7日目ー2 魔剣
そんなこんなで数分後。
「持ってきたけど……どうすればいいの?」
「貸してほしいのよ。魔力込めたげる」
月瀬が自室から持ってきた剣型ブローチを手渡すと、イチェアは剣先を水晶に向けた。
発光したそれは光の塊となってどんどん伸びていき……数秒後には、一メートルはありそうなロングソードへと変身したではないか!
「これがこの子の本当の姿なのね。はいどーぞ」
光が消えたと同時に返されたそれを恐る恐る受け取り、驚愕した。
なんとこのロングソード、包丁よりも軽い。だが、その割にしっかりと金属系の光沢を放っているせいで、玩具か本物か一瞬頭がこんがらがる。
「……きれい……」
青を主体としたそれは非常に美しく、剣と魔法を主体とするゲームに出てきそうなもの。
特に月瀬の目を引いたのは刃の部分だ。深い青色のグラデーションであるそれは、まるで深海を切り取ったかのよう。
――あれ、ちょっとキャンディの剣と似ている……かも!? そういえば、アニメにこんなシーンあったな。キャンディが魔力の込め方をドリームに教えてた回……。
ふと、その剣がかつての推し魔法少女の愛用武器と重なった。勿論、よく見れば違う点は大量に見つかるし、ただの空目でしかない。
だが、月瀬は一人静かに興奮していた。今ならただの色の並びを見ただけで推しカプの名前を上げるオタクの気持ちがわかる気がする。
「使ってみるのね?」
「え!? いや待って私剣持ったのなんて今回が初めてで、扱い方なんてわかんな――」
月瀬が慌てて声の主ことイチェアへ顔を向けたと同時、リボンを絡めて玉状にしたものを指先で回している姿が目に入った。その顔には笑顔が浮かんでいる。
嫌な予感がした頃には、時既に遅く。
「そーれ、斬ってみるのよ!」
「人の話を聞いて――!?」
月瀬の悲鳴を無視して、イチェアはリボンボールを投げてきた。
斬れという事なのだろうが、月瀬は剣の柄を握りしめたまま硬直する事しかできない。
しかし。
「うわっ!?」
月瀬の手が、引っ張られるように動く。
続いて足、胴体、最後に頭――気がつくと月瀬は、飛んできたリボンボールを真正面から切り落とすかのような姿勢になっていた。
「待って、何が、待って! ――無理無理無理無理!!」
リボンボールと額がごっつんこ。そんな未来が見えた気がして、思わずぎゅっと目を瞑る月瀬。
だが、そんな意に反して体は勝手に動き――。
シュン、と風を斬る音がした。
「……あ、あれ……?」
痛みがいつまで経っても襲ってこない事に気づき、恐る恐る目を開ける。そして、リボンボールが足元に落ちている事に気がついた。
真っ二つに切り裂かれたリボンボールだったものと、見守っていた魔法少女達――「ツキセすごーい」とシグニーミアが笑顔で拍手し、イチェアが満足そうに頷き、コウヨクがイチェアをジト目で見つめている――を見比べる事数回。
「……こ、これ。私が、やったの……?」
「斬ったのは月瀬さんだけど、斬るように体を動かしたのはその子なのね」
「え、これ、もしかして呪いの剣!? ――ひっ!?」
刹那、ロングソードが青紫と黒の混じった禍々しいオーラを纏わせた。
おまけに、なぜか手が剣を握りしめた状態で固まっている。脱げない装備を身につけたかのように。
月瀬が混乱と恐怖で固まっていると、イチェアがやれやれと言った様子で口を開く。
「その子、とっても賢いから使用者が剣に不慣れでもある程度は対応できるのよ。……あと、魔剣なのに呪いの剣呼ばわりされたから怒ってるのね」
「そうなの!? ごめん!」
月瀬が慌てて謝ると、魔剣は謎のオーラを霧散させた。それと同時に手元の余計な硬直が解ける。ほっと一息をつく間もなく剣が落っこちそうになり、慌てて握り直した。
