6日目ー6 欲望の攻防
というわけで、転移魔法で悪の組織の本拠点までやってきた三人。
三人の視界に映る景色がクラシック風味の屋内に変わったと同時、ソファーで寝っ転がりながら分厚い本を読んでいたカイネが顔の向きを変えた。
「おかえりセヴォー……って、なんだよお前ら。セヴォースの料理食いに来たのか? やらんぞ」
「そういえばお昼だな。どれ、作ってあげよう――っと、その前に親友、頼み事があるんだ! 聞いてくれないか?」
カイネの元へセヴォースとイチェアが駆け寄ると同時、カイネが「たのみごとぉ~?」とサイドテーブルに本を置いて気だるそうに上体を起こす。
彼は最初にセヴォースとイチェアに視線を飛ばし、続いて二人からそこそこ離れた場所で嫌悪感丸出しなコウヨクへ視線を飛ばした。
全てを見透かすような視線。コウヨクの体を悪寒が走り抜ける。
刹那。
「……へぇ?」
カイネがにやりと笑った。
ワンテンポ遅れて、部屋全体の空間がぐにゃりと歪む。
あ、と重なった声はカイネ以外全員のもの。
カイネ以外の全員が顔に緊張感を宿した直後、空間の歪みが元に戻った。家具や小物の位置はそのままに、イチェアとセヴォースのみをどこかへ連れ去る形で。
カイネと二人きりの空間になってしまったその瞬間、再びコウヨクの背筋を冷たいものが走る。
休戦中という言葉に甘えすぎた。ここは敵地のど真ん中。……そして、相手は自分の楽しみに直結する事はなんでもする男。
コウヨクは歯を食いしばり、力強く足を踏み出した。
そのままカイネの元までひとっ跳び。ぶつかる直前で急ブレーキをかけ、カイネの胸ぐらを反射的に掴み上げる。
「あんた! 何したのよ!?」
「見た通り、二人を別の場所に飛ばした。ここは俺のテリトリーだからなぁ、このくらい簡単にできるって知ってるだろ?」
「知ってるけど、なんで……いや、あんた……まさか……」
カイネの胸ぐらを掴む手が微かに震える。怒りか、恐れか、あるいはそのどちらでもない、名付けようのない感情の渦。
胸ぐらを掴まれているというのにやり返す気配が無いどころか、罠にかかった獲物を見るかのように口元と目元を歪ませる彼の態度が、それに拍車をかける。
「そのまさかだぜコウヨクちゃんよぉ。俺に一番頼み事したいのはあんただろう?」
やけにねっとりとした声。青い瞳が怪しく光ったと同時、コウヨクは確信した。自分は今、こいつにとっての獲物でしかないと。
だが、ここで屈するコウヨクではない。カイネの胸ぐらを掴む手の震えを抑えるように力を込めた。動揺を露わにしてはこいつの思う壺だ。
「……っ、そ、そう、よ……!」
「だからぁ、話そうぜ? 二人っきりで」
「――ッ! その前にっ、イチェアとセヴォースどうしたのよあんた! 飛ばしたってどこに!」
小首をかしげるカイネ。にんまりと笑う目元はわからないフリをしている気配すらない。さながら、たちの悪いいたずら小僧のよう。
「さぁ? 何も考えず飛ばしたからなぁ……。本拠点のどこかにはいるだろうが……それ以上は知らん」
「あんたね!」
「それよりもさぁ、お前も知ってるだろ? この場所には理性の欠片もない……何やらかすかわからん連中が居るって」
コウヨクの肩が小さくと震え、唇をぎゅっと噛み締めた。
彼の言う事が事実である事を知っているからだ。この場所には血に飢えたバーサーカー気質の者から、エロ同人の竿役を買って出そうな者までごまんと居る。過去に遭遇し、退治し、もう会いたくないと思った事は数え切れず。そんな奴らと単体での戦闘能力が高くないイチェアが出会ってしまったら――。
カイネの頬をビンタしたくなる衝動を抑えながら、コウヨクは噛みつくように怒りを露わにした。
「あんた……っ! 昨日休戦協定結んだのもう忘れたの!?」
「俺はどっかに飛ばしただけだし? 理性も脳みそもすっからかんのヤツなんて知らーん。でも、そんなやつらとちびすけが出会ったら、どうなるか……」
何かを見定めるかのように静かに見つめ返される。ただ見られているだけなのに、非常に強い無力感を感じてしまい、寒気が走った。
直後。
