◇第三章<処遇の決定と相棒との出会い> 3
石畳の道を進む馬車が、並木道を抜け、視界が開けたその先には、見上げるような黒鉄の門が構えていた。門には蔦模様の意匠が細かく彫られており、その先に続く石畳には手入れの行き届いた花壇と芝の緑が両脇に続く。そして最奥に、白い石造りの邸宅が影のように佇んでいる。
「!……あれは……」
その門の前には──見張りの兵士ではなく、まるで雪景色の中から抜け出してきたような、馬車とほぼ同じ大きさの巨大な白い獣が、じっとお利口さんに座っていた。
その白い獣は、門の前で止まった馬車から降りる夕奈の事を、ずっと目で追っている。ホワイトタイガーのように引き締まった体躯に、ふわふわとした純白の毛。耳は立ち気味で三角形、瞳は琥珀色で、どこか優しい。顔だけ見ればサモエド犬のような……けれどあまりに大きすぎて、どこか現実味を欠く存在だった。
「『聖獣』だ」
隣へ降り立ったルシリオが、簡潔にそう告げる。
「……聖獣、ですか」
夕奈は平静を装いながらも、内心では(ファンタジーっぽい生き物……!)という驚きと喜びが交錯していた。
「名は“ファルシェ”。フィルガルという種で、我が家にはつがいで2匹いる。ファルシェは雌のほうだ」
その言葉を聞きながら、夕奈はじっとそのフィルガルを見つめる。目が合った気がする──というより、明確に見つめ返された。まるで相手の内面を覗き込むような、そんな静かな視線。
ファルシェと見つめ合う夕奈の様子を横目に、ルシリオが懐から取り出したのは、ペンのような細長い棒だった。その先端にはビー玉ほどの球体が嵌め込まれている。
「これは簡易的な神照器。召喚時に、お前に魔力があるかを調べた装置の、携帯用だ。魔力量までは計れないが、魔力の有無を知ることができる」
言いながら、ルシリオは自らの首筋にそっと球体を当てた。球体がぱっと、あたたかな陽光のような黄金色に輝く。
次に、それを夕奈の腕へ。
もちろん、反応はない。
「……やはり、光りませんね」
淡々とした口調のまま、夕奈は静かに言った。だが胸の奥には、沈むような感覚があった。
(分かってるんだけど、見せつけられると……凹む……)
ルシリオは夕奈に、その簡易神照器を手渡す。
「やってみろ。ファルシェに」
「? わかりました」
夕奈は簡易神照器を受け取ると、ファルシェと呼ばれたフィルガルの傍へと歩み寄る。
近づくにつれ、その毛並みの見事さと体温に圧倒されそうになりながら、おそるおそる、神照器の先をふわふわの毛の中へ差し込む──と、ぱあっ、と太陽のような光が弾けるように、球体が明るく輝いた。
「光った……」
「全ての生きとし生けるものは、魔力を持つ可能性がある。獣の中にも、魔力を持つ個体がまれに存在する──それを『聖獣』と呼ぶ」
「なるほど……個体の素質による、と」
ルシリオは頷き、言葉を続ける。
「フィルガルは人の感情に敏感で、忠誠心も強く、温厚で扱いやすい。元々愛玩種として人気だが、聖獣として認可された個体は伯爵位以上の貴族に限って、申請の上で飼育が許可されている」
説明を聞きながら夕奈はそっと、ファルシェの身体に手を触れた。温かく、ふわふわとした感触に自然と口元が緩む。
もふもふもふもふ。撫でれば撫でるほど、ファルシェは喉の奥で「ホォォォ……」と低く柔らかな音を鳴らした。
「は……神照器、お返しします」
魅惑のもふもふに心を囚われそうになり、すんでの所で夕奈は自分を取り戻す。
そして、手にしていたそれを差し出そうとしたが──ルシリオは首を横に振った。
「持っていろ。お前にも使い道があるかもしれない」
と、その時だった。
ガサッと音がしたかと思うと、庭の植え込みの影から、ふわりと何か白く大きなものが飛び出してくる。
それは無遠慮に芝を蹴散らしながら、まるで子犬のような勢いで走ってきた。ぴょんぴょんと前足を弾ませ、耳をピンと立てたその姿は、巨大な体格に似合わず無邪気そのもの。きっと先ほど話していた、もう一頭のフィルガルだろうということはすぐに分かった。ファルシェが静であれば、こちらはまさしく動──対をなす双子のような存在感だ。
そのフィルガルはやんちゃそうに尻尾を振りながら駆け寄ってきて、何かを口に咥えたままルシリオの前にどすんと座った。
「……フロッカ、何を咥えているんだ」
ルシリオにフロッカと呼ばれたフィルガルの口元には、ダラリとした黒く細長い生き物が咥えられている。
その生き物の毛並みは艶やかで黒く、体は蛇のように細長く、耳が長く尖っていて──まるでフェレットを引き延ばして蛇のようにした生き物だった。
(管狐……みたい?あれは妖怪だけど)
ルシリオはフロッカに咥えられたそれを受け取ると、嫌がる素振りも見せず、片手で持ち上げた。長くしなるその身体をまるで紐のように扱いながら、慣れた手付きで軽々と取り回す。
「黒のシェラリスか。珍しいな」
「……少し、弱っているように見えますね」
夕奈がそっとその小さな生き物に手を伸ばし、触れた瞬間、手に持っていた神照器がその黒い毛に触れ……ぱあっと、再び太陽色の光が灯る。
「!……光りました」
「ふむ、コイツ、魔力を持っているのか」
ルシリオは興味深げに目を細めた。
夕奈は、ぐったりとして動かないその生き物をじっと見つめた。かすかな体温と呼吸、それだけが儚い命の存在を告げている。
(このままだと──この子、死んじゃうかもしれない)
きっと野生では、こんなことは日常茶飯事なのだろう。弱い命は、強いものに淘汰されていく──それが摂理。
でも、今、目の前にあるあまりにも小さな命が、この瞬間に消えてしまうかもしれないと思ったら……人間って、なんてエゴに塗れた生き物なんだろう。でもそれを「仕方ない」で済ませるほど、合理的な考えにはなれそうになかった。
「……あの、この子……私が、世話をしてもいいですか?」
拒まれるかもしれない──そんな思いがよぎったが、ルシリオはわずかに眉を上げただけで、あっさりと頷いた。
その淡白な反応が逆に意外で、夕奈は一瞬目を丸くする。
「構わん。お前は魔力を持たないからな……少しは助けになるかもしれん。ただし──体色の濃いシェラリスは気性が荒い傾向にある。気を付けろ」
「ありがとうございます……承知しました」
夕奈はルシリオから黒いシェラリスを預かり、そっと抱き上げた。細い体はかすかに震えていたが、その中に、確かな命の温もりが宿っている。
その小さな温もりを感じた瞬間、胸がじわりと熱くなった。
(……暖かい。まだ、生きてる)
(大丈夫、私が……絶対、助けてあげるからね)