改めて剣を見る。イチェアに魔力を込めてもらった時と全く変わらぬそれは、先程まで謎の怖いオーラを纏っていたものと同じものとはとても思えない。
「ねぇイチェアちゃん。さっきこの剣が私の体動かしたって言ってたけど……これは誰かを操れるの?」
「うーん、間違ってなくはないけど……『危険に対処する為、動かない使用者を仕方なく動かした』って感じなのね。決して悪意は無いのよ」
「そうなんだ。じゃあ、よかった……あっ」
月瀬が声を上げた瞬間、音もなくロングソードが縮んでいく。きらめく光が刃を包み込み、するすると柄まで飲み込んで――最後に残ったのは、小さな剣のブローチであった。
「……戻っちゃった」
「魔力切れ寸前なのね。この子大食いだから……」
イチェアは月瀬の手のひらに乗っかったブローチを指で軽くつつく。青い宝石のような刃部分が僅かに脈打ち、まるで応えるかのように淡く光った。
「月瀬さん。この子を大事にしてあげてほしいのよ。この子は持ち主の言葉や感情に反応するから、粗末に扱ったらすぐ拗ねちゃうのね」
「そうなんだ……拗ねるとどうなるの?」
「夜中に動くのよ」
やっぱり呪いの剣なんじゃ、という言葉が喉まででかかり、慌てて飲み込んだ。
ブローチが小さく震えたような気がするが、きっと気のせいだろう。
「ねぇイチェア、あれ月瀬さんに扱えないんじゃ……。月瀬さん魔力も全然ないし……」
「大丈夫大丈夫! あの子は魔力よりも使用者の想いに反応する子なのね。おちびたちの元でホコリ被ってるよりも、月瀬さんに大事にされる方がいいのよ」
「それは……そうかもしれないわね……」
心配するかのように声のトーンを抑えたコウヨクと、弾んだ声のイチェアが小声で会話しているのを聞きながら、月瀬はなんとも言えない表情でブローチをしげしげと見つめる。窓から差し込む光が刃部分に当たり、青い影を零した。
――魔剣、綺麗だったな……。
月瀬はただの女子高生である。日常に魔法少女やら自称ラスボスやらが食い込んできているが、自分が魔法少女になる予定などは一切ない。
――剣として使ってあげるべきなんだろうけど………戦う予定なんて無いんだよなぁ……。
だから、そんな考えが数時間後に裏切られる事になる事など、想像できる訳もなかった。
***
それから時間が過ぎ――時刻は朝の九時半を回った頃。「暑くなる前にパトロールに行きましょう!」と、コウヨクが嫌がるシグニーミアの首根っこを掴んで外出した後。
自室にて、椅子に座ったまま悩む月瀬の顔をイチェアが覗き込んだ。
「どうしたのね月瀬さん、宿題しないのね?」
「いやしたいけど……それよりも前に話したい事があって……」
月瀬は昨日駅ビルで起きた事を中心に、これまで自分が思っていた事を話した。
昨日、シグニーミアは不思議な魔法と歌で子どもをあやしていた事。
記憶を自分から思い出そうとしない事。
もしかしたらとんでもないトラウマを抱えているかもしれないという事。
ならばせめて思い出した時辛くないように、楽しいことを教えようと思った事……などなど。
話を一通り聞いたイチェアは小首を傾げて「う~ん……」と小さく唸り。
「その歌、こんな感じだった?」
そう切り出したかと思えば、小声で歌い始めた。
知らない言語で紡がれている子守唄のような――昨日聞いたものと全く同じ歌を。
「それ! その曲!」
興奮に駆られるままに反応すると、歌を途切れさせたイチェアが「ああやっぱり……」と小さく、憂いを帯びたような声になる。
「これはね、彼女のお兄さんがよく歌っていたものなのよ」
「お兄さん居たの!?」