「――まぁこれちびすけだけじゃなくってセヴォースにも当てはまるんだけどな! はは!」
ここまでの雰囲気をかっ飛ばすかのように笑い始めるカイネ。
その声は先ほどまでのねっとりさが消えた爽やかなもの。言っている事は何一つ爽やかではないが。
「はは! じゃないのよ! あんた自分を親友って呼んでくれてる子に対してなんて事!」
「まーまーまー。ちびすけもセヴォースも強いからなんとかなるって。……それにぃ、あんた、俺に頼みたいことがあるんだろ?」
カイネはそこで言葉を区切り、改めてコウヨクの紅い瞳を覗き込んだ。
薄く開かれたまぶたの奥にある大海原のような青色――左目にある雷と渦を合体させたような白い模様も相まって――は、どこまでも澄んでいるようで、底知れない闇を孕んでいる。
コウヨクの直感が告げる。本当にろくでもない提案をされる、と。
「……お前が可愛くおねだりできたら、この場に戻してやってもいいぞ? ついでに頼み事もできるだけ叶えてやろう」
先ほどまでと同じねっとりとした声。その響きが耳の奥にまとわりつくようで、コウヨクは小さく身をすくめる。嫌な直感が当たってしまった。
だが、それでも目を逸らさない。震える声で「だから会いたくなかったのよ……っ!」と絞り出す。喉の奥に、泥のような感情が詰まっている。
そんな彼女をカイネの青がじっと見つめていた。さながら、獲物がどう動くかを観察する狩人の様。
「おうどうしたどうした思い詰めた顔しながらぷるぷる震えちゃって? 言いたいことがあるなら言ってくれなきゃわからんぞ~?」
「いつもは言いたいこと察して勝手に話進めるくせに……!」
「俺の力は万能じゃねぇんだよ。だーかーらぁー、コヨちゃんが何言いたいかぁ、その口からぁ、教えてもらいたいなぁー?」
こちらをからかっている事が嫌でもわかるやけに明るい声とおどけた表情。苛立ちと屈辱が混ざり合って沸騰しそうになる。
それでも、コウヨクは怒鳴らなかった。怒鳴ったところでこの男には通じない。むしろ喜ばせるだけだ。
唇を噛む。じわりと血の味が滲む。それすらもカイネにとっては思う壺なのだろう。実際、彼の口元は弧を描いており非常に満足そうだ。
「絶対何言いたいかわかってるくせに……!」
「えー? カイネくんわかりませ~ん。コヨちゃんが金に困ってるなんてぇ、そんなそんな~?」
「やっぱりわかってんじゃないのよこの性悪男!」
「そんなに褒めんなよ照れるだろ? ……んで、何頼みたいんだよ? 中々面倒そうなこと抱えてるっぽいけど?」
急に声が素のトーンになり、空気が一瞬だけ静かになった。茶化すような様子も消え失せた事から、ちゃんと話を進めようと思ったらしい。
だが、コウヨクは気がついていた。これはただいたずらに揺さぶるフェーズが終わっただけである事を。
今回の頼みは、身分証明できる物が欲しいというもの。間違いなく説明中に茶々を入れられるだろう。考えただけで腹が立つが、回避する方法は無い。
コウヨクは胸ぐらを掴んだ手をゆっくりと離した。ぼすんと音がなり、カイネの尻がソファーへ沈む。
「……昨日、魔法少女組は月瀬さんにお金入れろって話したでしょ。それで……ここら辺じゃ、働くのにも、もの売るのにも、身分を証明できるものが必要で……多少強引な手段使ってでも、用意できるのあんたしか居ないから……」
ぽつりと小さな声で事情を話すと、腕を組んだカイネはふむと頷いた。
その表情は先程のようなこちらをからかう気満々の嫌らしいものではない。比較的真面目なもの。
「そうだな。俺の洗脳能力使えば大体の問題は解決できる。身分証だって、この世界の機関なり役所なりでちょっと小細工すればいいだけだし。……でも、頭下げるのは嫌だから葛藤してるってわけか」
「やっぱりわかってんじゃないのよ……!」
苛立ち混じりの声を吐いた後、コウヨクはぎゅっと眉根を寄せた。
正確には頭を下げる事が嫌なのではない。この男に対して、頼らなければいけない自分が許せないのだ。
それを『頭を下げる』という単語で雑にようやくされた事が余計に腹立たしかった。
それを嘲笑うように、カイネは「はははっ」と肩を震わせて笑う。
