8日目ー2 昼下がりの誘拐劇
シグニーミアの兄――タプルーシュは、コウヨクの恋人で、人質としてカイネに捕らえられている。
「……ひと、じち……?」
「そう。人質」
コウヨクがこくりと頷く。声はいつもの少し乾いた低さを保っているが、瞳の端に引きつりがある。
――休戦協定を結んでる上、魔法少女達の身分証明書を用意しているらしい人が……そんな、卑怯な事を? なんで……?
月瀬はカイネと過ごした時間が少ないながらも、疑問に思う。
握った手の中で指先が小さく動く。考えれば考える程胸の奥がざわつき、喉の奥が乾いた。
「まぁ、詳しいことは今度話すわ。とっても長くなっちゃうし……宿題する時間無くなっちゃうわよ?」
「それは……とても困ります」
「でしょう? ……あなた、本当に理性的ね」
その言葉に、月瀬は曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
正直に言うと、とても気になる。だが……聞いたら新しい疑問が次々と湧いてきて止めが効かないと理解しているのもまた事実。
自分の理性をかばうように唇の内側を噛むと、わずかな苦みが広がった。
「そんで話を戻してっと……そうだ。あなたが今日宿題している間、あたしも傍で本読んでようと思うの。いいかしら?」
「大丈夫ですよ。……私、リビングで勉強してた方がいいですか? 私の部屋椅子一個しかないから……」
「そこまでしなくていいわ。自室の方が集中できるでしょうし……床に座ってるわよ」
「せめてベッドに座ってください! 寝っ転がってもいいので!」
「あらいいの? ありがとう。じゃあ本取ってくるから、先に部屋行ってて」
そう言い、コウヨクが空間の亀裂へ足を踏み入れる。
一人リビングに残された月瀬もまた背を向け、廊下に出た。足元から伸びる影が、こころなしかいつもより大きく見える。
――そうだ、そもそもミア達とカイネさんは……戦ってるんだ。
先程の短いやりとりが、頭の中で繰り返される。
そうだ。彼女達は敵と戦う魔法少女。戦うのだって理由がある。
仮にシグニーミアの記憶喪失問題を解決したところで、再び敵と戦うようになるだけ。
かつてイチェアはカイネ達を何度も倒していると言っていた。倒しても倒しても復活すると愚痴っていた事が懐かしい。
――魔法少女達は……平和な日常に帰れるのかな。
***
それから数十分後。月瀬は自室にて参考書や問題集を広げていた。
紙とインクの匂いと外から聞こえる鳥のさえずり。シャープペンシルを握る手に、僅かな汗が滲む。
問題を解く手が時折止まる。それは先程知ったコウヨク達の抱えている問題が気になるからというのもあるが……。
月瀬はそっと振り返る。
ベッドの上で体育座りになったコウヨクが、眉間にシワを寄せながら分厚い本を睨んでいた。その上、口から漏れているのは唸るような声。
「……コウヨクさん」
出てきた声は想定よりも低く、静かなもの。
そして、コウヨクの背が跳ね、彼女が慌てて顔を上げる。髪がふわりと揺れ、甘い香りがわずかに漂った。
「ぇ、あ、ごめんなさいっ、邪魔しちゃった!?」
「その、もう少し静かにしてもらえると……」
そこまで言いかけたところで、コウヨクの読んでいる本に目を落とす。
分厚い皮でできた表紙は端と溝が変色していて、中身は茶色混じりのクリーム色。一目見ただけでもアンティークなものだとよくわかる。
間違っても、本屋や図書館で庶民が手に取れるものではない。
「……あれ、すごい古そうな本持ってますね?」
「あ、こ、これ? ……ああ、気にしないで。ただの古い魔法書よ。……ただその、難しいとこが多いだけの……」
「魔法書! ……み、見せてもらってもいいですか!?」
「まぁ、いいけど……読めないと思うわよ」
コウヨクが本のページを月瀬に見せてきたと同時、瞳に光を宿した月瀬がそれを覗き込む。
立ち上る紙の古びた匂いと、どこか焦げたような甘い香気に胸を踊らせ――ページ一面にびっしりと書かれた踊るミミズこと見知らぬ文字に現実を突きつけられる。
「よめない……」
「だから言ったでしょう」
コウヨクが本を自分の前に戻し、改めて月瀬を見上げた。
そして、彼女は机の上を指さす。なぜか苦々しい表情で。
「ね、ねぇ月瀬さん。本読んでる時とか、問題解いてる時……わからないと思ったらどうしてる? そんな難しそうなものやってるなら、わからない事の一つや二つあるでしょう……? あるわよね……?」
コウヨクの細い指が小刻みに震えている。そこにあるのは、積まれている分厚い教科書や参考書などの山。中学生レベルの参考書もあれば、高校生の学ぶ範囲を全てカバーしているものまで様々だ。
「流石にありますよ。でもそうですね……そういった時は、なぜ難しいと思うのかの原因を見つけます?」
