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◇第三章<処遇の決定と相棒との出会い> 2

 翌日。日は傾き始め、橙色の光が街路を包むころ。


 石畳を打つ馬車の車輪が、ガタン、ゴトンと乾いた音を響かせる。冬の空は澄みわたり、夕焼けが屋根の端を黄金色に染めながら、ゆるやかに町の影を引き伸ばしていた。


 その中で夕奈は、初めて乗る馬車の独特な揺れに、無意識に足と尻に力を入れて座っていた。

 密閉された空間に、わずかに籠った革張りの香りと馬の体温を運んでくる空気。華やかな装飾とは裏腹に、乗り心地は揺れと窮屈さに満ちていた。クッションの利いた座面ではあるものの、日本の電車や車とは比べものにならない。馬車の揺れは想像以上に激しく、そのたびに背中とお尻にじわりと衝撃が走った。


「落ち着かないか」

「いえ……馬車ってこういうものなんだな、と……」


 平然と座っているルシリオに、夕奈は表情を変えずにそう返したが、内心ではバリバリにツッコミを入れる。


(っていうか……これで“貴族の乗り物”ってマジ? どこが優雅なのよ……)


 ルシリオは彼女の内面の混乱など知る由もなく、静かにその顔を見つめるだけで、それ以上は何も言わなかった。

 馬車の車窓には、冬の乾いた空気と夕焼けに染まる街の風景が流れていく。


 王城から、ルーヴェン公爵家の別邸までは、馬車で小一時間ほどかかるらしい。車窓に流れる街並みを見ながら、夕奈はルシリオから聞いた話を反芻していた。


 彼の本邸は、王都グランティアールから、東へ馬車で二日ほどの距離にあるという。

 貴族の当主たちの多くは、政治に携わるため、年間を通して王都に長く滞在している。そして、春の花祭りを過ぎたあたりから、農作業の繁忙期が終わるまでの数カ月間だけ、それぞれの領地に戻って土地の管理をするらしい。そのため、王都に“別邸”を持つ家がほとんどなのだとか。


 (……参勤交代、みたいなものなのかな?)


 異世界の制度に妙な既視感を覚えながら、夕奈は揺れる馬車に耐えるため、そっと背筋を伸ばした。


 道すがら、しばしの静寂が落ちる。車内にあるのは揺れと呼吸音だけ。言葉を交わすきっかけを探す沈黙が、長く重たく流れていた。

 そして、耐え切れず、その静寂を先に破ったのは夕奈だった。


「その……誰にも話していないんですね。私が“視える”ということを」

「……当然だ。アレスト王にさえ、伏せている。知っているのは俺だけだ」

「そう、ですか……」


 ルシリオのその言葉に、心臓の鼓動が少し跳ね、喉の奥が少し詰まるのを感じた。その感情に名前をつけられないまま、夕奈は目線を逸らし、そっと指先を握りしめる。

 それは、自分が抱える秘密に寄り添ってもらえたことへの安堵か、それとも、この男が“異端の自分”を守ろうとしてくれているという実感への戸惑いか。すぐには名付けられない感情が、静かに波紋を広げていた。


「この国では、“異端”とされれば、排除の対象となる……それに、俺には敵が多い。俺を狙う者は、俺の召喚獣であるお前も狙いに来るだろう。弱点は少ないほうが良い」

「……」


 夕奈は、首元に触れた。

 昨日付けられた銀の首輪。そこにある冷たさは、まるで“この世界での自分の立ち位置”そのものを表しているようだった。

 その様子を見て、ルシリオが続ける。


「ああ、その首輪だが……登城の際を除けば、外して構わん。特に街中では目立ちすぎる。つけて歩くのは勧めない」

「! ……そうなんですね。分かりました」


 ルシリオの言葉に、夕奈はわずかに肩の力を抜き、ほっと小さく息を吐いた。

 首に感じていた圧迫感が、ほんの少しだけ和らいだ気がする。


(……外せるって言われただけで、こんなに楽に思えるなんて)


