8日目ー5 孤独を切り裂く剣
月瀬が静かに沈んでいる前で談笑していたカイネとセヴォースであったが、ふと、彼らの視線がドアの向こうに向く。
「……おや?」
「だな」
それだけの言葉で意思疎通ができたようで、今度は二人が同時に顔を見合わせる。
遅れて月瀬もドアへ視線をやる。何の変哲もないドアであるが、その奥はどこか騒がしい。くぐもって聞こえないが、複数人が言い争いをしているかのような声が聞こえる。
そんな中、セヴォースが「……ふむ」と低く呟く。その顔は月瀬の方を向いていた。
「……おい、まさかアレやんの?」
「そのつもりだ」
戸惑うカイネの声と、重々しいセヴォースの声。
月瀬が顔を二人へ向けると、こちらを見ているセヴォースと目が合ったような気がした。
その瞬間、胸の奥がひゅっと縮まる。
こちらを見る彼の手には、先程の大剣が握られていたからだ。
「なあ月瀬のお嬢さん。おれの料理は美味しかったかい?」
「え? は、はい。とても……」
「それはよかった。じゃあついでに……これを喰らえっ!」
言い終わらないうちに、空気が切り裂かれる音がした。セヴォースが剣を振るった音だ。
何が起きたのか理解するよりも前に体が防御姿勢を取る。方をすくめ、膝の裏がぎゅっと縮む。
風が上半身全体に当たり、胸の奥をすり抜けていったかのような感覚がした。
ぱさり、と長い髪が椅子に当たる。そのままぎゅっと目を瞑って身構える事数秒。
何も無い。
痛みは勿論、続きの攻撃一つ来る気配さえも。
「……あ。あれ……?」
不思議に思い、月瀬がそっと目を開けると……むふんとした表情で剣を仕舞ったセヴォースと、それを呆れた顔で見つめているカイネが居た。
「ああ、安心してくれ。肉体は切ってないぞ」
「肉体『は』……? 『は』って何ですか!?」
「おれ、なんでも切れる剣って設定なんだ。触れるものは勿論、触れられないものだってお手の物さ」
だから、と付け足してセヴォースが月瀬の胸を指した。
「この力で、きみの心のもやもやを切った」
月瀬は己の内心に意識を寄せる。確かに先程まで抱えていた黒い鉛のような重さが確かに薄くなっており、代わりに澄んだ空気を吸ったかのようなすっきりさがあった。
だが、そんな理由で納得できる程月瀬は純粋無垢ではない。すっきりしたはずの心に、混乱が巣食い始めている。
「え? あ、あの……な、なん、で……? 本当になんで……?」
次々降り掛かってくる唐突すぎる展開と、目的のわからない不気味さに、月瀬は冷や汗を流しながら目を白黒させる事しかできない。
戸惑う月瀬に、解説と言う名の助け舟を差し出したのはカイネであった。
「さっき言ったろ。こいつは自分よりも他人を優先する奴だと。んで、お前さんの顔がやけに暗かったのが気になったらしい」
「ご飯の後は笑顔が一番だからな。暗いものは全部吐き出すべきだと思ってね!」
カイネの言葉に、ドヤ顔サムズアップの形で肯定するセヴォース。
そんな彼をジト目で見つめ、カイネはどでかいため息を一つ挟んだ。だが、それには呆れというよりも『仕方ないな』と言うかのような、妙な心地よさが混じっている。
「はぁ……。聞いただろ月瀬。こいつはこういう奴なんだよ。……んで、お前さんの中にある鬱憤やら何やらを分割させた」
「分割!? ……えっ、どうして、どういう……」
「そういう力だからとしか言いようがないなぁ。まぁおれの事など気にするな。きみの胸中に潜む闇を追い払いやすくしただけさ。でも、完全に吐き出すには具現化が必要だろう。……さぁ、話してみてくれ!」
力強い言葉と共に、セヴォースが己の広い胸板をどんと勢い良く叩く。
その姿だけなら心強いものがあるだろう。だが、状況が状況だ。
――確かになんか、もやもやしたのちょっとは晴れたけど……話せって……。
