8日目ー4 冷たいハーブティーと親友たち
――なんかでっかい人降ってきた……!?
空間と空間を無理やり繋げたような穴から降ってきたガタイのいい大男。彼は痛そうに尻をさすりつつも、すぐにカイネへ顔を向けた。
「――急に何をするんだい痛いじゃあないか!」
「いいだろ別に。お前の防御力なら大したダメージ受けてないって」
もっさりとした水色の前髪のせいで表情が伺えない。だが、その声色には明らかに怒りが含まれていた。
一方のカイネは、椅子に肘をかけたまま涼しい顔をしている。
「それでも不意打ち尻もちというのは中々の痛――ん?」
そんな二人を眺めていたら、月瀬の視線に気づいたらしい大男が振り向いた。
目が合ったような気がして、月瀬の肩が軽く震える。
「親友、なぜ彼女がここに?」
「拉致ってきたから」
「そうかそうか」
次の瞬間、ごっ、という衝撃音が部屋に響く。続けて、「いっだ!!」というカイネの悲鳴。
大男がカイネにチョップを入れた音だと月瀬が理解した時、カイネが頭を抱えうずくまったのが見えた。大男はそんな彼を無視しながら、月瀬の元へ体を向ける。
大きい人だ。
間近で見ると圧が違う。間違いなくカイネよりも頭一つ分は高い身長。そして広い肩と分厚い腕、筋肉の上に乗った布が軋みそうだ。
まるで獣が人の姿を取ったかのような存在感に、その上座っている月瀬が見上げる形。息をするのも怖くなる。
だが、その男はふいにしゃがみ込み、月瀬と目線の高さを合わせた。
刹那、空気の重さが変わる。淡い金属の匂いがした。彼の体から立ち上る熱気と、ほんの僅かに香る油の匂いが混ざっている。
そのまま彼は月瀬の目を覗き込み――。
「初めて相まみえるな、月影を宿す麗しき乙女よ。我は万象を断罪し魔剣の精霊――この世の理すら切り裂く者」
「ん?」
内容・喋り方共に何一つ想定しなかった文を紡いだ。
それは月瀬の恐怖と緊張を吹き飛ばし――代償として、盛大な困惑だけが残った。
「先刻は我が盟友が無作法を働いた。……汝の心に影を落とすものがあれば、偽り無く告げよ。癒やしの歌を紡ぐ白き同胞を召喚し、汝の痛みを闇に還そう」
「え? あ、あの……大丈夫? です……」
静かでありつつも、どこか芝居のかかった話し方。
この喋り方自体はなんとなくわかる。アニメの敵キャラ、もしくは右腕に封じた何かに苦しめられている系中高生の話し方。
いわゆる厨二言語というやつだ。
――なんか急にキャラ変わった!? どうしよう、何言ってんのか微妙にわかんない……。心配してくれているのかな……?
混乱の熱で指先がじんとする。
そんな中、カイネが頭頂部を抑えながら顔を上げた。
「おいセヴォース、伝わってねぇぞ」
「ウッソだろ!? この世界にもこのような言葉遣いがあるって聞いたのに!?」
そう叫んで振り向いた大男の声色は、先程までの荘厳さとは打って変わって軽やかだ。
月瀬は思わず瞬く。空気が一転して軽くなった気がした。
――あ、やっぱりこっちのテンションが素なんだ。
安心と戸惑いが半々に胸を満たしつつ、月瀬は口を開いた。
「そういった言葉遣いはありますが……あまり一般的ではありません……」
「くそっ、ここもかよぉ……! こんなにかっこいいのに……!」
セヴォースは肩を落としたが、すぐにごほんと咳払いをして切り替え、改めて月瀬と向き合った。
「……普通にやるかぁ……。改めまして月瀬のお嬢さん。おれはセヴォース、魔剣の付喪神だ」
「付喪神!?」
「そ。とぉ~ってもかっちょいいオモチャの剣の付喪神さ!」
セヴォースが広い胸板に手を添えた瞬間、そこからにゅるりと剣が抜け出した。まるで体内が鞘とでも言うかのように。
出てきた剣は刃が硝子のように透き通ってる美しい大剣であった。だが、実用的な剣として見るにはゴテゴテとした装飾が多く――男児向けオモチャの剣を大きくしたように見える。
そのまま彼は戦隊ヒーローの決めポーズのような構えを取った。
カイネのやや棒読み気味な「かっこいいかっこいい」という言葉に、その口がむふふと緩む。