「ええ。ちょっと頼りないけど、とても優しい方なのよ。シーニーとはとっても仲良くって……しょっちゅう喧嘩していたけど、すぐに仲直りしていたなぁ……」
過去を懐かしむ物寂しい声が、木々のさざめきへ溶けてゆく。
「そうなんだ……」
シグニーミアの兄。どんな人なのだろうかと想いを馳せるも、情報が少なすぎるせいで想像がまとまる気配すらない。
そんな状況だが、一つだけ思える事があった。
――お兄さんはどうしているんだろう。妹がこんな遠い地で、記憶喪失になってるなんて、想像できるはずないよね……。
心配しているに違いない。妹と仲良しであるなら尚更。
会ったこともない彼を想い、心が少し痛くなる。
「でも、そっか……お兄さんの歌覚えてたのねあの子……。ちょっと揺さぶってみるかぁ……」
「へ?」
イチェアがぼそりと呟き、月瀬が意識を現実に戻すと同時に目があう。その顔は、物憂げな表情がさっぱり消え去った――いつもの明るく無邪気なものになっていた。
「ねぇ月瀬さん、さっきシーニーになるべく楽しいことを教えようってお話してたけど、おちびも協力するのね」
「本当!? ありがとう!」
「お礼を言うのはこちらの方なのよ。見ず知らずのシーニーの為に色々動いてくれて大助かりなのね!」
イチェアが月瀬の前に人差し指をビシッと立てる。決意を固めたようなキリッとした表情は、どこか頼もしさを覚えさせた。
「まず最初に、シーニーの大好きなクッキー作ってみようと思ってるのよ。台所借りてもいいかしら?」
言われてみれば、昨日彼女はクッキーに興味を示していた気がしなくもない。
うんいいよ――そう言いかけたところで、月瀬はとても大事な事を思い出した。
この世界はシグニーミアの出身地ではない。
「いいけど……材料ある?」
「わからないのね……。一応、本拠点も確認してみるけど……」
「じゃあ、よければこれ使って。調べ物に便利だよ」
月瀬はイチェアにタブレットを渡した。入っている電子書籍の中にはレシピ本もあるし、検索機能も使える。
「ありがとうなのよ! ……あ、でも、台所行くなら月瀬さんと離れちゃう事になるのね……」
「リビングで宿題してようか?」
「いえ、そこまで気遣わなくてもいいのよ。その代わり、ちょっと後ろ向いてくれる?」
デスクチェアに座ったまま月瀬が後ろを向くと、イチェアはどこからか取り出した櫛で月瀬の長い髪を梳かし、鮮やかな手つきでアレンジをし始める。
手鏡を渡され、後ろでイチェアが部屋にあった全身鏡を移動させた時、月瀬は鏡の世界に居るハーフアップアレンジ――髪ゴムの代わりにイチェアのリボンでまとめられている――された自分と目が合った。
「おちびのリボンをつけてみたのね。いざとなったらこれが月瀬さんを守るのよ」
「バリアでも張るの?」
「それもできなくはないけど……邪魔者を叩き落としたりとか、危険な状況になったら月瀬さんをおちびの元に連れてくるとか、そんな感じなのね」
月瀬の後頭部でリボンが返事をするかのようにさらりと揺れる。勿論、風は吹いていない。
――連れて行く? ……リボンが蝶みたいにぱたぱた動くのかな? それかタ◯コプターみたいになるとか……。
己の理解できる範疇ではない事を確信した月瀬は考える事を止め、「便利だね」と当たり障りない感想を述べると、イチェアは「そうでしょう!」と自慢げに返してきた。鼻を鳴らしながらのドヤ顔つきで。
「それじゃあ、おちびは台所借りるのね。何かあったら大声あげるのよー」
そう言い、全身鏡を元の場所に戻したイチェアが部屋から出ていく。
残された月瀬はしばらく扉を見つめていたが、やがて手鏡を持ち、あわせ鏡になるように全身鏡の前へ移動する。その瞳に映るのは、先程アレンジされた髪とそれを飾るリボン。