戸惑う月瀬を前に、セヴォースが首を傾げる。目元こそ見えないものの、中途半端に開いた口元は困惑と愛嬌が混ざっているように見えた。
「あ、初対面のやつに話すはキツイかな?」
「なぁセヴォース。そもそも俺達は魔法少女達の敵だ。お前は忘れているようだけど」
「おっとそれもあったか。……月瀬のお嬢さん、やっぱり嫌なら無理に話せとは言わないよ……」
その言葉に、月瀬は小さな抵抗と計算を始める。相手の立場、自分が話した時の波紋、返答による空気の変化――それらを頭の中で丁寧に並べ、最善手を探す。
結果として選んだのは、少しだけ口にする事であった。
「いえ、話します。でも、たいした事じゃないですよ。……羨ましいと思っただけです。あなた達の事が」
「文句言いつつも飯作ってくれる野郎が欲しいってか。やらんぞ。こいつは俺のもんだ」
「親友、茶化すな。あとおれを叩くな」
「嫉妬はしてません。ただ、仲良いいのが羨ましいって、思って……。それだけです。本当にそれだけです」
月瀬の言葉は小さく、しかし確実に届けられた。一方のセヴォースは首を傾げていたが――やがて、「ああ」と手槌を打って。
「なんだ、きみには友達が居ないんだな! それを気にしていると!」
明るい声で、室内の空気に少しだけ暖色を差し込んだ。
だが、月瀬はその言葉にすぐに返答しなかった。否、できなかった、という方が正しい。
まるで雷に打たれたかのような強すぎる衝撃に、頭が動かなかったのである。
その代わりに、ぷるぷると震える瞳から落ちたのは一滴の涙であった。
図星というやつである。
「……あっ、いやっ、あのその、ごめん! ちがっ、きみをそこまで傷つけるつもりはなくてだなッ!」
「やーいやーい泣かせてやんのー」
ぼろぼろと涙を零す月瀬。
一方で、ぽんと放った言葉がどれだけ衝撃を与えたのか理解したらしいセヴォースが、弁解するように広げた手を震わせながら早口で言葉を繋げ続ける。
なお、カイネは愉快なものを見たかのようにセヴォースの胸元を軽く突いていた。
「し、親友! ちょっと心の回復魔法的なものって無いか!?」
「おう、大得意だぞ。洗脳魔法」
「それは回復魔法とは言わないんだよッ!!」
はずんだ声と焦る声が交互に響き、カイネの軽く笑うような声で〆られる。
だが、彼はすぐに切り替えた。
「――さて、助け舟出してやるとすっかぁ。……なぁ月瀬、魔法少女共と友達になるって発想はあるか?」
「ありませんよ。……いつか居なくなるじゃないですか……!」
月瀬は吐き出すように返す。声の震えは収まらない。胸の中で何かがざわめき、言葉が痛みに近づく。
そんな姿にセヴォースは「え」と軽く動揺し、カイネは「ほう?」と興味深そうに月瀬の顔を見つめた。
「いつか、疎遠になるくらいなら……友達になる意味なんて……」
「え!? 別にいいじゃないか。おれ達色んな世界で友達作ってきたぞ!?」
「いや。おそらく、お前とこいつじゃ視点が違う」
カイネが立ち上がり、ある種の演出のようにゆっくりと月瀬の前でしゃがみ込む。彼の顔が近づくと、空気が重くなったような気がした。
まるで呪文の準備音のように、室内の音が一瞬だけ鈍る。
そして、その瞳を覗き込むようにしながら、カイネは低く命令した。
「【教えろ。お前はなぜ孤独を選ぶ?】」
言葉と同時に、耳の奥で低い弦楽器のような心地よい音が鳴り響いた。
音は直接体の奥を揺さぶるようで、空気が粘るように重くなる。
月瀬の思考の縁がふっと剥がれ、抵抗する力がするりと抜けてゆく。
世界の輪郭がぼやける感覚――それは言葉や意思を奪うでもなく、まるで思考の糸をそっと掴んで向こうへ引っ張るような不思議な力だった。
五秒にも満たない。たったそれだけの時間に、月瀬の頭から『抵抗する』という考えがすぅっと消え去った。
