6日目ー4 軽い財布
時刻は大分遡り、月瀬達が駅前へ移動していた頃。
月瀬達が昼食を取った喫茶店の近くにて、一人の女性が居た。
コウヨクである。
「……あっついな……」
そうぼやき、額から流れる汗をぬぐう。魔法で作った風を自分の周囲に巡らせているものの、生ぬるい風は体にへばりついた汗を蒸発させてくれる気配などどこにも無い。Tシャツの袖と膝に隠れるかくらいのスカートの先がばたばたと動くのみ。
コウヨクは周囲を見渡す。人はちらほらと居るものの、皆どこか気だるそうにしている。
無理もない、現在の気温は二五度を超えている上、湿度に至っては現実逃避したくなるほどの値。間違いなく、長時間滞在したら人体に悪影響が出るものだ。
「エコとか言ってた連中は何してんのよ暑いじゃないのよもー信じらんなーい……! ――あ!」
コウヨクが視線を注いでいた建物の扉が開く。すぐに中から満足そうな表情の中年男性が出てきた。彼が開き戸のノブから手を離した直後、ほんのちょっとだけ扉が不自然に開き、また何事もなかったかのように閉じ始めた。
ちょっと下に目線をやれば、魔力を纏った私服のイチェアが居る。彼女はコウヨクと目が合うと一直線に駆けつけてきた。
「おかえり。収穫あった?」
「……駄目だった。全部、ぜ~んぶ、喃語話してたのね! これだから新築は! これだから新品にこだわる奴は!!」
「はいはい落ち着きなさい。あと潜入ありがと」
「あと、店員さんにも何話してたかそれとなく聞いてきたけどー、何も知らない様子だったのね……」
「そっかぁ……」
というのも、今二人が居る所は、シグニーミアと月瀬が食事を取ったばかりの店の近くである。
彼女達は昨日のシグニーミアの様子を見て『月瀬をとシグニーミアと二人っきりにしすぎるのはよろしくないのでは?』『でもシグニーミアを泳がす事で、現状把握や記憶回復に繋がるヒントを見つけられるかも』という結論を出しており、こっそり後をつけていたのだ。
コウヨクの認識阻害魔法で他者に不審がられないように追跡し、イチェアの物体と会話できる力で後ほどシグニーミアや月瀬がどんな言動を取っていたかを後ほど聞き出すという連携プレイである。
「あなたが聞き出せないのは想定してなかったわ……。やっぱり、あの時あたし達も入ってればよかったかしら……?」
「コヨ、認識阻害魔法は万能じゃないって自分で言ってたのね。あっつ~い視線やあからさまな気配は隠すの難しいーって。あと匂いとかも。……ましてや相手はおちび達の手の内を知っているシーニーなのよ。記憶が無いとは言え、お店の中入ってたら多分ストーカーしてたのバレちゃってたのね」
「あーもう、こういう時不便ねこの魔法……!」
だが、いくら連携プレイが上手でもカバーできないものがあった。そう、彼女らの魔法や能力にある欠点の事である。
コウヨクの認識阻害魔法については先程イチェアが述べた通り。イチェアの物体と会話できる能力については、相手となる物体の知性が会話できる程度にあるという事が大前提の能力である。つまり、先ほどイチェアが文句を言っていた通り、年季の入ってない物体は赤ちゃん同然である為、会話不可能なのだ。
「この後どうするのね?」
「とりあえず、飲み物買えるとこ行きましょ。暑くて蒸し焼きになっちゃうわ……」
「さんせーなのね……」
***
という訳で、近場のコンビニに寄ってそれぞれ飲料を購入した二人。
コンビニの屋根の下にて、風呂上がりの牛乳一気飲みの要領で腰に手を当てたイチェアがメロンソーダをがぶ飲みし、「ぶはー!」と盛大に息を吐き出す。
「この世界の炭酸ジュース美味しいのね! セヴォの手作りミックスジュースには及ばないけど! ねぇコヨ!」
