7日目ー3 廃教会探索開始
朽ちる寸前の聖堂にて。
イチェアのしどろもどろな説明をまとめるとこうであった。
・クッキーの材料、およびレシピは無かった。
・それっぽく再現しようにも、イチェアは味を知らない為不可能であった。
・ならば、リビングだけでもシグニーミアの実家っぽくできないかと魔法を使った結果、気合やら魔力やらを込めすぎたせいで青蜂家のリビングとシグニーミアの実家が繋がってしまった。
・月瀬が急にこの場に運ばれたのは、リボンが『空気や魔力の質が大きく変わった→危険な状況になった可能性がある→月瀬を一人にするわけにはいかない』という判断を下したから。
「一つ聞かせて」
「お、お説教は後でがいいのよ……」
「お説教じゃなくってその……。これ、帰れる!?」
「ああ、それは問題無いのよ。あっちに扉あるでしょう?」
イチェアが月瀬の背後を指差す。振り向くと、そこには古びた両開きの扉があった。開かれた扉の向こうにあるのは青蜂家の廊下。
見慣れた光景を見つけ、月瀬はようやく肩の力を抜いた。
「あそこから出て、ここと月瀬さんのお家とのリンクを解除すればオッケーなのね」
「なら、よかった……」
そう説明するイチェアは落ち着いていて、とりあえず今は切羽詰まる程危険な状況ではないのだろうと月瀬は察する。
改めて周囲を見渡すと、現実離れした教会の荒れ様が目に付く。ゲームなら重要なアイテムや情報が隠されている代わりに、敵対エネミーが出てくること間違いなしの寂しい場所だ。
だが、ここは現実。こんなよくわからない場所からはさっさと離れるに限る。
――ひとまず安全に帰る事はできそう……。よかった……。
じゃあ帰ろうと立ち上がり、服についた埃やら土汚れやらを払った所で――ふと、よいアイディアを思いついてしまった。
「……ねぇイチェアちゃん。ここ、ミアの家なんだよね?」
「なのよ。信じられないかもしれないけど……」
「ならさ、好きなものとか見つけられないかなっ? それこそクッキーの材料……は無理でも、レシピとかさ……!」
運が良ければ好物どころか、彼女の情報や、記憶回復に繋がる手がかりだって入手できるかもしれない。
だが、興奮気味にまくしたてる月瀬とは逆に、イチェアの表情はどこか険しいもの。片手を額に当てながら「うぅ~ん……」と低い声で唸る様は、これが良きアイディアで済まされない事を悟らせた。
「……なの、ね。……多分、入手できるとは思う……のよ」
「……何か問題ありそうな顔してるね。……建物が崩れるとか、そんな感じの危険があったりとか……? ……あとは足元の破片踏んづけて怪我とか」
「それよりも、もっと危険なもの。魔物や魔人と遭遇して……戦う事になるかもしれないのね」
ふむ、と考え込みながら月瀬は回想する。
真っ先に思い出したのは、夏休み四日目のカイネ襲撃。イチェアも奮闘していたものの……一番火力が低いように見えた。
それだけではない。月瀬のすぐ傍で破壊された結界だってある。それを思い出した瞬間、ぞくり、と悪寒が駆け抜けた。
「……リボン結界……」
「――あっ! あれは! ちょっと、その、色々あって! 本当にごめんなさいなのよ! あんな怖い目には二度と遭わせないのよ!!」
震える声で恐怖の代名詞を呟けば、明らかに慌てたイチェアが両手をブンブンと振り、目を白黒させた。声も裏返り、先程までの落ち着きはどこへやら。
「そっ、それでその! おちび、コヨやシーニー程火力無いからっ、もし戦闘になった時、相手次第ではジリ貧になっちゃうのね! 月瀬さんの安全の為にも、ここは帰る事をオススメするのよ! おちびも本当は見て回りたいけど……」
「そっか……」
月瀬はきゅっと口元に力を込めた。
言葉が転げ落ちるような早口っぷりであるが、イチェアの言い分は理解できる。むしろ自分とイチェアの立場が逆だとしても同じ事を言う――そう判断したから。
気になると主張しているぷち月瀬を押さえつけ、月瀬は口元に手を当ててぶつぶつ呟いているイチェアを見下ろした。
「ねぇイチェアちゃん、またここに来ることってできる?」
「……厳しいのね」
「えっ」
刹那、嫌な予感が走った。
コンマ数秒遅れて、ぷち月瀬が囁く。行くしかないと。
すぐさま理性側のぷち月瀬が反対意見を述べるも、ロマン重視派のぷち月瀬は既に心の奥から喉へ意思を送り出していた。
