7日目ー5 緑の死神
魔人が近くに居る。見つかったら戦闘になるかもしれない。
この場に居るのはただの一般人である月瀬と、魔法少女の中では火力に乏しいイチェアのみ。
なら、一刻も速く隠れよう――そう提案しようとして、月瀬は口元に巻かれたままのリボンを指差す。取ってという意味だ。
「……月瀬さん、大声を出さないって約束できる?」
静かな問いに頷く形で答えると、イチェアが月瀬の口元を覆っているリボンに触れた。するとリボンが勝手にするすると解け、イチェアの手の中に収まる。
「……隠れよう」
「いや、探索を切り上げてさっさと帰るのね。……お家曰く、複数の魔人が来てるみたいなのよ。隠れるよりさっさと帰る方がリスク低いのね」
「わかった」
二人揃って、部屋を後にする。
急いで、でもなるべく足音を立てないようにして。
***
床板がギッと鳴るたびに肩を震わせながら、家と教会を繋ぐ廊下までやってきた瞬間、轟音と共に地面が揺れる感覚がした。
思わず悲鳴が出そうになるのをこらえ、イチェアと視線を交わす。こちらの顔も固い。
「い、いま、の……」
「……窓と壁がぶち破られた音、なのね……」
「ね、ねぇイチェアちゃん。魔人は教会のどこに居るの……? 聖堂じゃなければ……」
「残念ながら……」
重々しく首を振るイチェア。月瀬の家とこの建物をつなぐ境目は、聖堂の出入り口にある。つまり、魔人をどうにかしなければ帰れないという事だ。
背中に冷や汗が流れ、月瀬はずっと持っていたブローチをぎゅっと握る。大丈夫と言わんばかりにそれが熱を持った気がした。
――大丈夫。いざとなったらこの剣が守ってくれる……はず。でも、なるべく戦闘は回避しないと……!
大丈夫、大丈夫――と心の中で自分に暗示をかける。
幸いにも、別のアイディアは結構簡単に降ってきた。
「私の家にある亀裂みたいにさ、こことイチェアちゃん達の本拠点を一時的に繋いで、本拠点経由で帰ろう。それで家とここを繋いでいるリンク? ってのを解消すれば……!」
「……なのね。この世界に魔力の残滓残したくないけど……仕方な――」
だが、彼女が言い終わる前に轟音が轟く。
先程よりもずっと近い場所で。
同時に、光が差し込み、影が月瀬達のすぐ傍まで伸びた。
全身からどっと汗が吹き出る。それは、嫌な予感なんて単語で表すには恐怖の比率が高すぎる感覚。
見たくない本能を押し込め、音の方へぎこちなく顔を向ける。
葉がこすれる気配。
青臭い汁の匂いが鼻についた。
聖堂と廊下を結ぶ扉と壁をぶち破ったその奥に居たのは、人ならざるもの。
全身が緑で覆い隠された、文字通りの植物人間――のようなもの。
その上、イチェアの背丈くらいありそうな大鎌を持った、全長二メートルはある魔人であった。
「ヒッ――」
「――もうっ! せめてあと十秒よこしやがれなのね!」
噛み殺しきれなかった悲鳴が漏れたと同時、腕を大きく振るったイチェアが月瀬の周囲にリボンを展開させる。
四日目に見たものよりもずっと数の多いそれは、月瀬を囲むようにドーム状に伸び――半透明のバリアとなった。
「おらっ! おちびが相手なのよ! かかって来やがれなのよコノヤロー!!」
「イチェアちゃん、頑張って!」
イチェアは返事の代わりにウィンクを飛ばすと、魔人を翻弄するように跳び回りながら周囲のありとあらゆるものにリボンを絡ませ、魔人の動きを大きく制限させる。
魔人が少ないスペースで大鎌を振るおうとするも、威力は全然なく。
「そこで吊るされてろなのよ!」
もたもたしているうちに腕にリボンが絡め取られ、あっという間に吊るされるかのように両腕を頭上で拘束されてしまった。
――なんだ、全然苦戦してないじゃん。よかった……。
その鮮やかな手つきに月瀬がほっとする。
だが、その安心はすぐさまふっとばされた。
「――ゲェッ! もう一体居る! や、やめっ! 結界斬るんじゃねーのよ!」
聞こえてきたのは、リボン同士の隙間をすり抜け聖堂の奥へ向かったイチェアの悲痛な叫び声。
それに続いて、ガン、ガン、というまるで窓ガラスを叩き割ろうとしているかのような音。
月瀬からイチェアの姿は見えない。だが、非常によくない事が起きているのはよくわかる。
――あっちの結界が破られそうになってる!?