 そのまま窓の外へ目を向ける。

 陽の名残が空の端にわずかに残り、街灯に火が灯りはじめていた。金色に染まった雲の向こうで、空が静かに群青へと色を変えてゆくのが見える。

 その光景に目を細めながら、夕奈はゆっくりと息を吸い込んで、ぽつりぽつりと言葉を続けた。


「……私の視える力、元いた世界では『霊感』と呼ばれていたんです。この、霊感──この国では異端なのかもしれませんが……誰かの助けになれるのかも、とあの夜に感じて」


 彷徨う魂を、その想いごとノアルへ還すことができるのなら──ただ視えるだけだと思っていたこの力にも、意味があったと思える。


「背伸びの貴婦人……いえ、ウェリアさんも、無事にノアルへ送りだすことができましたし」


 言葉にしながら、夕奈の中に浮かぶのは、あの白い姿の記憶だった。

 風にたゆたうように消えていった、あの儚い幻影。


「彼女、結婚できなかった心残りで、この世に縛りつけられてしまっていたんだと思います。現れる際の白いドレスに、あのヴェール……きっと、結婚への未練だったんじゃないかって、っ!?」


 ──ガタン!


 突然の衝撃に、夕奈の言葉が途中で途切れる。

 車輪が石畳の段差に嵌ったのか、車体が跳ね、大きな音を立てて馬車が停車した。御者席からサイラスがおりて、馬車の周りで点検をしているのが窓から見える。


 その様子を眺めながら、ルシリオが呟く。


「……お前は、一つ“大きな勘違い”をしている」


 馬車の事故に驚き、窓の外へ身を乗り出そうとしていた夕奈は、その言葉を聞いてルシリオの方へ振り返る。


「勘違いを……?」


 彼は窓の外を見つめたまま、淡々と、言葉を下した。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……え?」


 それは氷のように冷ややかな声だった。

 研ぎ澄まされた曇りなき刃で背筋を撫でられたような感覚に、震えが走る。


「俺は今まで、ただの一度も婚約したことはない。もちろん、ウェリア=ウァルド公爵令嬢ともだ」


 夕奈は、ルシリオの横顔から目を逸らせないまま、言葉を失っていた。

 心臓の鼓動だけが、やけにうるさく響く。


「“婚約することになるだろう”と──彼女の家が、勝手に吹聴していただけだ。だが、ウェリア本人は、それを“事実”だと信じていた」


 彼の横顔からは、感情がいっさい読み取れなかった。

 乾いた口調が、ただただ無機質に、真実を告げる。


(じゃあ……私の語りは、全部──)


 夕奈は、己の顔から血の気が引いていくのがわかった。

 自分の語りで死者の物語を塗り替えてしまったような、死者の想いを勝手に脚色した“嘘つき”になってしまったような、そんな恐ろしさが押し寄せる。


「彼女が抱えていた“想い”そのものに、嘘はなかったのだろう」


 いつの間にか、膝の上に置いた手を強く握り込み、深く俯いていた夕奈の頭に、ルシリオの言葉が落ちる。


「お前の言葉で、彼女はノアルへ旅立って行った」

「…………」


 私の視える力が、そして祈りが、この世界で役に立つのだと思っていた。

 けれど、もしも真実と違う、騙りをしてしまっていたとしたら……。


「……私は、彼女を騙したことになる……」


 カラカラに乾いた口で、やっと絞り出した声は、掠れて取り繕うこともできていなかった。

 そんな夕奈の迷いを断ち切るように、鋭く、硬く告げられる。


「──結果だけを見ろ」


 その凛とした声に、ハッと背筋が伸びた。顔を上げると、彼とまっすぐ視線が合う。


 ここで彼が、優しい目をしていたら……どれほど良かったことだろう。


 目が合った、その深い蒼の瞳は──まるで、感情というものを削ぎ落とした、氷の刃のようだった。


 慰めるでもなく、突き放すでもなく。

 ただ静かに、厳然たる“事実”だけを突きつける冷たい輝き。

 そこにあったのは、夕奈へ対する情ではなく、策略家としての明晰な判断力──ただそれだけだった。


 重たい、為政者としての言葉が夕奈の肩へ伸し掛かる。


「お前の語りで、城の騒ぎが一つ収まった。それが事実」


 いつの間にか馬車は再び走りだしていた。

 石畳を進む、規則的な車輪の音と、馬が駆けるリズミカルな蹄の音が続く。


「俺はお前に、彷徨える魂を救ってほしい、なんて慈善事業を頼むつもりは、さらさらない」


 彼の口ぶりは、冷静さを保ちながらも、どこか異様な熱を孕んでいた。

 ルシリオは、夕奈の目を真っ直ぐ覗き込み、なおも語り続ける。まるで、理路整然とした計算式を読み上げるかのように。


「お前の“語り”の力──事実を拾い、物語を仕立て上げ、人々を噂で操作する。その才覚に、俺は目をつけた。霊をノアルへ還す?()()()()()()()()()()()()