誰かにヘアアレンジされた事などいつぶりだろうか。最後にしてくれたのが昔の友人か、母方の祖母かは覚えていないが……おそらく、小学生の時以来だろう。
「……ふふっ」
鏡の中で微笑む自分がいつもより可愛く見えたのは、気のせいではないかもしれない。
「――っと、忘れちゃいけない。宿題宿題……! ……くそっ、久しぶりに一人の時間だってのにぃ……!」
月瀬は慌てて鏡から目を離し、机の上に宿題やら参考書やらを広げ始める。
せっかく取れた静かな時間。厄介事はさっさと済ませておくに限る。
気が滅入りそうになるのを誤魔化すようにリボンに触れた。触り心地のよいそれを指先で弄くっていると、ふつふつと元気が湧いてくる。
月瀬は自分をもっと鼓舞するように剣のブローチを服につけ、改めて椅子に腰を掛けた。
***
それからおおよそ一時間半が経過した頃。
月瀬がペン先を走らせていた時、髪を軽く引っ張られているような違和感に気づいた。
思わず振り返るも、誰も居ない。
「……気のせい……? ……あ、いや、動いてる? なんで?」
後頭部に手をやり、ようやくリボンが動いている事に気がついた。まるでここだけ風があるかのように、ドアに向かってたなびいている。
何か変だ。そう感じた瞬間、月瀬の体が後ろへ吹っ飛ぶ。
後頭部から背中にかけて、不思議な力で一気に引っ張られるかのように。
「ちょ、ちょっと待って、ほんとに待って!?」
何が起きているのかわからない。わかるのは、己が座る姿勢――なお、椅子はこの不思議な力によって倒された――のまま、後ろに引きずられている事。
「痛! 痛いって! 何!? あああるけっ、私歩けるから! ――あるげりゅがらぁぁあああぁああ!!」
全力で自転車をこいだ時と同じくらいの速度で景色が遠ざかっていく。ジタバタと暴れても結果は変わない。
そんな姿勢のまま階段や壁に足を複数回ぶつけた時、月瀬は抵抗するのを諦めた。
そんなこんなでリビングへ到着したと同時、後ろへ引っ張る力が突如消え失せた。
だが、殺しきれなかった運動エネルギーがごろんごろんとでんぐり返しをさせ、やがて横に倒れる形で月瀬の体は完全に止まる。……月瀬の視界はぐるぐると回り続けていたが。
「――月瀬さん!? 大丈夫なのね!?」
聞き覚えのある声。ゆっくりと視線だけで上を向くと、変身済みのイチェアがこちらの顔を覗き込んでいた。非常にこちらを心配しているような、もしくは慌てたような表情で。
「らいじょ……びゅ……あえ?」
視界に入ったのは、見覚えの無い高い天井と、その穴から見える青い空。
どうやら先程の運動エネルギーと三半規管が手を組んで幻覚を見せてきているらしい――混乱した頭がとっさにそう解釈するも、イチェアに回復魔法をかけられた事で否定しなければいけない事実に直面した。
月瀬は素早くふらつきの消えた上体を起こし、周囲を見渡す。
学校の教室よりも広く、湿った木と鉄の匂いがする空間。
一箇所を向いて並ぶ、背もたれ付きの古びた長椅子。
規則正しく並ぶ、アーチ状の割れた窓。
空いた穴から光とツタが入り込んでいる、壁や天井。
前方に鎮座する、汚れた大きな祭壇と淡く光る聖櫃らしき箱。
そこは、一言で表すなら『今にも朽ちそうな廃教会』であった。
「……ここどこ!?」
勿論、月瀬の家や近所にこんな場所は無い。
慌ててイチェアへ顔を向けると、彼女はバツが悪そうに顔を反らしたが……やがて、恐る恐るといった様子で月瀬と目を合わせた。その顔に浮かぶのは、ものすっごく悪いことをしてしまったかのような、機嫌を伺う子供の表情。
「ここは、シーニーの実家……なのね」
「……はいっ!?」