言い終えると同時に盛大なげっぷ一つ。とても魔法少女どころか可愛い幼女とは思えない仕草である。
だが、コウヨクからの反応は無い。「んぅ?」と不思議そうにイチェアが見上げると、コウヨクはコンビニのガラス壁と睨み合っていた。真剣そのものといった表情で。
「何見てんのね? ……『一緒に働く仲間を探しています』……?」
「あ、これは……その」
イチェアもコウヨクの見ていたものを見ようとつま先立ちになる。なお、それでは足りずに顔を上にあげるという中々辛い姿勢が要求された。
コウヨクの見ていたもの、それはコンビニ店員募集中という事が書かれた手作り感溢れる求人票。色合いこそポップなものだが、明るいイメージを持つ言葉で書かれた重労働の内容と、最低賃金にちょいと上乗せしたくらいの給料が記されたそれはお世辞にも高待遇と言えるものではない。
救いなのは、魔法少女達は書かれている金額と最低賃金の差など知らない事くらいだろうか。
「昨日月瀬さんに言ってたやつなのね? 生活費入れなさいよって……」
「そう。あたし、この世界のお金あまり持ってないから……」
コウヨクがスカートのポケットから出したのは小さなコインケース。百円ショップで売られてそうなそれの中には百円玉や十円玉などといった硬貨が数枚入っているのみ。小学生の財布と言われても違和感が無い。
「金貨っぽいの入ってるけど?」
「この地域はコインより紙の方が価値高いの」
「あー、そっちのタイプなのね? ……待って。なら、もしかして、そのコインケースの中って……?」
「ええ。……子どものお小遣い並の量よ……」
哀愁漂う顔で事実を告げると、途端にイチェアの顔がこわばった。……が、すぐに、がんばるぞいと言うかのごとく両手でガッツポーズ一つ。
「魔物や賞金首討伐してお金稼ぎするのね!」
「無いわよ。指名手配犯なら居るけどちょっと非現実的だわ」
「もの探し系のクエスト受けるとか」
「無いわよ。冒険者ギルドも無いわ。依頼掲示板もね」
「こ、困ってる人の悩み解決して直接お金貰うとか……」
「……この地域、無料で親切を行う事を美徳としているの」
「――駄目じゃねーのね!」
なんという事だ。現代日本は異世界からやってきた系魔法少女と相性が悪すぎる。現に、空中に噛みつくかのようにイチェアが吠えてしまった。
なお、その後ろでコンビニから客が出てきたが二人を気にする気配は無い。認識阻害魔法の効果である。
今までよくやってきた金稼ぎ手段を否定された二人は再度求人票に目を落とした。何度見ても、業務内容に『レジ業務』『清掃』『品出し』などといった単語が羅列されている。
「だから、継続してお金を手に入れるには働くくらいしか方法が無いんだけど……」
「や、止めといた方がいいのねっ。ここで働いている店員さん死んだ目しながら文句ばっかり言ってるって建物が言ってるのよ!」
「でも、ぽっと出の奴が紛れこめそうなのってこれくらいしか……」
コンビニの建物を指さしながら説得するように言葉を重ねるイチェア。だが、コウヨクが求人票から目を離す様子は無い。
コウヨク達はかつて様々な世界を旅してきた。その最中にコンビニ店員と似たような業務を行う者も見たことがある。それ故に何をやっているのかはぼんやりと予想がつくのだ。……同時に、結構過酷な業務であろうという事も。
求人票の前でこれ以上無いほど真剣な表情でうんうん唸るコウヨクの腕をイチェアが引っ張った。
「とにかく! 他にできそうな事探しに行くのよ! ――ん?」
途端に、引っ張られる力が弱くなり、コウヨクは思わずイチェアを見下ろす。続いて、求人票でもコウヨクでも無い方を見ているイチェアの視線の先を見やった。
「……あら、リサイクルショップ?」
