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◇第二章<“推理”と宰相の協力> 2

 一夜が明け、約束どおり、ルシリオは午後の陽が傾きはじめる頃、部屋まで夕奈を迎えに現れた。

 夕奈はその到着を、あの日と同じ黒の着物姿で迎えていた。

 髪を括った赤い紐が、まるで結界のように背筋を引き締めている。今日は“召喚獣”としての調査の日だからと、あえてこの異世界に召喚された時に来ていた服を選んだ。


(うーん……張り切りすぎたかもしれない……でも、いいよね。私は表向き“召喚獣”なんだし?これが私の“式服”みたいなものってことで……!)


 そんな夕奈の内心の葛藤とは裏腹に、部屋の扉を開けた宰相は、一瞬だけ目を見張り……次の瞬間には何事もなかったかのように、同行を促しただけだった。


(……ちょっとは何か言ってもよくない?……でも、まあ、そういう人か)


 内心でツッコミながらも、彼女の背筋は自然と伸びた。姿勢を正すのは、舞台へ上がる語り手の、習い性のようなものだった。


 黒ずんだ塔の周囲には、静寂と冷気が漂っている。石畳の上に降り注ぐ昼の陽光も、そこだけは妙に色を失って見えた。


「……ここですか」


 夕奈は緊張を抑えながら、あえて平然とした声で言った。あの日以来、こうして再び塔の前に立つのは初めてだった──しかも、今度は()()()だ。

 隣には宰相ルシリオの姿。その背後には、控えるようにして立つ二人の姿がある。


 ひとりは、初日から私を部屋に案内してくれていた、ウェーブの黒髪を束ねた無口な美丈夫の衛兵──彼の名前はサイラスというらしい。噂集めで、侍女たちの雑談へ混ざっている間「サイラス様」と囁かれる声を、何度も耳にした。容姿端麗で寡黙、今は訳あって宰相付になっているが(きっと私の監視の為だろう、申し訳ない)、本来は王直属の騎士だというのだから、女性たちの憧れの的になるのも無理はない。


 もうひとりは、いつも落ち着いた面持ちの侍女、ミラ。今日は彼女が「どうせなら装いに負けないように」と、いつもより念入りに化粧を施してくれた。そういえば……と思い返すと、彼女に関する噂は何も聞いたことがない。初日から私の世話をしてくれているけど、かといってずっと私の傍にいるわけでもなく、普段は何をしているのか全くの謎だ。


 彼ら二人は、塔には同行せず、扉の前で待機を命じられていた。


(塔の中で宰相さんとふたりきりって考えたら、何か緊張するような……いや、落ち着け。別にやましいことは何も……)


 そんなことを考えていた矢先、ガチャリと音を立ててルシリオが重たい錠前を取り外す。


(……そういえば、こんな厳重な鍵、あの夜は無かった……どうして?)


「開けるぞ」


 低く告げたその声に、夕奈はわずかに頷いた。


 扉が開く。

 塔の中から、冷たい空気が外側へと滑り出してくる。ヒュウ、と風が吹き抜けた音がした。

 二人が塔の中へ身体を滑り込ませたその直後、扉は重たく軋む音を立てて閉まる。石造りの塔が空気を閉ざし、扉が閉まる音がひときわ反響した。


 微かな余韻の中、ルシリオがぼそりと呟く。


「……お前、()()()()()()()()()()()か?」

「え……?」


 夕奈はぎくりとし、慌てて視線を逸らす。

 だが、そんな取り繕いも意味をなさないことは分かっていた。ルシリオのその問いかけに、夕奈は疑問ではなく“確信”を感じたからだ。


「先日、不審な足取りの報告があってな。裏庭で、夜に動きがあった、と」

「…………っ」


 思わず背筋が凍りつく。淡々とした口調の奥にあるのは、推測ではなく、すでに答えを得ている者の静かな詰問だった。

 やっぱりこの人は、全部わかっていて言っている──。


「スカートの裾をたくし上げて、庭を走る女の姿があった、とも」

「っっ……!」


 胸の奥がギュウと縮むような、寒気に似た感覚。羞恥と恐怖が同時に噴き出し、夕奈は足元が揺らぐほどの動揺を覚えた。


(ば、バレてた……!? いや、そもそも何をどう見られて……どこから!?)