彼が顔を上げる。そこに浮かべた笑みは穏やかに見えて、芯に冷たさと愉悦をにじました――不快さを含んだものだった。
「いいな! その使命と嫌悪感の間で揺らぎあってる瞳! 最高だ!」
「嫌い……きらい……ほんっとこいつ嫌いぃ!」
「ほらほらほら~、それでぇ? 頼み事したいんだろぉ? 俺の心どう動かそうとしてくれてんのぉ~? 大っ嫌いな俺の心をさぁ~? ほらほらほらぁ~!」
「死ね……死ね……」
「殺意だけじゃな~んにもわからんぞ~? ほらほら、魔法少女らしく可愛いおねだりの一つやふた――ごふっ!」
次の瞬間、鈍い音が部屋に響いた。
それはコウヨクの蹴り――それも、容赦なく魔力と体重を乗せた重い一撃――が、見事にカイネのみぞおちに突き刺さった音。
不意を突かれた体がくの字に折れ、その威力を受け止めきれなかったソファーがカイネごと後ろへ吹っ飛ぶ。
どごん、という衝撃音と共にソファーが壁にめり込んだと同時、衝撃によってカイネの体が投げ出され……腹を蹴られた直後だと言うのに空中で回転し、足から綺麗に着地した。
そして。
「――いい加減にしなさいよこのド畜生男! あたし達が不甲斐ないから、ただの一般人の子にまで迷惑かかってんのよ……ッ!」
飛ばされたカイネの元まで駆けたコウヨクの足がもう一歩踏み込み、勢いのまま拳を振るう。空気がわずかに震え、拳がカイネの脇腹をえぐるように突き上がった。
そのまま二発、三発、四発と、怒りと自責と悔しさに身を任せるようにして拳を振るう。時には蹴りも混ぜ込んで。首から下へ打ち込むように。
暴力を振るわれるたびカイネの体が軽く浮き、すぐに倒れ込むように床や他の家具へ衝突する。
だが、彼の顔は笑っていた。
ぐったりと崩れた体勢のまま、腹を抑え、咳をしながらも、その唇は楽しげに歪んでいる。
それだけではない。コウヨクを見つめる瞳は、オモチャを見つけた子供のように爛々と光り輝くもの。
「くくく……っ! それでこそお前だ。プライド押し殺し、でっ、頭下げる事すら、っでぎない、可愛い可愛い、っ、魔法少女ちゃん、よぉ……。ぐっ……相手が俺で、ぁだっ、良かったな、ぁ?」
「何が俺でよかったなよ! 元はといえばあんたのせいよ! あんたが……あんたがっ、何百回も、殺しても殺してもすぐ復活するからっ! シーニー壊れちゃったのよ!! 責任取りなさいよボケカスナスビィ!」
「ぐふっ……! ところでっ、さっきから、っ顔、んぐっ! なぐるの避けてる、けどっ、やっぱアレ?」
カイネはわざと顔面をさらすようにして笑いながら、コウヨクの顔を覗き込むように微笑んだ。
「お前が惚れた、男の顔だから?」
直後、コウヨクの拳がクリーンヒットした。カイネの顔面ど真ん中へ。
「――ぶべっ!? ……はははっ! 図星か! んグッ! 可愛いやつめ! あだっ、ははっ、っは、ははは――」
「許さない……絶対許さない……今日こそは、今日こそはっ、殺してやる……ッ!」
カイネにまたがるように乗っかったコウヨクの右手に集まった光の粒が、数秒もせずに金色の斧へと変化する。変身などしていないのに。
彼を見下ろすコウヨクの目は見開かれ、瞳孔がわずかに揺れている。噛み締めた奥歯の隙間からは低く濁った呼吸音が漏れ、肌には怒りの熱がにじみ出ていた。
両手でしっかりと斧の柄を握る。そのまま頭をかち割るかのように斧を振り下ろそうとした瞬間。
二人が居る部屋の壁に、音もなく切れ込みが走った。縦にまっすぐな切れ込みが。
それだけではない。切れ込みは音もなく横、斜め、再び縦――と、量と種類を増やし、一秒もせずに乱雑な模様が壁全体に広がる。
そして、ガラガラガラ、と大きな音とほこり混じりの煙を立てて崩れた。その奥に、大きな一つの陰がある。
コウヨクもカイネも手を止め、音の方向を見やる。
その奥に居たのは。
「――こら親友! やりすぎだ!」
「コヨー! 大丈夫!? 変な事されてないのね!?」
自分の体と同じくらいの大剣を片手に持ったセヴォース。
そして、セヴォースのもう片腕に抱っこされた状態のイチェアであった。