「来れないなら話は別だよ! 探索した方がよくない!?」
「……いや、帰るのね! ここの建物が今は何も居ないって言っているけど……危険なのよ!」
よく見ろと言わんばかりに、腕を伸ばして背後を指さすイチェア。
その先にあるのは、ステンドガラス越しの光が埃を照らし、祭壇も床も朽ち果てている光景。その上、奥でぼんやりと照らされている聖櫃が物寂しさを強調させている。
冷えた空気が肺を焼くかのような感覚がしたのは、知らない空気を嗅いだからなのか、それとも祈りの場がこんな惨状になっている事に胸の痛みを覚えたからか。
だが、ここで再び迷ってはいけない。
二度と来れない可能性があるからというのもあるが……シグニーミアの為にできる事はなるべくしたいからだ。
月瀬は目を開き、イチェアの名を呼ぶ。静かに見つめ返す灰紫の三白眼は、警戒と冷静を宿しているように思えた。
「イチェアちゃんが危惧してるのはさ、もし魔物や魔人? ってのと戦闘があったら私を守れないかもしれないから……ってのが理由なんだよね」
「なのよ」
「じゃあ、そいつらと会わなければ問題ないよね?」
イチェアがぎこちなく頷く。
足音が石床で細く伸び、すぐに天井裏の闇に吸い込まれた。
「……でも、具体的にどうするのね? おちびにはコヨのような隠密能力は無いのよ」
「物体と会話してどこに何が居るかの情報を仕入れられるでしょ。それで、敵が接近してるとか聞いたら即座に隠れよう! それこそ、コウヨクさんの張ってた結界とか……。……あっいや、知らないうちにカイネさん入ってたな……じゃあ駄目だ……」
「そもそも、おちびはコヨ程の大結界は貼れないのよ。……あの時、月瀬さんを守っていたリボン結界を何十にも重ねるのが限界なのね」
「うぅ……」
「まぁでも、建物とかから情報収集するのは十分アリなのね。おちびも想定してたし。……で、他に案は無いのね?」
腕を組んだイチェアはどこか忙しない雰囲気をまとっていた。声のトーンもどこかちぐはぐである。
その様子に、違和感一つ。
――なんか、そわそわしてる……?
本気で帰らせようとしている人が、はたしてこんな様子になるだろうか?
抱いた違和感は、やがて疑惑へと形を変えてゆく。
「イチェアちゃん。あなた……本当はここを探索したいって思ってたり、とか」
「……ど、どうしてそう思ったのね……?」
月瀬の疑問に、イチェアの肩が軽く震えた。それと同時に、疑惑がじわりじわりと確信に変わっていく。
イチェアと出会ってまだ数日。わからない事も多いが……少なくても、彼女は月瀬を守る努力はしてくれるはず。月瀬は心の中で自分を鼓舞すると、そっと口を開いた。
「今、私がここに居るから。……イチェアちゃんはリボン使いでしょ。本当に危険だと思っているなら、私をぐるぐる巻きにしてでも連れて帰ると思うんだよね。ミアにやったように」
自分が間違った事を言っていないか、相手に怒りの感情を向けられていないか――心臓の鼓動を感じ取りながら、月瀬は慎重に、かつ堂々と言葉を重ねた。
どうかな、という単語で憶測を締めくくるものの、返事は無い。その小さな口元がきゅっと引き結ばれるだけ。
しばしの沈黙。
イチェアは口を開きかけては閉じ、視線を足元に落とした。
外から吹き込む風が、古びた窓をがたりと揺らす。
彼女の指先が結び目を探すように震えているのが見えた。
月瀬は息を飲む。この憶測が合っている事を願って。
「……あー……」
やがて、彼女はかすれた吐息を零し……諦めたように、天井を仰いだ。
「月瀬さんがなぁ、最低でもおちびくらい戦えたらなぁ……!」
月瀬は言葉を失った。
その声は、疲れたような、脱力しきったもの。それも、ずっと押し殺してきた感情がようやく漏れ出したみたいな声だった。
口元は笑っているのに目がどこか淋しげで――それが余計に胸に刺さる。
月瀬の憶測は当たっていたらしい。しかし、安堵する間もなく、己の無力さが重荷となって背中にのしかかってくる感覚に襲われた。
だが、ここで無力さを嘆き続けるわけにもいかない。
――でも……このまま帰ったら絶対後悔する。
月瀬は唇を噛み締めた。
今日のイチェアは月瀬の護衛として傍に居る。だから、彼女と離れるという選択肢は無い。守られてばかりの探索になるだろう。
――せめて、これ以上イチェアちゃんの迷惑にならないようにしないと!