それだけではない。
先程から聞こえてくるのは、怒号と苦戦を感じさせる叫び声。
「このっ! くそっ! リボン切るんじゃねーのね! こっち見やがれなのよ! ――うわぁっ!? ぐ……っ!」
イチェアの悲鳴が聞こえた次の瞬間、轟音と共に建物が大きく揺れ、何か重たいものが落っこちた音と振動が発生した。
また建物に重たい一撃をぶつけられたのかもしれない。だが、それだけにしては時折交じる苦痛混じりの声が気になってしょうがない。
――い、イチェアちゃん、無事だよね……?
お守りのようにブローチをぎゅっと握りしめる手が手汗で湿ってゆく。耳元で心臓が鼓動している気がする。
己を鼓舞するように髪のリボンを撫でるも、胸を締め付けるような感覚が止まらない。
リボンの向こうからは不吉な音が聞こえるばかり。建物を揺らすような重たい音も、鈍器と鈍器がぶつかるような音も、イチェアのもがくような声も。
――私、このままここに居ていいのかな……? でも、できることなんてないし……。
月瀬は不安に駆られ、周囲を見渡す。すると、ブチィ! という何かを無理やり引きちぎったような音がした。
嫌な予感がして、上へ視線を飛ばす。
相変わらず魔人が縛られたままである。あるが、片腕が自由になっている。その近くには不自然な切れ方をしたリボンがぶら下がっていた。
――まずい!
魔人は自由になった手で残りのリボンまで引きちぎろうとしている。リボンはそれに抵抗こそしているものの、いつまでもつかはわからない。
そのうえ、魔人を固定する為にリボンが結びついている廊下の柱や窓、大型家具だってそうだ。魔人が体をひねるたびに、拘束するのには頼りない音を上げている。
月瀬はそっとリボン結界に触れた。ガラスのようにつるんとしたそれはリボン製とは思えない硬さで、ちょっと強く押した程度ではビクともしない。
――逃げられる……! 今のうちに、私がなんとかするしか、ない……?
そう思った瞬間、ブローチが弾けるように発光した。
手を離れ、光を纏いながら宙に浮かぶ。
やがて棒状に伸び、鋭い閃光が走り――青いロングソードへと姿を変え、床に突き刺さった。
「――やれって事!? 本気で!?」
叫ぶように思わずツッコむと、剣はプリズムを撒き散らした。どこか楽しげなのは気のせいではないかもしれない。
「う……い、言っとくけど、私戦った事なんてないからね! うまくフォローしてね!?」
拒否権も他の道も無い事を否が応でも感じ、やけくそ気味に言葉をぶつける月瀬。
しかし、剣は任せろと言わんばかりに小さな虹を作るばかり。
それだけではない。髪飾りのリボンがひらりと揺れると、月瀬を囲むようにあった結界が光の粒になって吸収されていく。彼女の背を押すかのように。
「うぁあ……あなた達ノリノリだね……こちとらこれが初めての戦いだってのにぃ……! いいよ、やってやろうじゃん……このやろー!」
剣を握った瞬間、温かな力が全身を駆け巡る。
二日目のゲーミングゴジラ遭遇時よりも遥かに危険な状況。
だが、あの時よりも怖くないのは剣とリボンのおかげか、月瀬が多少なりとも成長したからなのかは、誰にもわからない。
剣を構え、一歩踏み出す。
月瀬はリボンを避けつつ、吊るされている魔人の元へ向かった。足取りが軽いのは、魔剣による補助のおかげと、アドレナリン漬けになった恐怖が無謀という名の勇気を与えているからだろう。
そのまま魔人の腹に剣を突き刺す。肉を切るような感覚を覚悟していたのだが、思ったより手応えは無い。むしろ空っぽの箱を突き刺したかのような感じだ。
その代わり、切れ目から植物特有の青臭さが漂う。
月瀬が思わず顔をしかめたと同時に、絶叫を上げた魔人がもがくように体をくねらせた。
「わぁっ!?」
月瀬は横に引っ張られるも、魔剣の不思議な力によって足が動き、転ばぬように踏みとどまった。
改めて前を見る。切れ目は横に広がっており、血の変わりに透明度の高い緑の汁が垂れ落ちていた。どうやらこの魔剣は相当切れ味がいいらしい。
「ウガ……ウグ、ウ……!」
魔人が悶えるような声を上げ、月瀬に片腕を振り下ろす。体が動くより前に、視界に走った赤いものが腕を叩くように勢い良く振り払った。
見覚えのあるその赤は、リボンの色。月瀬の髪飾りが自動でガードしてくれたのだ。
ほっとするも、まだ安心できる状況ではない。
上を向くと、それを恨むように空洞の目がじっとこちらを見つめていた。
ぽっかりと開いた傷口を見ていると、自分が刺されたわけでもないのに腹が痛くなってくる気がする。
――痛そう……。やったの私だけど……。
その考えに文句を言うかのように、魔剣が光った。
――ああごめん。あんたとリボンもだよね。……ねぇ、私の考えてることわかるならさ、お願い一つ聞いてくれない?