――よかった、怖い人じゃなかった。……それにしても、異世界にも付喪神っているんだなぁ……。
安堵が喉の奥に溶けてゆく。
「それでお嬢さん、こいつのせいでどっか怪我してたりとかないかい? なんか調子悪いなーってものでもいい。治療できる子呼んで治してもらうから」
「怪我とかさせてねーっての」
不満そうなカイネの声を聞き流しながら、構えを解いたセヴォースが剣を文字通り胸に刺すようにして仕舞う。その光景に月瀬は一瞬ぎょっとしたが、セヴォースがうめき声の一つすら上げてない事にほっとし、続いて別の疑問に注視した。
「そういうのは無いです。です、けど……あの、なんで私の名前を……?」
「ああ、休戦協定結んだ時、親友を通してきみ達の事を見ていたんだよ。一応何回か返事もしたんだけど……覚えてるかな?」
「あ、そういえば元気な声をしている方が居た……!」
「そうそう! それおれ!」
セヴォースがぐっと親指を立てる。
そんな会話を見守っていたカイネが口を開いた。
「なぁセヴォースー。そいつ腹減ってるようでさ、何か作ってやってくんね?」
「だから呼んだのか人使いの荒いやつめ……。でも、そのくらいならお安い御用さ。おれの料理の腕前を見せてあげよう!」
「え!? あのっ、お気持ちは嬉しいのですけどっ、そんなわざわざ――」
慌てて言葉を差し挟む月瀬の前に、大きな手のひらがぴしっと差し出される。
「おっと、気にするなお嬢さん。誰だって、お腹減ったひもじい顔よりもお腹いっぱいな笑顔の方が良いだろう! ――それに、シーニーに楽しいことを教えたいと思っているんだろう?」
「な、なんで知って――」
「おちびから聞いたからさ! なら、お嬢さんが抱く『楽しい』と思う感情だって大切だ。……おっと、今回は美味しいか!」
――敵側の人にまで伝わってるんだ!? ……ん? 待って? じゃあ、昨日イチェアちゃんに言った事も……?
月瀬の頭をよぎるのは、昨日、クッキーを焼いた時に零した独白。そして、ここまでの人生でに翻弄された結果残った中途半端な良心と、夢の存在を拒絶する心。
嫌な予感がしたと同時、嫌な記憶が連鎖的に蘇ってちくりと胸が痛くなる。それを表情に出さないようにこらえた。
そんな月瀬に気づいてか気づかずか、セヴォースがカイネに顎をしゃくった。
「……ところで親友、きみは客人にお茶すら出していないのかい?」
「あ、忘れてた」
「きみって奴は!! ちょっと第一キッチンとここ繋げてくれ!」
「あいよ」
カイネが指を鳴らすと、何もなかったはずの空間がぐにゃりと歪み、異世界風のキッチンが出現した。
石造りの壁は異国の文様を刻んだ銅鍋やがいくつも吊るされ、天井からは乾かしたハーブや動物の骨がぶら下がり、コンロと思わしき場所には赤い石が規則正しく並んでいる。
元からその部屋で作業をしていたらしいポップな幽霊風の魔物数体がこちらを見て、体全体を震わせた――と同時、セヴォースが「変身!」とライダー風の声を上げながらピンク色のエプロンを素早くまとい、香辛料の香りの奥へ消えていった。
***
そんなこんなで、出された軽食――近い日本語で表すなら、冷たいハーブティーと肉と野菜入りのサンドイッチだろうか――を食べ終えた月瀬は、胸の中で小さく頷いていた。
――お、美味しかった……。
遠慮と警戒心のダブルコンボで中々手を出せずに居たが、すぐ前でカイネが毒なんて入ってないと言わんばかりにつまみ始め、セヴォースが感想を求めるようにキラキラとした目――前髪に隠れて見えなかったが、そんな雰囲気を纏っていた――で見つめてくるものだから恐る恐る口に運んだ料理。
中々の美味だった上、体の不調なども特には無い。それどころかそこそこ膨れているはずの腹が『頑張ればもうちょっと入る』と言っているような気がする。
だが、ささくれのように心に引っかかってる事柄が一つ。
――コウヨクさん、どうしているんだろう……。私の事探してるのかな……。せめてあっちでもご飯食べてるといいんだけど……。ミア達も帰ってきてるだろうし……。イチェアちゃんが家から情報聞き出してるといいんだけど……。
