◇第二章<“推理”と宰相の協力> 1
──王城・執務の間。
政務の中心たるこの部屋へ通された瞬間、思いがけない光景に、夕奈は思わず固まった。
(……なんで私、こんな場所にいるんだっけ)
事の発端は、今朝。
ミラに「宰相さんと少しお話しできませんか?」と、ごく軽い気持ちで尋ねたのがいけなかった。
まさか二つ返事で頷かれ、そのまま執務室──しかも、アレスト王の──に連れてこられるなんて、誰が想像しただろうか。宰相さんは、王様と共同の執務室にて作業を行っているらしい。
(そんな大事になるなら、心構えくらいさせてほしかった…!国王への謁見に先触れもなく、なんて、首を刎ねられたりしないかしら……)
重厚な扉の奥、光の差し込む窓際には、昼下がりの書類仕事に追われる青年──アレスト王が、頬杖をつきながらこちらを見て、にこにこと手を振っていた。
その燃える太陽のようなオレンジがかった金髪が、差し込む光に照らされてきらきらと揺れている。夕奈は思わず息を呑む。長いまつ毛に縁取られたその瞳は、赤いガラス玉のように透き通っていて、まるで宝石のようだ。この世界、美男美女ばかりだと薄々思ってはいたけれど──王様はその中でも段違い。人ならざる美しさがある……!
「お、君が噂の“召喚獣”さんだね!気にせず話して。僕は空気だから~」
……いや、空気って。人目を引くどころか、この場の光をひとりで背負っているような存在感を前にして、それはさすがに無理がある。そう思いながらも、夕奈は冷静を取り繕って深く礼をし、部屋の中へ一歩踏み出す。
入室した夕奈に対し、アレスト王の隣の席にいた銀髪の男──ルシリオは、視線を向けることもなく、手元の書類を淡々と捌き続けていた。羽根ペンが滑る音、書類をめくる紙の擦れる音。それらの音だけが室内の静寂を埋める。
──そして、数拍の間の後。
まるで報告を待っていた部下に指示を与えるかのような、冷えた声音が静かに響いた。
「……それで。何の用だ」
その声は、刺すような鋭さはなかった。けれど、無関心と厳しさがないまぜになった、突き放すような温度を孕んでいた。あくまで『宰相』としての態度。そこに、召喚主としての責任や、彼女を呼び出した男としての情は、いっさい見えない。
──けれど、夕奈にはわかっていた。
その声の裏に、ほんのわずか、探るような気配があったことを。まるでこちらの出方を観察しているような、沈黙の圧が、じわりと背筋を這い上がってくる。
(うー……相変わらず顔はいいのに仏頂面で怖すぎる……でも、ここで引いたら来た意味がない)
(……冷静に、冷静に。相手はあの“氷の策士”だ)
夕奈は深く息を吸い、胸の奥に溜まった焦りと緊張を静かに押し込めた。呼吸が乱れれば、声も揺れる。声が揺れれば、心の動揺が伝わってしまう。
──だからこそ、表面だけはいつも通りでいなければならない。
ゆっくりと息を吐き、顎を引く。まるで“これくらい当然です”とでも言いたげな、落ち着いた目付きでルシリオを見返す。その内心が、実は冷や汗まじりの動揺でびっしりと覆われているとは、誰にも悟らせはしない。
心は震えても、声色は落ち着いているふうに。子どもの頃から霊に気づかれないよう身につけてきた、“冷静に見せる”ための仮面。
(大丈夫。私は語り手。人前で語るときの“顔”をすればいい──)
けれど口を開こうとしたその瞬間、はたと気づく。
(待って。これ、何て聞くのが正解!?)
(“宰相さんの、亡くなった婚約者について話を聞かせてください”って、冷静に考えて、そんな不躾な話、するわけにいかなくない……!?)
ようやく出かかった言葉を、夕奈は寸前で飲み込んだ。冷静に考えれば考えるほど、それはあまりにも無礼で、無神経な内容だった。
それに、まさかのアレスト王の御前だ。うかつな発言をすれば、不敬罪だと咎められ、その場で裁かれてしまう可能性だってある。
何を、どう切り出せばいい? どこまで話すべき? この場の二人は、自分の話をどこまで真に受けてくれるだろう──。
「……その、」
話すべきことは決まっているはずなのに、どこから切り出せばいいか分からない。下手をすれば、礼を欠いた質問にもなりかねない。ましてや、今この場には王様までいる。
(どうしよう……何か、無難な導入を……いや、無難って何!?)
脳内で同じ考えがぐるぐる回り、焦りの渦が広がるその瞬間、救いの手を差し伸べてきたのは──意外にも、太陽のように明るい微笑みを浮かべた、アレスト王だった。
「そういえば最近、君、城内で妙な噂を集めてるんだって?なにか面白い話でもあった?」
「──! ……はい。実はそのことで一つ、お話が……」
天の恵みのようなフォローに、夕奈は心の中で思わず手を合わせた。
(た、助かった!王様ありがとう……!首刎ねられちゃうかも、なんて思って、本当にすみませんでした……!)