魔剣の光が収まる。それが話せという合図だと解釈し、月瀬は想いを述べた。
――一撃でトドメ刺したいんだ。ほら、誰だって苦しいのは嫌だと思うんだよね。できる?
魔剣が再び光る。先程よりもずっと強いそれは、応えてやると言うかのよう。
刹那、重力が消えたかのように月瀬の体が軽くなり、気がつくとリボンへ飛び乗っていた。
攻撃をかわしながら、廊下に張り巡らされたリボン同士の間をすり抜けるように跳び移る。時には髪飾りのリボンを第三の手のように扱いながら。
そんなこんなで数秒後。自分の背丈と同じくらい高い場所にて、一本のリボンに乗った月瀬は魔人と対峙していた。
月瀬を見つめる魔人が、がぅうと犬のように唸っている。先程まで自由に動いていたその腕は、今は髪のリボンが巻き付いているせいで力比べをする事しかできない。
自分はこれから一つの命を奪う事になるのかもしれない。だが、怖気づいてはいけない。
月瀬はつばを飲み込み、奥歯を噛み締める。続いて一回だけ深呼吸。
足元が揺れる。ギィ、とどこからか鳴った気がした。
せめてもの償いに、目だけは逸らさない。
そのまま、精一杯の大ジャンプ一つ。
「……ごめん、あんたが悪くないってのはわかるんだけど……ちょっと大人しくしてるか、私達に倒されてて!」
剣を振り上げた刹那、刃に樹液が絡みつき重くなる。髪のリボンがきゅっと柄を支え——青い一閃が、首を刎ね飛ばす。
汁と共に宙を舞う魔人の頭から絶叫が響き渡る。鼓膜が破れるかのような声が響き、響き、響き……。
「ガゥウ……グゥ、ゥ……パラェデ、サマ……」
やがて、悔しそうな小さな声でぽつりと呟いたかと思えば、魔人の頭と体全てが光の粒となって消えていった。
月瀬が地面に着地したと同時、拘束用のリボンがはらりと音を立てて床や壁へ垂れ下がる。
「……か、った……?」
魔剣の補助が無くなったのだろう。体は急に重力が戻ったかのように重く、魔人の首を跳ね飛ばした腕がびりびりしている気がする。
月瀬は胸に手を当て荒くなった息を整えた。魔人の姿はどこにも無く、先程までの行為が夢だったかのよう。
だが、夢にしては跳ね続けるかのように鼓動する心臓と、剣を握る手の汗が嘘ではないと告げていた。
「よかった……」
もう魔人はいないと、ほっと胸を撫で下ろす。
刹那。
「って、そうだ! イチェ――わぁああぁっ!?」
急に体全体を引っ張られたような感覚がして、月瀬の体が横に吹っ飛ぶ。直後に、月瀬のすぐ傍を不自然な突風が走った。
背に衝撃が走る。ふっとばされたのかと思い身を起こそうとするも動かない。月瀬の体はリボンによって壁に縫い付けられるように固定されていた。




