順番!?)
日本の図書館で慣れ親しんだジャンルごとの分類──あの便利な日本十進分類法(NDC)は、どうやらこの世界には存在しないらしい。
(こんなんじゃ、目当ての本のタイトルがわかってないと探し出せないじゃん……!)
思わず心の中で地団駄を踏みつつも、夕奈は頭を切り替えた。
(落ち着いて……昔、図書館でバイトしてた時の感覚、思い出して……)
大学時代は司書を目指していた時期もあった。あの頃の記憶が、今少しだけ背中を押してくれる。
ミラの助けも借りて、本棚を一つずつ確認しながら──ようやく『この世界の神話』と『アレストリア王国の歴史』に関する入門書を見つけることができた。
(よし、これなら……なんとかなる)
(ミラ曰く、今日借りた本は児童向けらしいけど、今の私にはそれでちょうどいい)
そこで夕奈ははたと気付く。
(そういえば私、さっきから文字……読めてない!?)
パラパラと手に取った本をめくる。その本に記された文字は、明らかに日本語とは違う象形文字のようなもので、文法も構造も異なるはずだった。
なのに──頭に自然と意味が浮かぶ。
(さすが異世界召喚者……って感じ。深く考えたら負け、だよね)
そんなふうに冗談めかして胸の内を誤魔化しながら、夕奈は本を抱え、ついてきてくれたミラと衛兵に軽く礼を言った。
そろそろ約束の1時間が経つ。部屋に戻らなくては。
図書室を出て部屋に戻るまでの道のりで、背中に突き刺さる好奇の目線に、ほんの少しだけ現実の重たさを思い出す。
でも、今は考えない。静かに廊下を歩きながら、夕奈は決意する。
(とにかく、今できることをやるだけ。ね)
◇
──そうして部屋に戻った夕奈は、借りてきた本を繰り返し読み、日々、この国について理解を深めていった。
この国では、“魔力”の有無とその量が、個人の身分や立場を決定するらしい。
建国神話によれば、アレストリア王国を築いた『初代王ソレイン』は、主神アレシリオンと人間の間に生まれた“神子”だったという。彼は莫大な魔力で戦乱を鎮め、民を導き、やがて国家を打ち立てた。
それ以降、王族は“アレシリオン神の血を継ぐ半神の末裔”として崇められ、戴冠した王はその名を継いでアレシリオンを姓として名乗る。
貴族たちは、初代王の血を薄く引いた“神の裔”とされ、魔力の強さこそが、神の恩寵の大きさ──すなわち社会的価値を測る基準とされた。
一般の民、つまり平民には魔力はほとんど流れておらず、魔力を持たない者は“ただの人間”として、最下層に置かれる。それが、この国の“常識”だった。
(魔力が身分に直結してる……そういう世界、なのか)
そしてルシリオ宰相は、公爵家──最高位の貴族。しかも、今の国王であるアレスト=アレシリオンの片腕だとか、腹心とも呼ばれているらしいらしい。
(宰相さんの歳は二十六歳。私とほとんど変わらないのに、宰相なんて……どれだけ有能なのよ)
(公爵ってことは、魔力の量も桁違いのはず)
(私には……“魔力がない”って言われた。つまり、この国では無価値な人間ってことよね)
それが、どれほど危うい意味を持つのか。ぞくりと、背筋に冷たいものが走る。
(うん、怖い……今は、考えないようにしよう)
さらに、この国の宗教──正式には『光環の信仰』についても、本を通じて少しずつ理解が深まってきた。
この光環の信仰には、『五大信条』と呼ばれる基本教義があり、
一、光は神であり、王に宿る。
二、魔力は神意である。
三、死者の魂は天に還る。
四、異端は光を濁す。
五、贖罪と奉仕こそ救い。
と五つ定められている。
特に三番目──『死者の魂は天に還る』という信条は、そのまま幽霊や霊的存在そのものを否定する論拠として強く掲げられていた。この“天”とは、神の楽園とされる『ノアル』のことを指し、信仰の教えでは、すべての魂は死後、迷うことなくノアルへ還るのが“正しい姿”とされている。
そのため、この国では幽霊や霊的存在は“在るはずがないもの”とされ、その存在自体が“異端”として扱われているのだった。
(……魂は天に還る。だから霊なんていない──ってこと?)
そんな訳がない。
実は、この城には、わんさか霊がいる。
現代では感じる程度、気配や残像のようにかすかに感じ取れる程度だった“霊”の存在が、この世界では、あまりにくっきりと──色も輪郭も、動きすらも捉えられるほどに、濃く感じられるようになっている。
それに、あの、初日の夜に視た──今まで見たこともない、恐ろしい『異様にねじれた身体の怨霊』……あれ以来、姿を見かけたことはないけれど……。
(あのレベルじゃないにしろ、毎日何かは視えてる……)
(このお城、霊がうようよいて、怨念の吹きだまりみたい)
長い歴史の中で、どれだけの命が失われたのか。
どれだけの嘆きと、絶望と、未練と、悲しみが、この城の石に染み込んできたのか。
まるで空気の中に“恨み”が溶けているようだった。
(人より、人じゃないものの方が多いかもしれない。気を抜いたら、いつ背後に“何か”が立ってるか分からない……)
ぞくり、と背中を這い上がる冷気に、思わず身をすくめる。
だけど、誰にも言えなかった。そもそも味方なんて、誰ひとりいない。
(だって「霊が見えるんです!」なんて言ったら、さらに変な奴扱いでしょ?)
(それに、気付かれたら──霊って、寄ってきちゃうから)
あの霊たちが、自分に“すがってくる”。それが、どれだけ恐ろしいことかは、幼い頃から嫌というほど知っている。
気付かれれば、引き寄せてしまう。だから、口にしてはいけない。
夕奈はひとり、顔には出さず、声も発さず、ひたすら平然を装いながらその違和感と向き合い続けていた。
(私が、おかしいの?それとも……この世界の常識のほうが?)
夕奈はただ、夜ごとに灯る月明かりの下で、自分が持つ“力”の正体に、静かに怯えていた。