(もしかして、あの夜、鍵はたまたま開いてたんじゃなくって……宰相さんによって開けられていたんだとしたら……)


 理性が声を上げる。「落ち着け」「表に出すな」と。でも頭の中では“どんなお咎めがあるのだろう”という事、そして“スカートをたくし上げて庭を走る”というワードが何度もリフレインしていて、もう羞恥と焦燥で泣きそうだった。


「……この塔へ既に訪れていたお前が、わざわざ俺に“あの話”を持ちかけたのは、何か理由があるんだろう?」


 その声音は淡々としていたが、鋭く核心を射抜く響きがあった。


「そう、お前は……俺をここに連れて来たかった──違うか?」


(……もう、こうなったら腹を括るしかない)

(失礼? 不敬? もういい。聞かずにに後悔するくらいなら、今ここで踏み込むしかない──!)


 夕奈は背筋を正すと、正面からルシリオを見つめた。


「……はい。私には、どうしても宰相さんにここへ来ていただきたい理由がありました」


 一呼吸置いて、そのまま視線をそらすことなく続ける。


「この塔に現れる『背伸びの貴婦人』──その正体が、この塔で働いていた侍女なのではないか、と思っているんです。そして、その侍女は──宰相さんの、婚約者だった方なのでは、と……」


 ルシリオの表情に変化はなかった。だが、確かにわずかに空気が張りつめた。


「“婚約者”、か……それで、俺をここへ連れてきて、何かわかったか?」


 ルシリオは、薄く息を吐いた。その声は、どこか呆れを含んでいる。だが、その裏にあるものが諦念なのか、疲労なのか──夕奈には掴みきれない。

 彼の言葉に、夕奈は小さく首を振った。


「いえ……実は、この塔の中で、ひとつ気になっている部屋がありまして。もしよろしければ、そちらまで案内させていただけませんか」


 ルシリオは少しだけ眉をひそめたが、それ以上は何も言わずに頷いた。


 石造りの螺旋階段を、コツ、コツ、と一定の間隔で足音を響かせながら、二人はゆっくりと昇っていく。

 窓から内部に差し込む光は乏しく、宰相の手の中の燭台に灯る小さな炎が、灰色の壁面にゆらめく影を投げていた。歩を進めるたび、微かな埃の匂いと古木のきしむ音が、時の止まった空間を強く意識させる。


 ──そういえば、あの夜は夢中で駆け上がったから、何も気にならなかったけれど……。今こうしてゆっくり昇ってみると、王女様の居所としては、ずいぶんと陰鬱で窮屈な場所だと感じてしまう。光がほとんど届かず、音もなく、まるでこの空間そのものが時間から取り残されているような──そんな閉塞感。


(……王女様が住むにはふさわしくない様に思える……これって現代日本人の感性?)


 やがて階段を上がりきり、二階の廊下にたどり着く。そこは、あの日──夕奈が『背伸びの貴婦人』を視た、まさにその場所だった。

 しかし今は、肌を撫でるような霊的な気配も、空気の異変もない。ただ沈黙だけが満ちており、窓から差し込む傾いた午後の日が、廊下の片側だけを仄かに照らし、もう一方を深い闇へと沈めていた。


(……先日は、この扉を開けて、中を覗いて……その直後、振り向くと背後に()()がいた……)


 夕奈は一歩前に進み、少し躊躇ってからドアノブへ手を伸ばした。冷たい金属の感触が、指先からじんわりと肌へ伝わってくる。深く息を吸い、意を決してノブをゆっくりと回す。