彼女は知らない。彼が得意とする魔法を使った事を。
やがて、月瀬の口がそっと開く。そこから出てきたのは、震えた小さな声だった。
「……決めているからです。できるだけ人と距離を取って、一人で、慎ましく暮らしていくって……」
「そういえば、きみはニートになりたいとか言ってたな。……でも、それは寂しくないか?」
「そうですね、とても寂しいです。……でも、心を開いた相手が居なくなっちゃうよりも、ずっと一人で居る方がまだマシじゃあないですか!」
言葉が出るたびに、月瀬の肩が震え、息が小刻みに切れる。膝に置いた拳に生暖かいものが落ちた。
「……辛い別れを経験した事があるんだね」
セヴォースが月瀬の側へ寄り、静かに膝をつく。そのまま背中を軽く撫でながら、彼は再び扉を見た。先程よりも喧騒が近い。
「親友」
「だな、聞かせるか……。【月瀬、お前の人生について時系列順に教えてくれ】。……なに、理由無い否定なんざしねぇよ」
低く響く音が再び耳の奥を満たす。その音に意識と思考を委ねるように、月瀬は「……わかりました」と静かに口を開いた。
月瀬はそっと目を閉じる。まぶたの裏で、幼い日の光景が色と匂いごと立ち上がる。古びていれど日光の匂いがしたふかふかの布団、煮物の甘じょっぱい湯気、積み上がった本のささくれ……。
「私には、両親が居なくて……母方のおじいちゃんとおばあちゃんに育てられました」
自分の声が、思っていたより幼く響いた気がした。
「ほう! おじいちゃんおばあちゃんっ子か」
「厳しかったし、貧乏だったけど、二人はいつも見守ってくれた。友達もいっぱい居て……とっても、幸せだった……」
言葉を並べるほど、その頃の部屋の温度や午後の光が、手の甲にやんわりと落ちてくる。
けれど、その温かさは薄紙のようにすぐに破けてしまう。
「祖父母と離れたきっかけは?」
カイネが質問を挟め、月瀬の握った手に汗が滲んだ。
「流行り病、です。……十歳の時、二人が揃って亡くなりました」
喉の奥がひゅっと細くなり、吸った空気がうまく肺に落ちない。
セヴォースがほんの少しだけ体勢を下げ、視線の高さを合わせてくる気配がした。
「それは……辛かったな……」
「それで、会った事もない父方の親戚に引き取られて……全然知らない土地に来ました……」
「……それは……とても辛かったな……! 泣いていいんだぞ……!」
背中をさする手のひらは大きくて、指先の節が服の布越しにわかる。安心と反発が同時に起き、胸の内え擦れあって花火を散らすみたいにちくりと傷む。
扉の奥の喧騒が消えていたが、それを知る術は今の月瀬に無い。
「ここでも平穏な生活が送れると思ってました。でも、父方の親戚は……お金もちばっかりで、何もしてないのに庶民の子って馬鹿にされて、認めてもらう為に一生懸命回りの子のマネもして、勉強も、運動も、習い事も、いっぱい頑張ったけど……勉強以外は駄目で……」
「他の子よりも頭良くなれば……いや、そう単純じゃあないか」
「はい……っ。勉強を頑張っても、今度はその家の子供に酷く嫌われて、それで私が別の家に押し付けられるって流れが何度もあって、大人だけの家に来ても、邪険に扱われるか、全然相手にされないかの二択で……。学校も、家も、どこも、安心できなくて」
肺の奥が熱く、胸骨の裏がつんと痛い。一気に吐き出してしまわないと保持できない言葉達が、喉を押し広げて飛び出していく。
「それで、『邪険に扱われるのは、私がこの一家の人として産まれなかったからだ』って気づいちゃって……。……十三歳の時、飛び降り自殺を試みました」
室内の空気が一瞬だけ止まる。
息を飲み込む音。続いて「な……っ」と震える声。セヴォースのだろう。
カイネもまた、無言で月瀬を見上げていた。冷静な表情であれど、どこか目元が強張っている。