恐怖と安堵が交錯する中、それでも表情にそれを出さぬよう、夕奈は静かに背筋を正す。
自分の中の“語り手”の顔を引き出しながら、夕奈はごく自然な所作で姿勢を整え、静かに言葉を紡ぎ始めた。
──『背伸びの貴婦人』の話……塔に出ると囁かれる、天井に頭が届くほど背の高い、白いヴェールの女の噂。
夕奈が語るにつれ、空気が静まり返るのを感じた。先ほどまで茶々を入れつつニコニコとしていたアレスト王も、今は真剣な表情で話に聞き入っており、執務室は冬の気配を取り戻したように、しんと静まり返っている。
「異様に伸びた首と、そこから微かに聞こえる軋む音」
「そして──」
「……誰かを、探しているような仕草をするんです。いつも塔から、窓の外を見て……じっと」
夕奈が話を終えた。
ルシリオが、ぱたん、と手元の本を閉じた乾いた音が、やけに大きく響く。
「それで、その塔に連れて行けとでも?」
無感情に告げられたその言葉に、思わず夕奈は言葉を詰まらせた。だが、動揺は悟られないように、その視線はまっすぐルシリオを見つめ返す。
(……そうだ。何も、馬鹿正直に貴方の婚約者かもしれない、なんて言う必要はない。とりあえず、あの塔へ宰相さんを連れて行けさえすれば……)
(背伸びの貴婦人と、その婚約者かもしれない宰相さんが出会う。そして、何か起こるはず……!)
そのためには、ルシリオの協力が必要不可欠だった。
返事をせずに無言で見つめ返す、その夕奈の真剣な眼差しから、何か覚悟を感じたのか……ルシリオは、ふと目を細める。表情に大きな変化はない。だがその瞳には、一瞬だけ、観察者としての冷徹さとは異なる、何かを測るような思慮が垣間見えた。
「──まあ、確かに最近の城はその話題で持ちきりだ。軽々しい噂かと思っていたが……お前の口から語られると、少し印象が違って聞こえるな」
夕奈は心の中でガッツポーズをする。
その発言が関心を持ったという証だと、直感が告げていた。
「やはり……宰相さんの耳にも届いていたのですね」
「……まあな」
ルシリオは諦めたように、わずかに息を吐く。そして椅子を軽く引くと、立ち上がる。銀髪が微かに揺れる。そのまま無言で窓辺へ歩み寄り、厚手のカーテンの隙間から、遠くを見やった。
視線の先──それは、王城の外れに静かに聳え立つ、黒ずんだ塔。噂が集まり、『背伸びの貴婦人』が出ると囁かれる、あの場所。
長い沈黙の果て、彼は窓の外に視線を向けたまま言った。
「……いいだろう。もしこの騒動を解決する手立てを思いついたと言うのならば──俺の“召喚獣”として、塔への調査の同行を許可しよう」
夕奈は心の中で息を呑み、動揺しそうになる自分をぐっと押しとどめた。
そして静かに、品のある所作で一礼をする。
「ご厚意、痛み入ります」
胸の内では喧しく鼓動が鳴り響いていたが──表情はあくまで冷静そのもの。
まるでこの展開を予期し、こうなることが分かっていたかのように振る舞う。
(こっちから付いて来てくれるよう、頼むつもりだったのに……)
(思ってもみない展開……でも、これで進展しそうね)
背筋に冷たい汗を感じながらも、夕奈の中に湧いたのは、不思議な高揚感だった。
「珍しく素直じゃん、ルシリオ」
その時、張り詰めた空気を弛緩させるような、明るい声が執務室に響く。
見ると、アレスト王が椅子の背にもたれながら、口元ににやにやと笑みを浮かべていた。
「しかも君が、“あの塔”の事に首を突っ込むなんて」
「城で騒動が起きているのは、事実ですから……王よ、面白がらないでください」
「執務室でそんな面白そうな話するからだろ?楽しみにしてるよ、お土産話」
ルシリオがアレスト王に呆れたように返すそのやり取りに、夕奈はほんの少しだけ口元を緩めた。こうして並んでいる二人を見ていると、なんだかんだ言いつつも気心が知れた間柄なのだとわかる。
気を取り直したようにルシリオが再び夕奈の方へと視線を向け、事務的な口調で言う。
「明日の午後なら、俺の予定が空いている。都合が付き次第、お前の部屋まで迎えに行くから、待機していろ」
「承知いたしました。わざわざお時間を割いていただき、ありがとうございます」
夕奈は深々と、丁寧に一礼を返した。
ルシリオはそれに何も言わず、ただ再び書類へと目を落とす。その隣で、アレスト王はどこか楽しげに鼻歌を口ずさみ始めた。
こうして夕奈は、思いがけない展開に背中を押されるようにして、ルシリオと共に塔へ向かう約束を取り付けたのだった。