 ぎい、と、あの夜と同じく、油の切れた蝶番が不快な音を立てながら、古い木扉が開かれた。微かな風が室内から漏れ出し、夕奈の頬を撫でていく。

 そのタイミングで、ルシリオが低く問いかけてきた。


「……この部屋のことを、知っているのか?」


 夕奈は心臓が跳ねるのを感じつつも、動揺を表に出さないよう、いつもの“仮面”を被る。


「いえ、特に詳しいわけではありませんが……」


 ふと微笑みながら、小さく首を傾げる。


「宰相さんからご説明いただけると、大変助かるのですが」


 ルシリオは、少しだけ目を細めたあと、静かに部屋へ足を踏み入れた。夕奈もそれに続いて部屋の中へ入ると、ゆっくりと室内へ視線を巡らせる。

 そこは、今は誰も使っていない空き部屋だ。家具は最小限で、飾り気のない木製の調度品が並んでいる。窓のカーテンは埃を被り、天井から吊られた装飾のシャンデリアには、蜘蛛の巣がかかっていた。あの夜に訪れた時はじっくり見ることができなかったが、他の部屋とそう大差ないように見える。


「──この塔は、今はウァルド家に降嫁された、第二王女であるウラミーナ様が住まわれていた場所だ。そして、この部屋を使っていたのが……ウェリア=ウァルド公爵令嬢。ウァルド家の長女にして、王女の侍女頭だった女だ。当時、二十を少し過ぎたくらいの歳だったと記憶している」

「まあ、お若いのに侍女頭を……?」

「身分の問題もある。公爵位で、嫁入り先では王女の妹になる。他の侍女と同じという訳にはいかないだろう」

「なるほど……」


 夕奈は、そっと窓際に近づく。

 窓枠へ積もっている埃を、指でなぞりながら訪ねる。


「では、ウェリアさんはこの窓から……落ちたのでしょうか」


 何気ない調子で尋ねたつもりだった。

 だが、その瞬間──ルシリオの表情がぴくりと動く。


「……落ちた?」


 低く返された問いに、夕奈は思わず顔を上げた。


「え?」

「……何か、勘違いしているようだな」


 その言葉は淡々と事実を述べるだけの、何の感情も伴わないものだ。

 ルシリオはゆっくりと顔を上げると、静かに──天井を見上げた。

 視線の先にあるのは、今も天井から吊るされたままの、装飾の細かいシャンデリア。そこに、小さな蜘蛛の巣が張っている。


 そしてそのシャンデリアからは、何に使うのか分からない、朽ちたロープが垂れ下がっていた。


「……ウェリア公爵令嬢は、あのシャンデリアに縄をかけて──自らの首を吊った……()()だ」


 夕奈の中で、何かが“カチリ”と噛み合った音がした。


(……異様に首が、長い……)


 瞬間、ぞわりと全身の肌が逆立つ。脊髄の奥に、冷たい何かが触れる。

 あの怪異と、かつてここで命を絶った令嬢の姿が──確かに、重なった。


 私はずっと勘違いをしていた。


 彼女は窓辺でずっと彼が来るのを首を長くして待っていて、そして何らかの事故で窓から落ちた、だから首が長い姿なんだと勝手に解釈していた。


(そう、“首を長くして待つ”なんて表現、日本的すぎるって思ってたけど……)


 夕奈は息を詰め、シャンデリアの朽ちたロープを見つめたまま固まる。先端が千切れたように解れている理由は容易に想像がついた。

 あの異様に伸びた首、そしてギギ…と軋むように鳴る不快な音──あれは“待ち続けた”ことを象徴する姿ではなく、首を吊った死体が見せる様子そのものだったのだ。

 思い返すだけで、脳裏にあの歪な輪郭がよみがえる。ぞくりと背筋を這う感覚と共に、夕奈は息を吐き出した。


(……彼女は、“首を長くして待って”いたんじゃない。“何かに絶望して、首を吊った”んだ──)


 それは、語り部としての『思考』が導き出した、ひとつの『推理』だった。


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