そう、拉致されたから仕方ないとは言え、置いてきた魔法少女の事であった。
早く帰してくれないかな、と思いながらちらりとカイネを見ると、話しかけられた。
「美味かっただろ。あいつの料理」
「あ。はい、とても……」
「タプルーシュもな、料理が上手かった。特に焼き菓子作りが上手だった」
その名が出た瞬間、月瀬は反射で顔を上げる。カイネの顔には嫌悪の影はない。むしろ、頬の筋肉が僅かに緩み、目尻の奥に温度が見えた。
「この二人にはな、共通点があるんだ。『料理を食べた人を幸せにしたい』って欲で動いている。……まぁそれぞれ別の欲も混ざってはいるが、主軸が『他者を幸せにする事』に変わりは無い」
「……自分よりも、他者を重視する方なんですね」
「ああ。自分の為に他者を幸せにするんじゃない。他者を幸せにする事で、自分も幸せになる……純粋で、愚かで、生真面目で、変な奴らだ」
だが、そう話す声の温度は低くない。むしろ、砂糖を一欠片落としたみたいに、言葉の縁がやわらいでいる。
「――ははは、変な奴か、きみにだけは言われたくないな!」
「あんだよおめーは変なやつだろうがよ。魔剣って設定のくせに料理に目覚めてるしよぉ」
「いいだろう別に! きみだっておれの料理が好きなくせに!」
「まーなー!」
キッチンから出てきたセヴォースが、カイネの肩に手をぽんと置く。
二人のやり取りは軽口で、けれど互いに踏み越えない線が暗黙のうちに共有されているような、柔らかな温度を孕んでいる。
――変な奴って呼んでるけど、悪口じゃない……悪友なんだ。
まるでクラスメイトのじゃれ合いを見ているみたいだ。
けれど、クラスに心から溶け込もうとしない月瀬には、遠い風景でしかない。
「……仲良しですね?」
「いかにも! 思う所はいっぱいあるが一応親友さ!」
「ああ。あまり俺の味方をしてくんないクソヤローこと右腕兼親友だ」
「なんだとクソヤロー」
「本当に仲良しですね」
月瀬が笑い混じりに呟くと、二人の笑い声が響く。
その余韻がゆっくりと消えていく中、部屋の時計の音だけが静かに鳴った。
カイネとセヴォースが悪友のように軽口を交わす。その顔はどこか柔らかく、互いに信頼を滲ませていた。
文字通り、親友というやつなのだろう。
――親友、か。……いいな、こういうの……。
甘える事を捨てた心が、どこかでずきんと傷んだ気がした。
ああいう関係を見ていると、胸の奥が少しだけ寂しくなる。
***
時刻は少し遡り、月瀬が軽食を食べていた頃。
月瀬の自室にて、ベッドですやすやと寝ているコウヨクを叩き起こそうとする存在が二人いた。
パトロールから帰ってきたイチェアとシグニーミアである。
「――コウヨク! コウヨク! 起きてコウヨク!」
「おらっ! 起きやがれなのよ!」
それぞれの言葉で起きて起きてと声をかけ続ける二人。
最初は揺さぶりだけだった手が、叩き始める方針に変わった頃、「うぅ……ん……」とコウヨクが嫌そうに目を開けた。まぶたの縁はまだ重く、焦点が合うまでに呼吸を一つ挟む。
「……あれ、もう帰ってきたの……? はやいわね……」
「おめーがグースカ寝すぎなのよ!」
「ツキセ! ツキセが居ないの!」
「えっ?」
コウヨクはタオルケットを押しのけ、きしむベッドから跳ね起きた。
そのまま周囲を見渡すも――何度見ても、部屋に居るのは三人だけ。
「月瀬さんがバカイネに誘拐されたのよ!」
「えっ、あ、え――」
コウヨクは最初受け入れられないと言わん気に目をぱちくりさせていたが、やがて彼女の体が淡い光で包みこまれる。
瞬き一回分の時間が経過した頃、布擦れの音と共にコウヨクの服が魔法少女のものに切り替わる。
「――どこに連れてかれたかわかる!?」
「空間の亀裂割いたとか言ってたのね! 多分あいつの本拠点!」
「行こう! ツキセ取り返すの!」
イチェアがリボンをムチのように振るい、空間を切り裂く。裂け目の縁が光り、冷気とざわつく圧の気配が吹き抜けた。シーツの端が風をはらんでふわりと浮く。
三人は迷いなくその裂け目に飛び込む。
残された空間が閉じる直前、空気が一瞬ひやりと冷たくなった。