決意を抱き、拳を握る。爪が皮膚に食い込む程。絶対に迷惑をかけてはいけないと体に刻み込むように。
その時だった。胸元がじんわりと暖かくなったのは。
「え?」
とっさに胸を見下ろすと――なんと、勉強前に胸元につけたブローチが青く光っているではないか!
「そうか! その子なら……。――月瀬さん! ちょっとその子貸してほしいのよ!」
「えっ。あ、うん。どうぞっ」
手早く服からブローチ――なぜか、ホッカイロのように暖かい――を取り外し、イチェアに手渡す。
イチェアがブローチを優しく握り込むと、それは彼女の手の中で一瞬青い光を放った。小さく「よしっ」と零したイチェアが月瀬にブローチを差し出す。
「はい、魔力込めたげたのね。この子、万が一の事があったら自分が守るって言ってるの」
「本当!?」
「勿論。……あ、でも、月瀬さんの体動かすのに魔力結構使うから、無闇に戦うとガス欠になるって言ってるのよ。いざとなった時に元の姿に戻るから持ってろとも言ってるのね」
「わかった。本当に万が一の保険用だね……」
ブローチを受け取った月瀬は、改めてその姿をまじまじと見つめる。深海のように深いグラデーションを持つ刃の部分に光が当たり、小さな虹を作った。
数分前までただの鼓舞用ブローチだったこれが、今は随分と頼もしい。
「なら、こちらの対策もしないと」
一息ついたイチェアが扉と向かい合い、数多のリボンを出現させた。弾けるクラッカーのように出てきたそれらは、教会と青蜂家の廊下の境目を上塗りするように重なり合い……扉と境目全体がリボンの真っ赤で埋め尽くされたかと思えば、リボンが半透明になる。
前も見たリボン結界だ。
「とりあえずこっち側から月瀬さんのお家に入れないようにしといたのね。帰りはおちびが解くから安心してほしいのよ」
「壊れないよねアレ!?」
「……あ、あの時の反省も兼ねてずぅ~っと頑丈にしたのね! 大丈夫大丈夫!」
「本当!? 信じるからね!?」
頑丈になったらしい結界を見て、月瀬は小さく息を吐いた。
続いて、イチェアが視線を落とす。その先にあるのは、この短時間で黒く汚れた月瀬の靴下。
「それと、こっちもしなきゃなのね」
え? と月瀬が返すよりも前に、月瀬の両足にリボンが何十にも巻き付き――やがて、可愛らしいショートブーツへと変化した。
先程まで靴下越しにあった地面の感覚が靴越しのものになっている。月瀬が動揺する一方で、イチェアは一仕事終えたと言わんばかりに大きく息をついていた。彼女が顔を上げた時、浮かんでいた表情はどこか得意げなもの。
「こ、こんな事もできるんだ……ありがとう!」
「いえいえ。……さて、万が一用の保険もできたわけだし……。そもそも、おちびが弱くっても見つかんなきゃ問題ねーのね! ついてくるのね!」
「うん!」
イチェアに先導され、月瀬は一歩踏み出す。
シグニーミアの廃教会、探索開始だ。