「……原因? わからないはわからないじゃないの?」
きょとんとして首を傾げるコウヨクに、月瀬は静かに首を振る。
「違います。わからないにも種類があります。例えば、『何を聞かれているのかがわからない』や『答えの導き方がわからない』、『単語や文の構造、意味がわからない』、『答えの導き方は合っているのにどこかでミスをしている』……といったところですね」
「あ、あるあるね……」
「そんな感じで、まず自分の抱えている『わからない』をはっきりとさせます。あとは、それを一つづつ潰していく……それを繰り返せば、答えにたどり着きますよ」
そう断言した時、コウヨクが俯いた。
やがて、静かに口を開く。
「何がわからないのかを明確にして、潰していく……か」
「あ、私がいつもこうしているだけです。これは勉強のわからないを潰すやり方ですけど……応用すれば、難しい本を読む時にも使えるかと……」
再びコウヨクが顔を上げ、月瀬と視線を交わす。その顔にあるのは苦笑であった。
「……あったまいいとこに通ってるだけあるわね」
「そ、そうでしょうか……中学時代そこそこ頑張ったので……へへ」
***
時計の針が進み、正午少し前、
最後の問題に丸をつけて、月瀬は勢い良く問題集を閉じた。
ぱたん、と小気味いい音が部屋に響き、月瀬の前髪がふわりと揺れた。
「やっと一科目終わった……!」
そのまま背伸びをし、肩をぐるぐる回す。バリバリ鳴る感覚が心地よい。達成した時の充実感はいつも小さな祝祭のようだ。
後ろを振り返ると、コウヨクが横になって眠っていた。その口元から聞こえるのは安らかな寝息。そして、枕元には開きっぱなしの本――読みかけのまま眠ってしまったらしい。
「あ、寝てる……風邪引くかもしれないし、タオルケットかけとこ……」
小声でそう言うと、月瀬はベッドの端で細巻きみたいになっているタオルケットをコウヨクにかける。
その指先に触れた肌はほんのり暖かった。
本に栞を挟み、枕元に置く。
その時、インターホンが鳴った。
視線が反射的に時計へ向かう。シグニーミア達が帰ってきてもおかしくない時間だ。
――ミア達かな? 早かったな。
そんな考えで玄関へ向かい、扉を開ける。
声を出しかけた瞬間、視界が止まった。あったのは、ちっこい魔法少女ズの頭ではなく、暗色のズボンと首元の開いた白いワイシャツ。
「おかえ――」
「よう」
想定していなかった光景と聞き覚えのある低い声。
ぐぐぐ、と壊れたおもちゃのように首をゆっくり上げると、青い瞳と目があった。
「……カイネ、さん」
そう。目の前に居るのは魔法少女の天敵――悪の組織の総大将・カイネ。
彼が柔らかく微笑む。だが、その目の奥にはどこか鋭さがあった。
冷たいエアコンの風が後ろから吹き抜け、月瀬の頬を撫でる。
「よう青蜂月瀬。数日ぶりだな。……ところで魔法少女達どうした? お前さんを一人にするとは思えないんだが」
「えっと……」
指先が強張るのを自覚する中、月瀬は戸惑っていた。
魔法少女が一人しか居ない事、しかも昼寝中である事を告げるべきかどうか。
以前家にあげた時とは遥かに違う状況。月瀬は自分の身よりも魔法少女の身を案じていた。
――一応休戦中だけど、相手は悪の組織の総大将。魔法少女達がどうしてるかは言わない方が良いかな? でもこの人、魔法少女に利益でる行動してるし……。……いや、帰ってもらおう……。
冷や汗がこめかみを伝う。
今のところ月瀬に直接的な害こそ与えてないものの、彼は不審者。現代日本の言う不審者とはベクトルが違うが、厄介な事に代わりはない。
出直してもらうにはどう答えればいいか、月瀬の脳が演算を終えるよりも、カイネの口が開く方が早かった。
「……迷ってるな。さては一人か? そういやさっき、おかえりって言いかけてたな」
「いえあのそのっ」
「ああ、答えなくていいぞ? 良いこと思いついたから」
こちらをからかうようなにんまりとした表情。
へ、と声が漏れた時には、両肩をがっちり掴まれていた。逃げる間もなく。
「お前を今から誘拐する」
「えっ」
そのまま月瀬は抱き寄せられ、カイネの低い声が耳元でさらりと言葉を落とした。
吐息が耳をかすめ、背筋がびくりと震える。
「さぁ行こうか青蜂月瀬。俺の本拠点へレッツらゴー」
腕の筋の硬さと低い体温、香水のような匂いを感じた時、タンッと地面を蹴る軽い音がした。
そして、二人の体が地面に――影の中へ沈んでいく。まるで、足元の氷が崩れてゆくように。
重力が一瞬だけ裏返るような浮遊感。胃のあたりがひゅっと冷たくなる。
「えっ、あっ、待っ、誰かっ! 誰か助けてぇえぇえええ!」
月瀬の悲鳴が響き渡る。だが、それはコウヨクのまぶたをぴくりと動かしただけで、まどろみを破るには至らない。
やがてその叫びは空気の中に吸い込まれ、二人の影は暗い影の中へ解けていった。