そこにあったのは、今居るコンビニが数件は入る程度にはどでかいニ階建ての建物。そしてうっすらと上から塗りつぶした跡のある看板の側には『お売りください』という文字。一目見ただけでわかる。リサイクルショップだ。
コウヨクは知らないが、昨日カイネが月瀬に渡したお土産の袋はこの店のレジ袋である。
「……そうか、売るという方法も無くは無いわね……」
「ちがう……おちび、呼ばれて……」
「やってみましょう。ちょっと一旦本拠点で売ってもよさそうなもの探してくるわ。あなたは先お店入ってて」
「あ、うん……」
ものを売るだけではなく、もしかしたら働く事ができるかもしれない。だがひとまずは様子見かつ現金入手が先だろう。コウヨクは空中に円を描くようにして今居るコンビニ前の日陰と本拠点を繋げた。
そのまま彼女は空間の亀裂に入ると、境目が消えてなくなる。
「……もー、コヨは思い立ったらすぐに行動するんだから! ……まぁ、売るというアイディアは良いと思うのね」
イチェアは空間の亀裂があった場所を見つめていたが、ため息一つつくと、今度は先ほど見つけたリサイクルショップの方へ視線を飛ばした。
今いるコンビニからリサイクルショップまでは非常に近く、徒歩五分もかからないだろう。
「さーて、さっきおちびを呼んだ理由でも聞きに行くとするのね。まぁ? こぉ~んなにぷりちーな子が居るのならぁ、思わず声かけちゃうのも当たり前なのね? おちびってばほんと罪な女……」
両手を頬に当て、うっとりと目を閉じるイチェア。そのまま彼女はしばらく満足そうにしていたが、やがて素早くリサイクルショップの方へ威嚇するように顔を向け、吠えた。
「――あ゛!? ガキには興味ねぇって!?」
どうやらイチェアのナルシストムーヴ改め誤解を何とかするためにリサイクルショップが声をかけてきたらしい。
そのままブチギレた表情を保ったまま魔法少女の脚力――オリンピック選手もびっくりするくらいの足の速さだ――でリサイクルショップの駐車場まで駆けつけたイチェア。なお、イチェアには認識阻害魔法が継続してかかっている為、ぎょっとする通行人は一人も居なかった。
「しぃっっつれェなヤツなのね! おちびはこう見えても数百年は――」
そのままイチェアはリサイクルショップの壁に向かって眉を釣り上げ、まくしたてる。
だが、突然言葉を区切り、意外そうに表情を崩した。
「……不審者が居るのね? ……ちょっと、声かけるの怖いって……あんた、そもそも普通の人にはあんた達物体の声なんて届かないのね」
ジト目になったイチェアが腕を組む。呆れたといった様子だ。
だが、イチェアは呆れて終わる魔法少女ではない。現に今、ふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「まーでもいいのね。おちびは正義の魔法少女だから、ガツンと注意の一つや二つ――」
刹那、再びイチェアの言葉が止まる。やがて、「へ?」と素っ頓狂な声を漏らした。
「待って? あんた達の言葉わかってるって!? あっそうか、怖いってそういう意味なのね!? とりあえずそいつの見た目教えてほしいのね!」
そのままイチェアは壁に向かってふんふんと真剣そのものの表情で見つめていたが、やがて彼女は壁のガラス張りの部分から店内を除き――高い塀の向こうを覗きたがる子どものように時々ぴょんぴょんと跳ねながら――「あいつかぁ!」と叫ぶ。
「おちびの知ってるヤツなのね! ごめんなさいなのよ知り合いが馬鹿やって! ちょっと止めてくるのね! ……あ、あいつ不審者だけど中身はいい奴だから怖がらないでやってほしいのよー!」
そう言い切ったと同時、出入り口のところまで駆け――その素早さに自動ドアの開閉が間に合わず、ゴンという鈍い音を立てた。