 何十回、何百回と怪談を聞いていた夕奈だが、そんな物よりもルシリオの淡々とした語りの方が、妙に恐ろしく感じる。

 夕奈は言葉を挟むことも出来ず、圧倒され、ただ目を見開いていた。


「この国では霊など存在しないことになっている。だが、現実は違う。放置され、見て見ぬふりをされた“死の痕跡”は王城内ですら溢れている……あの『背伸びの貴婦人』のようにな」


 夕奈の脳裏に一瞬、初日の夜に王城の廊下で目撃した『異様にねじれた身体の怨霊』の姿がチラつく。


「まずは、それら死の痕跡を使って“俺の召喚獣は異邦の術を使い、魔物を祓う存在である”という印象を、人々へ刷り込んでいく……それが第一段階だ」


 ──この人は、私を使った次の段階を既に見越している。

 彼の瞳が捉えているのは、目の前の自分などではない。数手先、数十手先にある、何かを見据えていた。


「そして、その印象が定着すれば、動きやすくなる。お前の世界で言う『怪異』、それが存在し得る前提が、民衆の中に根付く──逆に、お前が語れば“ただの事件”ですら怪異だったことになりる」

「そんな……!」

「そう……ただの事故も、病も、事件も──お前の語り次第で、怪異に変えられる。そうなれば、それらを対外的に葬り去ることも容易くなる」


 理性的すぎるほどの戦略。

 これが氷の策士たるその所以……夕奈はそれを身をもって実感する。

 その中に“情”という言葉は一切なかった。


「そうして、民意を、為政を支配する」

「……あ、なたは……何を……」


 ルシリオの横顔が、月明かりに照らされる。

 その瞳に浮かぶ決意が、今の話を冗談とも絵空事とも思っていない事を語っていた。


「ユウナ──俺は、お前を使って、政を成す」


 冷徹で、残酷で、それでいて自信と決意に裏打ちされた、揺るぎない言葉。

 自分という存在が、最初からこの人の手の中で踊らされていたという事実に、身震いするほどの恐怖を感じるのに、その横顔から不思議と目が離せなかった。


「それは……私が、この国では異端とされる力を使ってでも……?」

「ああ。俺は、手段を問わない。結果だけを見ろと言っただろう」


 その言葉は、夕奈に対する救いでもなければ、希望でもない。

 それは命令。夕奈は、氷の策士が編み出す、国家を変革するための、ひとつの手札にすぎなかった。


 夕奈の返事は必要としていないのだろう、彼の中では決定事項なのだ。

 ルシリオは夕奈へ是非を問う事もなく、話は終わったとばかりに窓の外へ視線をやる。


 ──やっぱりこの人、私よりも何枚も上手だ。

 目の前に座る男が描く大きな絵の、その一角に自分が組み込まれているということに、今さらながら気づかされる。


(……怖い人。なのに、どこか──)


 憧れのようなものを抱く自分を、抑えられる気がしなかった。

 ──私が、この世界に来た意味を、唯一与えてくれる人。


(そこまでして、彼が成そうとしている事を、描いている未来を、隣で見てみたい)

(それに……今回の事件にもまだ全然謎が残っている。例えばそう──あの時、アレスト王はこう言っていた)


『だって、お前、ずいぶん長く()()()()()いたじゃないか。あのウァルド家、しかも王女付きの令嬢だからって……』


(あの言葉が真実なのだとすれば、宰相さんが面と向かって婚約の申し出を断ったとは思いにくい。だったらなぜ、彼女は自殺する必要があったの?)

(ウラミーナ王女があんな暗い塔に住んでいた、という事実も何か引っかかる──)


 しかし現状、彼が多くを語らないという事は、まだその時ではないのだろう。

 いずれ語られることになるのか、それとも……。


(「それくらい自分で気付いて調べろ」っていう、挑戦と受け取っていいのかしら)


 馬車の窓の外には、もう夜の帳が降りていた。

 空に浮かぶ月が、わずかに揺れる馬車の窓を透けて、二人の顔をやわらかく照らす。

 見えなかったものが、少しだけ光を帯びるように──。

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