「……でもお前さんは生きている。失敗したか」
「はい……。それで入院して……その後は相葉さんが後見人になってくれました」
「相葉とやらはどういった関係だ?」
「父方の祖母です。相葉さんは……私を独立させる方針で育てました。『あなたは自由が似合う』って言ってくれたけど……金だけ与えるタイプのネグレクトですよ。……ああでも、お金について詳しく教えてくれたのはありがたかったな……」
そこまで離すと、肺に貯めていた空気が一気に抜け、少しふらついた。
笑おうとすると、頬の筋肉がぎこちなく引きつる。
「……まぁそんなわけで、もう一回自殺する勇気はないままずるずると生きてきたんです」
そこまで言い切ったところで、ふと、幼い自分がすがっていた存在を思い出した。
最初はただ好きだったのに、いつしか辛い現実から逃げる為の手段として願い、なぜか今や日常に食い込みかけてる存在を。
「魔法少女が好きなのもこれが原因です。昔は純粋に好きだったけど……いつしか、『私を連れ出してくれないかな』って考えるようになりました」
「ふむ」
「でも、そんな奇跡は起きないって気がついたんです。なら一人で生きていけるようになろうって決心しました。なのに、なのに……!」
「魔法少女が現れた、と」
「……。はい」
そう。夢の世界に戻れと言うかのように、月瀬の前に一人の少女が現れた。可愛くて、不思議で、凶暴な魔法少女・シグニーミアが。
彼女の髪の色、オッドアイの瞳、近づいた時の体温、玄関の土間に落ちた砂粒、洗面所に微かに残った甘い匂い――記憶の断片が、やけに鮮やかに浮かぶ。
「最初はコスプレだと思ってました。でも、本物の異世界産魔法少女だって証明されちゃったし、仲間や敵の人達だって現れるし……!」
「盛大に混乱したと」
「するよなぁ」
「そうですよ! でも、彼女達はいつか居なくなるんでしょうっ。コウヨクさんだって私と距離置こうとしてたし……なら、私からも、なるべく距離を置こうとしました」
最初、魔法少女達は月瀬と距離を置こうとしていた。
イチェアはシグニーミアを連れ戻そうとし、コウヨクは月瀬に現実を突きつけた。奇跡は当たり前ではないと。
そして、月瀬もそれを理解し、受け入れた。
だが。
「……でも、ミアは甘えてきて、時々不穏だけど……一緒に居て、楽しくて……離れたくなくなるのかもって思っちゃって……」
そんな月瀬の想いを打ち砕こうとする者が居た。
出会いこそ乱暴だし、不穏要素もあれど――月瀬に甘え、固まった心を打ち砕き、温もりを与えた、とってもかわいいお邪魔虫。
「なんで今頃現れたんですか。なんでもっと早く現れてくれなかったんですか! なんで、なんで……!」
両手で顔を覆う。
拳の隙間から、呼気が湿って漏れていく。
ただの八つ当たりをしている事は自覚していた。なのに、背中を撫でる手の温もりが、やさしくて、だからこそ腹の底がぎゅっと捻れる。
そんな中、カイネは笑うでもなく、退屈そうに眉を下げた。
「……要するに、自分の欲望や感情の制御が下手くそな事について逆ギレしてんだな? 馬鹿だなあんた」
二回目の図星は、刃物ではなく木槌の一撃みたいに重く響いた。
月瀬は良くも悪くも自分の事を理解している。だからこそ――腹の底が、煮えたぎるような感覚に襲われた。
涙が引っ込む感覚。勢い良く顔を上げた時には、彼は魔法少女に向ける時の楽しそうな口元をしていた。
「なんですかあなた正論パンチ止めてくれません!? 泣きますよ!?」
「もう泣いてるくせに何言ってんだか。……ところで月瀬、とてもいい方法があるぞ」
「……なんですか」
一拍の溜め。時計の秒針の音がやけに大きく響く。
そのまま彼は美しく微笑んで。
「悪の組織に来ればいい」
そんな言葉を、掴みどころのない調子で放った。




